11-57 『緋星』と『魔王』 『後編』
―――刃の先端は鎧に触れると弾けて消えた。
金色の瞳が驚きに広がる。フィーニスの大剣は、レイの鎧に触れた途端、互いに泡のようにはじけて消えたのだ。といっても、フィーニスの大剣はまだ形を保っている。切っ先が潰れてしまったが、影の塊がわき腹に食い込み、レイの口から苦悶の声が上がる。
「があああああああ!」
《耐久》の加護を持つ胸当てが一撃で粉砕され、肋骨をへし折り内臓に突き刺さる。
だが、本来なら存在しないはずの猶予を与えてしまった。両断されるはずの胴は残っており、炎の長刀を握った腕を縦に振るった。
切っ先はフィーニスの頭の横を通り、右肩へと落ちた。
「ぐぅうううううう!」
耳元で肉が焼ける音がした。
フィーニスの肩口から入った刃は、影をあっさりと貫いた。元から、防御では無く体の保護と補強に重点を置いて影を編んでいた。レイの龍刀の前では、文字通り紙のように脆い。
肩口から入った炎の刃は、斬ると同時に焼いていく。黒龍との戦いで崩壊寸前の体は、炎によって蹂躙されようとしていた。レイは龍刀を握る手に力を籠め、一気に押し切ろうとする。
「させるかぁあああああああ!」
フィーニスの両腕が膨らむ。大剣の影を一部回収すると、腕力強化に当てたのだ。
レイの体がぐらりと傾き、一気に弾き飛ばされた。快音を立てたバットから弾かれたボールがスタンドに突き刺さるように、レイの体は建物の残骸に激突した。
「っうう。一撃で、これかよ」
むき出しの皮膚を見れば、左の脇が青黒いを通り越して、どす黒く変色していた。全身を貫く痛みが繰り返し起き、口元から血が零れていく。これまでに何度も死んできたレイだからこそ、ここが死の淵というのを理解していた。
「一瞬で、生命力を削り取りやがって。こっちがあの手この手で、アイツを消耗させたのに、たった一撃で同じ所まで落とされたのかよ……嫌になるよ、まったく」
とはいえ、無理をすれば立てる。影法師がレイの意志をくみ取り、影の鎧を修復し、立ち上がれるように影を動かす。
龍刀は弾かれる時に、影を伸ばして巻きつけたから手元に残っている。体は半分死にかかっているが、半分は生きている。
大剣を受けた左わき腹を中心に、左側の感覚は鈍い。龍刀を右手で軽く振る分には問題ないが、それでも長続きはしないだろう。
短期決戦なのは変わらない。
レイは瓦礫の淵に立つと、一気に跳躍した。フィーニスの前に着地すると、相手の状況を確かめるつもりで睨みつけた。
金色の瞳と視線がぶつかる。禍々しい輝きは変わらず、しかし、白い肌は一層の白さを帯び、幽鬼を思わせる表情をしていた。どうやら、フィーニスの方が死に一歩近いようだ。
「驚いたよ」
心の底から驚いたとばかりにフィーニスは漏らした。
「ボクの影は、同種の力に触れるとあんな風に弾けて消えるとはね。君は知っていたのかい」
「……さて、どうかな」
「つれないな。知っていたかどうかぐらい、教えてくれてもいいだろ。君にその力をあげたのは僕なんだからさ」
無論、レイは知っていた。
ミラースライムとの戦いや無かった事になっているフィーニスとの戦いで、影がぶつかり合うと弾けて消える性質なのは確認済みだ。
そして、その事をフィーニスが知らないのも確認済みだった。あの時、シアラを助けるために影をぶつけた際に弾けて消えたのを見て、驚いていたのが印象的だった。
この知識の差こそ、レイの切り札であった。
どれだけ強力な影の一撃でも、影の鎧は一度だけなら受け止められる。
戦車の装甲に爆裂反応装甲というものがある。着弾した際、装甲に仕込まれた火薬が爆発し、衝撃を外に分散して中の搭乗員を守るという防御だ。
フィーニスが放った特大の一撃を鎧で弾き、こちらの一撃を叩きこむチャンスをレイは狙っていた。フィーニスが大剣を構えてくれたのは、レイにとって絶好の機会でもあった。
だが、恐るべきは『魔王』。影の大剣は一塊の影のように見えて、影を幾重に織り込んで層を作っていた。レイが大剣の破壊を狙っていたとしても、表面の層を犠牲にして、下の層で確実に叩き切る構えでいた。そのため、影の鎧は大剣の表面しか道連れにできず、残った部分が直撃した。
