10-36 幽霊の正体Ⅵ
「『言ったはずよ。逃がさないと』」
階段の中腹から見下ろす視線は刃よりも鋭く、女神クロノスから放たれる神気に当てられ直前まで戦っていた六人と、実力が近いカーティス以外のメンバーが苦しそうに膝を着く。
そのカーティスが呻くように呟いた。
「……青髪青目。それに、こんな途轍もない気配。嘘だろ、なんでこんな所に、13神が居るんだよ」
それは彼女を前にした全員が知りたいことではあるが、悠長な事を言ってられる状況ではない。オルドは素早くカーティスに尋ねた。
「おい。上に繋がる階段は他にあるのか」
「……ある事にはありますが、距離がある上に、そっちは入り口に繋がってません」
迷宮は侵入者を惑わす為に入り組んだ地形をしている。階段を降りた所で道があるとは限らず、時には一度別の階段から上に行き、改めて下に降りなければ正解に辿り着けない場合がある。
九階層から地上に繋がる階段は、此処しかない。
「そいつは最悪だな。帰還できるルートを、あの女に邪魔されている訳だ」
「……どうしますか、団長。一度引き返して振り切れるまで逃げますか」
「そんな事が通じるような相手じゃないのは、お前にも分かってるだろ。クロノスの権能を前に、距離なんて無意味だ」
クロノスの権能は現時点で三つ。
無機物の時を加速させて崩壊に導く力。生物のレベルを数秒間だけ戻す力。そして時間を止める力。どれも時間に関係した、時の女神らしい力だ。
加えて、オルド達の攻撃は攻撃として成立していない。どれだけの猛攻を振るっても、毛一筋の傷も与えられていない。そして女神から放たれる神気によって精神が削り取られていく。このまま行けば、全滅は間違いない。
―――だからといって、諦めるのは筋が違う。
オルドはごきりと首の骨を鳴らした。ベルドランドも抱えていた副長らを落として、拳を鳴らす。まるで、今にも挑みかかろうとする二人にロータスが待ってくださいと声を上げた。
「正気ですか。このまま、愚直に攻めるおつもりですか!?」
「がはは! おい、オルド。愚かって言われちまったぞ」
「嬉しそうにするんじゃねえよ、ベルドランド。まあ、あれだ。別に投げ出したつもりじゃねえぞ」
振り返り、オルドは安心させるように唇を吊り上げる。それはどんな窮地でも変わらない『岩壁』の自信に満ちていた。
「俺は仲間の壁だ。俺に出来ねえことは、俺の自慢の仲間ならやってくれると、そう信じているんだ。だから、俺とベルドランドで時間を稼ぐ。お前らは、その間にアイツをどうにかする算段を立ててくれや」
無理だと叫びそうになったロータスは、唇を噛む。オルドの判断は間違っていない。クロノスの、唯一の弱点は能力値が低い事だ。ベルドランドの金棒を自力で持ち上げられず、地底湖を脱出する時に落とした岩盤や魔法を避ける敏捷性も無い。
何も無い空間から生み出す歯車も、ロータスが弓で弾けるぐらいの威力しかなかった。
打撃や斬撃が通じなくても、相手を抑えつける事は出来る。それを可能とするのは、近接戦を得意とする前衛のみ。『拳士』の異名を持つカーティスも可能だろうが、彼は神気に押されてしまっている。膝を着かずに済んでいるが、戦うまでには至っていない。
「なら、私も! 私だって、まだ戦える」
「いや、エスラ。お前は駄目だ」
「何でよ! 私も前衛よ。武器だってあるし、素手の格闘だって十分修練を積んできたわよ」
怒りを前面に出して訴えるエスラにオルドは突き放すように言った。
「駄目だ。はっきりいうと、お前が来ると俺達の足をひっぱるだけだ。その意味が、分からないお前じゃないだろ」
一瞬、エスラは傷ついた表情を浮かべたが、それ以上は反論しなかった。
ロータスが親友を気づかいつつ、
「……分かりました。ご武運を、団長」
「ああ、だからといって、あんまり期待するなよ」
オルドとベルドランドが階段の上に向かって跳躍するのに対して、ロータスたちは仲間を引きずり階下へと戻っていく。響き渡る攻防の音を振り切り、カーティスとエスラの方を振り向いた。
「策を練りましょう。私たちが地上に退避する為の時間稼ぐ、その策を」
