閑話:人龍戦役Ⅱ
丁寧な口上と共に下げられた頭。長い黒髪の先端が地面に着きそうになるが、若者は気にしたそぶりを見せない。一国の王としてはあまりにも軽薄な行動だが、帝国の四大公爵ともなれば幾つもの歴史や武勲を積み上げている。帝国という国が誕生してからの歴史は浅いとはいえ、帝国の基となる小国の時代からウィンドヘイル家は存在している。
だから、新興国たるアトス国の王とて、ウィンドヘイル家当主に対して頭を下げるのは異様な光景では無い。現に、戦いに備えている周囲の軍人たちは遠巻きで一瞥するも驚きはしていない。
だが、どういう訳かウィンドヘイル家当主は自分の首筋を冷たい風が触れていくのを感じてしまった。軍議の時から感じていた、腹の底から湧き出る感情をこらえながら、威厳ある声を出した。
「面を上げてくだされ、マールム陛下。私は一国の王に頭を下げて貰えるほどの男ではありません。それもこのような場で」
「何を仰いますか。ウィンドヘイル家といえば帝国の刃と誉れ高き一族。帝国が今の基盤を作る上で最も役立った名家の血は尊ぶべきものです。ワタシたち魔人種にとって、異国の強き戦士から学ぶことは多い。是非ともご友誼を結びたいと存じます」
「いやはや、全ては祖先が上げた功績に過ぎません。むしろ、陛下の方こそ武名を広めているではありませんか。北方大陸に住まう巨大モンスターを討伐し、人の住めないとされていた土地を切り開いた手腕はこの帝国にも届いております」
「いえ、全ては家臣たちが有能だったからです。彼らがいなければ、ワタシなど王を名乗るのも烏滸がましい存在です」
自分を卑下する物言いだが、一方で金色の瞳は自信に満ちていた。よほど、家臣の事を信頼しているのだろう。
それも納得だ。
フィーニスの斜め後ろで跪いているのは黒髪の青年から立ち上る圧も、フィーニスに劣っていない。いま、この場で最も強い男は、彼らのどちらかだろうと当主は理解した。
すると、傍に居た青年が耳元に手を当て、何かを小声で返す。
「そうか。……陛下、御歓談中失礼致します。お耳に入れたい議が」
「なんだい、ゲオルギウス」
「それがカタリナ様から……クリストフォロスも同様の見解を……如何いたしますか」
零れ落ちた言葉は断片的で人名しか分からない。ただ、話を聞いたフィーニスは頷くと、
「そうか。分かった。ウィンドヘイル殿。申し訳ないが、陣地の方に戻らなくてはいけなくなりました」
「何か、ありましたかな」
探りを入れるも、フィーニスは薄く笑ってそれ以上の問いを拒んだ。
「お気になさらず、定期連絡です。それでは、貴殿に13神のご加護があらんことを」
「陛下にも13神のご加護があらんことを」
互いに頭を下げると、フィーニスは槍を抱えた青年を引き連れて自分たちの陣地へと戻っていく。その背中が見えなくなると、ウィンドヘイル家の当主は深いため息を吐いた。
「ち、父上? どうかなされたのでしたか。大粒の汗をかいて……それに、顔も憔悴しております」
「汗?」
傍に居た息子に指摘されて、自分が額から汗を幾筋も流しているのに気づいた。いや、額だけでは無く、胸や背中からも冷たい汗が流れ落ちていた。
「正直な体め。怯えが素直に出てしまったわ」
老人が差し出したハンカチを使って汗を拭うも、体の怯えは止まらなかった。
「怯え、ですか? いったい、何に怯えていたのですか?」
「先程の『魔王』だ。貴様は気づかなかったのか、あやつから立ち上る、悍ましくも凄まじい圧を。心臓を直接手で撫でられるような悪寒を」
問われて少年は考え込むが首を横に振った。すぐ傍にいた少年には、和やかに挨拶をした若き国王にしか見えなかったのだろう。
息子の感覚の鈍さに落胆はしない。一流の武芸者なら殺気や闘気を狙った相手にだけ絞ってぶつける事など造作も無い。超一流ともなれば、殺気だけで相手に死を与える事も出来ると聞く。