「理屈に合わないなぁ」
呟きは風に吹かれて消えそうなほど小さいのに、レイの耳朶を震わした。金色の瞳が探るようにレイを見つめ、背筋を冷たい汗が落ちる。
「……何が、だ」
応えるべきではないと理解しながら、言葉は口を突いて出てしまった。
肩から胸の上まで裂けているフィーニスは、影を展開して応急処置をする。影自体に治癒の力が無いのはレイも知っている。あれは破けた箱にガムテープを張り付けるような物で、負荷が加われば破けた部分から劣化していく。
黒龍との戦いで瀕死だったところを、龍刀の炎を浴びたのだから、死んでいてもおかしくないダメージが蓄積されているはずだ。それなのに、フィーニスは両の足で立っているのだから、信じがたい光景である。
「君達の誰か、おそらく『招かれた者』であるレイが未来予知者だと僕は予想している」
「……どういう意味だ?」
「君達の行動や作戦を分析すると、所々理解できない部分がある。理屈に合わない、それでいて後から振り返れば合理性のある選択。まるで盤面を上から覗き込む様に、全体の流れを把握している。うん、まるでこの先の流れを知っているかのようにね」
瀕死の重傷だと言うのに、声に力があった。
魔人種を束ねた『魔王』のカリスマ性なのか、人を従わせて余りある迫力を持っている。
「確かに、僕らは未来予知を使える仲間が居る。それはアンタも知っているだろ。シアラだ」
「いや、彼女じゃないね。あの子の《ラプラス・オンプル》は瞬間的な未来予知。前後の流れを読み解けるような代物じゃない」
影できつく固定しているだろうが、その下の体は刻一刻と崩れているはずだ。なのに、フィーニスは推理するのを止めない。レイは嫌な予感を感じつつも、フィーニスの様子を窺った。
龍刀を握る手に力を籠める。
「間違いなく、かなりの情報量を手に入れられる未来予知能力が君に備わっている。……だけど、奇妙だ」
「なにが奇妙なんだよ」
「君達は、初手から間違えているじゃないか。未来予知ができるなら、どうして仲間を二人、誘拐されるという結果を回避しなかったんだ」
レイの言葉は届いていないのか、あるいは今が戦闘中だという事すら忘れたかのようにフィーニスは思考に没頭する。
「回避できなかったとしたら、未来予知は完璧じゃない。未来予知を働かせていれば、迷宮で僕と遭遇することだって回避できた。今だってそうだ。影同士がぶつかれば、弾けて消えるという特性を知っていたのに、僕の大剣の構造を知らずに突っ込んできた。予知はできるが、知る事の出来る情報は限定的で完璧じゃない。どちらかと言うと、受動的で発動は自分の意志じゃないのか。……完璧じゃないのを知りながら、死すら覚悟して吶喊したとなると、話が違ってくる。死を……恐れていない?」
ひたり、ひたりと。
背後から足音が聞こえてくる。
自分の秘密に近づく足音だ。
足音の主は、これまで隠してきた能力を暴こうとする。
「受動的な未来予知なのに、死を恐れないのは、死が関係しているからか? 死が制約、いや、引き金……発動条件」
見えない手で心臓を鷲づかみにされた。
肌が粟立ち、緊張から呼吸が浅くなる。
フィーニスの瞳がレイを真っ直ぐ射抜いた。
瞳に宿る光が、レイの中に隠れていた秘密を白日へと晒し出した。
「死に戻りか! 発動条件は死ぬ事。戻れる時間に限界があるから、受動的で限定的な未来予知しかできない! だから、後手に回っているのか。仲間の誘拐も迷宮でボクと出会った時も、死に戻れる条件が揃っていなかったから、対処できなかった。そうじゃないのなら、否定してみせろ」
問いかけに、レイは呼吸を整える。動揺を隠し、龍刀を握る手に、更なる力を籠める。
「死に戻りだって。そいつは、未来予知以上に途方もない話じゃないか。死を無かった事にできるなんて、神様の領域だ。個人の能力でそこまでの力があるなんて聞いた事が無いぞ」
「ああ、全くだ。規格外としか言いようがない。君以外の人間がそんな事を宣ったら、ボクはそいつの首を切り落とすね。だが、君なら納得ができるよ」
