12-10 交渉 『後編』
『……どういう意味? 目的が同じって』
訝しげな問いかけにゴルディアスは答えた。
「言葉通りの意味だ。こちらとしても、ポラリスが機能しないのは不都合でな」
『抑止力が消えちゃうことを危惧しているのね』
「理解が早いな。まさにその通りだ。人類の黄金期を終らせた魔法工学の兵器同士の戦争。人の死を機械的に生み出し、単なる数字の羅列にまで落とす唾棄すべき戦争なぞ、御免被る」
ブレーンの一人が、殿下と鋭く呼びかける。気が昂り、本心を語っていた。交渉の席において感情を表すのは不利益しか招かない。
ゴルディアスは咳払いをして、自分の感情をリセットした。
「こちらが提案するのは二つある。一つは、貴様等が北方大陸にあるとされる『科学者』ノーザンの研究所を見つけ出すまでの案内役を提供すること。もう一つが、ポラリスが修復されるまでの生命の保障だ」
『……取引って言ったよね。なら、見返りとして何を要求するの。お姉ちゃんの体? それとも、あたしの命?』
自らを心配するよりも、まず姉を気遣う。五年もの時が過ぎて、姉妹の絆は更に固くなったようだ。
「どちらも興味は無い。今、俺が興味を持っているのは貴様の主だ」
『レイ様に……興味。知らなかった、そっちの趣味があるんだ』
「否定はせん。だが、肉欲よりも、純粋な興味だ。なにしろ、十三人しか存在しない『招かれた者』の一人であろう。この世界の行く末を憂う者としては、一度会っておくべきだ。だから、此方が出す条件は簡単だ。貴様の主、《ミクリヤ》のリーダーであるレイを帝国に連れて来い」
『そんなのっ! ……受け入れられると思っているの』
「受け入れろ。それ以外に選択肢はない」
ゴルディアスは確信を持って断言した。
交渉は攻め手が有利。ゴルディアスは自分が持つ情報網の巨大さをアピールしつつ、レイ達が秘密にしていた目的を言い当て、常に主導権を譲らなかった。レティシアが交渉役になるというのは意表を突いた作戦だったが、それでも盤石の態勢は揺るがない。
台本を捲ったゴルディアスは、用意されたセリフを見て、書いた者の悪辣さに唇を吊り上げた。それがどれだけ相手を追い詰めるのか容易に予想できた。
「考える猶予をやろう。五分だ。五分後に、もう一度魔糸を繋いで尋ねよう。くれてやる機会は一度だけだ。……ああ、それともう一つ。もし、イチェル以外の現地民を案内役に雇おうとするなら、それは無駄なことだ。なぜなら、その入り江一帯に居る者達は全員が俺の配下だ」
魔糸は声しか伝えないが、レティシアの顔が驚愕に歪むのが想像できた。
「では、五分後にまた」
そう言って、向うの返事を聞かずに一方的に魔糸をほどいた。途端、頭の内側に張られた糸のような感覚が消えた。
「脚本通りに進んだが、果たして応じると思うか、奴らは?」
「率直に申せば難しいでしょう。彼らにしてみれば、帝国に来るというのは敵地に飛び込む事と同意。姉妹が入国したとなれば、殿下に反意を抱いている御身内が動き出すのは必定で、あるいは陛下のお耳に入るかもしれません。逆に、姉妹が入国しなかったとしても主の身柄が拘束されれば、どんな命令も従うしかない。どちらに転んでも、最悪の結果しか招きません」
「ですが、彼らにとって喫緊の問題は『機械乙女』の修復。それを果たす為なら受け入れざるを得ません」
ブレーンの説明を聞き、ゴルディアスはここまでの交渉を振り返る。
今回の交渉における最大の目的は既に果たしている。そのため、レイ達がゴルディアスの申し出を断っても、正直なところ構わないのだ。
確かに、ポラリスの修復はゴルディアスにとっても重要なことではある。兵器が戦争に投入されれば、目も当てられぬ大惨事となるだろう。だが、それはそれで好都合な部分もあるのだ。
クーデターを狙うゴルディアスにとって最大の障壁は、皇帝に傅く『勇者』ジグムント。場合によっては、彼を排除しなければクーデターは成功しない。そのために必要となる駒を集めており、レイはその一つだ。レイが手に入らなければ、兵器を代用するという方法もある。
時間を計っていた者が、五分を迎えると告げた。
「最終確認だ。奴らが結論を出せずに迷っているそぶりを見せれば、奴らに妥協案を提示すればいいのだな」
「その通りでございます、殿下。帝国では無く、帝国外で謁見の場を用意すると申せば、奴らは飛びつくでしょう。こちらとしましても、姉妹を入国させるのは危険な賭けとなります」
