11-18 シアラの視点Ⅱ
ヨシツネの警告に体は素早く反応した。肌身離さず持ち歩く杖を引き抜くと、金色黒色の瞳に剣呑な光が宿る。思考は戦闘状態へと移行しつつ、必要な情報を確認する。
「厄介で危険って、具体的には? 数とか、他に特徴は感じられない」
「エトネ殿ならニオイで分かるのでござろうが、拙者は気配を感じ取るだけでござる。室内の人数も曖昧で……そもそも人なのかどうかさえ怪しいでござる。ですが、この気配はカタリナ殿でも、キョウコツでもござらん」
「人かどうかも分からない。……それじゃ、他の魔人という可能性は?」
「拙者の知る魔人はカタリナ殿だけでござるが、少なくともそれとは気配が違うでござる。言葉にするのが難しいでござるが……この気配はあれに近いでござるな」
「あれって何よ?」
「エトネ殿が呼びだす精霊でござる。あるいは古代種の六龍。この世における上位存在。それに限りなく近く、しかし完全に違うような、そのような存在でござる」
曖昧な表現だったが、ヨシツネの言葉からある男の存在をシアラは連想した。この世界の理から、定められた階層から一つ上の存在に為ろうとして、なれなかった存在。おとぎ話の中にしか登場しない、無神時代より前の遺物。
もしも、シアラが考えている通りの人物だとしても、その理由が謎だ。なぜ、カタリナの研究所に居るのか、そもそも学術都市に来た理由は、この時期なのは何か意味があるのか。
会わない、という選択肢は無い。
カタリナの安否が気になるからでは無く、純粋に自分たちに火の粉が飛ぶのかどうか、確認する必要があった。
「……そう。それで、そいつはどこに? この扉のすぐ裏って訳じゃないわよね」
「研究所の奥でござる」
ヨシツネが指差した方向を見て、頭の中に浮かべた研究所内の構造と照らし合わせる。おそらく、自分も通されたカタリナの部屋だろう。
あそこには外から中が見える窓があった。
「作戦を立てましょう。ワタシが中に乗り込み、相手の注意を引くわ」
すぐさまヨシツネが何かを言おうとするが、それより前に彼女は言葉を続けた。
「ワタシなら死んでも戻って来れる。だから、囮に適任よ」
「……了承いたした。それで、拙者はどのように動けば?」
「研究所の裏手に回ってちょうだい。窓があるはずだから、ワタシが見える位置に待機して、いつでも突入出来る様に準備して。……そういえばアンタ、武器とか持ってきているの?」
休日とはいえ、色々と複雑な立場にあるため杖を持っていたシアラと違い、ヨシツネの格好は完全にラフな私服だ。ところが、ヨシツネが襟元を引っ張ると私服は脱げて、下から戦闘用の装備が姿を現した。
「御覧の通りでござる」
「いやいや。何よ、今の早着替え。どんな構造になってるのよ、その服。ちょっと見せてみなさい」
「駄目でござる、駄目でござる。これは忍びの秘術であって、あ、そこは引っ張ると破けるでござる」
押し問答の末、脱いだ衣服を涙目で確保したヨシツネが裏手に回るのを確認して、シアラは扉に手を当てた。
すると、耳に飛び込んできたのは鐘の音だった。
冷たく響き渡る鐘の音は、研究区画の中で幾度も反響して残った。どうやら十二時になったようだ。
「《器を満たせ》」
宣誓を済ませて、いつでも魔法が放てるように精神力を抽出する。
シアラは鐘の音が残っている内に扉を開ける。狙い通り、扉が開く音は鐘の音に紛れてくれた。目の前には長い廊下があり、その奥にヨシツネの言う謎の気配が待っているのだろう。
スニーキングの技術なんて欠片も無いシアラにとって、十メーチル程度の廊下を音も無く渡り切るのは、超級モンスターを相手取るよりも難しい。
慎重に、慎重に歩を進める。
杖は床と平衡を保ち、突然の襲撃に対応できるように視野を広げておく。一歩一歩進むたびに、心臓が破裂しそうな思いだ。