「どうして僕なら納得できるんだ」
「君が最後の『招かれた者』。いや、時の神クロノスによって送りこまれた存在だからさ」
「そこまで……知っているのか」
「勿論さ。ボクには情報収集が大好きな覗き魔が居てね。クリストフォロスのお蔭で、十三人の『招かれた者』が誰なのか、どの神によって送りこまれているのかは把握している。時を司る神によって招かれた君が、時に関係する能力を発現しても、なんらおかしくは無い。なにより死に戻りなら、説明が着く」
フィーニスは興奮しているのか、本人も気づかない言葉が強くなっていく。
「ゲオルギウスを! 赤龍を! 黄龍を! ディオニュシウスを! そしてこのボクを! ……名だたる怪物を前に生き延び、あまつさえ倒してきたのは君が死ねないからだ。勝利するまでは死ねない君は、いくつもの屍を作ってきたはずだ。そんな君を……」
叫び傷が痛むのか呼吸を置いたフィーニスは続けた。
「ボクは尊敬する」
「……はぁ?」
ストレートな言葉にレイは戸惑う。フィーニスは本気だとばかりに言葉を重ねた。
「君の力がどんな代償を払っているのか。君の姿を見れば、僅かながら理解できる。とてつもなく重く、厳しい代償だろう。いっそのこと、死ねば楽になれる時だってあったはずだ。それなのに、君は死という楽な道を選ばず、無数の屍を積み重ねて此処まで来たはずだ。屍を積み上げて此処に立っている。その事実だけで、尊敬に値するじゃないか」
本気なのだろう。口ぶりだけでなく、所作や声のトーン、視線の柔らかさ、何もかもが、フィーニスの言葉を真実だと告げていた。
だが、フィーニスに認められたからと言って、何かが変わるわけも無い。
「そいつは有り難い言葉だ。嬉しくて涙が出そうだよ。それで、僕らを見逃してくれる気になったのか」
「まさか。余計に君が欲しくなった。能力の異質さじゃなく、君の在り方が欲しい。……となれば、やはり殺すのは不味いな。死は君にとって終わりじゃなく、やり直すきっかけに過ぎないのだから」
言うなり、フィーニスは手にした大剣を崩した。影がフィーニスの体を保護している包帯に吸い込まれると、掌が波打つ。
掌が盛り上がると、伸びて出てきたのは細長い影だ。まるで枝のようにあちこち分かれながら伸びる。
「いくらなんでも、それでこっちの武器とやり合うのは難しいだろ」
「だろうね。だいたい、君の鎧と触れたら影は消えてしまうだろ。だから、こうするんだ」
フィーニスは手元から伸びた枝を下に向けた。途端、枝は一気に長くなり、足元の瓦礫の中を泳いでいく。そして次の瞬間、足元の瓦礫が塊となって持ち上がった。
影の枝が瓦礫に張り付いているのだ。内側から接着剤のように広がり、密集させている。フィーニスは両手に持った瓦礫の塊を見て、歪だと感じたのか影で形を整えた。
「うん、これなら剣みたいだろ」
言われるまでも無く、レイには双剣に見えた。影で張り合わせて、形を整えた急ごしらえの物だが、間違いなく剣だ。
フィーニスの膂力と合わせれば、レイの鎧を貫通できる剣だ。
「さて、見た所、お互いに死ぬ寸前。ボクの方が、ちょっと分が悪そうだ。だから―――一気に決めさせてもらうよ」
その言葉に偽りは無かった。
フィーニスの姿が消えたと思った瞬間、『魔王』はレイの懐に潜りこんでいた。既に瓦礫の剣を構えて、振り抜いていた。一呼吸の間に距離を詰められ、先手を取られてしまったレイは腕に精神力を込めて攻撃を喰らった。
体が横に吹き飛び建物に再び激突する―――寸前、レイに追いついたフィーニスの攻撃を下から浴びた。軌道が変わり、空中へと持ち上げられる。フィーニスはレイを逃がすまいと地面を蹴ると、周辺は陥没した。
あっという間に自分と同じ高さまで跳んだフィーニスが、瓦礫の双剣を縦に振るう。龍刀で防ぐも、こらえきれずに地面へと激突した。
陥没した地面が更に陥没する。
受け身も何もできない、されるがままの状態。肺から空気が抜け落ち、意識が朦朧とする。
そんなレイの様子を見て、フィーニスは手を抜くような真似をしない。足元に影を展開すると、何も無い空中で足場を作り、一気に地面へと迫る。
