11-34 リザの視点Ⅹ
「観測。目標に僅かな変異を確認。こちらの接近に気づいた様子です」
「こ、こ、こ、この距離で、き、気づいたのですか?」
リザの声は震えていた。フィーニスとの再戦に恐怖を感じて、という訳では無い。
純粋に寒いのだ。見渡す限り青空ばかりで、足元の地表には大きな一枚絵のように学術都市が広がっている。
彼女達が居るのは、高度三千メーチル上空。地上との温度差は約二十℃。吐く息は白く、体調に異変を来たすギリギリのラインを飛んでいた。
靴に仕込んだ重力軽減と浮遊機能によって空を飛べるポラリスの背中に、リザがしがみ付く形だ。手持ちの防寒具だけなら厳しい寒さだが、ポラリスが排熱処理を滞らせることで温度を上げているため、幾らか大丈夫だった。
魔石を補充しある程度エネルギーを回復したポラリスは、解除していた衛星とのリンクを繋ぎ直し、フィーニスの居場所を探し当てた。幸い、フィーニスはまだ学術都市から離れておらず、姿を隠そうともしていない。
経緯はどうあれ、ギルド会館を襲撃した以上、悠長に構えている暇は無かった。ギルドから離れた場所に潜伏していたが、いつ、誰が邪魔をしにくるか分からないから、リザはポラリスと共にフィーニスに挑む事を決めた。
空には誰もおらず、この高さでは地上からリザ達を視認できない―――はず。
それなのにフィーニスはポラリスの接近に気づいたというのが信じられない。
だが、とリザは首を振った。
「……ここは、流石『魔王』と呼ぶべきなのでしょう。それで、どうしますか。作戦を修正しますか」
「拒否。空路以外に考え付く十四の接近方法では、どれも警戒状態のフィーニスに気づかれてしまいます。こうなった以上は、吶喊あるのみです」
「分かりました。しっかりと捕まっていますので、私の事は気にせずにやって下さい」
身長が同じぐらいという事もあって、リザはポラリスの首に腕を回す。固く握られた腕からはリザの覚悟が伝わってくる。ポラリスは頷くと、重力軽減と浮遊機能を切った。それまで、天から伸びる糸に吊るされていたように、足場の無い場所でピンと立っていたポラリスの体が落ちていった。
ぐるりと傾き、頭が下を向く。作り物の瞳は可能な限り拡大され、雑踏の中に紛れるフィーニスとジャイルズの姿をハッキリと捉えていた。
二人とも両手を軽く垂らし臨戦態勢を取っている。不用意に突っ込めば迎撃されるのは目に見えていた。すると、ポラリスは両手を前に伸ばした。手袋は外され、白い滑らかな陶磁のように揃えられた指先が、一斉に開いた。指先に開いた黒い穴から、合計で二十の熱線が発射された。
雑踏の中で身構えていたフィーニスは、予想していたように影を展開させた。黒い球体が二人を包み込み、熱線は阻まれてしまった。
突然現れた黒い球体と、空から降って来た光の刃に、街行く人は悲鳴を上げた。だが、流石は学術都市。迷宮と共に暮らす街の人々だ。
どんな不測の事態にも対応できるように、人々は教育されていた。
悲鳴あげ、混乱する中でも、動き出す人は居た。フィーニスの傍で動けなくなっている老人を若者が背負い、腰を抜かした父を年若い娘が引っ張る。あっという間に、黒い球体の周りは空白地帯となった。
「好機。これで成功率はさらに上昇します」
自由落下に身を任せていたポラリスの報告も、リザに届くよりも前に何処かへと飛んでいく。地表が近づくにつれて速度は上がっていき、耳元を風が唸りを上げて通り過ぎていく。リザも似たような技を使うが、これほどの加速は体験したことが無かった。
「警告。更に速度を上昇させます。衝撃に備えて下さい」
