11-61 神の道具
「弱体化し、我との戦いで消耗していたとはいえ、あの『魔王』と渡り合い勝利するとは。驚嘆に値する結果だ」
翼をもがれ、大地に伏していた黒龍が言葉を漏らすと、地響きに似た振動が辺りに広がる。オルタナが作った世界は限界を迎えているのか、壁紙を剥がすように欠落が目立ち始めている。
加えて、黒龍の放つ威圧感に世界は軋んでいた。
「貴様の言う通り、世界は限界を迎えている。これ以上続ければ、世界が砕け、我らの存在が神々の目に触れてしまうだろう。退くなら、此処ではあるまいか」
意外にも黒龍は撤退を提案していた。フィーニスとの戦い直後は、フィーニスを滅するまでは止まらないとばかりに感情を発露していた姿からすれば、拍子抜けするほどの変遷だが、当然の話でもある。
黒龍にしてみれば、この戦いは望んでいない騒動に巻き込まれた形だ。
レイ達に片翼をもがれ、フィーニスと激突したが、どちらも成り行きの結果だ。
元から両者に興味が無く、むしろこのまま戦いを続けて13神に観測される方が厄介だと冷静に分析していた。
だから、瀕死のフィーニスに止めを刺すという発想は欠片も無い。
滅びるなら、それで良し。
滅びこそ祝福であり、魂の休息である。
ところが、自分から戦いを見届けると宣言したオルタナは、どこか上の空な態度だった。彼にしては珍しく、呆然としているのを黒龍は気づいた。
「……オルタナ? 何を呆けておるのだ、貴様」
「……死を無かった事にできる力、だと」
返ってきた言葉は質問とは関係の無い内容だった。とはいえ、黒龍にとっても気になる内容ではあった。
「あの小僧の特殊技能か。確かに瞠目すべき効果である。時を巻き戻すなど、神の権能に近い力。果たしてそれが、偶発的に生まれるのか甚だ疑問ではあるがな」
疑問を口にしつつも、黒龍はあり得ると考えていた。
黒龍がレイと戦ったのは一分にも満たない時間だったが、コウエンとバトンタッチするまでの間、彼は黒龍の暴威を的確に対処していた。レベルに見合わない動きと判断力は、黒龍の行動を知っていたとなれば納得もいく。
「我もフィーニスと同意見だ。あれは、死を超越した力を持つ『招かれた者』のだろう」
「……けるな」
「何? 貴様、今なんと」
言ったのだと、黒龍は続けようとした。だが、覗き込んだオルタナを見て絶句した。
空洞。
普段は帽子で隠れているオルタナの双眸には、収まっているはずの眼球は無く、伽藍洞からは血の涙が溢れていた。
形相は憤怒に染まり、硬く握られた拳から何かが砕ける音がした。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁああああ!! 死を超越した力だと! 死を無かった事にできる力だと!! そんな物を、そんな物があるなら、どうしてアイツにその力を与えなかった!! どうして、アイツにあんな力を。アイツは、幸せになる権利があったはずだ! そのために、この世界に来たんだ!! それなのに、それなのに、オルタナは、俺の息子は! てめぇら、神の道具として死んだ!! 技能という名の呪いを押し付けられ、利用され、最期には、最期には!! っうううう!!」
言葉が質量を持つなら、これ以上ない怨嗟の泥が吐き出されただろう。この偽りの都市を満たし、埋め尽くさんとする泥を吐きだしたオルタナは、背を丸め、言葉にならない嗚咽をこぼす。
これほどまでの憎悪、これほどまでの憤怒、これほどまでの悲嘆。
それらは全て、息子―――オルタナを愛した事に起因する。
事象と為ったオルタナが抱えるにしてもあまりにも重たく、苦しい感情の爆発だった。
「……確かに貴様の息子は哀れであった」
体を丸めるオルタナに向かって、黒龍は静かに語り出した。
「己の存在意義を、世界救済の一点に見出し、その為だけに全てを揃えようとした。『冒険王』エイリークを育て、『英雄』サファを通じてエルフの民を救い、かつての『七帝』すら操ってみせた手腕は恐るべき存在だった。だが、ああしなければ、この世界は更に救いがたい汚泥に塗れていただろう。滅びの時は前倒しとなり、三つの戦役に耐えられずに滅んでいた。世界を今日まで存続させたのは、間違いなく貴様の息子だ」
