10-47 振り出し
空気が一変した。
コウエンが龍刀を握った瞬間から、世界が切り替わったように感じられる。
鮮烈な紅が迷宮を染めていく。身の丈を超える鉄の塊を軽々と振るうと、クロノスの神気すら押し返す闘気が満ちていく。
いまさら、棒切れ一本で状況を覆せるかと、普段のキョウコツなら毒づくところだが、今のコウエンを目にして圧倒されていた。バラバラだったピースがピタリとはまるように、龍刀を手にしたコウエンの立ち姿はしっくりと来ていた。
レイが両手で振るう刀を片手で振ると、コウエンは唇を舐めた。
「なんというか、自分の腕を掴んだらこんな気分になるのかのう。手に馴染むが、不思議な感覚だ。とはいえ、これで必要なものは揃った」
言葉を区切ると同時に、刀身に炎が宿る。先ほどのブレイブサラマンダーの頭部から放たれた炎よりも鮮やかで、どこか神秘的なそれに、クロノスですら表情を硬くした。
「これは妾だ。妾の炎だ。その意味、いまの貴女様では理解できまい。……もっとも、その様子だと理解は出来なくても、実感はしているようですな!」
言葉と共に一閃、紅蓮の刀身が振るわれ、炎の刃が宙を飛ぶ。空気が焦げるような匂いを漂わせて、炎がクロノスを襲う。
クロノスはその一撃を歯車で防ぐ。巨大な盾のような一枚歯車ではなく、細かい歯車を層のように重ね合わせて炎を受け止める。砕かれ溶けていく傍から、新しい歯車を生み出して炎を受け止め切った。
「これで終いだと思うな」
ある意味クロノスにとっては残酷な宣告と共に、二撃目が龍刀から放たれる。いや、二撃目だけではない、三撃、四撃とコウエンが振るう度に炎の刃は生まれていく。クロノスは必死になって止めようとしたが、ついに受け止め切れなかった。
歯車の盾の隙間から、さながらダムを決壊させる濁流のように炎がクロノスを襲う。
その直前、クロノスは手元に引き寄せていた歯車を掴み、脱出をしていた。時戻しを使う余裕なんてない。頭は内部に針を突き刺したような鋭い痛みに苦しみ、精神的な疲労が指先まで覆っている。とにかく、逃げる。それ以外考えられなかった。
だからだろう、逃走経路を読んで先回りしたコウエンの斬撃を躱せなかったのは。
「ぬかった、浅いか」
視界の隅を紅蓮の輝きが通り過ぎ、直後、クロノスは自分の身に起きたことを理解した。
狂ったとはいえ、たとえようもない美貌を持つクロノスの頬に、薄い刀傷が走る。僅かに流れる赤い血が、汗のように顎から落ちた。
その光景にキョウコツは開いた口が塞がらない。
これまでリザたちが繰り出してきた技の数々は、威力に換算すれば上級モンスターですら一撃で戦闘不能に追い込める威力だ。だが、全てクロノスの持つ守りに阻まれ、肌に傷一つ付けることすら出来ないでいた。
その守りを突破して遂に血を流させるまでに至ったことに、言葉を失う衝撃を受けていた。
『まあ、予想通りの結果だね』
ところが、キョウコツが度肝を抜かれているというのにカタリナは大したことではないように言ってしまった。続けて、彼女はキョウコツの口から声を送り出す。
『考えても見てごらん。なぜ、あのクロノスはレイ君を真っ先に落としたのか。行動不能に追い込んだのか』
「……それは、目標であるレイを殺させないため、ではありませんか」
『それも理由の一端だろう。でも、彼女には時戻しがある。レイ君を死なせたとしても、時を戻すことで無かったことにできる。それなのに、彼女は真っ先にレイ君だけを時間停止をしたんだよ』
「まさか……警戒したのですか? レイが自分の脅威になると判断して、不安材料を排除するために時間を止めたのですか」
