11-56 『緋星』と『魔王』 『前編』
偽りの学術都市は半壊状態だった。
黒龍とフィーニスの激突により、建物の大半が倒壊。黒龍の熱線に晒されて溶けたアイスのように形状を変化させ、地面は捲れたりひび割れを幾つも作っていた。黒い炎があちこちに伸び、冬の寒さはどこかへと消え、地面自体が熱を発していた。
ほんの数分足らずの戦いで、都市一つが壊滅状態に陥った。仮に、ここが本物の学術都市だったら、どれだけの犠牲者が生まれ、どれだけの経済的損失を生みだし、どれだけの混乱が生まれていたのか想像するのも恐ろしい。
そんな偽りの学術都市で、長かった戦いの終わりを告げる戦いが始まっていた。
繰り返される時の中で起きた戦いを含めても、最も小規模でありながら、しかし、最も注目されている戦いだ。
『七帝』を冠する『龍王』、『魔術師』、『機械乙女』、六将軍に名を連ねるジャイルズと錚々たる顔ぶれが戦いの行く末を見守っていたのだから、その戦いの重要度は推し量れる。
何しろ、彼らにとって避けがたい敵である、最後の『招かれた者』を批評する場なのだから。
リザが踏み込むと同時に精霊剣を輝かせる。フィーニスとの戦いで消耗した分は既に回復しており、体力、精神力共に十分である。鋭い踏み込みと共に放たれた光の斬撃はフィーニスの背後へと迫った。
だが、フィーニスの足元で広がっていた影が起立すると、光を阻む盾となった。いや、そればかりか、影は僅かだが内側に弧を描いており、曲面に沿って斬撃が誘導される。
「いけない! エトネ、避けて!」
警告の声が届くよりも前に、薄紅色の極光を前にエトネは身を捩った。四肢に精霊を宿して強化した少女は、無理な態勢だと言うのに弾丸のように前方のフィーニスへと向かって跳躍した。
その勢いを力に乗せて拳を振るうと、足元から影が壁のようにせり上がる。
薄い板状の影を前にエトネは回避を選ばず、強引に拳を放った。その程度の厚さなら、貫通してその向こうに居るフィーニスに拳が届くと考えたのだ。
結果的には、彼女の考えは甘かった。拳が影に触れた途端、それが見た目以上に脆く、何より柔らかい事に気づいた。柔らかなクッションに沈み込むように、拳が影に飲み込まれる。衝撃に耐えるのではなく、吸収する壁だった。
エトネは拳を引き抜く反動を利用して、下から蹴りを狙った。しかし、またしても足元から伸びた影が、今度は触手のようにエトネの体を掴んだ。
少女の体は逆さに吊るされ、一気に地面へと叩きつけられる。平らな地面ならまだしも、周辺は瓦礫が散乱していて、鋭い形状の物もある。防具を付けていないエトネが叩きつけられれば、あっという間に血まみれになってしまう。
しかし、エトネは空中で器用に回ると足から地面に着地した。彼女の足を掴んでいた触手は、途中で焼き切れていた。エトネが地面に叩きつけられる直前に、リザが光線を放ち触手を切断したのだ。
エトネの萌黄色の瞳が一瞬だけリザを向いた。リザの青い瞳も同じようにエトネに向く。
一瞬のアイコンタクト。言葉はどちらも発さない。
なぜなら、戦いは続いているのだ。
謝意と互いの状況を確認しあった二人は眼前の脅威へと向き直った。
リザの前に居るのは、人の形をした影だ。影が人の形を作りだし、起立し、武器を構えてリザに襲いかかる。まるで影法師のような存在だが、これはレイが生み出した影法師では無い。フィーニスが作り出した存在だ。
騎士のように盾と片手剣を構えた影が、リザの視界と意識を奪うように突進する。リザは相手の狙いに付き合って堪るかと、逆に前進した。相手の剣が軌道を描く前に飛ぶと、影の持っている盾を踏み台にした。そのまま空中で体をねじりつつ、遠距離から様子を窺っていた影人間に光線を放つ。反応が早かった武闘家と槍使いは躱したが、弓使いと斧使いは一瞬で蒸発する。
騎士の背後で着地するなり、素早く反転して剣を縦に振るう。そしてすぐさま後退すると、リザが居た場所目がけて騎士が回転しながら攻撃をした。片手剣の間合いから離れた彼女は、もう用は済んだとばかりに背を向けた。
彼女の背後では、頭の天辺から下までを縦に切られた騎士が、二つに分かれて倒れる。
「これで、やっと七体目ですか。それとも、まだと言うべきか」
疲労を感じさせないが、苛立ちが混じった呟きが零れる。その理由は明白だ。彼女が倒したばかりの影人間が、空中に浮かぶ黒い球体から産み落とされた。