「策なんてあるんですか。あんな規格外の化け物を相手に。時間を止められるって事は、時の女神クロノスですよね。時を相手に、どうすればいいんですか」
カーティスの言葉に一同は押し黙ってしまう。特に、女神の猛威を目の当たりにしたロータスとエスラは返す言葉も無い。
女神クロノスの戦い方は稚拙で、権能任せだ。だからこそ、ギリギリ食らいつける隙がある。だが、その隙は針の穴よりも細く、突破口にはならない。
「魔法で拘束しても、魔法の時間を加速させて崩壊に導くわよね」
「団長が素手で拘束してもレベルを戻されてこっちが無力化するわね。その状態だと、あの歯車でも致命傷になるわ。……腐食させるのが無機物だけなら、死体で押しつぶしたらどうかしら」
「無機物扱いとなって、死体を分解されるのが落ちよ。地底湖の天井を崩したように、足元を砕いて地下に落とすのはどうかしら」
「できなくはないけど、時間を止められて終わりよ。……何よ、これ。本当に手詰まりじゃない」
意見を出せば出すほど、実現性の低さに暗雲が立ち込める。すぐ傍の階段からは、まだオルドとベルドランドが必死に抵抗を続ける音が響いていた。
それを聞いて、黙っている訳には行かない。
ロータスは行き詰った思考の出口を求めて、視点を変える事にした。
「カーティス、付近の地図を出してちょうだい」
「え? 迷宮の、ですか。了解です」
言われるがまま迷宮の地図を差し出すと、ロータスは萌黄色の瞳で舐めるように地図を端から端まで見つめる。
副団長の意図が分からず、エスラは苛立ちを隠さない。
「そんなのを必死に眺めて、何が分かるってのよ」
「本当に階段がここ以外ないのか確認しているのよ。迂回した先に、もしかしたら未探索の階段があるかもしれないじゃない。次のもちょうだい」
ロータスの目的が分かるとカーティスも地図を入念に確認する。見落としがあって欲しいと祈る気持ちで追いかけていくが、残念ながら見落としは無さそうだ。迷宮内部にあるトラップの種類まで事細かに調査しているメンバーの優秀さが恨めしくなっている。
そんな二人とは違い、エスラは苛立った様子で爪を噛む。兎人族の優秀な聴力を持つ彼女にとって階段から聞こえてくる音だけで、その場に居るかのように状況が理解できてしまう。
オルドの筋肉が軋み、ベルドランドの咆哮が反響し、歯車が風を切り、鮮血が雫となって落ちる音まで拾い上げる。
自分も前衛でありながら、二人よりも消耗していないのに外れるしかない状況にひどくプライドが傷つけられていた。
時を操る女神相手にするならば、相談はおろかアイコンタクトですら取る暇も無い。打ち合わせ無しにコンビネーションを決められる二人が残ったのは理屈で理解できても感情では納得できていない。
その苛立ちから、無意識の独り言をつぶやいていた。
「女神って底意地が悪い女ね。こっちを甚振るように、一気に力を使ってこないなんて人間を虫かなにかと思っているのかしら」
「―――待ってください。いま、なんと?」
その独り言は空気に溶けて消えなかった。顔を上げたロータスはエスラに対して強い視線を向けた。その視線にエスラは戸惑ってしまう。
自分が、そんな重要な事を口にしたのかと戸惑いながら繰り返した。
「だ、だから。何で一度に使わないのかって」
「そう、その通りです!」
「どうしたんですか、副団長? この状況で」
カーティスも戸惑っているのを余所にロータスは辿り着いた答えに顔を輝かせる。
「一度に使えない。それがおかしいんです。だって、考えてもください。相手は13神。この世の全能たる神。神を相手に争いが生じること自体、本来ならあり得ません。ましてや、こんな風に戦いが続くなんて。戦いにすらならない、それこそ一瞬で死んでいてもおかしくありません」
「……13神が迷宮に居るって言う最大級のあり得ない事はさておいても、確かにその通りね。時を止めてレベルを下げて、歯車で一斉に攻撃すればあっという間に戦いは終わるはずよ。それ以前に無機物の時間を進めるなんてまだるっこしい事をせずに、私達の時間を操作すればいいのに」