『ワタシはそう睨んだ。レイ君の持つ特殊技能を警戒したのかなと思ったけど、今のやり取りを見て確信したよ。彼女はレイ君の持つ、あの龍刀を警戒したんだ』
龍刀コウエン。
レティを誘拐する際に、キョウコツはレイたちの情報を一通り調べていた。その中に龍刀の情報は含まれていた。曰く、当代随一の鍛冶師が、赤龍の体をベースに打ったという志向の武器。
だが、しょせんは武器だ。どれだけ強くとも神に伍する存在ではない。
だというのに、現実は龍刀を握ったコウエンが、四肢を怪物に変化しながら距離を縮め、クロノスに傷を与えている。どれもかすり傷程度だが、白いトーガに赤い花が咲いている。
「あの少女と共にあるから龍刀は真の力を発揮しているというのでしょうか」
『残念、それは大外れだ。使い手が重要じゃない。龍刀が龍刀であることが重要なのさ』
謎かけのような言いましにキョウコツは押し黙る。カタリナは、親切心から説明をしているわけではない。むしろ、煙に巻くような言葉を残すことで、考え込むキョウコツの姿を楽しんでいるのだろう。ひとしきり堪能した彼女がヒントを出した。
『この空間は、クロノスがいることによって無神時代のエルドラドじゃなくなっているんだよ。無神時代よりもずっと前、世界に神の恩寵があり、息吹が感じられる、旧い時代。その時、古代種の六龍は、仕えている神たちから、ある力を授けられていたのさ。無神時代の到来とともに失った、権能をね』
「ほらほら、どうしました。このままでは神が失血死などという冗談にもならない死にかたを民に晒すことになりますぞ。いやしくも、神を名乗る方ならば、その様な無様な姿を晒さないでもらいたい」
口調は穏やかだが、戦い方は乱雑だ。刀身から生み出した炎を様々な角度から放ち、クロノスが回避するところに先回りをして大ぶりの一撃を与える。子供が振るったとは思えない刃は風を切り、クロノスの肌に赤い筋を浮かび上がらせる。
既に十を超える傷がクロノスの体に浮かんでいた。レイへの狂想を口にしていた唇は荒い吐息がこぼれ、それまでの隔絶された存在とは思えないほど追い詰められていた。
両腕を横に滑らすと、歯車が幾つも出現した。だが、触れれば切れるような鋭さは失われ、長い時間放置されたような錆が浮かんでいた。クロノスの生み出す歯車は、彼女の精神状態に左右される。無残な姿は彼女の心が折れかかっている証だ。
空中をすべるように移動する歯車の群れを、コウエンは両肩から生まれたアイスウルフの頭部に対応させた。体内で吹雪を起こしていると言われる上級モンスターの吐息は、錆びた歯車を一気に凍らせた。
もう、逃げる余裕もない。クロノスの両脚はどちらを向けばいいのか分からず動けなくなってしまい、その横を下半身がライトニングシープに変化したコウエンが駆け抜けていった。
すれ違いざまに斜めに振った刃に合わせて、クロノスの体に赤い筋が浮かんだ。
「神をなます切りにするのは初めてだが、存外悪い気はしませんな」
そう言って笑うコウエンの表情は、幼さ以上に残忍さが浮かんでいた。
事実、そうなるように意識して笑っていた。
『おかしいな』
キョウコツは耳朶を震わした言葉の意味を掴み損ねた。しばらくして、カタリナが不思議がっている気配が伝わり、先述の言葉が理解できた。
「……貴女様でも、理解できないということがあるのですか」
『面白いことを言うね、君は。ワタシは人よりもいろいろなことに詳しいだけの、凡人だよ』
絶対に嘘だと叫びそうになった。カタリナが凡人なら大抵の人間は虫けらか何かになってしまう。そんな従者の葛藤も気にせずにカタリナは疑問を口にした。
『それにしても、おかしいな。今の彼女なら、クロノスを倒すことだって簡単……とまではいかなくても可能だろうに。あんな、中途半端に追い詰めるなんて』