レイはフィーニスが激突する前に、地面を殴りつけて転がる勢いで立ち上がる。だが、着地したフィーニスは間髪入れずに双剣を振るった。
龍刀で受け止めようとするが、流れるような連撃に体が追いつかなかった。
「おいおい、どうしたんだい。まさか、さっきの一発でもう体が動かせないのかい。炎の鎧まで引っ込めて、刀を振る体力も無いのか」
瀕死の重傷とは思えないほど軽やかに剣を振るうフィーニス。その度に、彼の体を包む影が脈動し、筋肉のように膨らんだり萎んだりしている。
フィーニスがこれほどまでに動けるのは、大剣の影を取りこんだのが理由だ。
正確に言えば、先程まで武器に回していた影を、自分の補強と強化、行動の補助に注ぎ込んでいるのだ。攻撃特化から身体強化に変化する事で、瀕死の体なのに高速移動を可能としていた。
左半身が使えないレイは、右手で握った龍刀で攻撃をさばいていく。影で右手を固定していないと、龍刀を手放してしまうほどの連続攻撃だ。切れ味は無いに等しい瓦礫の剣が、衝撃で自身も砕けながら影の鎧を引き剥がしていく。
「あはははは! さあ、ボクが先に自滅するか、その前に君が倒れるか。果たしてどちらが、先に負けるのかな?」
楽しそうに吼えるフィーニスに対して、レイは小さく呟いた。
「やっと、溜まったか」
「……何だって」
問いかけの言葉をレイは刃で返した。
フィーニスが構えていた瓦礫の刃に龍刀を合わせて―――ずるり、と抜けた。
「これは、どういう事だ」
フィーニスが影で繋ぎ合わせた瓦礫の剣は、精神力を通して強化されている。いくら龍刀といえど、溶けたバターをナイフで切るように切断できるはずが無い。驚きを隠せない金色の瞳は、龍刀の変化に気づいた。
紅蓮の刀身が、灼熱の色に染まっている。溶鉱炉を覗き込んだかのような真っ赤な色の周りは、空気が揺らいでいるようにすら見えた。
「そういう事か。炎の鎧は維持できなくなったんじゃなくて、全部を刀に籠める為に消したのか」
「ご明察」
レイがフィーニスの推理を邪魔しなかったのは、時間稼ぎが目的だ。龍刀に残った精神力を全て注ぎ込み、刀の炎を一点に集中させる為に彼はフィーニスを喋らせていた。
戦っている最中も、防御が疎かになっていたのは、炎を一点に集中させるため、他が疎かになっていた。
今、龍刀の中で炎が極限まで高められ、外に出ようと暴れているのを押さえつける。刀身は灼熱の色を発し、触れる物を溶かす。あまりの高温に、空気が揺らめいている。
フィーニスですら、危機感を抱き距離を取ろうと下がった。
すかさず、レイの声が飛んだ。
「行け、影法師!」
「てめぇに言われなくても、逃さねえよ!」
ずるり、と。レイの体に張り付いていた影が剥がれると、人の形を作り出す。影法師はフィーニスに向けて体を広げる様に手を伸ばした。
「あははは! いつからボクの影は喋れるようになったんだい!」
断面が溶けた瓦礫の双剣を投げつけるも、影法師は意に介していない。仮に、フィーニスが攻撃用に影を展開していたら結末は違っていただろう。
影法師がフィーニスの体を包み、弾けて消えた。
フィーニスの体を保っていた包帯の影と共に。
「ぐぅ、があああああああああああああああああああああ!」
獣じみた絶叫が街に響き渡る。
空気に晒され、崩壊していく体。痛覚がむき出しになって、全身から痛みを発している。
フィーニスといえど、ほんの数秒、動きが止まってしまう。
「アンタは覚えていないだろうがな、今のはアンタから教わったやり方だよ」
かつてやられた戦法を、そのまま返したレイは龍刀を地面に突き刺した。龍刀に溜まっていた炎は、主の命に従い、地面を溶かしながらフィーニスの足元にまで伸びる。
「《灼炎尖塔》」
込めた精神力は昇華され、一つの神秘となって具現化される。
直後、フィーニスの足元から、灼熱の炎が噴き上がった。絶叫すら飲み込み燃やし尽くす炎は塔のように冬の空に向かって伸びていく。
自身の全てを注ぎ込んだ。
精神力はもちろん、生命力も残り僅かで、切り札は無い。
