10-50 白い世界 『前編』
《トライ&エラー》の利点は失敗が出来る事と、相手の手札を知る事が出来る事だろう。特に相手がどんな攻撃手段を持っていて、どんな目的で行動しているのかを知っているとの知らないのでは戦闘におけるアドバンテージが違ってくる。
新興パーティーである《ミクリヤ》が、格上相手に生き残って来たのは、《トライ&エラー》によって、未知を既知へと塗りつぶしていったからだ。いま、それが敵となって襲いかかっていた。
クロノスに《ミクリヤ》の戦術、連携、切り札は通じない。時間停止を受けたレイや、数多のモンスターに変化できるコウエンは除いて、他の者は余すところなく曝け出した。
レイ自身、そこまで器用な戦い方ができるタイプではない。コウエンは戦闘には参加せず、存在する事でクロノスを牽制する役目がある。つまり、クロノスを追い詰めるには彼女の知らない新しい技が必要なのだ。
その点、レイに巣食うフィーニスの影は威力、性質、共に及第点だ。
「其方の中にいたからこそ断言できる。其方はもう、フィーニスの影を扱える程度に馴染んでいる。魔人にならずとも、あの『魔王』の力を引き出す事が出来よう」
コウエンが太鼓判を押すも、レイの顔は優れなかった。フィーニスの影が有用だとは理解しても、拭いきれない忌避感があった。
「やはり、ナリンザ様の事が気になりますか」
レイの心を察したリザに、少年は肯定を返す。
「うん。頭では分かっているつもりなんだ。フィーニスの影を使えれば、クロノスとの絶対的な差を埋める事が出来る。そうしなければ、世界が崩壊すると。そう、分かっているけど、心が……嫌だと叫んでいるんだ」
今でもまざまざと蘇る。死んでも無かったことに出来る自分を守る為に、一つしかない命を捨ててくれた女性の姿を。フィーニスによって殺されたナリンザの最期を。
さぞ、無念だったろう。自分の命を主に捧げた女性が、主でない者を守って死ぬ。それも、死を無かったことに出来るインチキ紛いの男を守って死んだのだ。
レイは、彼女のあり様に涙を流し、そして彼女の生きた証を、命を無駄にしないために、彼女の主であるダリーシャスを最後まで守り抜いた。それでも、レイの心は守られたことへの罪悪感で満ちていた。
自分の本心を吐露するレイに、フィーニスの影を使ってのぞき見するカタリナが助言を送る。
『君に何があったのか知らないけど、前に話した事は覚えているかな』
「文殿で言われたこと、ですか」
『そうさ。ワタシはこう言ったよね。力は力に過ぎない。そこに善も悪も無いんだよ。あるのは使い手の願いだ。そしてこうも言ったはずだ。助けられる力を拒んで、仲間を失う方が君にとっては死よりもつらい事だろう。今がまさにその時だ』
水晶に貼りついた影から、水面に顔を出す浮袋のように金色の眼球が浮かび上がった。
その向こう側で嘲笑を浮かべているカタリナの姿が容易に思い描けた。
『君を守る為に、シーちゃんを始めとして、君の仲間はいっぱい、いっぱい、いっぱい死んだよ。クロノス相手に格付けは済んでしまった。君やコウエンちゃんが参戦したからといって、互いの戦力差は明白さ。このままだと、よくて壊滅、悪ければ全滅だ』
「それ、どっちも同じ意味じゃない」
「貴様にちゃんづけされると、不愉快で肌が粟立つぞ。……おお、これが鳥肌か」
周りの言葉を無視して、カタリナは続けた。
『お父様の影を使えるようになったからといって、圧倒的な差が埋まるとは思えないわ。でも、あるいは、という可能性も否定できない。だって、『魔王』を『魔王』たらしめた絶望の力。神を殺す事もできるかもしれないわ』
「分かってる。そんなことは、分かってる。……でも」
『強情ね。でも、そういう所は似ているわね』
「誰によ。まさか、おじ……『魔王』と?」
『貴方のお父様よ。青臭くて、理想主義者で、甘ったるくて、それでいて優しかった所とかがね』
「……これから命懸けの戦いをしようとする場面で、萎えるような話をしないでよ。なんで、この年で肉親の惚気話を聞かなくちゃいけないのよ」
気恥ずかしそうに項垂れるシアラに、リザが優しく肩に手を置く。励ましのつもりだろう。シアラは気合を入れるために自分の頬を叩いた。
乾いた音がセーフティーゾーンに響くと、彼女は背筋を伸ばしてカタリナの眼球と視線を合わせた。
「カタリナ・マールム。貴女がどういったつもりでワタシたちに手を貸したのか知らないけど、窮地を脱したのは貴女のお蔭よ。その点には感謝するわ」