「ええ、その通りです。副長、神とはエルドラドの法則に手を加えられる存在なのですよね」
ロータスは仲間の治療をする程度には回復した元神学生の副長に尋ねると、その通りだと答えた。
「では、今の推理を聞いて、貴方はどう考えますか。あれは時の神クロノスは、全ての力を振るっていると考えられますか?」
「……いいえ。仰る通り、神とは全能であるべき存在。司る力によって操作できる法則の種類が限られているとしても、その運用に制限が掛かるのは本来ならあり得ません。権能を同時に行使しないのも不自然です」
「それじゃあ、つまり、あれは13神じゃないって事か」
「そうではありません。時に干渉できる存在なんて、神以外あり得ません。ですが、正常な状態ではありません。人格だけでなく、能力も破綻かあるいは損傷しているのは確実です」
話を聞きながらカーティスは自分の常識が崩れていくのを実感していく。神とは完璧であり、遠くからこの世界を見守る不可侵であり不変の存在。それが生まれた時からの常識だったはず。なのに、自分たちの住む領域にまで落ち、その権能は不完全で、狂ったような状態。常識がひっくり返るには十分すぎた。
もしかしたら、これが無神時代を迎えたばかりの人々が抱いた不安なのかもしれない。
空が常に頭上に広がっているのを陶然と思っていたのが、突如落ちて来るような、予測すらできないナニカが起きるのではないかという漠然として、同時に切迫した不安。
「でも、それが分かったからってどうするのよ。完璧じゃなくても、無敵には変わりないでしょ」
「そうでもありません。完璧でない以上、付け入る隙はあります。例えば、本当に全ての時間を止めるなんて事が、今のクロノス様に可能なのでしょうか」
ロータスが提示した疑問に誰も明確な答えは出せない。続けて放たれた言葉に、皆が驚愕と共に、ロータスが副団長でいる理由を思い出す。最も冷静で、尚且つ窮地の時にこそ閃く頭脳を持つからこそ、彼女は副団長なのだ。
どれだけの拳を繰り出し、どれだけの蹴りを放ち、どれだけ吶喊したのか。
数える事を放棄し、流した血が汗と混じり階段を濡らし、視界は赤く染まる。
荒い息を整え、隣に立つ男へと視線を向ける。もっとも、向けずとも概ね似たような状態なのは知っていた。
「とんだ怪物だな。触れる事すら難しいなんてよ。抱き締められたら幸運になる女神の抱擁なんて伝説、眉唾じゃないか」
「違いねえ。女神さまがこんなやばすぎる女だと信徒が知れば、発狂して棄教すること間違いねえな。いい事を思い付いたぞ。そんな奴ら向けに、男の理想を詰め込んだ偶像を広めて、俺達の広告塔として広めないか」
「そいつは面白そうだ。ロータスやエスラに際どい衣装でも着せて躍らせれば、一儲けぐらいできそうだな」
軽口を叩き合いながら、合間に溜まった血を吐き出す。
攻撃が当たっても効果はまるで無し。それどころか、クロノスの左手に触れればレベルが一気に下げられてしまう。その状況で歯車の直撃は強烈だ。致命傷とまではいかなくても、重傷の段階に二人そろって突入している。
そんな二人を前に、クロノスは苛立ちをぶつける。
「『本当にいい加減にしてほしい。私は、貴方たちとこんな風に遊んでいる暇はないのよ。早く、レイの居場所を教えなさい』」
虚ろな瞳はそのままに冷たい声色で告げるクロノス。神気が混じり、脳と耳を直接揺さぶる会話はオルド達を更に苦しめる。だが、オルドもベルドランドも、そんな弱い部分を一切感じさせず、逆に獰猛に笑った。
「会わせる訳には行かねえな。今のアンタじゃ、アイツの手に余る。もうちっとお淑やかさを磨くのを勧めるぜ」
「がはは! この陰湿暴力女神にお淑やかさなんて、それこそ天地がひっくり返らなければ無理だろう」
「そうか。神にも無理な事があるとは知らなかった。許されよ、女神クロノス」
ゲラゲラと笑う二人に、クロノスは何処までもつまらなそうに見つめ、ふと後ろを振り返った。階段の先、その向こう側を。
無感情だった表情に、再び歓喜が宿る。
「『ああ、そういうこと』」
声に色つやが宿り、オルドとベルドランドは不味いと判断した。足に力を込めて、跳ぶ。
