Case 6 : プロに対する敵愾心の正体は?
前回の続きです。
アマチュアとプロとの距離感のお話でした。
プロとの距離が近すぎるあまり、馴れ馴れしくなったり、失礼な言動をしてしまったりする人がいる……という内容でした。
この距離の近さが最悪のパターンに発展してしまう例があります。
それがプロへの敵対心の発露です。
たとえば口論になったときに、
「プロのくせにそんなことも分からないのか」
「商業作家といえどこの程度のレベルか」
などと悪口雑言を並べるアマチュアさんを見かけます。
それまで和気藹々としていたのに……です。
これも実際に見たことですが、とあるアマチュアの作品に対して商業作家が、
「この漢字は何と読むのか? できればルビを振ってほしい」
という感想を述べました。
(たしか 竦める だったかと思います)
それに対しそのアマチュア作家はSNSで恨みつらみを吐露していました。
「この程度の漢字も読めない奴がいるのか」
「もっと読書量を増やせ」
「ググレカス」
という具合です。
これに同調する人も多く、賛同の声でさらに増長してしまったのでしょう。
相手がプロだと分かるや、
「商業作家なら最低限の国語力を身につけろ。その程度のレベルで10年先、20年先まで残せるような作品が書けるとは思えない」
「こんなレベルの作家のものでさえ商業に乗るのなら、小説界隈にも出版社の見る目のなさにもガッカリする」
という具合に攻勢を強めました。
お気付きかと思いますがこれ、完全に人格攻撃なんですよね。
プロとの距離が近いのがこの界隈の不思議なところであると述べましたが、プロに対してやたら攻撃的になるのもまた、不思議なところなのです。
なぜ、こうなってしまうのか?
理由はいろいろとあるかと思いますが、ひとつ挙げるならば、
『羨望から嫉妬へ、それが敵愾心に転じたから』
ではないでしょうか。
プロになりたいと願うアマチュアがいます。
そんな彼らからすると、現役のプロは自分が成りたい存在です。
プロに追いつきたい、並びたい、いつか追い越したい!
そうしたポジティブな想いを抱いているうちは健全なのですが、やがてその夢が叶いそうにないとうすうす感じ始めると、羨望は嫉妬へと変わります。
するとアマチュアという立場を都合よく利用して、
「プロのくせに~」「プロごときが~」「プロなら~」
と、相手を見上げているのか見下しているのか分からない人格攻撃が始まってしまうのです。
この病に罹ってしまうと抜け出すのはたいへん難しいのです。
完治するには自身もプロになるのが手っ取り早いのですが、ここまで進行してしまうとエネルギーを創作よりも、プロを貶すことに消費してしまいます。
作品の質では勝てない――しかしそれを頑なに認めようとしない――から、どうにかプロに勝てる部分を探してそこを衝く……という不健全な手段に出ます。
たとえば些細な言葉尻をあげつらうとか、自分のほうが語彙力があるだとか、プロとは流行に媚びる賤業だが自分は軸を持っているからちがうとか……。
そうでもしないと精神の安定を図れないのかもしれません。
そういえばプロになりたいアマチュアのことをワナビというのだそうですね。
この言葉自体はあらゆる業種業界に用いられていましたが、いまでは特に小説家になりたい人を指すのだとか。
さらにいえば蔑称的に使われているようです。
「我々のことをワナビだなどと馬鹿にするのは許せん!」と声を上げたいところですが、上述のような人たちがいる以上、そう呼ばれてしまうのもしかたがないのかなあ~と思ったり……( ;∀;)
さて、こじらせてしまったワナビはプロに敵愾心を抱く――というお話でした。
ここで終わればまだ傷は浅いのですが、実は彼らが噛みつく先はプロだけではないのです。
さらに病が進行すると……。
(続く)
※ 病に喩えているのはあくまでプロへの攻撃性やその言動に対してであり、そうした言動をする「人」に対して用いているワケではありません。