時間をかけて廊下を渡ると、カタリナの自室の前に立つ。確かにヨシツネの言う通り、扉の向こうに誰かが居る。気配探知が得意でないシアラでもそれぐらいは察知できる。
覚悟を決めて扉を勢いよく開けた。そして、床を転がりながら姿勢を低くして杖を掲げる。
「動かないで! こちらは何時でも魔法を放てるわよ」
警告の声は室内を震わせた。雑多に物が置かれた室内では、シアラが飛び込んだせいで書類が宙を舞い、ビーカーの液体が揺れた。
そんな室内に、男は主のように構えていた。
カタリナが座っていた椅子に背を預け、重厚感のある文机に足を投げ出し、愛用と思しきテンガロンハットで顔を隠している。
程よく鍛えられた腕が動き、帽子が僅かにずれると刃のような鋭い視線がシアラを貫く。
杖を構え殺気を漲らせる、いまにも破裂しそうな風船を前にしても男は動じない。
「……甘いな。警告なんかせずに、室内に飛び込まずに、そもそも研究所の中に入らず、外から最大火力で吹き飛ばすのが魔法使いの戦い方だろう。筋肉馬鹿みたいに敵の前に姿を現すなんて、三流以下のやり口だぞ」
「あら? こうして姿を現した相手を敵だなんて。アクアウルプスの時とは違うのかしら、オルタナ様?」
シアラの軽口に応じるように男は―――オルタナは立ち上がった。革のジャケットを着こんだ姿は、レイに言わせれば西部劇に登場するガンマンの出で立ちはアクアウルプスで遭遇した時と変わらなかった。
帽子を深くかぶり、無表情のままオルタナから敵意を感じる事は無いが、シアラは杖を向けたままだ。オルタナが一歩横にずれようとすると、
「動かないで!」
と、警告が鞭のように飛んだ。
「動かないで。こちらが本気なのは、貴方ほどの魔法使いなら理解できるでしょ」
「ああ。いつでも放てるように充電された精神力が痛いほど伝わって来る。お前さんが、本気だというのがな」
「こちらの許可なく動いたら、攻撃と見做して即座に魔法を放つわ。いい? 腕を動かすどころか、指先を動かすのも駄目よ」
「やれやれ。随分と嫌われたもんだ。こちとら、アクアウルプスでお前さんの主を助けた功労者だろう。一度は共に戦った相手に杖を向けるとはな」
「黙りなさい。……確かに、あの時は助けてもらったわ。それについては感謝しているわ。でも、あれは貴方が何者なのか知らなかったからよ。今は、貴方に対して最大限の警戒をさせて貰うわ。何しろ貴方は……『七帝』の一角、『魔術師』なんでしょ」
質問の答えは沈黙だった。だが、その沈黙が何よりも雄弁に答えていた。
アクアウルプスでレイ達の手助けをしてくれた旅の魔法使いオルタナ。彼は身体強化の魔法を使いこなし、魔法使いらしからぬ肉弾戦を繰り広げていた。そして、エレオノールとの戦いの最中、肉体のほとんどを失うというダメージを負って死んだと思われた。
ところが、全部の戦いが終わった後にオルタナは何も無かったような顔でレイの前に姿を現した。アクアウルプスで起きた事の全てを語り、そして別れ際に自分の正体に関するヒントを残していた。
そこから導き出せる答えこそ、『七帝』が一角、『魔術師』という可能性だ。そして、シアラにはオルタナに対する疑念があった。肉体を失ってもなお蘇るという規格外の存在。それはエルフの里で紐解いた古き時代に存在したと言われる者と酷似していた。
クロノに確かめたが、残念ながら彼女はクロノスの時に得ていた記憶を大分失っていた。彼女が覚えている事は13神に関する事とレイに関する事、そして自分が神々の観測所から追放された時の直近の記憶だけだった。
「……沈黙ね。まあ、別に答えをどうしても知りたいというつもりは無いわよ。どちらにしても、ワタシは貴方を『七帝』と同等の存在と見做して警戒するだけだから。……それで?」
