11-25 リザの視点Ⅰ
一口飲んだ薄いスープは、体の奥に落ちて内側から温める。手に持った器の熱は、冷えた指先を溶かしていく。
「美味しいですね、リザ」
そう言って微笑むクロノにリザは僅かに頷いた。正直な所、冷えた体を暖めるのには十分だが、味はイマイチだった。それはおくびにも出さない。
女でも見惚れてしまう美貌を持ったクロノが、こくこくとスープを飲んでいく姿をほほえましそうに見つめていた。すると視線に気づいたクロノは恥ずかしそうに照れた。
「あんまり見つめないで。食べている所を見られるのは、ちょっと恥ずかしいわ」
「これは失礼。ただ、貴女が食事を楽しんでいる姿は、見ていて心地よくなる。レティも言っていましたよ。いつも、嬉しそうに食べてくれてこっちまで嬉しくなる、っと」
それは屋敷でも、迷宮でも変わらなかった。クロノはどれだけ手を尽くした料理も、逆にありあわせの食材を組み合わせた粗末な料理も、いつだって嬉しそうに食べていた。
「そうなのですか? 自分だと、あまり気づかなかったです。あの頃は、食事を取るという習慣が無くて……だから、あちこちに行っては、そこのおいしそうな物を食べに抜け出してたの。周りからは食い意地が張っていると窘められました」
恥ずかしそうに告白するクロノは器を傾けると、スープを一滴残らず飲み干した。リザも自分の器を空にして、屋台の店主の方に返す。
「美味しかったです。ごちそうさま」
「へ、へい。毎度、どうも!!」
注文してからずっと、ぽかんと見つめていた店主が声を張ると、クロノは目を丸くしつつ、軽く会釈をした。
そして二人が屋台を離れると、二人を遠巻きに見つめていた男どもが、屋台へと群がって行ったのだが、二人には関係の無い話だった。
「これでしばらくは寒いのも我慢出来そうですね。あとは食材の買い出しだけ、ですね」
「ええ。装備の修繕はお願いしましたから、年が明けるまでの食材を買い込みましょう」
「そんなに買うんですか?」
「あと数日もすれば、市場は休みになってしまいます。その間、物流も止まってしまうので、今の内に買えるだけ買っておいてほしいとの事です」
「そうなのですか。なら、私達には便利な道具がありますね」
「その通りです」
リザは自分のポケットを上から触る。その中にあるのはエルフ製の馬車、雛馬車だ。
内部の空間を魔法陣で拡張してある馬車は、大きさ自体を縮小することが可能だ。内部の物も一緒に縮小されるため、馬車にどれだけ荷物を積み込んでも、こうしてポケットにしまい込める。
実は、《ミクリヤ》において龍刀コウエンに次いで重要度の高いアイテムだったりする。
何しろ、食べ物から装備の予備、回復薬や素材、魔石などを手軽に持ち運びできるアイテムなのだ。迷宮を潜る冒険者にとって、物資の運搬は常に頭を悩ませる問題だ。
迷宮では何が起きるのか分からない。十分な物資を持っていても、その物資をモンスターやダンジョントラップによって失う可能性は考えられる。そのため、どれだけあっても足りないという事は無いのだが、現実的には持っていける量という物がある。なにより、運搬中はその分の人手を必要とする。
『紅蓮の旅団』程の大所帯の場合、迷宮内にベースを作り、そこで物資の管理を行いつつ迷宮攻略を行うため、雛馬車に対しては便利な道具というイメージしか持たない。だが、《ミクリヤ》と同程度のパーティーなら、目の色を変えて欲しがるアイテムだ。
それだけに、出し入れする瞬間は周りに見つからないようにしろとシアラから言われていた。
「とりあえずは、持ってきたカバンに詰めてもらい、これが一杯になったら馬車に入れて軽くしましょう」
「そうですね。リザ、食材の市場はこの辺りのようですよ」
「では、見て回りましょうか」