最初に実現不可能に思える内容を提示し、次に実現可能と思える妥協案を提示すれば、提示された側の心理的なハードルが下がる。交渉の鉄則だ。
「うむ。では、繋げるぞ」
魔糸を指に巻きつけると、頭の内側で糸が繋がる感覚がした。
鼓膜に誰かの吐息が当たる。
「繋がったな。それでは、返答を聞こうではないか?」
刹那の間を置かずに、レティシアの返答があった。
『了承するよ』
途端、ゴルディアスは自分の聞いた言葉を理解できなかった。
「……いま、何と言った」
『だから、了承するって言ったの。ご主人さまが帝国まで行って、貴方に会ってあげる。だから力を貸してよ』
「殿下、如何なされましたか?」
副官が何かを察したかのように尋ねるのを、ゴルディアスは視線で制した。魔糸から拾い上げられる情報を全て逃さないように集中したかった。
「確認するぞ。貴様はいま、了承するといったな。つまり、貴様の主は帝国に来ることを了承したというのか」
『何度も言わせないでよ。その通りだよ、ゴルディアス・スプランディッド。何なら、きちんと言葉にしてあげようか』
瞬間、ゴルディアスはあり得ざるものを見た。この場に居る筈もないエメラルドグリーンの瞳を持った少女が自分と相対し、触れれば折れそうな細い腕を伸ばし、自身の喉元を掴もうとする。
魔糸は声しか伝えない。だから、そのイメージはゴルディアスの脳が生み出した幻想だ。だが、魔糸から手に入る情報を一欠けらも逃すまいと集中したことで、かえってそのようなイメージが生まれた。
『ポラリスを修復したら、いつかそっちに乗り込むよ。ウィンドウヘイルの名を背負ったあたしたちが、ご主人さまを連れて、貴方の元に、どんな事があってもたどり着いて見せる』
まぎれもない宣戦布告。
「くくく、はははははっ!」
爆発が起きたのかと思うほどの大音声に、ブレーンたちは戸惑いを隠せなかった。呵々大笑したゴルディアスは、幻想の少女を睨みつけた。
「五年という歳月は残酷だ。無用な輩を淘汰する為の餌が思い上がり、俺に盾突けると勘違いをしてしまうとはな。いっそ、哀れにすら思えるぞ。あの時、貴様たちの首を刎ねてやるのが慈悲だったのではないか、と」
『その言葉、忘れないでね。五年前のあの日。貴方があたしたちを生かそうとしたのが間違いだったと、死ぬほど後悔させてあげるから』
「面白い! 交渉成立だな、レティシア!」
ぶちり、と。ゴルディアスは魔糸を無理やり外すと、それを机の上に放り投げた。同量の黄金よりも価値のある魔道具に対する扱いではないが、周りのブレーンは誰一人窘めようとはしない。
ゴルディアスの獣面じみた形相が、更に猛々しさを増していた。頬は吊り上がり、犬歯のような鋭い歯がむき出しとなっている。それを笑みだと理解できる人間は少なかった。
「ご機嫌ですな、殿下」
笑みだと理解できる副官にゴルディアスは頷いた。
「ああ、久方ぶりだ。まさか、俺に正面から歯向かうような度胸のあるような者がまだ居たとはな。ふははは、腹の底が熱くなり、気力が漲ってくるぞ」
「確かに、帝国において殿下と正面を向き合って渡り合えるような存在は皆無に等しいですな。大抵の者が殿下の威圧に耐えかね平伏し、反骨心のある者も賢しく背後から突こうとする輩ばかり。そのような塵芥ばかりで、退屈しているご様子でした」
一拍開けて、副官は続けた。
「とはいえ、あまり浮かれ過ぎないようにいたしませんと。殿下、レティシア・ウィンドヘイルと言葉を交わし、どのように思われましたか」
「む。……年不相応の智と胆力を感じたな。頭の回転は速く、状況を俯瞰で捉える訓練を積んでいる。パーティーで回復役を担っているからだろうな。誰が傷つき、誰の治療や援護が最優先なのか、己の裁量で判断する訓練をしているのだろう。胆力については言うまでもあるまい。俺を前にして、あのような啖呵を切ったのだからな」
ゴルディアスの人物評をブレーンたちは情報として記録に留める。楽しげに語られるレティシアの啖呵を書き留めるときは、冷汗が背中を伝うほどだ。
一方で、魔糸を使って北方大陸に潜伏している諜報員たちに、今後の指示や方針を伝える作業が行われていた。
「殿下の印象で構いません。レティシアの精神状態は普通だったと思えますか。たとえば、心理的に追い詰められたが故の破れかぶれな発言だった可能性は」
「……いや、違うだろうな。確かに興奮してはいただろうが、あくまでも正常な精神状態だったように受け取れる。帝国に来るという意味を正確に理解し、その上であのような発言をしたのだろう」