「質問の意味が曖昧だ。何を尋ねたいんだ?」
「しらばっくれないでよ。何で、貴方が此処にいるのかしら。不戦の島に行ったんじゃないかしら」
オルタナとレイ達が出会ったきっかけは、シアラの故郷に理由があった。
シアラの故郷である不戦の島は、島の住人に招かれない限り上陸できないという結界が張られていた。それを破るには概念を突破できる神器が無ければ不可能だ。
島に用事があったオルタナは、島の唯一の生存者であり島の外に出たシアラを探しており、アクアウルプスにて出会ったのだ。
「それがどうしてこんな場所に居るのかしら。答えなさい、オルタナ!」
「……ふん。その質問はそのまま返そう。お前さんこそ、こんな所で何を……などと尋ねるのは愚かだな。母親に会いに娘がやって来る。そこに不自然な要素は一欠けらも無いな」
オルタナの言葉に杖の先が揺れた。
予想はしていたとはいえ、ナタリカ博士の研究所がカタリナ・マールムの研究所だというのを知っていてオルタナはここに居るのだ。
隠す気が無い偽名とはいえ、世界は広い。それなのにオルタナがカタリナの研究所に居るのは単なる偶然ではないはずだ。確実に、彼女に何かの用があって来ているのだ。
「ところが残念だったな。見ての通り、あの女狐はここに居ない。俺が来るのを知っていたのか、あるいは虫の知らせというやつか。忽然と姿を消したという訳だ」
「待ちなさい! 動くなといったはずよ」
杖を向けられ、いまにも魔法を放たれようとしているのにもかかわらず、オルタナは扉の方へ向かって歩き出そうとした。
銃口を頭に突きつけられているような状態なのに、まったく気にしていない。
「あの女が居なければ、ここに居る理由も無い。悪いが、行かせてもらうぞ」
「させないわよ! 《ブリザードパイル》!」
《詠唱破棄》Ⅲを持っているシアラの魔法が完成した。
彼女の周囲に氷を固めた杭が五本、宙に浮かび放たれた。
回避されても命中するように、オルタナの手前で幾つにも割れるように操作された杭は、しかしオルタナを守るように現れた炎の壁に一瞬で飲み込まれた。
詠唱も無しに上級以上の魔法を放ったオルタナに驚きつつも、彼女は次の魔法を唱えた。
「《ウッドチェーン》!」
床の一部が変形すると、オルタナの足に絡みつく鎖となった。だが、その鎖も瞬きする間もなく腐っていき、あっという間に砕けてしまう。今のは腐食系の魔法の反応だ。
またしても詠唱せずに魔法を完成させたオルタナに、シアラは抱いていた疑念が間違っていない事を確信した。
同時に、魔法では絶対に勝てない事を悟る。
だからといって攻撃の手を止める訳には行かないのだ。
「《ライトニングサンダー》!」
杖から放たれたのは威力よりも速度を重視した雷魔法だ。矢のように放たれた雷撃はオルタナに直撃するも、まるですり抜けられたように通り過ぎて、彼の背後にあった窓を打ち破る。
「……いい加減にしろ。こちらが手を出さないからと言って、何もできないという訳じゃない」
オルタナの体から僅かに殺気が零れてくる。純度の高い殺意に、喉が塞がれたように呼吸が出来ない。これまでにも強敵とは幾度も対峙していたシアラでさえ、身を竦めてしまう殺意。
間違いなく『七帝』クラスの戦闘力だ。
だが、狙い通りでもある。
シアラに意識を向け、無防備な背中を窓に向けている。シアラが魔法で狙った、壊れた窓から飛び込んでくる影にオルタナは無警戒だった。
ヨシツネが振るう刃が、オルタナの首筋を通り過ぎる。
暗殺も得意とするヨシツネにとって、首を刈るのは常とう手段である。首の内側や腿などの急所をどんな角度からでも狙えるように、彼は教育されている。
背後から奇襲し、ターゲットがどう反応しようがそれより前に刃は届く。
熟練された動きに迷いは無く一撃必死の攻撃は、しかし相手が悪かった。