影人間自体の強さは大したことは無いのだが、数が尽きるという事が無いかのように無尽蔵に増えていく。最初は三体だけだったのが、一体倒せば二体増え、二体倒せば四体増え、四体倒す頃には八体増えているのだ。
リザの周りを取り囲む影人間たちは一斉にかかって来ない。襲ってくるのは一体から三体までで、残りはリザがフィーニスの方へ近づかないように行く手を阻んでいる。倒されれば補充され、リザが意識を逸らせば隙を突いて来ようとする。リザの消耗を待っているかのようだ。
だから、彼女は無理やり包囲網を突破して、先程のようにフィーニスに向けて一撃を放つのが限界と言えた。
エトネの方は足元からの脅威に苦戦を強いられる。彼女を中心に広がる真円の影から、様々な物が飛び出して来る。タコやイカを連想させるような触手、ギロチンのような鋭い刃、粘り気が強くて絡まりそうな網。
まるで迷宮のトラップを相手にしているかのような気分にさせられる。真円の影を踏み抜いても、拳をぶつけても反応は無い。
絶えず、足元から迫る脅威に対して警戒心を募らせ、四肢に宿した精霊の力を借りて、驚異的な速度で回避する以外対応策は無い。時折、トラップを回避した反動を利用してフィーニスに迫るのだが、すぐに真円の影が追いかけて、彼女を離そうとはしなかった。
「すごく、いやな感じ」
狩人としての本能が囁いていた。
これは狩場だ。
かつて、彼女の父親が管理していた山の各所にあった、獲物を刈り取る為に仕掛けた罠が幾つも点在していたフィールド。中に入れば最後、どこかの罠で捕まり逃げられなくなってしまう。
真円の影はエトネを閉じ込めておく檻であり、彼女を刈るためのフィールドである。
無論、彼女自身もむざむざと狩られるほど脆弱では無い。
足元を払おうとした触手を踏みしめ、影の表面を泳ぐギロチンの刃を拳で砕き、頭上から迫った網を軽業師のように回避した。
精霊を宿した事で能力値が上昇したエトネは、嵐のように迫る攻撃を、更なる嵐のように吹き飛ばす。
リザもエトネも、フィーニスの影を相手に対等に渡り合っている。表面的な結果だけを追いかければ、驚異的な事ではあるのに二人の表情は優れていなかった。
唇を噛みしめ、焦りと不安の色を隠せないでいる。
それも当然と言えた。
戦いが始まってから一度たりとも、フィーニスは二人の方に意識を向けていない。黒龍との戦いで消耗した体から影を分けると、二人に放った。それから今に至るまで、二人はフィーニスの命令を受けた影によって足止めをさせられていた。
『七帝』の一角にして、『魔王』フィーニスは己が集中をレイ一人に注いでいたのだ。
フィーニスの手元で影が波打ち、大鎌の姿を取る。彼の背丈の倍以上はある柄を慣れた手つきで回すと、刃が空間を滑っていく。足元の瓦礫が吹っ飛び、礫となってレイに襲いかかる。
足止めか牽制のつもり放った攻撃に対して、レイは避けようともしない。影と炎の鎧で弾くと、鎌の結界へと果敢に踏み込んでいく。そうしなければ、間合いで負けてしまっている。
三日月のような刃を龍刀の側面で弾くと、反動でフィーニスに迫る。
フィーニスは軽やかなステップで半歩退くと生まれた間合いに柄をねじ込み、龍刀を受け止めた。炎をまとった刃は大抵の物質なら両断できるのだが、阻まれてしまう。途端、鎌の柄が波打つ。
「くそっ、またか!」
何度目かの変化に対応するべく、距離を取ろうとするレイだが判断としては遅かった。フィーニスの手元で波打つ鎌の柄が、龍刀を縛る鎖へと変化した。下がろうとした体は引っ張られ、態勢を崩す。
首筋に嫌な予感が走り、レイはしゃがんだ。
そちらの判断は正しく、大鎌から鎖鎌へと変化した鎌の切っ先が、レイの頸椎を貫こうと戻って来たのだ。レイの頭上で振り子のように通り過ぎる鎌をフィーニスが掴むと、またしても影が波打った。
龍刀を縛る鎖が解け、フィーニスの両手に二振りの剣が収まった。しゃがみこんだレイに向けて、双剣が左右から迫った。
片方は辛うじて避けたが、もう片方は龍刀で防ぐ。一瞬のつばぜり合いだが、すぐさま互いの武器を弾く。一歩も退くまいとばかりに、両者は致命傷になりかねない間合いで己の武器を振るう。
フィーニスの剣術は流麗にして華麗。動きに余計な無駄はなく、完成された演武を見てるかのような、あるいは相手を理詰めで追い詰めていく知性すら感じさせる。