「だとすれば、レティシアはこちらを脅威と感じつつも、勝機があると踏んだ上での発言となります。如何でしょうか?」
「道理だ。勝算なしに、あのような発言をする愚かな娘ではあるまい。……権威と暴力に怯まないということか」
ゴルディアスの武器は、帝国の皇子であるという権力と、膨大な情報網とそれを支える軍事力という名の暴力だ。ゴルディアスを相手取るというのは、そのまま国を相手にするのと同義。
普通の人間なら屈服し、頭を垂れる。
だが、レティシアは、そして《ミクリヤ》は違った。ゴルディアスの権威と暴力を理解した上で、宣戦布告をしてのけた。
「今回の交渉は二つの目的がありました。一つ目は完遂しましたが、もう一つの方は失敗に終わってしまった、という認識になりますかな」
「残念ながら。《ミクリヤ》の心を折り、今後の交渉において優位な立場を作るという目的は不首尾と判断するしかありません。我らの見通しが甘く、申し訳ありません」
最初に無理難題を吹っ掛け、次に妥協案を提案することで相手を誘導する。その際に、自分たちがどれだけ上位に居るのかを印象付けることで、相手に敵わない、勝てない、逆らえないと刷り込ませる。
見えない首輪を付け、《ミクリヤ》を手中に納めるきっかけを作ろうとしていた。
だが、レティシアが交渉口に立ち、よもや帝国に乗り込むなどと啖呵を切るような結果になるとは。ブレーンですら予想できなかった。
交渉に置いて握り続けていた主導権が、最後の最後に奪われてしまった。
「仕方あるまい。状況とは流動的だ。全てを見通すなら予知の技能が必要になるだろう。それよりも貴様たちの意見を聞きたい。《ミクリヤ》は本当に帝国に乗り込むと思うか?」
ゴルディアスの問いかけにブレーンたちは考え込む。今回の交渉に置いて、一つ目の目的を果たせた時点で二つ目の目的が果たせるかどうかはそこまで重要視されていなかった。
そのため、レイとゴルディアスの面会を確約する為の裏付けや契約、書類は用意していない。
レティシアが帝国に乗り込むと宣言しても、空手形に過ぎないのだ。
「ハッタリの可能性は十分に考えられます。殿下の人物評からすると、こちらの狙いが自分たちの精神を屈服させると察し、意地を通そうとしたのでは?」
「待て。そこまで察せられる者が、このような発言をして殿下がどのように思うのか想像しないと思うか。殿下が不快に思われ、今までの方針を変えて排除されるかもしれないと考え付かないと思うのか」
「ならば、本気で帝国に乗り込むつもりなのか。それこそ馬鹿げている。どれほど強かろうが、所詮は冒険者。国を相手に勝つなど、ましてや『勇者』を相手取るなど不可能だ」
喧々諤々。
レティシアの思惑を巡り、意見が刃のように打ち鳴らさられる。ゴルディアスが見込んだ頭脳明晰な集団であっても、彼女たちの狙いは読み取れない。それで十分だった。
ゴルディアスが手を上げると、ブレーンたちの議論はピタリとやんだ。
「結構。これより、対を想定した対策班を編成する。人員は追って命ずるが、《ミクリヤ》が武力、権力、経済力のどれで勝負を挑んできたとしても叩き潰せる計画を練り上げろ。並行して当初の計画も始めるぞ。此方から先手を打つ。まずは、姉妹とレイを引き離すぞ」
統一された返事が部屋に木霊した。
ゴルディアスは立ち上がると副官に告げた。
「船の用意は出来たか? 各所に通達し、俺は予定よりも早く出国すると伝えろ」
「もう、出発されるおつもりですか? ご予定では一週間後の筈。それに、あちらの力を借りるのは、後々を考えますと大きな貸しとなるのでは?」
「仕方あるまい。《ミクリヤ》は普通の冒険者では無い。『招かれた者』の一人だ。『勇者』や『魔王』と同格の化物だと考えるのが妥当だ。権威も暴力も通じない化物となれば、あとは神の力にすがるしかあるまい」
冗談めいたことを口にする主に、副官は心得ましたと返した。
頭の中で繋がっていた見えない糸が断ち切れる感覚と同時に、全身を鉛のような疲労感が襲った。体の芯まで絡みつき、息が浅くなる。レティシアは指先に巻いた糸を解くと、それをシアラに押し付けるように渡した。
「交渉は……終わったよ、とりあえず、協力するって。細かい部分はお願いしてもいいかな」
顔面蒼白で、息も絶え絶えなレティの状態を見て、シアラは無言で頷いた。肩の荷が降りたレティは、外の空気が吸いたいと言って、雪洞を後にした。