「……これで、終わってくれよ!」
龍刀から噴き上がる炎は勢いを増していく。超級モンスターは愚か、超弩級モンスターですら致命傷になるはずの一撃だが、レイはどうしても不安が拭えなかった。
フィーニスは言っていた。
自分とレイは似ている、と。
そう、言われた時、レイは反感を持つのと同時に奇妙な共感を得ていた。成程と、納得する部分もあった。
だからだろうか。
もしも自分が、あの炎に飲まれていたら。
きっと諦めたりしないだろう。
そんな風に考えてしまうのだ。
―――とすん、と。
軽い衝撃に体が後ろへと揺れる。なにが起きたのか、レイは分からなかった。
痛みは無く、誰かに軽く押された程度の衝撃だった。
胸元を見れば、黒い糸が体から出ていた。
否、体から出ているのではなく、体に突き刺さっているのだ。糸がどこから伸びているのか視線で追いかけると、塔のように伸びる炎の向こう側からだ。
フィーニスの攻撃、そう理解した時には手遅れだった。レイの体に侵入した糸は、数秒もかからずレイの神経を侵食していた。
「ぐっ、がっ、体が、動か、ない!」
「無理に動かさない方がいい。脊髄から全身の末端の神経までをこちらで抑えさせてもらった。無理に動けば、麻痺じゃ済まないだろう」
声は炎の向こう側からする。レイのコントロールから外れた龍刀は、炎の勢いを弱めていく。次第に中の状況が分かっていくと、レイは身動きが取れないまま驚愕する事になった。
空中に浮かんでいるのは、黒い球体だ。子供程の大きさしかない球体の表面から糸は伸びている。その球体に線が幾つも走ったかと思えば、表面が割れた。
中に居たのはフィーニスだ。
ただし、その姿は炎に飲まれる前と大きく異なっていた。
まず、下半身が無くなっていた。胴体の半ばから下が無くなり、次に左腕は肩から先が崩れており、高熱に晒されたからか皮膚が溶けている。見える範囲は余すことなく爛れており、あの端正な顔立ちはどこかへと消え、金色の瞳が無ければフィーニスじゃない別人としか思えない有様だ。
「参ったよ。いや、本当に。流石に死を覚悟したよ。咄嗟の判断で体を刻んで小さくして、守る面積を減らさなかったら、どうなっていた事やら」
体が動けない事に感謝しそうになる。自由だったら、フィーニスの狂気に塗れた判断に、喉は絶叫を上げていたはずだ。
小さくなったフィーニスを守っていた影が、フィーニスの足や腕となっていく。どうにか人の形を作ると、どこかから集めてきた影で体を補強していく。
リザとエトネが戦っている影を回収したのだ。フィーニスの向こう側で、二人が戦っているのが見える。
「これだけ影を回収すると、あっちが早く片付きそうだね。その前に、君を回収しないと」
レイはフィーニスがどうしようとするのか理解し、自分の中に残した仕掛けを発動しようとした。
しかし、
「おっと、そうはさせないよ」
レイの中で何かが弾ける音がした。それが仕掛けを外された音だとすぐに気づく。
「心臓と脳の近くに影の刃を仕込んでいたのか。これで、捕まりそうになったら自殺するつもりだったんだね。やっぱり、死を引き金として戻っているというボクの推論は当たっていたじゃないか」
嬉しそうに言いながら、フィーニスは影を展開する。
レティやクロノを取りこんだ影が、彼の横に現れる。フィーニスが歩くのに合わせて、影は付き従って移動する。
フィーニスはレイの前に立つと、動けない彼に向けて手を伸ばした。
「さあ、眠れレイ。目が覚めた時は、新しい世界だよ」
そう言って、伸びた手は―――横合いから伸びた何かによって阻まれた。
「……どういう事だい、これは」
レイの耳朶を震わしたのは、間違いなくフィーニスの動揺した声だ。
フィーニスの腕を掴むのは長い布で、まるで意志を持っているかのように揺らめいている。その布は、フィーニスが開けた影から伸びているのだ。
「そこに居るのは誰だ!!」
影に向かってフィーニスが叫ぶと、応える様に声が響いた。
「拙者は影に潜む者、忍びでござる」
―――切り札は無いが、奥の手は用意してある。
読んで下さって、ありがとうございます。