首を半分切断されたはずのオルタナが拳を振り上げると、懐に入っていたヨシツネへと一撃を見舞った。
小手で防ぐヨシツネの顔に苦悶が浮かび、彼の体は吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
自分の真横を通ったヨシツネにシアラは駆け寄って呼びかけた。
「ちょ、ヨシツネ、無事なの!」
「な、なんとか。しかし手がしびれてしまったでござる。今の一撃は……魔法使いの一撃ではないでござる」
「多分、肉体強化の魔法を瞬間的に幾つも掛け合わせたんだと思う……普通じゃない詠唱速度……いいえ、詠唱なんてしてないのよ」
「《詠唱破棄》ではなく、詠唱をしていない? しかし、首を切った手ごたえはある。ならば、もうすぐ死ぬ―――なっ!」
シアラにはヨシツネが驚く気持ちが理解できた。何故なら首の内側から刃を突き刺されて切られたはずのオルタナは、そこに平然と立っていたのだ。切られたはずの首に傷は無く、血も一滴たりとも垂れていない。
違和感だらけの光景にシアラは説明する。
「落ち着いて聞いてちょうだい。アイツはオルタナ。主様から聞いた話と今のを見て確信したけど、アイツは肉体を持っていない。だってアイツの正体は―――」
「―――エイリーク殿!?」
叫んだのは誰なのか。
シアラはそれまで構築していた考察をかなぐり捨てて、うずくまっているヨシツネを驚きの目で見る。
ヨシツネは長布を外し、彼としては珍しい驚きの表情を浮かべていた。
「エイリーク殿ではござらんか!? 何故、貴方様がここに!!」
その名前の意味を理解していないのか、ヨシツネは繰り返し名前を呼んでいた。
シアラにしてもヨシツネにしても、驚きと困惑を表情に出していたが、その二人を上回る反応をしたのは誰であろう、エイリークと呼ばれたオルタナだった。
先程まで室内を重く圧倒していた重圧が消え、口を丸く開けてオルタナは驚いていた。
「……馬鹿な」
微かに囁いた言葉が誰の言葉のか、シアラは一瞬分からなかった。それまであった威圧感が消え、人ならざるような存在の声に身構えた。
「ヨシツネ……だと。何故お前が……どうしてお前が!!」
「それはこちらの台詞でござる。貴殿が、なぜ? ここは別の歴史を歩んだエルドラドでは無いのでござるか?」
「……間違いない。お前はアイツのヨシツネだ。この事を、レイの奴は知ってるのか!? 自分が誰の部下を傍に置いているのか!!」
「どういう意味よ、それは。ヨシツネが何だって言うのよ!」
「どうやら、知らないようだな。なら、教えてやる。そいつは、ヨシツネは―――」
その先は続かない。
何故なら飛び込んできた闖入者によって遮られたのだ。シアラが開け放った扉から転がり込んできたのは、黒を基調とした衣服に身を包んだキョウコツだった。彼女は焦りを隠そうともせずに叫んだ。
「おい、お前ら! レティシアとクロノとかいう化物が、揃って攫われたぞ! いまエリザベートが追いかけて……って、どういう状況だこれは?」
魔法の打ち合いによって乱れた室内を見て眉をひそめたキョウコツに、これ以上爆弾を落とすなとばかりにシアラが苛立ちをぶつける。
「うるさい! 説明は後でするから。それより、レティとクロノが誘拐されたですって!? いったい誰によ!」
「言っても信じないだろうがな。攫ったのは『魔王』フィーニスだ!」
「なっ!! お、お爺様ですって!?」
驚きのあまりフィーニスの事をお爺様と呼んだことすらシアラは気づいていなかった。
「それだけじゃないぞ。もう一人、厄介なのが居て―――っ!!」
キョウコツの言葉が最後まで続かなかったのは、彼女たちの真上から轟いた破壊音と衝撃が遮ったからだ。
読んで下さって、ありがとうございます。




