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第十八話 西口真菜と川上良③

 顔が全く別人に変わってしまった川上を前にして、

 悲しいほど美しい、全くの別人その物の顔にすげ変わってしまった川上を前にして、

 真菜は、言いたい言葉を大量に思い浮かべて、結局何一つ口には出せなかったという。

 

 その時落とした言葉は、この先何がどうひっくり返っても、決して見つかることはない。

 

*****


「良ちゃんは、私が別れたいなら別れてもいいよって言ってたんだけど」

 真菜は捨てるものをゴミ袋の中に詰め込みながら言った。

「私も、すぐに別れようとは思わなくて。そのまま今まで彼氏彼女なの。――でも、何だろう。私はその時にもう、失恋したんだと思う。顔が変わっちゃったのもショックだけど、それ以上に、川上良って人を見失っちゃったの」

 

 真菜は袋の口を固く縛って、それから雪本に向き直った。

「さあ、雪ちゃん。ここからちょっと違う話をしよう。私の話をしたい。私と良ちゃんの話じゃなくて、私の話。私が私をどう思うか、雪ちゃんが私をどう思うかの話をしよう」

「最初から、そのつもりで聞いてます。俺もその話がしたくて来た。だから川上さんの話も聞きたかったんです」

 真菜は軽くうなずいて、ふと窓の外を見た。夕日が少し傾いてきているのを見て、すぐに照明をつける。差し込んでいたオレンジ色の光は、人口の照明にかき消されて、白紙のような白い壁の眩しさは少しばかり目に厳しかった。

「ともかく、そういうことがあってからしばらくして、今度は私、その時働いてたバイト先の常連さんから声をかけられたの。そこそこ素敵な人ではあったんだけど。気づいたら二つ返事でOKしてた。前みたいに、超真剣な告白ってわけでもないのに……いや、むしろ、だからこそなのかな」


 顔を変えた川上は、別れたいなら別れていいなどと間の抜けたことを言うだけでは留まらず、他の人と遊びたければ遊んでいいと、真菜にそう伝えていたらしい。

「私がそういう人間だって、あの人は気づいたのかもしれない」

「そういう人間って?……いわゆる、男好きってこと?」

「そうね。……でも、もっと根本的に、もっと広い意味で……欲しいと思ったものを、我慢できない人間だってこと」 

 思い返せば、恋愛に限らず、ずーっとそうだったのよ。

 真菜はそう言った。

「欲しいと思ったものは、とにかく自分の手に取らないと気が済まないの。A先輩のことがあって、初めてそういう自分に気づいたのね。気づいたら余計に、止まらなくなった。良ちゃんもそれを止めようとしなかった。……そう。そうなの。こういう私は治らない。少なくとも私には、治し方がわからない」

 

 そこまで言って、毅然とした目を少し揺るがせて、真菜は雪本に視線を合わせた。まっすぐに目を見つめた。

「結局そういう事を、何べんも、何べんもしてるの」

「今まで何人と付き合ったの」

「付き合ってるのは一人だけだよ」

「川上さんだけ?」

真菜は頷いた。

「さすがに本気の人から告白されたら断ってる。……良ちゃんは、なんかもう、わからないのよ。本当。本人もきっと、どうしたいかわかんなくなっちゃってるし、私も私でわかんなくなっちゃってる。わかんない人を振るのがすごく怖いの。良ちゃんが怖いんじゃなくて……私がなんか、良ちゃんを振ったらやらかしそうだから、だから別れてないの」

「で――本気じゃない相手の誘いはOKしてる、そういう事でいい?わかってると思うけど、俺は本気だよ、どうするの?川上さんと別れる?」

「雪ちゃんがそうしたいなら」

「なんで?」

雪本は努めて、冷静になろうとした。あるべき混乱や怒りが、なにかの理由で後回しにされているような、奇妙な落ち着きが気持ち悪かった。

「怖いんじゃないの?川上さんと別れるの」

「怖いけど、でも、別れられるよ」

「だから――だから、なんで?」

「雪ちゃんの事が好きだから」

 まっすぐに、真菜は言った。

 こんなときの真摯な態度は、ともすれば冷笑に値するのかもしれないが、雪本は少なくとも笑う気にはならなかった。

「ただごめん。これから本当、最悪なことを言うけど。私が雪ちゃんと良ちゃんどっちもと付き合っているのが、もし、雪ちゃんから見て、嫌でないなら、私は良ちゃんとも別れないよ。……嫌じゃないわけないか」

雪本は笑わなかったのに、真菜は自分で笑ってしまった。げっそりと疲れの見える笑いだった。

 

 雪本は首を横に振った。

「いや。ちょっと待って」

「雪ちゃん?」

「話は分かった。ていうかもう、言うほど怒ってもないよ。何日も時間たってるし」

「怒ってるじゃん」

「待たされたことと、あと、彼氏いること黙ったままだったことは、怒ってる」

「ごめん」

「だからって……だからってじゃあ、真菜が嫌いかって言われたら、好きだし。……言い方変かもしれないけど、このチャンスはつなぎたい。付き合ってほしい、すごく。それで――それでさ、その上で、川上さんもいるっていうのが——俺自身にとって()()()()()()()()()()()()()、ちょっとまだわからなくて」

 宙に浮いたような心持だった。真菜も所在なさげにそんな雪本を待っていた。真菜の視線がこれまで見たどんな時よりも素朴で、雪本は宙に浮きながらも不思議に満たされてきてしまっていた。


 真菜と別れようとは全く考えついていない。

 真菜とは別れたくない。

 別れるのが自分にとって最悪の選択肢であるという部分だけ確信があった。

 しかし川上に関しては、およそ親切な対応を受けたという印象しかない。そのうえで過去の話なども聞くと、恐らくは人として信頼してしまうタイプの人間だろうと思える。気の毒だと率直に思ってしまっている節もある。

 まさにそこに違和感があった。

 今まで、想い人に恋人がいるというシチュエーションに出くわしたことは無かった。

 但し、もしそんな場面になったら、当然嫉妬が起こるものだと思っていた。相手を憎むものだと思っていた。疑いもしなかった。一足す一は二のように。計算というより暗唱に近いような、そんな算数を解くように。

 しかし実際には、真菜に川上がいると初めて気が付いた時も、嫉妬をしたわけではなかった。川上を憎んだ訳では無かった。予想もしていなかった事態への衝撃が何よりも勝っていた。

 真菜が間違いなく自分の事を今、好いているとして。仮に自分が、川上の存在自体は許せるのだとしたら。

 今ここで川上を追い出すことが、自分にとって本当にいい影響を及ぼすだろうか。少なくとも五年近く交際している真菜と川上を、条件反射のように切り離すことが、自分にとって良いことだろうか。


「……保留していいですか」

「ほ、保留?」

真菜が面食らったように目を瞠った。

「川上さん、すぐに別れてほしいとは、思ってない」

「ああ、なるほど」

真菜はまだ飲み込みきれてない感じで、目を泳がせた。

「じゃあ、保留で……」

雪本は吹き出した。真菜はさすがに笑うわけにはいかないと思ったのか、引っ越しの準備を進めていたが、そのうちクスクス肩を震わせた。


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