ポラリスの手が空を向くと、掌に熱が集まった。言葉通り、速度は一段階高まり、体で感じる速度の圧は目を開ける事すら出来ない。
それはまさに、地上に向けて飛来する一筋の流星だった。青空を二つに別ける流れ星が目指すのは黒い球体、フィーニスだ。
真っ直ぐ、真っ直ぐ、真っ直ぐ。
どこまでも愚直に向かってくるポラリスの姿を見て、フィーニスは笑った。歓喜の笑みでは無く、ポラリスの目的を察した笑みだ。
「なるほどね。狙いはぼくを地下に落とす事か」
「地下って……ああ、そういう事っすか」
フィーニスの影で守られているジャイルズは、自分の足元を見つめ、その下に何があるのか思い出した。学術都市の地下に広がるのは、大迷宮ラビリンス。位置的には中央部だろう。
「あの加速なら、地表を砕いて迷宮の硬い岩盤を通過させる穴を作るぐらい、造作も無いだろうね。迷宮なら、地上で暴れるよりも被害は少ないだろうしね」
「被害って、あの大量破壊大好きっこの『機械乙女』がそんな事を気にしますか?」
「気にしないだろうね。気にするのは、レイの仲間だ」
言われて、ポラリスの隣に居た金髪の少女を思い出す。気にも留めていなかったが、ポラリスがらしくない行動をしている理由がジャイルズにも理解できた。
「あの兵器が誰かと組んでいるなんて、三百年前じゃ考えもしなかったな。それで。相手の行動を読めたんですから、対処はするんですよね」
「うん、するよ」
言うなり、フィーニスは影を解いた。途端、急速に接近するポラリスの風きり音が、全身を叩きつける。
「……陛下? 俺が言いたいのは、わざわざ喰らう必要は無いって事っすよ。避ければ、それで終いじゃないですか」
「甘いね。あのポラリスが回避を許してくれると思うのかい」
フィーニスの言葉にジャイルズは反論できなかった。
ポラリスの恐ろしい所は、圧倒的な破壊力で広範囲を殲滅する点では無い。
軍隊すら相手取れる高い火力を持ちながら、人を相手に細やかな対応が出来る点だ。
人には向き不向きがある。
大勢を相手できるのと、個人を相手にできるのは意味が全く違う。『七帝』の場合、サファは対人戦に特化し、フィーニスは対軍戦に特化している。両者ともに、突き抜けた強さを持つから、不得手な分野もこなせる自信はあるが、自分の得意分野の方がやりやすいのも事実だ。
だが、ポラリスは両方に特化している稀有な存在だ。ポラリスが本来の実力を発揮できれば、対人戦でサファを、対軍戦でフィーニスと互角に戦える存在だ。
仮に、フィーニスが避けようとしても先手を取られる可能性は高かった。
「逃げられないなら無駄な時間は使うべきじゃない。狙うは一点さ」
フィーニスの背後で影が波打つと、槍の形を取る。幾重にも重なり合い、力が集中しているのか、空気が震え出していた。足元の地面は耐えられないとばかりに悲鳴を上げている。
「捨て身の相打ち狙いさ」
自信満々に告げたフィーニスにジャイルズは笑ってしまう。
彼は『魔王』なのだ。
魔人種を統べ、魔人を率い、魔界に君臨する王。
人魔戦記が始まる前からずっと変わらない。
コミュニティを維持するための柱でありながら、いざ戦いとなれば矢面に立ち、誰もが怯むような策を平気で使う。総大将でありながら先駆けの先頭に立ってしまう。
魔人種が非戦闘地域での破壊工作を主軸に据えたのは、魔人種の数が少ないからだけでは無い。放っておくと、どこまで一人で駆け抜けてしまいそうな王を縛りつけておくための苦肉の策でもあったのだ。
ゲオルギウスが居れば首根っこを掴んででも引っ張っただろうし、クリストフォロスが居れば有無を言わさず撤退をしただろう。ディオニュシウスが生きていれば、喜んで盾となっただろう。