「はい! あ、リザ。見て下さい、あの野菜。この寒さなのに、立派な大きさですよ!」
意気込むクロノは真剣な眼差しで食材を眺めていく。ネギやニンジンといったこの辺りで採れる冬の野菜の他に、山から取ってきたような土の付いたキノコ、冬の寒さで体が輝いているように見える魚などを、まるで子供のような反応をしている。
「スゴイ、スゴイですよ、この魚。まだ動いてます、動いてます!」
「あはははは。お嬢ちゃん、別嬪さんだねぇ。しょうがない、オマケしちゃおう!」
貴婦人の如き佇まいを持ちながら、無垢な子供のような純粋さを併せ持つクロノは大変に目立つ。見た目の美しさと相反する愛嬌が、上手く作用して周りの耳目を集めるのだ。
加えて、リザの透き通った美しさも、人の目を集めてしまう。美しい少女が二人、並んで市場を歩いているだけで、すれ違った男は振り返り、そんな男の反応に女は不快を露わにしていた。
もっとも、歩いている二人はそんな周りの反応を気にしていなかった。
クロノは驚きを交えつつ、どこか興奮した様子で市場を歩く。
リザは頭の中でどの店が底値なのかを記憶しつつ、まとまった数を購入すれば安くならないだろうかとシミュレーションをしていた。
あたかも、戦場で敵を前にしたかのような鋭い瞳を前に、彼女たちに声をかけようとする勇気ある男は居なかった。また、リザの気迫とクロノのから放たれる愛嬌と神秘性に絡め取られ、店の主人たちは次々にサービスをしてしまう。
後に、笑顔の天使と目つきの怖い護衛という美人の二人組が、この市場で恐れられる事になった。
「随分と手早く終わりましたね。もう少し、時間がかかるかと思っていましたが」
「そうですね。どの店も、すぐに値引き交渉に応じたり、何も言っていない内におまけを付け足したり……どうやら気前の良い店が並んでるようです。次も、この辺りの店から購入するとしましょう」
市場の外れにある倉庫の影で、手早く荷物を積み込んだ二人は、市場の人間が聞いたら何とも言えないような表情をする言葉を交わしていた。
「時間も余ってしまいましたね。お昼まで二時間近くあります。どうしましょうか? もう、屋敷に戻りますか」
「レティは、昼前までに戻ってくればいいと言ってました。早くに戻って掃除の手伝いをするのも良いですが……一度黄金の小鹿亭に寄りましょう」
「レイさんを迎えに行くのですね」
クロノの言葉にリザは頷いた。
昨晩、『紅蓮の旅団』との合同訓練の打ち上げに参加したレイは帰ってこなかった。おそらく、彼らの宿で一泊したのだろう。
「昼に迎えに伺う予定でしたから、少しばかり早いですが問題ないかと。ここからなら、そう遠く離れていませんしね」
「そうですね。では、行きましょうか」
頷いて前を歩きだしたクロノを、リザはぼんやりと眺めた。
神としての象徴だった青は消え失せ、長かった髪をバッサリと切り落とした彼女の姿は、来ている衣服の地味さもあって、そこらの街娘と変わらない出で立ちだ。
だが、神としての神々しい美貌や、時折見せる仕草、そして戦闘時に感じる圧は、彼女が人ならざる存在だと思い出させる。
元13神、時を司る神クロノス。それこそが彼女の本当の名前であり、存在なのだ。
こうして市井の中に紛れ込んでいても、強い存在感を放つのがその証拠だ。
「……どうか、したんですか?」
クロノの呼びかけに、リザは自分の足が止まっていた事に気づいた。少し先を歩いているクロノが振り返りまっていた。
「申し訳ありません。少し、考え事をしていました」
「まあ。それは何かしら? んー、昼食の内容とか? 食いしん坊ね、リザは」
「違います! ……その、失礼を承知で尋ねます。貴女は神の座に戻りたいと、そう考えているのでしょうか?」