「主様。悪いけど、レティに付いていってあげて。こっちはワタシ達がやっておくから」
「私からもお願いします。きっと、私よりもレイ様が一緒の方が今のあの子にとって重要なはずです」
シアラとリザの二人に頭を下げられ、レイは頷いた。レティの後に雪洞を出ると、空が薄暗くなっているのに気づいた。
北方大陸は日照時間が長い。夏の時期になると場所にもよるが、一日中太陽が昇り続ける白夜が訪れる。そのため、レイの体感では夜になっているのに、薄暗い程度の空に感覚が狂いそうだ。
「おにいちゃん。レティおねえちゃんなら、あっちだよ」
人払いと見張りをしていたエトネが近くを指差す。おぼつかない足取りで、雪に滑りそうになりながら歩きだそうとするレティを、心配したクロノが引き留めていた。レイは痛む体で駆け寄ると、クロノに代わるよと告げた。
クロノはレイの状態も心配だと言わんばかりの表情をしたが、少し悩んでから頷いてエトネの元へと戻った。
残ったのはレイとレティ、二人だけだ。
レティはレイが付いてきているのを気づいているのだろう。足取りは遅く、しかし振り返ることなく真っ直ぐ斜面を降りていく。痛む体を無理に動かしながら、レイは追いかけた。
少女の足は桟橋で止まった。既に積荷を降ろす作業が終わり、人の気配は少ない。レティは桟橋から海を睨む。吹きすさぶ冷気は勢いを増し、体が揺れそうになるほど強いのに、彼女は根を張ったように動かない。
ただひたすら、海を睨む。いや、その先にあるであろう西方大陸を。帝国を睨んでいるのだろう。
「レティ」
「……ごめんね、お兄ちゃん。交渉を任せてなんて言っておきながら、相手の言うがまま条件を呑むことになって。これじゃ、皆の足を引っ張っちゃったようなものだよ」
自嘲気味に呟くレティ、レイはそんな事はないと答えた。
「誰が交渉役になっても、結果は変わらない。最初から、全部がお膳立てされてて、どうしようもなかった。シアラだってそう思っているさ」
まさにその通りである。イチェルの私物から帝国との繋がりを示す印章や暗号文が出てきた時点から、全てが仕組まれていた。レイ達が疑心暗鬼にかられ、打開策を見出す為にゴルディアス側と交渉するように誘導されていたのだと、レティは見抜いていた。
その後の交渉も、こちらの事情や状況は幾つもの情報を繋ぎ合わせて知られており、要求を呑む以外の選択肢は無くなっていた。
ただ一つ、レイ達が反撃に出た部分があるとすれば、それは帝国でゴルディアスと会うという要求を承諾したことだ。
ゴルディアスから五分間の猶予を貰った瞬間、レティが提案したのだ。
―――「多分、相手は条件を現実的に叶えられる程度まで下げると思うの。たとえば、帝国以外の第三者が立ちあう場所で会おう、とかね。でも、それを受け入れると相手に屈服したことになる。この先、巨大な帝国と渡り合うならな、一度でも膝を付いたら、絶対に敵いっこない。だから、一矢報いさせて」
エメラルドグリーンの瞳に強い輝きを宿した少女の頼みに、レイは一発かましてやれと言いきった。
「でも、敵地に行くなんて……やっぱり無茶苦茶なことを言ったよ」
「危険なのは世界中どこに居たって同じだ。相手は北方大陸にこれだけの規模のスパイを送りこんでいるんだ。それに、このまま帝国と戦うなら、いつかは帝国に行く必要はあった。遅いか早いかの違いだろ」
「でも」
「でもは無しだ。それに、忘れたのか」
レイが言うと、レティは振り返った。瞳に不安と恐怖と、そして一欠けらの勇気を抱いている彼女に向けて、レイはかつての約束を口にした。
「一緒に地獄なんか付き合わないよ。君達が地獄に居ると言うなら、そこから連れ出してやる。そう言ったのを、忘れたのか?」
デゼルト国で口にした誓いを、もう一度繰り返した。途端、レティは困ったように、しかし嬉しそうに顔を歪めると、レイの傍へと歩きだした。包帯塗れの手を取り、肩を貸す。
「こんなにボロボロの人に言われてもなー、説得力が無いよ」
「それを言われると困っちゃうな。でも、あの時と気持ちは変わらないよ。たとえ、どんな事があっても君たちを見捨てないし、助けてと言う限り、絶対に助けてみせる」
「……うん、ありがとう」
その呟きは吹きすさぶ冷気に紛れてしまいそうだったが、確かにレイの耳にまで届いていた。
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