11-11 迷宮からの脱出Ⅲ
「完全に手詰まりだぁ」
『随分と気の抜けた声を出しやがる。昨日の酒が残ってるんじゃないのか。そもそも、てめぇの酒量も碌に把握できないで、前後不覚に陥ってんじゃねえよ、この未熟者。だからこうも簡単に連れてこられて、こんな状況に陥ってんだぞ』
「うるさい。お前の声は、頭に響く」
十一度目の二日酔いに苦しむレイは、デッドエンドスポットの高台に位置する鐘の下に居た。繰り返し目覚める宿屋をすぐに出ると、真っ直ぐにここを目指したのだ。
影法師と堂々と喋る為に人目の付かない場所を選んだ。この時間、この付近に人が近づく事は無いと知っていた。
買っておいた水を一口飲み、レイは不味いなと呟いた。
『水の味は変わらんだろ。それともあれか? 不味いのを知りつつ買ったのか?』
「水の味じゃない事ぐらい、分かるだろ。……この状況がだよ。目覚めてから、きっちり判で押したように一時間半。前後十分ぐらいの誤差はあるが、概ねそれぐらいで僕は死んでいる。……正確には、戦奴隷の対等契約を結んだ誰かが、死んでいる」
この十回、レイは《魔王乃影》を用いて身体能力を強化した状態で、可能な限り最短ルートを使って地上を目指していた。回数を重ねるごとに無駄をなくしていき、考えうるショートカットを駆使し、最速を目指していた。
それでも地上はおろか、上層部の全階層の半分にも到達できず、目覚めてから一時間半を過ぎると、死に足をすくわれる。
死のイタミは神経に直接刃を突きたてるような苦痛を与え、《魔王乃影》による無茶な移動は精神を疲労させる。極端な話、レイの精神は半日以上、ずっと活動し続けていたのと同じだ。
肉体の疲労は《トライ&エラー》で引き継がなくても、精神の疲労は隠せない。
このまま同じことを繰り返す無意味さから、十一回目にして休息と状況の整理を選んだ。
「誰が死んでいるのかは、ここからじゃ分からない。死のイタミを味わう度に見える、あの世界でも、誰が死んでいるのかまでは確認できなかった。……こんな事は、今まで無かった。リザ達の誰かが死ねば、あそこで会えるはずなのに。でも、一つだけ言える事がある」
『十回も死んで、分かったのがたった一個。それを大層ご丁寧に言うじゃねえか』
「茶化すな。……判を押したように何度も同じ時間帯に死ぬという事は、地上で起きている事は変わっていないって可能性だ」
『……ふん。続けな』
レイは誰も居ない広場で、頭の中に浮かんでくる仮説を拾い集め言葉にしていく。いまはそうでもしないと、足元から迫ってくる焦燥の炎に胸の内まで焦がされそうだった。
あと一時間半足らずで、誰かがまた死ぬのだ。焦るなという方が、無理がある。
「リザやシアラ、レティはこれまでにも何度も《トライ&エラー》を体験している。死に戻りのイタミも知っているし、その後にどうすればいいのか理解しているはずだ。彼女たちが死に戻った時点で取るべき最適な手段は、仲間との合流だ」
戦奴隷契約を結んだ三人の中で、最も戦闘力に秀でているのはリザだ。彼女ならば単独である程度戦い抜くことはできる。しかし、リザは戦闘面に秀でているが、戦術面ではレティやシアラに及ばない。全体を俯瞰で見て、その後の流れを作る才能に欠けていた。逆にレティやシアラは単独での戦闘力に劣る。魔法職である二人は、前衛が居てこそ力を発揮できる。
つまり、彼女たちが何らかのトラブルに巻き込まれて死に戻った場合は、真っ先にするべき行動が合流なのだ。
「一人よりも二人。二人よりも三人。三人よりも四人の方が知恵も対策も増える。数は力とは的を射ている格言だよ。少なくとも、自分が死なないために他の仲間と合流するはずだ」
『あの娘たちなら、確かにそうするだろうな。もっとも、相手が『勇者』だったら、金髪剣士の脳みそじゃ、そんな柔軟な対応は望めないだろうがな』
「……先を続けるぞ。仲間と合流をした彼女たちがするであろう次の行動は、危険の回避だ。死の確立を見通せるシアラが居る以上、死を避ける事はできなくはない。あるいは、死につながる原因の対処か。いや、何だっていい。とにかく、今の流れを変えようと何かをするはずだ」