しかし、その跳躍は届かない。彼らの視界からクロノスの背は消え去った。
「『ここは地下だから、上があるのよね』」
それは今更のような事実だが、彼女にとっては天啓に近い閃きだった。
「やばいぞ、気づかれた!」
「ああ、分かってる! 追いかけるぞ!」
オルドとベルドランドが一番警戒していたのは、彼女が二人を無視して地上を目指す事だった。
クロノスはどういう事情か想像も付かないが、人格だけでなく思考能力も壊滅状態に陥っているとオルドは推測していた。会話は可能だが、理解している風では無く、支離滅裂な喋り方になっているのはまさにその証だ。
だが、オルド達と戦っているうちに、学習をしていった。
相手の反応を理解し、相手の行動を予測し、相手を認識しだした。
となれば、一番厄介なのが、ここが迷宮であり地下で、地上があるという当然の事実を思い付いてしまうことだ。『姿なき存在の呼び声』が発生してから今日まで、彼女は誰とも接していないから、その当然のことを思いつくだけの思考力が無かった。
しかし、自分たちとの接触が刺激となって、徐々に取り戻している。
力も思考力も。出来る事なら、理性を真っ先に取り戻してほしいのだが、いまだに狂気が彼女の背中を押していた。
今のクロノスを地上に行かせるのは危険すぎる。
オルドとベルドランドは両足にありったけの精神力を籠め、距離が開いたクロノスへと飛びかかる。だが、彼らを阻む様に六個の歯車が襲い掛かる。
「くっ、行かせるか!」
吼えるが、体は下へと落とされる。階段を転げ落ち、止まった二人の体に歯車が分解され、絡みついた。
身動きが取れなくなってしまった。
痛む体で拘束を解くのは時間がかかる。
歯車から脱出しようともがく間に、クロノスは階段をフラフラとした足取りで昇る。
その時だった。白い残像が赤い視界に割り込んだのは。
駆け抜ける一陣の風が、誰なのか分かった。
エスラだ。
彼女が単身で階段を跳躍する。その移動速度は一呼吸でクロノスとの距離を半分に縮めた。
続けて、階段へと駆けこんできたのはロータスだ。彼女は倒れているオルド達を目もくれず、引き絞った矢を仰ぎ放つ。
精神力で弦の限界まで引き絞られた矢はエスラを越えて、クロノスの背に届く―――はずだった。
だが、当たる直前、彼女の姿は更に上へと行き、矢は階段に当たり跳ね返った。
外された。
当たる直前で時を止められ、躱されたのだ。どういう目的で放ったのか分からないが失敗に終わったはずのロータスの顔は、しかし手ごたえありという顔をしていた。
「エスラ、やはりそうです!」
「分かった、後は私に任せて!」
それだけを答えると、彼女の姿は消えたクロノスを追いかけ上の階へと行ってしまう。
ようやく振り返ったロータスがオルドの無事を確かめる。
「酷い傷。いま、手当てを」
「大丈夫だ。それより、エスラ一人で策があるのか?」
声の中に不安が混じってしまうが、ロータスは安心させるように言う。
「大丈夫です。作戦はあります。ですが、そのためにお願いがあります」
「この死に体で役に立つなら、遠慮なくこき使ってくれ」
「ありがとうございます。では、この歯車を敵の手に戻さないようにしっかりと離さないでください。ベルドランド班長もお願いします」
オルドとベルドランドは自分の体に食い込む金属の塊を眺め、覚悟を決めて掴んだ。
クロノスは自分の背後に迫る存在に気づいていた。脚力に相当差があるのだろう。秒単位で距離を一気に詰められている。邪魔をするはずの歯車はその前の二人に使ったきり戻って来ない。
今のクロノスにはそれ以上歯車を生みだす事も、操る術も無い。だから彼女は、時間を止めて距離を稼ぐ。
彼女が一度に止められる時間は五秒。インターバルに二秒を要する。
停止した時間の中で動けるのはクロノス一人。彼女は地上を求めて迷宮の中を走る。もっとも、彼女にとっては全速力でも、一般的に見れば早歩きよりも遅いぐらいだ。時が動き出すたびに、背後の気配が近づいて来る。
それでも彼女は振り向かず、前へと歩く。その道の先に、レイが居ると信じて。