だが、この場に居たのはジャイルズだ。
六将軍第五席は、フィーニスの同類でもあった。
「ひひひ。やっぱ、最高にカッケェよ。陛下ぁ! 俺も付き合わせてもらいます!」
フィーニスの隣に立ち、透明な武器を構える。防御を考えない、来た攻撃に全身全霊を持ってぶつかるという立ち姿にフィーニスも笑ってしまった。
「あははは、君も馬鹿だね。あとで、クリストフォロスに怒られようじゃないか」
それはまさに、狂っているという光景だった。
青空を切り分けるように飛来する流星を前に、狂ったように笑う怪物が武器を構え迎え撃つ。
混乱から遠巻きで見ていた見物人達にすれば異様で、異常な光景なのに、どうしてだか目が離せなかった。
耳が痛くなるほどの爆音が轟く中、遂に流星が地表に落ち―――なかった。
気味の悪いほどの静寂。
建物を揺るがしていた轟音も、悲鳴のように上がっていた地鳴りも、空を別つ流星も、笑う怪物も、何も居なかった。
ただ、最後にかすかに見えた光景は、空間がトランプのようにひっくり返る物だった。
「警告。空間置換魔法の観測―――魔法阻害失敗、緊急回避!」
鋼のように硬いポラリスの言葉を咀嚼するよりも前に、リザの全身に負荷がかかる。真っ直ぐ、地面を突き破る勢いで加速していたポラリスの軌道が無理やり横に逸れたのだ。当然、慣性が掛かり、リザの体は吹き飛ばされそうになる。ポラリスがリザの手を掴まなければ、どこかへ吹き飛び潰れた蛙のようになっていただろう。
もう片方の手でポラリスは地面を掴む。五本の指が爪のように地面に食い込み、砕けた瓦礫が散乱する。やっと止まった時には、地面から煙が上がっていた。
「きゅ、急にどうしたんですか。直前になって、進路を変えるなんて。これじゃ、フィーニスたちを迷宮に押し込める計画が成功しません!」
フィーニスの読みは正しかった。
ギルドから魔石を奪ったことで、ポラリスのエネルギーは二十%まで回復した。とはいえ、その程度で、なおかつ隠密行動用の装備しか用意していない現状だとフィーニスに勝つのは難しい。
そこで、上空からの自由落下によるエネルギーを持って、フィーニスに一撃を与えつつ人の少ない迷宮での戦闘に持ち込もうとした。本来なら高高度、つまり七千メーチル以上の高さから仕掛けるのが望ましいが、普通の人間であるリザにとってその高さは過酷だ。
「変更。フィーニス、ジャイルズ両名を迷宮に引きずり込み、戦闘によって囚われている二名を奪還、ミス・エリザベートに回収してもらう当初のプランは破棄します。どうやら、状況に変化が生じています。注意を」
言われて、リザは辺りを観察する余裕が出来た。つい先程までと、建物の並びに違和感を覚えた。何より、人の姿がどこにも無い。空白地帯は出来ていたが、それでも通りには大勢の人が居たはずなのに、影も形も無かった。
「ふーん。あれだけ手酷くやられたのに、もう復讐しにくるなんて。随分と元気の良い事だね、オルタナ」
薬液と硝子を外して、本来の姿に戻ったフィーニスが建物と建物の間を睨む。すると、そこから地面をブーツで叩く乾いた音が響いた。現れたのは、西部劇に出てきそうなテンガロンハットを被った男だった。
「あの方は……オルタナ殿? あの方が、なぜここに」
アクアウルプスで出会った時の姿と一つも変わらず、『七帝』が二体も存在するこの場に当然のように現れた男に背筋が震えた。
「警告。彼の名はオルタナ。『冒険王』エイリークの仲間にして、『七帝』が一人『魔術師』と呼ばれている男です。そして、この空間を形成し、私達を飲み込んだ術者になります」