レイの剣術は動物じみた反射による防御。フィーニスの舞いを、片っ端から叩き落とすという力任せの剣術だ。とはいえ、いくつもの修羅場を潜り抜け、磨かれ残ってきた動きを繋ぎ合わせた剣術は、実践的とも言えた。
フィーニスが放った三十の斬撃は、レイの放った三十の斬撃によって撃ち落された。
「やるじゃないか。いつぞやの読みも凄かったけど、必死になって歯を食いしばって耐える姿も見ごたえがあったよ」
「アンタを楽しませる為に、歯を食いしばっているつもりはないんだけどな」
言葉を返す余力はある。
だが、劣勢ではあった。
フィーニスは黒龍との戦いで瀕死の状態の体を、影によって補強していた。あらぬ方向に曲がった右腕を正しい向きに戻し、膝の半ばから飛び出た骨を無理やり押し込め、包帯と言うよりもギブスで固定するかのように影を巻きつけている。出血やダメージを抑えながら、ある程度の強化を施しているのだろう。
同じフィーニスの影を使うレイには、フィーニスの力の配分が理解できた。
リザとエトネに影の大半を使用し、残り少ない力を効率よく運用しようとしている。
仮に、二人に回した影を自分の修復と補強に使用していれば、フィーニスの強さは一段も二段も上がっていたはずだ。それをしなかったのは、フィーニスの慢心なんかでは無い。
彼は知っていた。
取るに足らない弱者であっても、それが単体では無く複数で、なおかつ連携の取れたパーティーなら互いの力を何倍にも引き出せる事を。どれだけ劣勢であっても、仲間の力は逆転の可能性を手繰り寄せられる可能性の塊だと知っていた。
他ならぬ、自分たちがそうだったのだ。
在りし日の仲間の、友の姿が『魔王』の脳裏をよぎる。懐かしさに口元が綻びそうになる。
一瞬、レイの瞳が探るように細まり、フィーニスは口元を手の甲で拭った。
フィーニスはレイ達を正確に分析し、単体なら、弱体化して限界まで消耗している自分に匹敵するとは考えていない。しかし、チームで戦いを挑まれたら、どうなるか読めない。だから、自分の強化よりも、リザとエトネを隔離する戦法を取ったのだ。
あの『魔王』が、《ミクリヤ》に対して本気で勝利をもぎ取ろうと、格下相手に堅実な策に打って出ている。言い換えれば、それだけフィーニスが疲弊し、消耗しているという事に他ならない。
そんなフィーニスに対して、レイは苦戦を強いられていた。
黒龍相手に何度も《トライ&エラー》を繰り返した事で、精神と気力はかなり消耗している。だが、肉体の方はコウエンが黒龍を抑える直前に戦ったとはいえ、ダメージは少ない。精神の摩耗を無視すれば、体調はこれ以上ないほど万全だ。
全身をボディースーツのように包みこむ影の鎧によって能力値は向上し、防御は高く、その上から包み込むように展開する中華風の炎の鎧は、レイの挙動に合わせて炎を噴き上げる。ロケットのブースターのように加速しながら移動し、攻撃の衝撃をも増加させる補助の役割を果たしている。
龍刀から昇る紅蓮の炎は、移動と斬撃に合わせて紅の軌跡を描き、残滓が炎となってフィーニスを襲う。
攻防一体の鎧だ。
これ以上ないほどの万全の状態なのに、フィーニスに刃は届かない。
その理由は明白だ。
フィーニスは強い。
どれだけ弱体化しようが。
どれだけ消耗していようが。
どれだけ瀕死の状態でいようが、関係なくフィーニスは強い。
繰り出される斬撃の鋭さ。
華麗な足さばきと間合いの掴み方。
視線による誘導と、虚実入り乱れる連撃。
数多の武器に変化する影と、それを扱う技量の高さ。
どれをとっても一流と呼ぶにふさわしく、レイが知る達人、サファやローランと同格の戦士だ。
考えるまでも無く、戦いの経験値はフィーニスの方が上である。人龍、人魔戦役を潜り抜けてきただけでなく、その前から魔人種の王として戦い続けてきた。フィーニスが国を立ち上げるまで、彼らは流浪の民であり、流れの傭兵として戦場を渡り歩いてきた。
戦いの遺伝子とでも呼ぶべき物が、自分の体が崩壊寸前でも、最適な動きを取れるように魂に刻まれている。
『聖騎士』ローラン曰く、戦う事で相手の人となりを知る事が出来る。相手がどんな道のりを歩んできたのか、どんな信念を抱いているのか、どんな存在なのか、百の言葉を交わす以上に理解できるという。
刃をぶつける度に、フィーニスが死の淵に立ちながらも、どれだけ凄まじいのか伝わって来てしまう。
