閑話:北へ 『中編』
エルドラドは年の終わりを盛大に祝うが、新しい年を祝う習慣が無い。エイリークが賀正の概念を定着させようとしたが、あまり上手く行かなかった。そのため、御霊が空から見えなくなれば、普段と変わらない日常が戻ってくる。
残雪が街を白く染めているが、日が過ぎるごとに寒さが和らぎ、冬の間に蓄えたエネルギーが大地の中で出るタイミングを窺っている。子供たちの賑やかな喧騒が窓を叩く。平穏で穏やかな光景が学術都市のあちこちで見られていた。
その一方で、春の訪れを感じさせる空気とは無縁の場所もあった。
『魔王』の血を用いて作られた屋敷の形をした魔道具の最上階。空に近い場所は、まるで地下に向かって伸びる穴倉のような陰鬱とした空気に澱んでいた。その空気を発しているのは間違いなく、部屋の主である少年のせいだ。
部屋の主はベッドの上で枕に顔を埋めている。眠っているかのようだが、時折、白髪交じりの黒髪が乱れるほど頭を動かしていた。枕でも飲み込めないほど大きなため息が何度も繰り返される。
レイは悩んでいた。
あの日。
『魔王』フィーニス、『魔術師』オルタナ、『龍王』黒龍たちとの戦いを終え、疲労が色濃く残る体で空を見上げた時。星を砕いて作った染料で描いたような、この世の物とは思えない幻想的な光景、御霊を見た瞬間からレイは悩んでいた。
「……あれは……僕だ」
何度繰り返したか分からない言葉。誰かが聞いたら一笑に付してしまう様な内容だ。
だが、レイは確信をもって繰り返す。
「御霊は……僕なんだ」
エルドラドの生命循環装置、御霊。
エルドラドでは、死者の魂は肉体から剥がれると、重さゆえに地上へと落ちる。地上で魂魄の魄を引き剥がして軽くなると、残った魂は空にある御霊へと戻っていくのだ。そして、余計な汚れを落とし無垢な魂に戻ると、新しく用意された肉体に向かって落ちていき、新しい生を得る。
つまり、御霊は無数の魂を収容するシステムだ。
川のように枝分かれを繰り返し、動物の内蔵のように蠢く魂の塊を見て、レイはあれを自分だと理解した。
より正確に言えば、本質的にまったく同じ存在だと気づいたのだ。
「……訳が、分からない。これまでも分からないことだらけだったけど、今回は一番分からない。なんだよ、御霊が僕って。あれは……システムだろ。この世界を回す仕組みで……それがなんで僕と同じなんだよ」
言葉を紡ぐのは自分の中で渦巻く疑問や不安を打ち消す為だ。だが、言葉にすればするほど、確信は深まっていく。否定しようとすればするほど、馴染んでいくのだ。
御霊は自分であり、自分は御霊である、と。
カプリコルで自分の中にある御厨玲としての記憶が『本物の御厨玲』の記憶をコピーされた物だと知った時以上の衝撃だ。
あれ以来、自分が何なのか、誰なのか、何処からきてどんな存在なのかを考えてきた。それがまさか、人では無くエルドラドを正常に運営する為の装置だったとは。
そんな可能性、想像すらしていない。
あまりの衝撃の大きさに、御霊を見た夜は気絶するように眠りについた。翌日、太陽が昇っても薄く空に浮かんでいる御霊を見た時は、本当に気絶してしまった。
それから三日三晩、御霊を視界に入れないようにレイは生活をしていた。窓の傍に立たず、雨戸を開けようとせず、自室にこもっていた。
レイの異様な行動を、リザ達は戦いによって消耗した心身を整えるためだろうと考えて放置していたが、年が明けて数日が経っても部屋から出てこないのを心配していた。だが、レイは仲間の前に出ようとすると、心配させまいと明らかに無理をするため、何も言わずに見守る事にしたのだ。
彼女たちに自分が御霊であるとレイは打ち明けられていなかった。仲間達が気味悪がって拒絶するだろうと恐れている訳では無い。ただ、知ってしまった事実を受け止めきれないのだ。
人ならまだしも、世界の装置とは。どうしてそんなのが人の形をして生きているのか、見当も付かない。処理しきれない現実に、レイの思考能力は限界を迎えていた。
申し訳ないと思いつつ、レイは彼女たちの好意を甘受する。それだけ、受けた衝撃は凄まじかった。
だから、考える時間が欲しかった。
自分が世界を構築するシステムと同じであるという意味不明な事実を。
そして、自分とは別の御霊が世界を覆っているという事実が何を意味しているのか。
「僕はここに居る。その僕が御霊なら、空にある御霊は何なんだ?」
奇妙な話だ。
エルドラドの魂を司る装置が、今この瞬間には二つあるのだ。空に浮かび、本来の役割を果たしている御霊と、人の形をした自分。