今度はクロノの足が止まる番だった。瞬きもせず、じっとリザを見つめる視線に、彼女は思わず謝罪を口にした。
「失礼な事を尋ねました。ご気分を害されたのなら、深く謝罪を」
「いえ。いいえ、大丈夫よ。……知りたくなるのは当然よね。……私はね、神の座に戻るつもりは全くないわ」
「そう、なのですか」
驚き、同時に何と言えばいいのか分からないリザに対して、クロノはくすりと笑た。
「そんな、驚いた表情をしないで。レイさんから聞いてないかしら。私は、この滅びゆく世界を前にして、『招かれた者』を呼び出す権利を放棄した、世界救済を諦めた神だと」
「それは、確かに伺っています」
レイ達が訪れたエルフの里には、神々と言葉を交わせる聖域が残されていた。『招かれた者』が13神と言葉を交わせる唯一の場所だ。そこでエルドラドに落ちたレイはクロノスと再会したのだ。その際に、彼女から打ち明けられたのが、世界崩壊とそれを受け入れたという本心だった。
「前回のエルドラド。貴方達がそう呼ぶ世界の時計を巻き戻したのは、他でもない私だった。それまでに積み重ねてきた歴史を、命を、理不尽なまでに一方的に踏みつぶし、時計の針を逆さまに動かした。そこから零れた命、無かった事にされた命の数を……我が身可愛さに無視をした」
「それは……仕方ない事では。そうするしか、世界崩壊を防げなかったのですから」
「自分にもそうやって言い聞かせた。仕方ない、こうするしかない、これ以外手段は無かった。でもね、私達は愚かだった。いずれ来る世界崩壊を前にして、一致団結する事なく、己が享楽に耽った。それが13人の『招かれた者』。いわば、世界救済ゲーム」
13神に優劣は無い。全てが同格のため、世界の方針を決める時は多数決を採る。それが、今回の世界崩壊を受けて、彼らはそれを指導者が居ないからこそ招いてしまった事態だと考え、世界救済に大きく貢献した『招かれた者』を招いた神を、13神の指導者に置くべきだと考えたのだ。
13神による『神々の遊戯』。
「その結果が今の世界です。前のエルドラドには無かった魔法工学の道具や、魔法体系はともかく、世界の文明や人口は大きく激減しています」
「そう、なのですか」
クロノの話に、リザはあまりピンと来ていなかった。
世界を俯瞰で見られるほど、文明が発達していない今のエルドラドだと、人々の知覚できる範囲は住んでいる街や村が限界だ。海を渡る船乗りや、陸路を進む行商人、そして彼らを護衛する冒険者たちはもっと広い範囲を知っているが、それは現代に限定される。
積み重なった1300年という時間の流れを正確に知っているのは、神だけなのだ。
「私達の怠惰と強欲が、現在のエルドラドを生みだしました。そして、彼らは傲慢にも世界崩壊を目前に再び世界を巻き戻そうという愚行を犯そうとしています。……私は彼らを止める事も出来ず、世界を救う事も出来ません。再び、命が踏みにじられるなら、いっその事世界が滅んでしまえばいい。神でありながら、そんな事を考えていました。果たして、そんな存在が、神の座に戻っていいはずがあるのでしょうか」
修道院育ちのリザは、神に己の罪を告白しにくる人々を目にした事がある。だが、神の懺悔をどう受け止めればいいのか分からなかった。
「私には、その資格はありません。神の座に戻るつもりはありません。……ですが、神の力を取り戻すつもりはあります」
「え? 神の座には戻らないのに、ですか?」
「はい。神の座には戻りません。ですが、神の力は取り戻します。私がエルドラドに落ちた原因である、13神に紛れ込んだ何者かと戦うために、神の力は必要になります」
前のエルドラドでは神々の数は13では無く、12だった。