カタリナの疑問にキョウコツは内心同意する。龍刀を手にしたコウエンの戦いぶりは、いつでも命を取れる弱者を相手に甚振る残虐性が垣間見える。裏の世界を見てきたキョウコツにしてみると、ああいう光景は日常的だが、それでも気分がいいものではない。
「一思いに命を絶つのも、時としては相手への礼儀となります。もしや、ああすることでクロノス様の乱心を諫めようとしているのでは」
『そりゃ、無理だよ。あれは、そういったやり方で解けることはない。……ああ、でも、キョウちゃん良い線行ってるかもね』
急に褒められてしまい、キョウコツは軽く驚いた。
『殺す以外に目的があるから、あんな中途半端なことをしている。うん、それなら納得できるね。……そうだとしたら、ちょっと、ううんかなり意外だね』
「何が……でしょうか」
急に得心いった様子の主にキョウコツは探るように尋ねた。
『レイ君はそれほど気に居られているのかって話さ。いや、レイ君よりも、この場合はシーちゃんや、そのお友達がってことかな』
痛い、痛い、痛い。
体に浮かぶ赤い筋は、両手足の指よりも多い。刃が体に触れるたびに、鋭い痛みが表面をなぞっていく。
この地下で記憶を失った状態で目覚めたクロノスにとって、コウエンが与える痛みは、初めての死への恐怖だった。
「さあさあ、本気で逃げないと、そのお体を二つに分けてしまいますぞ」
体を独楽のように回して振るわれた横なぎが、クロノスの脇腹に食い込む。痛みが体の中心へと届き、彼女は地面へと吹き飛ばされた。
着地の衝撃なんてない。あるのは、脇腹に感じる鈍い痛み。それこそ、子供でも我慢できる痛みにも、クロノスは身を震わせていた。絶対の守りを打ち破って届く痛みに、傷に、恐怖を感じた。
初めての痛み、初めての恐怖。
思考は散逸し、体の芯が凍えていく。どうすればいいのかなんて、考えることさえ出来なかった。歯車を形成しようとするも、イメージが固まらずに、穴だらけのチーズのような物がぽとぽとと落ちる。
「情けない。これが神々の一柱として尊ばれた御方ですか。今は亡き、我が同胞が目にすれば、嘆き悲しむでしょうな」
「『黙りなさい! この、この!』」
ついにはその辺りにあった石を投げつける。当然、そんなものはコウエンにとって脅威ではない軽く躱され、そのうちの一つをはじき返されてしまう。
勢いが付いて戻った投石は、クロノスの額を弾く。痛みはないが、心への衝撃は大きい。時を戻しても、レベルを下げようとしても、無機物の時間を進めようとしても、何ら効果はない。自分の攻撃が全く通じないという絶望が、彼女の胸の内を襲う。
「……どうやらこれで終いのようだ。なら、終わらせるとしましょう」
刃が下を向き、コウエンがじりじりと距離を詰めていく。思わず後ずさるクロノスは必死に叫んだ。
「『嫌だ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ! せっかく会えたのに、ようやく会えたのに、まだ何もしていなのに。私から、レイを取り上げないで!』」
懇願にしか聞こえない叫びを、コウエンは一笑する。
「無様だ。貴女様にはそれを成すだけの力があるというのに、なぜ使わないのですか」
その言葉は、不思議とクロノスの奥底へと響いた。同時に、自分の中で歯車が噛み合う感覚があった。
そうだ、その通りだ。自分にはあるじゃないか。
「貴女は時を司る神だ。ならば、巻き戻せばいい。妾が登場するよりも前に、レイと会ったころへ」
その通りだ。そうする力が自分にはある。
クロノスは無我夢中で意識を集中させる。自分の中にある力を具現化して、実行する。
途端、世界がぐにゃりと歪む。