「やばいなぁ、頭に来るぐらい嫌いな奴なのに、尊敬したくなるよ」
「ぎゃははは! なら、アイツのぶっといのを喰らって、昇天しちまえよ。あれだけのテクニシャンだ。気持ちよくしてくれるぜ」
「耳元でがなり立てるな。気が散るだろ」
影法師の耳障りな声にレイは鬱陶しそうに返す。
「大体、あれを喰らうのは最後だって決めてるんだよ」
とはいえ、レイが思っているほど状況は悲観的では無い。
他ならぬフィーニスも焦りを抱いていた。レイの技量はフィーニスに届いていないとはいえ、二種類の鎧による強化と、龍刀という唯一無二の武具に、修羅場を潜って鍛えた戦闘のセンスは侮れない。
現に、フィーニスが今打てる全力を持ってしても致命傷は愚か、かすり傷すら与えられていない。互いの刃は、どちらにも届いていないのだ。
一方でフィーニスの体は、動けば動くほど崩れていった。影による補強にも限度があり、高速で戦うほど損傷は激しくなっていく。鋼鉄の金庫に卵を入れて高い所から落としたら、金庫は無事でも中の卵がどうなっているのか、想像するまでも無い。
戦いが長引くほど不利になっていくのはフィーニスであり、だからこそ、この選択は正しい。
フィーニスの手元で武器が何度目かの変形を終えると、黒い大剣となった。
俊敏さの欠片も感じさせない、分厚い塊のような刃。
それを肩で担ぐと、そのまま体を捩じった。刃の切っ先が半周してレイの方を向いてしまうほど、フィーニスは体を捻っていた。
あからさますぎる全力の構え。だが、それが偽りでは無く本気の一撃だと言うのは、全身に襲いかかる重圧でレイは理解できた。分厚い塊が高速で振るわれれば最後、そこにある物体は力任せに両断されてしまう。
それだけの威圧感が放たれていた。
「ぎゃははは! ありゃ、やべぇなぁ。一秒事に力が練られていく。精神力が体の隅々まで行き渡り、今にも弾けそうなのを繊細なコントロールで完全に掌握してやがる。時間を与えるだけ、威力が高まるぞ」
「そんなの、向かい合っている時点で分かってるよ。でもな、重心が動いただけで切っ先が反応してんだぞ。動けねえよ、これじゃ」
フィーニスの顔はこちらを向いていないが、全身のセンサーがレイを捕まえて離そうとはしない。前後左右、上下を含めて移動した瞬間に対応されるのが、未来予知を持っていなくても読めてしまう。
近づけないなら、このまま炎で攻め切るという手段もあるが、瞬間的な炎ではフィーニスを止める事も難しい。力を溜めて放たないと効果は薄いだろう。
レイは細い呼吸を繰り返し、イメージをする。
力を持たないレイにとって、相手の動きを予測し、自分がどう動けばいいのか考えるのは重要だ。たとえ、想像の自分が悲惨な目に遭っても、仕方ない。むしろ状況を正確に分析でていると喜ぶべきだろう。
そして、自分の取るべき戦法を定めると、龍刀を構えた。
両足に精神力を回す。機械にガソリンを注ぎ、満タンになるのと同時に起動させるのと同じように、一気に跳んだ。
フィーニスとレイの間にあった距離は一足飛びで零になる。
幅跳びの選手のように地面に対して緩やかな弧を描きながら、レイは龍刀を構える。奇しくも、それはフィーニスと同じ構えで、武器を肩で担ぎ、体を捩じる。フィーニスと違うのは、レイは空中を跳びながら回転を加えていた。
同時に龍刀から炎が噴き上がり、刀身に絡みつく。紅蓮に噴き上がる炎を刃とし、レイの回転が加わって、さながら竜巻のように火の粉が舞っていた。
レイは影の大剣の間合いよりも外から、炎の長刀で斬りつけようとした。回転を加えて威力を増した一撃なら、フィーニスを倒せると考えて。
短い時間で、最も可能性の高い手段を思い付き実行したレイを、フィーニスは称賛するかのように口をほころばせた。
「レイ、君はやっぱり面白い」
ぶるり、と。
フィーニスの持つ大剣が波打った。
「本当に、ボクと考え方がよく似ている」
瞬間、フィーニスの大剣が更なる変化を見せる。
剣と呼ぶには乱暴な塊のような形状は変わらず、しかし、長さが変わった。
フィーニスの背丈の倍はある大剣が、更に長くなった。
レイの炎の長刀よりも長い大剣が、レイの作り出した間合いよりも長い大剣が、フィーニスの溜めこんだ膂力を糧に一気に振り回された。
切っ先が、レイの脇腹に突き刺さり―――。
読んで下さって、ありがとうございます。