『急に改まって、どうしたんだい』
「その上で尋ねるわ。クロノス様との再戦に協力するつもりはあるかしら。影を介して盗み見するだけじゃなく、こっちに来て一緒に闘うつもりはないのかしら? ううん、これじゃ、筋が通らないわね。」
そう言って、頭を下げた。
シアラの申し出に《ミクリヤ》全員が驚いた。
魔人が一人、元六将軍第三席カタリナ。彼女が参戦してくれれば、戦力差は一気に縮まる。フィーニスの影を自在に操れ、魔人としての実力は一端しか知らなくても途方もない物だと理解できる。味方になってくれれば、これほど心強い者は無い。
だが、その案を思いついても言葉に出す事は躊躇われる。
この母娘の間にある隔たりは、山よりも大きく、海よりも深いと誰もが知っていたのだ。そのシアラから、カタリナに対して頭を下げる。
シアラにしてみれば、当たり前の行為だ。レイを助け、仲間を守るためなら、彼女は何だってする覚悟があった。
影に浮かぶ金色の眼球は、そんな覚悟を抱いた愛娘を眩しそうに見つめ、しかし否定の言葉を返した。
『悪いけど、それはできない。さっきはワタシの気まぐれさ。あれで、窮地に陥っても助かると思ってしまったのなら悪かったわ。もう、これ以上手を貸す事は無いわ』
明確な拒絶にレティやエトネは肩を落としてしまう。カタリナの参戦が実現したら、これ以上ない助っ人になったはずだ。ところが、頭を上げたシアラは気落ちした様子も無く、むしろ納得した様子で清々しさすらあった。
『その様子だと、ワタシの返事を予想していたのかい』
「そうなのですか?」
驚いたリザの問いかけに、シアラはええ、と返した。
「最初から手を貸してくれるなんて、これっぽっちも期待してなかったわよ。この人が力を貸してくれるなら、もっと前の段階で介入していたわよ。でも、全部が振出しに戻ってから介入したって事は、この人の目的は観察で、介入は気まぐれ。むしろ、手助けはしないけど邪魔もしないと、はっきり分かった事の方が大きいわ」
「成程。クロノス様だけでも手一杯の状況で、カタリナ殿まで乱入されては手も付けられませぬ。その不安要素の目を断ったという訳ですな。見事です」
パーティーの参謀として、状況を構築しようとする手腕にヨシツネは称賛を送る。シアラは大して喜びもせずに、紫がかった髪を指で梳いた。
「だから、アナタは黙って見ていてちょうだい。ワタシ達が勝利する瞬間をね」
『……かっこいいね、シーちゃん。なら、気兼ねなく特等席で見物させてもらうよ』
そう言って、カタリナの影は水晶から溶ける様に消えた。遠く離れた場所で待機していたキョウコツが、にわかに騒がしくなったことから戻ったのだろう。
「という訳で、カタリナの援護は無い。乱入も……今の所は無いと考えて良さそうね」
「なら、現状の戦力だけで挑むという訳ですか。まあ、劣勢なのはいつもの事なのでそこまで気にはしませんが、やはり戦力不足なのは否めませんね」
「余計な邪魔が入らない様に、戦うのはここで良いんじゃない」
「うん、ここならみはらしもいいよ」
「邪魔になりそうな水晶はいくらか破壊しておけば宜しかろう。幸い、触れれば砕けるほど脆い。数分もあれば更地になりましょうぞ」
カタリナという強力な戦力が加わらなかったからといって、嘆く余裕なんて無い。クロノス討伐への作戦会議を始めるリザ達の一方で、レイは輪から外れ、一人考え込んでいた。
カタリナに対して頭を下げたシアラの姿に、心を揺さぶられていたのだ。
期待していないというのは本音だろう。だが、それでも頭を下げるという行為は、並々ならぬ決意と覚悟があったはずだ。カタリナに対して複雑な感情を抱くシアラ。母への憧憬や、肉親への愛情以上に、過酷な運命へと導いた事への憎しみや、故郷を失った原因への恨みがあったはずだ。
それらの感情は、例えるならドロドロに溶けた鉛のような物だ。腹の中でいつまでも煮えたぎり、ふとしたことで顔を出して、体を内側から溶かしていく。レイ自身、同じ種類の感情を持っているから理解できる。
シアラは、そんな感情を飲み込んだまま、頭を下げたのだ。仲間を守るためという、たった一つの目的の為に。
(それに比べて、僕はなんだ。まだ、こうやって悩んで、悩んで、悩んで。まったく、嫌になるくらい情けない男だな)
自己批判の言葉は幾らでも出てくる。それでも答えは出ない、いや出せなかった。
出せば、どちらかを裏切る事になる。