もっとも、それと今回の事は関係無い。
「あれが魔人種だけが暮らす国、アトス国を作り上げた若き『魔王』でございますか」
当主同様に汗をにじませる老人が声を出すも、魂が抜け落ちたと言わんばかりに覇気が無かった。
アトス国。
竜人戦役が始まる十数年前に建国宣言した、若き国だ。
国民全員が魔人種という、小規模ながら異常な戦闘力を持った国である。
普通の新興国ならば、どこかしらの巨大な国と従属関係を結んだり、周辺国家と同盟を結ぶ事で国を守ろうとする。だが、北方大陸という不便な場所で建国したことと、国民全員が一級の冒険者相当の実力を持つ魔人種の戦闘国家という特殊な事情から、周辺国家はアトス国に対して不干渉を決めていた。
ここ数十年、フィーニス・マールムとその臣下たちの噂は世界中に知れ渡っていた。いくつもの迷宮を攻略し、大型モンスターを討伐した実績によって周辺諸国を黙らせている。下手に手を出せば、火傷では済まないと誰もが理解していた。
帝国も建国宣言の親書を持ってきた使者を受け入れて以降、簡単な貿易しか行っていない。そのため、帝国では『魔王』フィーニスと、彼が率いる五将軍に関して、真偽不明な噂が流れていた。
「噂に聞いておりましたが、噂とは当てにはなりませぬな。曰く、他者を見下ろすほどの巨漢で、背からは二対の羽が生えており、額からは天を突く角が生えているとか。……あれは、噂以上の怪物ではありませんか。正直、生きた心地がしませんでしたぞ」
「お前も、そう感じたか」
「御屋形様も感じになられましたか。あの者の殺気を」
「違うぞ。あれは殺気では無い」
「……と、仰りますと?」
「あれは単なる圧だ。『魔王』は我らに向けて殺気を飛ばしていたのではなく、単に零れ落ちた圧に我らの体は怯えていただけだ」
ウィンドヘイル家当主と老人の不調は、戦士として鍛えたがゆえに獲得したセンサーが、次元の違い過ぎる強さを前にして警報を発しただけなのだ。戦士として未熟だから、息子は感じ取れなかったに過ぎない。
前に立っているだけで、肉体は敗北を悟り、抑えきれない恐怖に膝を折りそうになった。
当主の言葉に老人は押し黙ってしまう。
彼とて、ウィンドヘイル家の先代当主の時代から仕えてきた古強者だ。それなりの修羅場を潜り抜け、それなりの戦士と剣を交わしてきた。豊かだった髪が抜け落ちるまでの時間に出会って来た全ての経験をひっくり返しても、フィーニスに匹敵する存在は思いつかない。
恐ろしい事に同じ圧を発しているのはフィーニスだけでは無かった。
彼の後ろに控えていた、眼光鋭き男もまた尋常ならざる圧を発していた。もしかすると、フィーニスに匹敵するかもしれない。
今回、『魔王』フィーニスは十数名からなる魔人種部隊を率いて参戦している。二十人に満たない規模だが、彼ら一人一人が竜を単独で相手取れる実力を持つ精鋭部隊だ。彼らが参戦したのはアトス国の武威を知らしめると共に、各国との信頼関係を築くためだろう。
「僕よりも年上にしか見えませんでしたが、あれで王なのですか。魔人種と分かっていても、どうにも理解が追いつきません」
「見た目に惑わされるな。あれで、我らの年を足してもまだ上だぞ。その上、結婚している娘まで居るはずだ」
魔人種を見るのが初めてだった次男坊は、文字通り目を丸くしてしまった。
「もしかすると、アトス国の部隊が我らの中でも最強の部隊かもしれんな」
「……御冗談を」
「冗談に聞こえるか?」
老人は力無く首を振った。流石に、参戦している全員が『魔王』と同等とは思えないが、精鋭部隊を率いているとなれば相当な強さなのだろう。戦場で敵として合間見えずに済んで良かったと胸を撫で下ろすしかない。
「それにしても、世界は広い。『勇者』殿に匹敵する戦士が他にも居るとは」
