第六十五話 見舞い客 一人目
「失礼します」
品原とはまた別の女性の声が聞こえて、知義がどうぞと答えた。
榊家のお手伝いである新島が、ひょっこり顔を出す。彼女は知義よりさらにスムーズに笑みを作った。
「ああ、お久しぶりです、雪本さん。……お見舞いの方がいらしてるんですが、お通ししてもよろしいでしょうか?」
そこで新島はなぜかチラリと知義にも視線を走らせた。
「泉美さんというお嬢さんなんですが」
雪本が頷くと、新島が扉を開く。
制服姿の泉美が遠慮がちに佇んでいた。
「お邪魔します」
泉美は知義に会釈をし、それから雪本に笑いかけた。知義は笑顔で会釈を返すと、先ほどまでよりやや緊張した仕草で立ち上がる。
「新島さん、ちょっと」
新島も用件を承知しているらしく、素早くうなずいて廊下に下がる。
「ごめんね、雪本君、泉美さん。僕は外すけど、八時までは面会大丈夫だから、疲れない程度に、自由に話していって」
知義はそう言って、早い足取りで病室を後にした。
廊下に出た知義と新島の会話の音を遮るように、泉美は暢気に声をかけてきた。
「どうも」
「花火大会ぶり?」
「そうね、まだ一週間も経ってないけど」
雪本が椅子を示すと、泉美はやけにお行儀良く座った。
「俺は花火見れなかったけど、どうだった?」
「雪本君、去年だっておうちから見たんでしょ?」
「あれ、俺、家から見える話ってしたっけ?」
「ううん。直接は。人づてに聞いただけ」
「ええ、誰に」
「さあ、誰でしょう」
泉美が変に得意そうに隠すので、誰から聞いたのか察しがついた。
思い返してみればそもそも一人くらいにしか話していない。秘密にするほどでもない話だからこそ、共有されると変な心地で、雪本は少しばかり当てこすりたくなった。
「それで?」
「ん?」
「結局、一人で見たの?」
泉美はじっと雪本の目を見て、ゆっくり笑った。
「ううん」
首を横に振った拍子に、伸びた毛先がふわふわとセーラーカラーの上を揺れる。
「一年生につかまっちゃった」
「ああ、そうなんだ」
「色々危ないこともあるから、あんまり一人だけでは動かないようにって、お達しがあったの」
「あ、そうだったの?俺全然知らなかった」
「丘の上でみんなを待ってる時にね、幹部の方で話し合いしておいたのよ。間鍋さんとか高野さんが積極的に言いつけてはいたけど、発案そのものは榊君」
「ああ」
口の端が難なく吊り上がったことに、自分で驚いた。驚きを隠すように雑に笑い飛ばす。
「榊に言われたって、ね。自分は浜上さんとでしょ?」
「ねー」
泉美はむしろ、押し固めるようにして、丁寧に丁寧に笑っていた。
「どうせ人も多いし、ちゃんとどこもかしこも明るいから、私一人で平気だと思ってたんだけど、すぐつかまって叱られちゃった」
「一年生に?」
泉美は自分でおかしくなったのか、くすくすと忍び笑いした。
「まあ、一人ってだけで、危ないことっていくらでもあるからね」
「気持ち的にもね」
「うん。そうね。本当、それはね」
相槌に相槌を返して、泉美は続ける。
「多分あの日は私、色んな意味で、一人じゃなくてよかったんだ。一人だったら花火綺麗だなあって、思いすぎちゃった気がする」
泉美の言葉に、自分もふと考えた。あの日、残って花火を見ていたら、どうだっただろう。
東井が横にいれば、なんとなく二人してしみじみぼんやり見上げてしまった気もするし、そこに東井の友達を加え四人でいたなら、騒がしく見ていた気がする。
一人なら一人で、真菜と見たいと思ったり、川上は花火は花火でもどんな花火が好きだろうと、いろいろ気が散っていただろう。そうするうちに、見ず知らずの人間からうっかり声をかけられて、本当に危ない目にあってしまっていたとしても、高校の同級生の群れまで逃げてきていたかもしれない。
ただ。もし仮に、今この瞬間、道端に突っ立って、目の前で花火が美しく開いたとして、何を思うかはわからなかった。どこかの誰かに声をかけられても、無遠慮に触れられても、ずっと花火を見るような気もした。花火を美しいとも、何を嫌だとも思わず、けれど何も思わないわけでさえなく、ただ目の焦点を置く場所を探すように。