それが1300年の巻き戻しを行い、時間が積み重ねていくうちに13神になってしまった。誰かが、神々の座に紛れ込み、世界と神を騙しているのだ。
そんな事が出来る存在はたった一人。
『正体不明』か、その関係者だろう。
「私から神の力と記憶を奪ったのが『正体不明』の一派なのは間違いありません。奴は、私を利用して『招かれた者』としてレイさんをこの世界に放った。その目的はいまだに不明ですが、間違いなく何らかの理由があっての行動です。近いうち、あるいはもう既に動き出しているかもしれません。だから、レイさんを守る為に神の力を取り戻す必要があります」
「……クロノは、レイ様の事が好きなんですか?」
「……えうえうえうぇ!! な、何を言いだしているのですか!!」
「あ、いや、その、これは!!」
言われた方も、なぜか言った方まで赤面して取り乱していた。レイのために力を取り戻すと語ったクロノの横顔を見ているうちに、つい口から零れてしまったのだ。
互いに耳まで真っ赤にして取り乱している。上気した頬の熱さは、スープのせいでは無い。
ようやく、先に落ち着いたクロノが咳払いと共に口を開く。
「えっと。……レイさんの事は好ましいと思っています」
「それじゃ―――」
「―――待ってください。慌てないで、結論を出そうとしないで。……あの方がエルドラドに来てからの事を、私は見ています。なにも分からず、暗い森に放り出され、たどり着いた街で魔人と遭遇し、赤龍や『魔王』といった錚々たる面々と遭遇し、絶望の淵から何度も立ち上がる姿を……見てきました」
どこか遠くを見つめる視線は、ここに居ないレイに向けた物だろう。瞳に宿る感情の色を、リザはどうしてだか見たくないと思ってしまう。
「その姿に心打たれたのは事実です。その姿を好ましいと、絶望に抗う姿を、素晴らしいと思いました。ですが、それ以上に思うのは、あの方に幸せになって欲しいという事です。私はレイさんに幸せになって欲しいのです」
「……それに関しては、私も同感です」
リザもまた、レイには幸せになって欲しいと心の底から思っている。
自分たちの素性も秘密も明かせなかった頃から、たった一度救われた事を恩義に感じて助けてくれた。素性を話した時も、レティの秘密を知った時も、レイは変わらずに傍に居てくれた。
そして、あの日。
ヨシツネと出会い、自分という存在を打ち砕かれ、それでもと立ち上がったレイの姿は心に深く突き刺さった。
不幸自慢をするつもりは無いが、自分たち姉妹の身に起きた事をはるかに超える絶望。自分という存在が偽物で、本当の自分が何なのかすら分からない恐怖。これまでの苦難苦闘を乗り越えてきた、レイの精神的支柱と言えた元の世界に戻りたいという感情すら、与えられた偽りの理由だった。
それでも再び歩き出したレイこそ、幸せになるべき存在なのだ。
「わぁ! それじゃ私達、一緒ですね」
クロノは喜色を浮かべて、リザの手を取った。リザは気恥ずかしくなりつつも、小声ではい、と同意した。
「それじゃ質問です。……リザはレイさんの事が好きですか?」
「……えうえうえうぇ!! な、な、何を、聞いて!?」
「私だけ答えるなんてズルいです! さ、リザもスパッと答えて下さい!」
耳どころか、首まで赤くなっているのをリザは自覚していた。掴まれた手を振りほどこうとするも、普段のパワーはどこへ消えたのか動くことも出来ない。
どこか鼻息を荒くして尋ねるクロノから逃げる事は出来ない。超級モンスターと対峙するよりも危機的状況に陥ってしまった。
「うわぁ。本当に居るのかよ、貴様ら」
逃げ場のない彼女を救ったのは意外な人物だった。
読んでくださって、ありがとうございます。
急ではありますが、28日(金曜日)の投稿をお休みさせて頂きます。
次回更新は1月を予定しております。