目論見が成功したことに、顔を気色に染めて上げると、どういうわけか褐色の少女すら同じように笑っているのに気付いた。
そして、その少女が横を向いて何かを叫びーーー
―――時は巻き戻る。
視界に飛び込んだのは、階段を下りてくる最中のレイたちだった。そこに自分に恐怖を教え、恐れた褐色の幼女の姿はない。
「―――っ!? どういうことだ、時間が巻き戻ってる!? 《トライ&エラー》が発動したのか? いや、違う。これは、僕じゃないのか」
混乱から真っ先に叫んだのはレイだ。
彼の主観からすれは、数秒とはいえ時間が巻き戻ってしまった。真っ先に思い付いたのが自分の《トライ&エラー》だったが、死んだときの記憶や、セーブポイントのルールから違うとすぐに理解した。しかし、理解したところで思考は止まってしまう。
一方で、クロノスの時戻しを知っているリザたちの反応は早かった。
「これはレイ様が時間停止されるよりも前ですね。今度はここまで戻されたのですか」
「……拙者は……どうやら生きているようで」
「生きていることを喜ぶのは後だよ! このままだとまた、お兄ちゃんが時間停止されちゃう!」
「レティの言う通りよ! 全員、武器を構えて! 戦闘準備よ」
「おにいちゃん、ぼさっとしてない! クロノスさまのねらいはおにいちゃんだよ!」
「ちょっと待ってくれ、何が起きているんだ!?」
リザたちは自分たちに起きた惨劇を覚えていながらも、その記憶に体を強張らせるよりも戦うことを選ぶ。口々にどうするのが最善なのか伝えあい、レイを後ろに行かせて、精霊召喚を試みる。レイにしてみれば、何が何だか分からない状況だ。
そんなレイたちをしり目に、クロノスは自分の失態に気づいた。
自分は嵌められたのだ。
『クロノスは嵌められたんだよ』
時間が戻った際の酩酊に意識が揺れるキョウコツに、カタリナは語る。
『コウエンの狙いは、クロノスの殺害でも、あの場からの離脱でもない。状況を振り出しに戻すことさ』
視界が鮮明さを取り戻すにつれて、人込みを抜ける足取りがしっかりとしていく。階段を跳躍し、壁を足場にさらに跳ぶ。
『レイ君が時間を止められるよりも前に戻す。そのためには、クロノスの力が必要だったんだ。彼女はクロノスを必要以上に甚振った。傷を与え、痛みを覚え込ませ、死への恐怖を感じさせる。死神の気配を首筋に感じたら、どんな病人だって走り出すだろ。そうやって、クロノスを成長させたんだ』
近づくにつれ、神気に体が重くなっていく。それを察したように、カタリナの影が内部で蠢くと、キョウコツの体を内側から動かしていく。勝手に動かされる体を、まるでマリオネットだと、彼女は自嘲した。
『神の力を強化、というよりも本来の領域近くまで押し上げて、状況を振り出しに戻すなんてね。いや、本当に好かれているね、レイ君たちは。そうすると、自分が誕生する前に戻ってしまうと知りつつも、そうするなんて。これは、面白いものを見たサービスだ』
逃げ場なくすために生まれた歯車に影が浮かび上がると、キョウコツは躊躇うことなく影に触れた。すると、音もなく飲み込まれた彼女は、向こう側へと出現した。
軽やかな着地と共に、キョウコツはレイたちとクロノスの間に降り立った。
「キョウコツ!? お前、なんで飛び出してきた。お前程度じゃ」
問いかけを最後まで言うことはできなかった。キョウコツの足元から膨れ上がった影が、レイたちの足元まで伸びると、彼らを一気に飲み込んだのだ。
それはほんの数秒にも満たない早業だった。そこにいたはずの冒険者たちも、神の姿も、初めから存在しなかったように、誰もいなくなってしまった。
読んでくださって、ありがとうございます。