フィーニスの影を使えば、ナリンザを裏切る事になり。
フィーニスの影を使わなければ、仲間を裏切る事になる。
(ああ。せめて、せめてナリンザさんと話が出来れば。彼女がどんな思いで、僕なんかを守ったのか。それさえ知れれば、迷う事も無いのに)
それが無理な事だと知りつつ、レイは思ってしまう。死者は何も語らない。ただ、想いだけを秘したまま天に昇る。生者に出来る事は、死者の無念や想いを、こちらの都合や想像に合わせてくみ取ることだけだ。
―――なら、会わせてやろうか。
耳障りな声がした。
錆びた歯車を無理やり回したかのような、耳に残る声。それが誰なのか思い出す前に、レイの意識は下へと落ちていった。
落ちる、墜ちる、堕ちる。
底が無いかのような暗闇の中を落ちていく。翼の無い体では抗う術がない。
目を開けているのか瞑っているのかも判別の付かない暗闇の中をレイは落ちていった。
こうなったのが誰のせいなのかは見当が付いていた。この状況下なら、必ずちょっかいを出す存在だ。
同時にここが何処で、何処に向かっているのかも何とはなしに予想が付いていた。
だからだろう、レイは無駄な抵抗もせずに落ちていく。どこかから盗み見ている、影のような奴は、予想と違う反応に悔しがっていると良いなと考えながら。
落下が始まったのが唐突なら、終わるのも唐突だった。
背中に軽い衝撃が走ると、四肢がペタリと何かに触れる。固い地面の感触に、落下が終わったのだと理解した。
レイは立ち上がり、周りを見ると不思議そうに首を傾げた。
そこは辺り一面、真っ白な世界だった。
空も地も、白一色な、ともすれば無機質な空間。色を極限まで排除したことで、逆に異質さが際立っている。
「ここは……どこだ?」
思わずつぶやいてしまう。
レイは、落下している間、ここが自分の精神世界だろうと見当を付けていた。引きずり込まれる直前聞こえた、錆びついたような声は、己の心に住み着いた影法師の声だ。
影法師が、宿主の許可なく精神に引きずり込むのは初めてではない。だから、そこに驚くことは無いのだが、この空間は初めてだった。
これまで見渡す限りの荒れ地に朱い空の心象風景や、光を一切通さない全てを塗りつぶしたような黒い空間に引きずり込まれた。だが、こんな白一色の精神世界を、レイは知らなかった。
まるで、全てを拒絶したかのような場所は、誰の心象風景なのか。
「影法師! 話があるなら出てこい! こっちの状況は盗み見ているから、知っているだろ。お前とじゃれ合っている時間なんて無いんだ!」
心象世界で時間を費やしても、現実世界では数秒にしかならないとはいえ、数秒が惜しい状況である。なにより、影法師と話をして心を乱したくなかった。
レイは果ての無い白い世界で影法師の名を繰り返し叫んだ。
声は拡散され、霧散していく。白の空や地面に吸い込まれて行くようだった。
肩で息をするほど叫んだレイは、ある事に気づいた。
白一色の世界。果ての無い世界に、何かが居ると。
平らな地面の向こうには地平線が見える。距離がどれ程あるのか想像もつかないが、その地平線に沿って、白い靄のような物が現れていた。
その靄は、いつの間にかレイの周囲を取り囲む。じわじわと迫ってくるのだ。
「……フィーニスの憎悪、じゃないな。敵意とかは感じられないけど……なんだ、これ」
靄に取り囲まれ逃げ場がないというのに、レイは心を乱すことなく落ち着いていた。手を伸ばせば触れられる距離でも平常心のままだ。
靄に向けて伸ばした手は、しかし、靄を通り過ぎる事は無かった。
ぎゅっ、と。伸ばした手が靄に捕まれた。
驚きに硬直するレイ。何故なら、その感触は間違いなく、人の手だった。
レイが触れている靄が一人でに動き出す。それは色を拒絶したとしか思えない白亜の世界において、異端のように色づいていく。実物よりも薄い灰色の髪に、同じく薄い琥珀色の瞳。厳しい槍術の訓練で歪になった手の感触を覚えていた。
なぜなら、この手に救われたのだから。
レイは、靄から浮かび上がってくる人物を前に、動揺を隠せなかった。
なぜ、此処に居るのか。
なぜ、こんな風に現れたのか。
なぜ、穏やかそうに微笑んでいられるのか。
幾つもの、なぜ、が浮かびがるが、絞り出すように言えたのは彼女の名前だけだった。
「……ナリンザ、さん」
レイの前に姿を現したのは紛れも無く、レイを守って死んだナリンザ・ナキ、その人だった。
読んで下さって、ありがとうございます。