普通に考えれば、どちらかは偽物である。
どちらが偽物かといえば、それは間違いなく自分だろう。
だが、どちらも本物だ。
あの日、年が明けるまで空に姿を見せていた御霊も、こうして鬱屈とした室内で悩む自分も、どちらも本物の御霊なのだ。
ただし、中身が違う。
御霊が人の魂を収容する装置を指すなら、その点で自分と空にある御霊は同じだとレイは感じ取っていた。だが、その中に流れる魂の種類や数が違う。例えるなら、瓶も素材も製法も作り手もまったく同じワインだが、作られた年だけが違うような。そんな違和感をレイはあの日の御霊から感じ取っていた。
その事実が混乱に拍車をかける。このエルドラドの御霊は、あの日の御霊なのは間違いない。
「御霊は僕だ。だけど、僕はあの御霊じゃない。……なら、僕は何処から来た御霊なんだ」
そこから先を考えたくなかった。
答えは既に出ている。
その答えをレイは認めたくなかった。
辿り着いた答えが正しいとするなら、前提が大きく狂う事になるのだ。このエルドラドが存在する意味が全く違う事になってしまう。
十三人の『招かれた者』。
エルドラドを滅びの運命から救う為に呼び寄せられた救い手たち。
―――彼らはどの世界を救う為に呼び寄せられたのだ?
本当に―――この世界は救われるのか?
「ああ、くそ!!」
自分の中に生まれた不安を薙ぎ払うように、レイは顔を埋めていた枕を壁に投げつけた。上級冒険者の膂力で投げ飛ばされた枕は、普通の建物なら貫通してもおかしくない勢いだったが、残念ながらこの屋敷は魔道具。壁は傷が付かず、枕の方が弾けとんだ。中身が散らばり床に残骸が転がった。
「……影法師、聞こえているなら返事をしろ。……なあ、影法師! 教えてくれよ。お前なら、全部知っているんだろ。僕の中にある、この疑問を、不安を……この世界の秘密を、答えを教えてくれよ!!」
叫ぶが返ってくる声は無い。
室内にレイの落胆する吐息が零れる。御霊を見た日から影法師は表に出てこようとしない。呼びかけにも応じず、技能を発動しようとしても不発に終わる。
あからさまに避けられていた。
どうやら、影法師は自分が思っている以上に知っているようだ。もしかすると、『本物の御厨玲』の正体も、どうして御霊の自分が人の形をしているのかも。
そして、この世界の真実も。
自分の求めている答えの全てが自分の中にあるというもどかしさに、レイはベッドにうつ伏せになろうとして、しかし固い表面に鼻をぶつけた。
枕を自分が投げたのを忘れていた。
「しまんないなぁ、まったく」
「何がしまらんのだ?」
突如として聞こえてきた声は、待ち望んでいた影法師の声では無かった。幼いのにどこか年寄りじみた印象を与える声に文句を言った。
「コウエン。勝手に部屋に入るなって言っただろ」
「呵々。其方は堅苦しいの。男の部屋に女が入るのだぞ。男ならば懐の広さを持って、女の誘いを受け入れるべきじゃろう」
いつの間にかベッドに上半身をもたらせていたコウエンは、牙のような八重歯を見せながら笑って言う。スライムに転生したコウエンは、ゼリー状のような肉体を利用して扉の隙間から侵入できる。これまでにも、そうやってレイの部屋に忍び込んでいた。
「ノックの仕方ぐらい、お前なら覚えられるだろ。これ以上、部屋に侵入するならシアラに頼んで何か仕掛けて貰うぞ」
「呵々! あの娘の魔法陣か。これは面白い。是非とも、堪能してみたいのう」
どうやら行動を改める気は無いようだ。レイはため息を吐くと、コウエンに尋ねた。
「それで? 今日は何の用だよ。僕の寝込みを襲いに来たのか? それとも隠している魔石でもつまみに来たのか」
「どちらでも無い。其方に客が来ているぞ。そら、そのような気の抜けた姿を止めて、人前に出れる格好になるが良い」
「……客だって? 誰が来たんだ?」
「む? ちょっと待て。確か……ああ、そうじゃ。其方の知己である禿げ頭じゃ」
レイが身なりを整えて応接室に入ると、禿げ頭―――『岩壁』のオルドが目にしていた書類から顔を上げた。室内には他にも人が居たが、リザから話を聞いていたレイは驚く事なく頭を下げた。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「いやいや、こちらこそ訪問の約束を取りつけず、急に伺ってしまい申し訳ない。それも休みの所にこの様な大所帯で」
丁寧に返したのはオルドでは無い。アカデミックな上着を羽織ったゴリラが、同じように書類から目を離してレイに喋りかけた。