「……御屋形様。その物言いですと、『勇者』殿や『魔王』に匹敵する怪物を他にも見たかのような口ぶりですが」
「うむ。まさにその通りだ」
老人の顔が驚きで硬直する。その反応を待っていたと言わんばかりに当主は口角を吊り上げた。
「先程の軍議でな、居ったのだよ。居並ぶ諸侯、軍人たちと離れた片隅で。ただそこに存在しているだけなのに、どうしても体の震えが止まらなくなってしまうような怪物が、もう一人な。……それもエルフの剣士だ」
「エルフの……剣士ですか!」
老人が短く叫ぶ。彼が思い浮かべる二つ名が、当主には容易に想像できた。
人龍戦役には様々な国から兵や軍隊が派遣されたが、その中で特筆すべきなのが『魔王』旗下の魔人種部隊とエルフの部隊だ。
エルフの国が滅んで以降、エルフは複数の隠れ里に身を潜めていた。種族的に清潔で環境の整った土地で無いと暮らせないエルフたちは、その土地に住んでいた先住民を殺して奪い取っていた。
フィーニスたちと違い、彼らは国を宣言したわけではないが、それでも自国内に脅威となる勢力が暮らしているのだ。エルフを疎ましく思う者達は少なからずいた。
そこでエルフは、自分たちの地位向上と生活を守る為に竜との戦いに参戦したのだ。
エルフの持つ知識は連合軍の魔法技術を向上させ、竜を分断させるのにも大いに役立った。特に、黒龍と側近たちを北方大陸に縫い付けた封印魔法が無ければ、人龍戦役の前半に流れた血の量は、桁が一つ多くなっていたはずだ。
そんなエルフたちの中に、たった一人異端と呼ぶべき男がいたのだ。
「おと、御屋形様。何の話をされているのですか?」
自分の頭の上で交わされる会話に少年は無理やり割り込んだ。二人の視線を受け止めて少年は身構えるが、当主はすぐに笑ってみせた。
「なに、強い剣士とすれ違ったという話だ。……そう、あれは剣士だ。見た事も無い形の剣を腰に下げていたが、間違いなく剣士だ。立ち振る舞いから、目線の置き方が、人との間合いの取り方が、全てが理想的だった。仮に、あの御仁が剣を持っていなくとも、あの方は剣士だといえるほど、自然体で、究極的で……くぅ、かの御仁を説明するには言葉ではいくらあっても足りん!」
どこか興奮した様子の当主は、自分と同じ青い瞳をした少年に向けて告げた。
「我が子よ。貴様をこの地に連れてきたのは、ウィンドヘイル家の武とは何たるかを教える為であると同時に、この世は広いという事を気づいてもらうためだ」
「御屋形様?」
「少なくとも、私はこの世にあれほどの怪物が居るとは思いもよらなかった。我らに剣術を教えて下さった『勇者』殿に匹敵するやも知れない武芸者が三人も居るとは。我が子よ。お前は幸運だ。彼らの戦いをその目で見られるのだから」
一拍開けると、当主は自分の子供の肩を掴み、顔を近づけて言った。
「その目に焼き付けろ。この戦場で散っていく魂を、輝く魂を。それらを目に焼き付けたならば、後世に語り継ぐのだ。それが貴様の役目だ!」
「は、はい、御屋形様!」
父親から期待の言葉を与えられた少年は背筋を伸ばす。ほんのわずかの間に、横顔から幼さが消えていた。赤子の頃から世話係として勤めてきた老人にとっては嬉しくもあり寂しくもある横顔だった。
すると、その横顔が急に曇ったのを老人は気づいた。
「坊ちゃま。如何なされましたか?」
「御屋形様、爺。あちらを見て下さい。北の空に青白い稲光が……こちらに向かってきていませんか?」
次男坊の言葉に当主と爺が振り返ったのと、北方大陸上空の雲海から黒龍が放った熱線がトラゴエディアの砦に直撃したのは同時だった。
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次回更新は21日ごろを予定しております。