『これまで、《トライ&エラー》を使って来たてめぇを知るから、そうするだろうと。そう読んでんだな、てめぇは』
《トライ&エラー》の利点は死を無かったことにする事では無い。
死に戻る事で、これから起きる出来事を予め知って、対応できる点だ。ナイフで殺されたとすれば、ナイフで殺される前に相手を拘束したり、その現場に近づかなかったり、あるいはナイフで殺されるという結果に繋がる原因を排除したりと対応策は幾らでも思いつく。
レイよりも聡明で機転の利くシアラとレティなら、死に繋がる道筋を書き換えようとする。たとえそれが失敗したとしても、何度でも繰り返せばいい。
幾千幾万の失敗を積み重ねても、たった一度の勝利を掴めば、それで良いのだ。
ところが、この十回、一度たりとも死亡する時刻がずれたり、あるいは死のイタミの度合いが変化した事は無い。
変化しない事が、地下に一人だけ隔離されたレイが唯一届く手掛かりだった。
「地上じゃ、起きる出来事の流れを変えられていない。十回も同じタイミングで死んでるんだから、この推測は間違いないはずだ。となると、次に気になるのは、どうしてそうなっているのかだよな」
『てめぇの事だ。推測の一つや二つ、あるんだろ。聞いてやるから喋りな』
「考えられるのは、時間指定で作動する薬物の類だ。レティが作る毒薬なら、ある程度のコントロールがきく。もう一つが実力に大きな差のある相手だけに、どうやっても一時間半後に死亡するという未来に収束しているのか。……あとは、そう。彼女たちが死を自覚していないか、かな」
レイの呟きを影法師は興味深そうに拾い上げた。
『死を自覚していない? そいつはどういう事なんだ?』
「試した事が無いから断言できないけど、戦奴隷が死んだ場合、彼女たちが戻って来るセーブポイントは僕に依存しているんだ。ほら、アマツマラの森でレッサーデーモンと遭遇した時の事を覚えているか?」
レイが口にしたのは、いまや昔と頭に付けたくなる出来事だった。アマツマラでのスタンピードが終わり、都市近くにあるクライノートの森を探索中に、一泊の宿として借りた村でレッサーデーモンと遭遇した。どうにか倒せたのも束の間、エルフの里を守るサファによって殺されてしまい、全員でその日の朝に戻った。
「あの時、リザは僕よりも先に目を覚まして朝食の準備をしていた。後から話を聞いたら、転移の魔法陣で移動したように周りの風景が一変していた、って答えていた」
『なるほど。その言葉が正しければ、戦奴隷が死に戻るのは、てめぇが目覚めた瞬間という仮説もあながち間違っちゃいないだろうな。だとすると、戦奴隷の誰か、あるいは全員はお前と同じ十二時を境に死に戻ってきている事になるな』
「そこでさっきの話になるんだ」
『死を自覚していない……ああ、そう言う事か。今から三人娘の誰かが死んだとしても、てめぇが目覚める十二時の時点で意識が無けりゃ、死を自覚する事は出来ないって事か!』
レイの内側で影法師が納得したように頷いた。同じ推測に先に辿りついていたレイは、内容の補足をした。
「仮に、今の時点で意識が無くても、これから死ぬまでの間に意識を取り戻せれば、多分だけどその時点から《トライ&エラー》で死に戻っているはずだ。いま、どんな状況に追い込まれているのか分からないけど、数分ならまだしも十分以上あれば、何らかのアクションをして、結果的に死までの時間を伸ばす事も出来るはずだ。それなのにこの十回、同じ時間に死んでいるのは、僕が目を覚ましてから死ぬまでの間、その子の意識が無い可能性が高い」
意識が無いから、死んだことに気づけない。
その事に心当たりはあった。ゲオルギウスがネーデで暴れた時、最初の死をレイは知覚することなく死んでいった。気が付けば時間が巻き戻り、同じ光景を繰り返し―――。
「―――っ」
視界がぼやけ、脳が痛みを発する。二日酔いの痛みでは無い。
死に戻りのイタミでも無い。
記憶に砂嵐が掛かり、これ以上思い出す事を誰かが拒絶している。この感覚に覚えはあった。