彼こそは『繁栄の賢者』。学術都市を運営する者の一人だ。背後には学術都市学長付き秘書のモランヌが付き従っている。
オルドにも連れが居た。エルフの証たる長耳を晒し、凛としたたたずまいを崩さないのは、『弓姫』ロータスだ。彼女は小さく目礼を送ってきた。
室内で座っていたのは三人で、その内の一人が立ち上がりソファを迂回してレイの方へと近づいてきた。小太りの男はレイよりも背丈が低い。差し出された手はペンだこがあり、戦士のような硬さは無かった。
「やあやあ。初めまして、お噂はお聞きしておりますよ。新進気鋭の冒険者、『緋星』のレイ殿。私は副統括長を拝命しているカルロス・モンタナと申します」
「……ああ、貴方が。《ミクリヤ》リーダーのレイと申します」
名前に心当たりは無かったが、肩書で誰か分かった。急死したオーギュスター統括長の後釜と目されている男だ。とはいえ、どうしてこのメンバーが揃って屋敷を訪れているのかまでは分からない。
レイがオルドに向けて目線で問いかけると、彼は座るように促した。
空いている席へと腰かけると、メイド服を着こんだレティがタイミングよく入ってきた。彼女は盆にカップとポットを持っている。紅茶の香りが室内に広がると、それまで石像のように動かなかったモランヌが、レティの方へと近づいた。
「ありがとうございます、レティさん。後のお世話を私がしますので」
「えっ、でも」
急な申し出に戸惑うレティはレイに助けを求める様に視線を向けた。レイは場の雰囲気を察知して口を開いた。
「お言葉に甘えるとしよう。レティ、呼ぶまで別室に居てくれるかな」
「……分かりました、ご主人さま」
ぺこりと頭を下げて部屋を出ていく。途端に、室内は重苦しい沈黙に包まれてしまう。応接室にレイの仲間は誰もおらず、屋敷の中なのにアウェーのような雰囲気だ。
「それで? 仲間を追い出してまで、本日は何の御用でしょうか? 学術都市の重鎮が揃って僕の屋敷へ訪れるなんて、想像もしていませんでしたよ」
言葉に棘が出てしまうのは警戒心の表れか。
オルドは若者のそんな態度を笑って窘める。
「そんな言い方をするな。一応、体面を保つための人払いだ。話が終わったら、どうせお前の口から全員に伝えるから、こんな人払いに意味は無いんだがな」
「そもそも、どうして貴方達が僕の屋敷に来ているんですか。僕に話があるなら、学長室やギルド会館に呼びつければいいでしょ」
「それも考えましたが、話の内容から外部に知られると非常に危険でして。学長室もギルド会館も秘密の話が出来る様に仕掛けはありますが、万全とは言えませんからね。この屋敷ならば、防諜効果は非常に高いと考えたのですよ」
グラッセは秘書が並べた紅茶を一口すすり、美味しいと感想を述べた。
「……まあ、いいでしょう。それで? 話というのはこの報告書に関する事ですか?」
レイが指したのは、机に並べられた羊皮紙の束だ。クロノが一晩で仕上げた報告書を、レイは午前中の内に内容を一読していた。レティ、シアラ、ヨシツネも内容を確認してあるため、後はグラッセを通してテオドールに献上する手はずとなっていた。
レイが直接テオドールに献上するよりも、学術都市運営評議会学長が提出した書類という体を為している方が内容への説得力が増すという狙いだ。
そのため、リザがアポイントを取りに行ったら、逆にグラッセとオルド、そしてカルロスが屋敷に押しかけてきた。思いがけない来訪に慌てたシアラが場の段取りを整え、今に至るという訳だ。彼女たちは扉を隔てた隣室に集まっている。
「いえ、報告書に付いてではありません。実は、学術都市より東。内海近くでとんでもない物が発見され、極秘裏に学術都市へ運ばれている最中なんです」
頭の中で思い浮かべた地図と、この前の戦いの場所が結びつく。
「内海近く……もしかして黒龍の翼、ですか」
「その通りだ。この報告書にもあったが、黒龍に変身したコウエン様が破壊した黒龍の右翼が見つかったんだ」
コウエンの正体が人造モンスターであり、赤龍の記憶を引き継いでいるという事は今回の報告書で明かしている。読んだ人間が驚く真実をちりばめる事で本命の秘密を隠した。
「ここから先はアンタに任せるぜ」
「承りました。『緋星』のレイ殿。ギルドの規則では、モンスターの素材は戦闘に参加した冒険者、およびパーティーやクランが所有権を取得いたします。黒龍の区分は古代種が六龍ですが、最近の事例を紐解けば、通常のモンスターと同じ処理をしています。そのため、今回も同様の処理となります」