「だからなんだ! 俺は、アイツに、オルタナに一日でも長く生きて欲しかった。それが……それだけが俺の望みだった。だけど、アイツは、神のしでかした不始末を掃除するためだけに、幸せになる権利を手放してしまった。……選択したのはアイツだけど、その選択肢しか残さなかったのは……神々だ」
ゆっくりと、オルタナの体が起き上がる。溢れんばかりの憎悪は、この世界を管理する神々へと向けられていく。あまりにも濃密で、そして色濃い憎悪こそ、彼の原動力だ。
『魔導士』オルタナの人生を、世界救済という、ろくでも無い実験の為に消費させた事への憎悪。どれだけ時を重ねても、この憎しみが薄まる事は無い。
「殺せ……黒龍」
「……何をだ?」
聞き返すまでも無い事だったが、黒龍は問い返した。
オルタナは腕を振るい、空っぽの眼窩の先を指差した。
「アイツだ! レイを殺せ。神の道具として、恵まれた力を与えられたクソ野郎を骨の髄まで消し飛ばせ。アイツが、地上に存在した証を一滴たりとも残すんじゃねえ」
「良いのか? あ奴からは、時の権能に関する情報を受け取る約定を交わしたのでは?」
「構わねぇ。あの女の姿を見て、大よそ理解した。『正体不明』の奴が、クロノスを用済みとして消そうとしたんだ。神の領域じゃ、神を殺すことは出来ない。だが、神の力が失われたエルドラドなら、今のあの女は人間だ。神じゃなくなれば、こっちも用はねえ」
「了承した。ならば、躊躇う道理は無い」
黒龍は大地を踏みしめると、力を練り上げる。背中が青白く発光しだすと、世界が限界だと悲鳴を上げた。剥離は広がり、蜘蛛の巣のようなひび割れが縦横無尽に広がっていく。
黒龍の中で滅びの力が充満していき、出口を求めて高まる寸前、黒龍はオルタナに尋ねた。
「重ねて問うが、いいのだな?」
「くどい! 本当に、死を無かった事にできるなら、この死を無かった事にしてみせろ、レイ!!」
オルタナの憎しみが乗り移ったかのような一撃が、黒龍から放たれた。
瞬間、誰もが凍り付いたように動けなかった。
フィーニスとの、薄氷を踏むような戦後交渉に意識が向いてしまい、同じ空間内に黒龍が居るという事を忘れていた。黒龍から放たれた黒い光線が、周囲の空間を砕きながら近づいてくるのを、黙って見つめるしか無かった。
この中でヨシツネ以外は全員、黒龍の一撃の凄まじさを知っている。リザとシアラは、記憶と魂に焼き付いている。一瞬で存在そのものを蒸発させる一撃は、苦痛を感じる前に死が訪れた。
エトネは、ミラースライムの特性を得たコウエンとの戦いで見たが、大地を震わす一撃は、彼女の常識を超えている。大地や空気に宿る精霊が、黒龍を前にして怯えていたのも納得がいった。
キュイと共に隠れていたコウエンは、全てを無に帰そうとする黒龍の一撃を前に、叫ぶしか出来なかった。ミラースライムの力を使って反撃するには、時間もエネルギーも足りなかった。
フィーニスは最悪のタイミングでの介入に、舌打ちをする。生存に全ての力を注ぎこんでいる以上、彼にどうする事も出来ず、迫ってくる死の塊を前に身動きすら取れない。
唯一、黒龍の力を知らないヨシツネも、迫りくる光線が自分の命を容易く飲み込む物だと、瞬時に理解していた。
勝利を手中に収めながら、突然現れた死を前に動揺し動けない者達の中で、たった一人、違った者がいた。
彼女は迫りくる脅威を前に、反射的に力を振るった。
生み出された無数の歯車が、命を飲み込む黒い極光の前に立ちふさがった。
動けたのはたった一人、クロノだ。
クロノは、黒龍の力の凄まじさをよく知っていた。
時を司る神クロノスと呼ばれていた頃、彼女は人龍戦役で暴威を振るっていた黒龍の観測を幾度も行っていた。『英雄』サファや『勇者』ジグムンント、『魔王』フィーニスたちとの戦いもレポートしていた。ある意味、レイ達以上に黒龍の恐ろしさを熟知していると言えた。
フィーニスに捕まっていて、体力が余っているという事もある。
だが、黒龍を知っているからこそ、死を前にして体が固まってしまったリザ達と違い、彼女は動くことができた。
歯車は直線的な光線を逸らすように展開し―――しかし、数秒も持たずに融解する。
当たり前の話である。