いけない、と思うよりも前に意識が浮遊する。高所から落ちた物体が、地面に墜落するのと同じように、浮遊しかけた意識が途切れそうになった、まさにその時。
『……ふん。余計な事に気を取られている暇が、いまのてめぇにあるのか』
影法師の冷たい一言が、レイの意識を拾い上げる。頭痛は治まっていき、認識の喪失による意識の喪失は辛うじて免れた。
「……礼を言う気はないぞ」
『虫唾が走るような事言ってんじゃねえよ。話を戻すぞ』
「ああ。死を知覚していなければ、死に戻っている事に気づけなければ時の流れは変わらない。予定調和のように一時間半後に誰かが死んで、時計の針は十二時を指すんだ。これが、いま起きている事への、僕なりの分析だ」
『一応、どの可能性も筋道は立っているな。それで、てめぇはこの後どうするんだよ』
「……そこが全く思いつかないんだよ」
溜息と共に、レイは脱力した。ずりずりと背中が滑り、ベンチに深々と座る姿はだらしなく、少なくとも新進気鋭の冒険者には見えない。
「薬にしろ、実力差にしろ、死を自覚していないにしろ、上だけで対処できないっていうのは間違いない。このまま、愚直に迷宮を走り回っても、死ぬタイミングは変わらない。やるだけ無意味なんだよ」
『六龍が一つ、赤龍に何百と挑んだ人間のセリフだとは思えねぇな。いつから、こんな腑抜けになったんだ』
「そんな挑発に乗る気はない。あの時は、複数の人間が作戦に参加していたから揺らぎが起きていた。同じことを繰り返していても、ブレが起きていたから万に一つの可能性が出るまで続けられたんだ。でも、今回は違う。一時間半でラビリンスを逆走するのは……物理的に不可能だ」
一瞬、レイの視線が横に滑った。高台から見下ろせるデッドエンドスポットの街並み。冒険者たちが作り上げた、迷宮の街を左から右へと眺めていた。地上へと続く階段から、反対の方向に向かう道へ。
『……それで? このまま指を咥えて黙って見ているのか? いつか何かの偶然が起きて、死ぬまでの時間に狂いが生じるまで、ここでぼうっと待っているつもりか。それまでの間に、一体何度、アイツラは死ぬことになるんだろうな』
影法師の糾弾する声は的確に、レイの心にさざ波を生む。レイの罪悪感から生まれた存在は、どう言えばレイを効率よく苦しめられるか、本能的に知っていた。
―――それは同時に、どう言えば背中を押せるのかという事も知っていた事になる。
「ほんとに……お前って奴は嫌な奴だよな」
脳裏に浮かぶのはリザ、レティ、シアラの顔だ。いや、それだけじゃない。
戦奴隷の対等契約を結んでいるから、彼女たちが死ねばレイも死に、《トライ&エラー》が発動しているに過ぎない。
もしかしたら、エトネやクロノ、ヨシツネ、コウエンの身にも危機が迫っているのかもしれない。いや、もしかしたら、なんて曖昧な言葉は使う必要はない。その可能性は十分に考えられるのだ。
一時間半のタイムリミットは、三人の誰かが死ぬまでの時間制限であって、他の皆はレイが目覚めるよりも前に危険に晒されている可能性だってあるのだ。
「……やっぱり、まずは情報を獲得する所から始めるしかないよな」
『今更、何を言ってるんだ。それが出来りゃ、こうもうだうだと悩む必要なんかないだろ』
呆れた様に言う影法師に、レイはそうだよなと思いつつも、言葉を紡いだ。
「《漆黒よりもなお昏き影よ、我と共に起て》!」
レイの言葉に導かれるように、変化は起きた。目の下にある傷口が疼くと、そこから血とは違う黒い闇が溢れ、あっという間に人の形になった。
まるで影を起こしたような姿こそ、《魔王乃影》によって実体化の手段を手に入れた影法師だった。
「この状況で、俺を呼んでどうするんだ」
「いやまあ、お願いがあってね。とりあえず、僕を殺してくれないか」
「ああ、分かった」
あまりにもあっけない返答と共に、影法師の腕が形を変える。人の首を刈るのに適した刃が生まれると、吸い込まれるようにレイの首筋に触れた。微かに裂いたのか、赤い線が浮かんでいた。
「……いや、頼んだのは僕だけどさ。もうちょっと逡巡するとか、躊躇うとか、そういう感情はないの、お前?」