「……そう、ですか。本当に、あの方が『七帝』の」
レイからオルタナが『七帝』という可能性は聞いていたが、こうして他の『七帝』たちと並んでいると、確かにと納得してしまう。魔人や魔法工学の兵器から立ち上る、圧倒的存在特有の気配がオルタナからも発せられている。
気を抜けば、その気配だけで体が押しつぶされそうなほどに重い。
「格付けは済んだ。弱体化したぼくよりも、君の方が弱かった。それで終わりの筈だけど……惨めったらしくも、もう一度挑みに来たのかな」
「はっ、好きに言えばいい。確かに、てめぇに負けたのは間違いねぇ。ああ、そうだ。その通りだ。ぼろ切れのように打ち捨て枯れ、みっともねえ姿をさらした。だがな……それがどうした」
オルタナから発する圧が一段階強まった。高まる精神力が肌で感じられるほどに熱い。
「こうしてここに立っている。てめぇが居て、俺が居る。なら、俺が諦める理由なんざ、何処にも無ぇよな」
「……まったく。どこの誰の影響なんだい、その熱血ぶりは。噂に聞く、『冒険王』みたいじゃないか」
付き合いきれないとばかりに肩を竦めるフィーニスの全身を、影の鎧が包み込んでいく。呆れた口ぶりだが、口の端が楽しいと歪んでいた。
「僥倖。これは状況を打破できる好機だと判断します」
「こ、この状況が、ですか? 私にはますます厄介な状況のように思えますが」
この世を破壊する怪物とされる『七帝』の三体が、こうして一カ所に揃い殺気を振りまいている状況を好機とは思えなかった。オルタナとフィーニスから放たれる殺気に押し負け、掴んでいた腕が離れて地面にへたり込んでしまった。
「肯定。状況はカオスと言えますが、ミスター・オルタナの登場は好都合です。ミスターの『万能の手』ならば、ミスター・フィーニスの影に囚われた二人の救出が可能になります。ミスター・オルタナ!」
「……なんだ、機械娘。生憎と、てめぇに用事は無いんだがな。喋りかけるな」
「拒絶。その命令には従えませんのでご了承ください。ミスター・フィーニスから目的を達成するために、力を借りたい。協力を申し出ます」
「ああ? てめぇが俺の力を借りたいって、そもそもてめぇが何でこんな面倒な場面に登場するのか、いまいち理解できないんだが。……って、そこの女。お前は確か……レイの仲間だったな」
帽子で分かりづらいが、オルタナの視線がリザを捉えたのだろう。圧が強まり、体が震えた。
「ふん。……なるほどな。そういや、もう一人ぐらい捕まえているのが見えたな。あれもレイの仲間って事か。……やっと見えてきたぞ。この状況が」
「君にしては随分と物分かりが悪かったようだね」
「黙ってろ。てめぇや他の『招かれた者』が関わると未来が揺らぎやがって、同期が上手くいかねえんだよ。だが、大体理解できた。ポラリス、てめぇはレイの味方に付いて、フィーニスはレイの仲間を誘拐中って訳か」
「ふむ。おおむね間違っていないかな」
「肯定。多少の齟齬はありますが、正答とさせて頂きます」
「ったく、面倒な状況だが、うまく立ち回らせてもらおうじゃねえか」
オルタナは歩きだすと、ポラリスとフィーニスの間に立ち、ポラリスに向けて背を見せた。相対するフィーニスの相貌は笑みに染まる。
「こっちに着かせてもらうぞ、フィーニス」
「あはははは! 最高だ、最高だ最高だ、最高だ最高だ最高だ!! 『七帝』の同輩が二人も敵になるなんて、三百年ぶりだ! これだけの苦難、これだけの困難、これだけの試練。ああ、喜んで挑ませてもらおうじゃないか!!」
読んでくださって、ありがとうございます。