知っているから動けるのと、止められるのはイコールにはならない。クロノがクロノスであったならまだしも、クロノと黒龍の間には歴然たる実力差が広がっている。数秒を防げただけでも十分奇跡といえる。
なぜなら、数秒が運命を別つ時もあるのだから。
レイ達を黒い光線が飲み込む刹那、橙色の軌跡を宙に残しながらポラリスが割り込んだ。金属のボディが唸りをあげ、腕や肩、わき腹の表面が開く。
「現着。光学防御網展開」
淡々と、文字通り機械的に紡がれた音声の直後、彼女の体内から出てきた玉から光が投影され、正面を照らす。まるで、《盾》のように展開された光の膜は、黒龍の光線を受け止めた。
「う、嘘でしょ。黒龍の一撃を止めるなんて」
シアラが全員の心情を代弁した。ポラリスが展開するシールドは、黒龍の光線からレイ達を守る。もっとも、完全に受け止めている訳では無く、膜に沿って流れていく光線は、複数の頭を持つ龍のように広がっていきレイ達の背後を薙ぎ払っていく。
「これなら、大丈夫、でしょうか」
尋ねると言うよりも、自分の不安を共有して欲しいというリザの思いに反応したのは、意外な人物だった。
「難しいだろうね」
「どういう意味かしら、フィーニス」
『魔王』は黒龍の光線を受け止める薄緑色のシールドを眩しそうに見つめつつ、冷静な分析を下す。
「今の『機械乙女』は戦闘用の武装を一切持っていない。通常形態の防衛兵器なんて、たかが知れている。実際、彼女はボクとやり合っている時も、積極的に前には出てこなかっただろ。それなのに、黒龍の攻撃を受け止めるなんて、不可能に近いよ」
その言葉が事実であるかのように、シールドを展開する魔法工学の兵器が甲高い悲鳴を上げていく。理屈や構造を知らなくても、尋常じゃない負荷が掛かっているのだと、リザ達も理解した。
それなのに、攻撃を防ごうとするポラリスは顔を前に向けたまま告げる。
「報告。残念ながら、あと五十七秒後に私は放熱処理が追いつかずに大破。展開中の光学防御網が消滅します。それまでに、この場を撤退する事を推奨します」
「待って! 貴女はどうする気なの?」
「自明。私がこの場を離脱すれば、即座に貴方がたが蒸発してしまいます。離脱が確認されるまで光学防御網を展開し続けます」
「それじゃ、貴女が死んじゃうじゃないの!」
「当惑。ミス・エリザベート。私は魔法工学の兵器。死とは適切な表現ではありません。故に、貴方がたが私の安否を気遣う道理はありません」
淡々と、自分を見捨てろと言うポラリスに対して、リザは何も言えなかった。彼女との出会ってからの時間は短いが、ポラリスが本気で自分を見捨てろと言っているのは理解できた。
これ以上、押し問答を繰り返しても、彼女の意志は変わらない。
「……分かりました。行きましょう、シアラ!」
決断したリザは、動けないレイとレティを抱えて脱出の準備をしようとする。
だが、黒龍は容易く逃がそうとはしない。
光線の勢いが強まり、ポラリスのシールドが押し込まれていく。光の膜を沿って流れる光線がさらに広がり、脱出する道を塞いでしまった。
「ダメ、これじゃだっしゅつなんか、できない!」
「こちらも難しそうでござる。フィーニス殿、転移の影は使えんのでござるか?」
「敵であるボクを頼るなよ。残念だけど、こっちは生存の為に影を維持するので手一杯さ。おっと、手なんか無かったな」
徐々にだが、シールドに守られた安全圏も削られていく。数少ない生存領域を求めて密着するレイ達に、ポラリスは告げた。
「報告。黒龍の力が増幅。大破まで残り十秒となりました。失敗する確率は高いですが、攻勢に転じますが、宜しいでしょうか?」
その内容に、リザ達は顔を見合わせ、そして躊躇ことなく頷いた。
「命令受諾。光学防御網、最大出力、斉射!!」
ポラリスの表面に亀裂が入ると、肌だった部品が弾け、中が露出する。排熱の煙が彼女を包み込み、見えなくなった姿の代わりに機械が上げる音が唸り声のように響く。
瞬間、それまで黒龍の光線を受け止めるので精一杯だったシールドが輝きを強める。
二重、三重に重なったシールドがじわじわと光線を押し返し、次の瞬間一気に前へと放たれた。
そして―――偽りの学術都市は光と音の洪水に飲み込まれた。
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