「はっ。馬鹿々々しい。俺が? てめぇに? そんなもの期待するだけ無駄だ。お前が殺してくれと頼んだなら、そうするだけだ。それとも、喋り足りないのか?」
「いいや。このまま誰かが死ぬまで待っているのも嫌だったし、後の事を考えて今の内に試しておきたいから、頼んだんだ。だから、影法師。―――やれ」
返事は無い。ただ、影が音も無く、風も起こさず、するりと少年の首を断った。
ただ、それだけの話だ。
★
十二度目の死は、自分で選んだ死である。レイはイタミに苦しむ体を押して起き上がると、目を瞑った。瞼の裏に現れた本で《トライ&エラー》が使用不可になっていないか確認をした。
結果は問題なかった。
実の所、影法師に殺されることは自殺判定されない可能性は高かった。
クロノスとの戦いで、時間を停められた時の対策として、影法師に殺されたが何の問題も無かった。一応、今回試したのは問題ないはずなのを確認するためだ。レイは確認を終えると、何か言いたそうにしている影法師を黙殺し、宿を飛び出した。
そのまま迷宮の階段を昇っていく。
もちろん、《魔王乃影》で生みだした鎧を身に着け、跳ぶように駆け抜けていた。
「……レイ、これがてめぇの考えた方法なのか。今までと同じ、まったく変わらないぞ」
鎧から声がした。錆びた歯車を無理やり回したような声に篭っていたのは、明らかに侮蔑の色だ。レイの思考までは読めなくなったが、表層的な感情は伝わって来る。レイが何かを覚悟したのは明らかで、強い意志を感じていた。
今度はどんな奇策を用いるのかと、正直なところを期待もしていた。
それだけに、レイが再び走り出したのを見て、影法師はガッカリとしていた。また、同じことの繰り返しか、と。
だが、レイは揺るがずに返した。
「何をガッカリしているのか知らないが、黙って見てろよ」
そのままレイはラビリンスを駆け抜ける。考えられる限り最短のルートを、自分の持てる力をフルに使い、最速を維持したまま、地上を目指す。それは驚異的な速さだ。
驚異的な速さだが、しかし地上に辿りつけるはずもない。全体の三分の一、下から数えれば七階層、上から数えれば一四階層目で足が止まった。
「どうした、こんな所で止まって。もう、限界なのか」
「そんなんじゃない。そろそろ、時間だろ」
レイに言われて、影法師はそう言えばと気づいた。デッドエンドスポットで目覚めてから一時間以上経過している。おそらくあと少しで死の時間だろう。正確な時刻は分からないが十回以上も繰り返せば体が覚える。
するとレイは顔を上げ、天を見上げた。卵型の兜は溶けるように外れ、むき出しの素顔に汗が浮かんでいた。両目はきつく、地上を睨んでいる。固い岩盤の向こうに存在するであろう脅威を、敵を、仲間に危機をもたらす何かを見据えていた。
もっとも、天には蓋がされているから、いくら睨んでも意味は無い。
此処は地の下の更に下。
迷宮の中だから、頭上を覆う岩板は地上への行く手を塞ぐ門と同じだ。少なくともこの岩盤があと一四枚、地上に到るまでにあるのだ。
「影法師。……僕が自滅する前に、僕を殺してくれるか」
「……おい、レイ。てめぇ、まさか」
影法師がレイの意図に気づき戦慄する。途方もない考えに制止の声を上げようとしたが、間に合わなかった。
「《超短文・超級・全力全開〈オールバースト〉》!」
天に向かって突きだされた拳には赤色の指輪が嵌められている。魔法を発動する指輪に込められたのは、短時間だが身体能力を向上させる力。
そして、天を睨むレイの右目は、闇をも打ち払う猛々しい紅蓮の輝きを放っていた。
瞬間、尋常では無い力の奔流を影法師は感じ取った。それに近い物は、かつて体験していた。龍刀に宿る、赤龍の力だ。
抜き放たれた龍刀が紅蓮に燃え、レイの体に絡みつく。《魔王乃影》による鎧を包み込む様に炎の鎧が完成した。
そして、力が一点に向かって集中する。龍刀の切っ先、その刃が振るわれる方角は―――天だ。
「てめぇ、正気か!? 岩盤を貫くつもりなのか!!」
問いかけにレイは応じない。ただ、手綱を離せば何処かへと漏れ出す力を極限まで高め―――龍刀を振るった。
読んで下さって、ありがとうございます。