最近の事例といえば、おそらく赤龍の事だろう。赤龍討伐に関わった冒険者たちには報奨金がテオドールから振る舞われたが、あれは赤龍の所有権をテオドールに売ったのと同じだ。
「とはいえ、レイ殿には現在……表現は悪いですがギルドの保管庫から魔石を大量に盗んだ容疑が掛けられています」
「容疑は正しくありません。示唆をしたんです」
「何を居直ってやがるんだ。こんな偉そうな自白を他で見た事がねえぞ」
オルドが呆れた様に呟く。
現在に繋がる時間軸において、ポラリスのエネルギーを回復させる為にレイはギルドの保管庫から大量の魔石を盗み出すようにオルタナに頼んでいた。過去の時間軸と違い、オルタナの侵入はギルドに気づかれていなかったが、その事をレイは戦いが終わった後にグラッセに伝えていた。
自分や仲間、そして学術都市を黒龍達から守るためとは言え、やったことは犯罪である。その責任を取りたいと考えていたのだ。
教唆犯に対して困惑混じりの視線を副統括長は向けていた。
「えー、では。レイ殿には魔石を大量に盗むように唆した罪があります。ギルド職員以外立ち入り禁止区域への許可の無い侵入や保管物の盗難は被害を弁済させた上で追放処分となります。ですが、状況を考えて止むを得なかったと判断し、追放処分は取り下げさせて頂きます」
「では、被害の弁償ですか。……あの、賠償額はいくらに? 返済は待ってもらえますか。というか、分割は可能ですか?」
頭の中で《ミクリヤ》の残資金を思い出す。いま、レイが進めている靴と毛生え薬の商品化は完成の見通しが立っておらず、あまり資金に余裕があるとは言えない。
焦るレイに、カルロスは安心してくださいと言った。
「そこで提案なのですが、レイ殿には黒龍の所有権を放棄してもらい、これをギルドが接収するというのは如何でしょうか?」
「所有権の放棄ですか」
「ええ。無論、全てではありません。被害額から考えれば……翼の九割ほど頂ければ十分補填できます」
どうしますか、という問いかけにレイは逡巡する。
これは、得な取引なのだろうか。
それとも損な取引なのだろうか。
レイは黒龍の翼の価値もオルタナが運び出した魔石の量も知らない。龍の体に価値があるのは知っているが、果たして運び出した魔石の価値と吊りあっているのかどうか。大幅に譲歩してもらっているのかもしれないし、あるいは大損をしているのかもしれない。
初めて会ったばかりの男を信頼していいのかどうかも不明だ。
一分にも満たない時間だったが、レイは考えた末に頭を下げた。
「了承いたしました。どうか、それでよろしくお願いいたします」
レイは折れた。
というよりも、突っぱねる道理が無いのだ。必要に迫られていたとはいえ犯罪行為に手を染めたのは事実であり、被害者の判断しだいでは街に居られない可能性もあった。
仮に、黒龍の所有権をレイが主張しても、それを学術都市まで持ち運ぶ術がない。あの巨大な翼を数人がかりで運び出せるとは到底思えない。
そして、黒龍の翼を現金化する手段も無い。
適当に選んだ商人だと、此方が困っているのを見抜いて、安値で買い叩かれるかもしれない。正当な価格で売れなければ、賠償金を作れない。オルドの伝手を借りればきちんとした支払いをしてくれる商人と会えるかもしれないが、オルドや商人に下手な借りを作るのも躊躇われる。
つまり、レイには選択肢が無かったのだ。
レイの返答を聞いてカルロスは破顔した。
「そうですか、そうですか。分かりましたとも。これで魔石の方の賠償も完了とさせて頂きます。でしたら、こちらに署名を。ご両人が立ち合い人で構いませんね」
差し出された書類にはオルドとグラッセの名前が記されていた。どうやら、これで決着にしようと三人の間で話が済んでいたのだろう。
レイが名前を書くと、カルロスは事務的に話を続けた。
「数日もすれば黒龍の翼が学術都市に到着します。レイ殿の取り分である一割をどちらに運ぶのかは、後でお伺いするとして、次の話をしましょう」
「……まだ話があるんですか?」
「あるとも。というか、その話をしに来たんだよ、俺達は」
そう言って、オルドは暖炉の上にある物を指差した。
暖炉の上に置かれているのは、人が作った美の極致と呼べた物の残骸だ。
彼女の名前は『機械乙女』ポラリス。人ならざる者の首が大事に置かれていた。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は24日頃を予定しております。