「雪本君」
泉美の声に引き戻された。心持ち張った声に、身体が大きく反応した。
「ごめんね、一人になりたかったりする?」
「あ、いや……ごめん、ぼうっとしちゃって。でも、しばらく一人だったし人がいたほうが嬉しい」
「そっか。よかったら、東井君に連絡しようか?」
「東井?」
「今日ね、東井君、バスケ部終わってからまだずっと学校の方にいるんだって」
「ずっと? 文化祭の準備とか?」
文化祭で複数の役職についている東井が、そろそろ準備が大変だと言っていたのが、確か数日前だったと思い出しつつ尋ねると、泉美は緩く首を横に振った。
「雪本君待ち」
「俺?」
「雪本君と連絡が取れなくて、学校に来るか来ないかがわからなくなっちゃったから、榊君がとうとう東井君に相談したらしくて。それで東井君も、電話したりメッセージ送ったり、色々試してはいたらしいんだ」
「ええ、そんな騒ぎになってたの?」
「まあ雪本君、普段が返信早い方だし」
東井は、榊とともに雪本の家を訪ねようともしていたらしい。しかし、雪本に特別の用件があるのは榊だけだった。そこで榊は、まずは一人で向かうことにした。東井の使う駅が、雪本の家からだとかなり遠くなってしまうこともあって、榊は榊で配慮したのだろう。しかし東井は東井で雪本の状況が気になっていた。ついでに、浜上に捕まってこれまでろくに遊べなかった榊と、どこかに行きたい気持ちもあったらしい。
結果として、東井は、文化祭に向けての野暮用をちまちまと片付けながら、榊からの続報を待つことになった。榊が一人で雪本の部屋を訪ね、雪本がそこにいれば榊が用件を済ませ、場合によっては東井はそのまま帰宅する。雪本が不在であれば、そのまま榊と東井だけでどこかへ行くことになっていたそうだ。
「そしたら今度は、榊君まで音信不通。びっくりしただろうね」
泉美は柔らかく肩をすくめた。雪本は、泉美が手ぶらであることにその時初めて気が付いた。
「泉美さんは?」
「私は榊君から聞いたんだ。咄嗟に連絡くれたみたいで」
そこで泉美は一度言葉を切って、少し強張る声で続けた。
「だけどね、本当は、私にも言う気はなかったんだと思う。雪本君の体調の事だし、むやみに言っちゃだめだと思ってただろうけど……ごめんね、勝手に来て」
「あ、いや、全然。俺はもう、誰に言ってもらってもいい」
雪本は慌てて早口になった。
「東井だって、来てくれるなら来てほしいし」
「そっか」
泉美は目を伏せたまま、ありがとう、と呟いて、まばたきを一つした。今度は静謐な眼差しを、まっすぐに雪本の包帯辺りに向けていた。
「具合はどう?痛くない?」
「うん。全然」
雪本は弾むように答え、勢いよく首の包帯に触れた。相も変わらず何の感覚も催さなかった。
「じゃあ、身体がきついとかは?」
「それもないんだよね、むしろいっぱい寝れて、頭もすっきりって感じ。逆に、周りがすっごい大変そうで、申し訳ないかな」
「そんなの全然心配することじゃない。少なくとも私は、別の用事もあるから、ここに来やすかっただけなの」
「そっか。だったら良かった」
「思ったよりちゃんと様子を見られて、良かった。そろそろ出なきゃいけないんだけどね」
「うん、ありがとう、来てくれて」
泉美は静かに首を横に振り、後ずさるように立ち上がった。
「東井君に連絡しておくね。きっとすぐ来てくれるから」
雪本はつい笑った。
「そんな、焦んなくてもいいよ」
泉美は合わせて笑おうとして、途中でやめて、もう一度椅子に腰かけた。華奢な手を行儀よくスカートのプリーツに揃えて、雪本の目を躊躇なく見据えた。
「雪本君、無理だけはしちゃだめだよ」
「……うん」
「もちろん、重傷ってわけじゃなかったのかもしれないし、痛かったりはしないんだろうなって思うけど……少なくとも、榊君が見て、ちょっとびっくりしちゃったくらいの怪我ではあったみたいだから」
「…………そっか」
「無理はしないで、約束ね」
そう言って泉美は手を差し出した。雪本が握ると、優しい力強さで返してくれた。