レイの顔も、声も、匂いも、何もかも思い出せない。ただあるのは、会いたいという欲求。謝りたいという罪悪感。守りたいという義務感。それらは、本来なら尊ばれるべき感情なのに、負の方向に突き抜けてしまい狂っていた。
自覚のないまま狂った神は進む。
だが、その行く手を阻む様に土の壁がそびえ立った。
その土壁に見覚えがある。通路を塞いだのと同じ魔法だった。行く手を遮られ、ようやくクロノスは後ろを向いた。
「やっと、こちらを見て下さりましたね、女神様」
どこか余裕ぶった口ぶりのエスラにクロノスは神気を濃くする。理屈では分からないが、こうするのが効果的だと気づいていた。
「『邪魔だと何度言えば理解してもらえるのですか。こんな壁、無意味だと言うのに』」
言うと、土壁を手で触れる。途端に魔法で作られた壁は崩れた。しかし、エスラが叫んだ。
「《超短文・中級・土壁》!」
神気の影響下で新式魔法を放つのは精神を著しく消耗する。それを承知でエスラはクロノスの行く手を阻んだ。
「『……そうですか。ならば、仕方ありません。目を抉り、舌を引き抜き、喉を潰せば魔法を使う事も出来ませんよね。ご安心を。レベルを下げればその程度、花を手折るのとさほど変わりません』」
艶を失った瞳がエスラへと向けられる。その深淵の如き色合いに背筋を震わせるも、エスラは呟いた。
「どこに安心できる要素があるっての。でも、これで良し」
前提はクリアした。
彼女は大きく横に飛ぶと、クロノスとの距離を開けた。そして、再び魔法を放った。
「《超短文・中級・土壁》!」
土壁がせり上がるが、今度はクロノスの行く手を塞いだのではない。二人の両側に長い直線となって形成された。それはあたかも二人を直線で繋ぐ通路のようにそびえ立つ。
エスラがこの魔法を多用するのは、自らの戦闘スタイルと相性が良いためだ。どこにでも出現できる土壁は、時には足場となり、時には相手の動きを害する壁となる。今回のように両側に伸ばす事で、相手を逃がさず、尚且つ他者からの妨害もされ難い環境を作れる。
これだけあからさまに道を作れば、相手に手の内がばれてしまう危険性もある。低く身構えたエスラに対して、クロノスは真意を見抜いていた。
超高速移動からの斬撃、あるいは素手による拘束。それが相手の目的だろうと。一度ならず二度、エスラの超高速移動は目の当たりにしていた為、その発想は容易だった。
狂っているような行動をしながらもクロノスの思考は冷静でもあった。
エスラの目的を見抜いた上で、脱出は選ばない。彼女がいくら超高速で距離を詰めた所で、こちらには時を止める事が出来る。むしろ、ちょろちょろと逃げ回るよりかずっと早く処理できると考えていた。
クロノスはエスラが作った一本道を進む。そうする事で、彼女が仕掛けやすい状況を作ったのだ。
「『さあ、早くしなさい。手の内は知れています。来たら最後、確実に仕留めさせてもらいます。レイと会うのを邪魔したことを後悔しながら死になさい』」
挑発の為に声をかける。だが、エスラは動こうとしない。
何かがおかしいと感じつつも、クロノスは距離を近づけていく。時間を止めながら、手のひらで触れれる位置にまで近づこうとして―――。
「―――掛かったわね」
瞬間、自分が得体の知れない力に飲み込まれようとするのに気づいた。足元が発光して動けない。クロノスは床に走る魔法陣に対して時間を止めて回避しようとするが、失敗した。発光現象は強まるのだ。
時間停止に失敗したのではない。
時は確かに止まっている。
ただし、生物の時間だけが。
ロータスが辿り着いた可能性。それは時間停止の権能が、他二つと同じように不完全な状態ではないかという可能性だ。時間を止めるのは確実だが、その止められる時間が、あるいはインターバルが、あるいは対象が不完全ではないかと考えた。
そして実際に試したのだ。
階段に向かって放たれた矢は、閃光弾付きの矢だ。
時間を停止するのを見越して放った矢。本来なら数秒間の閃光が皆の網膜を白く焼くはずだった。ところが、矢は何の変化もしないまま階段に当たり跳ね返った。
もしも、時間停止が無機物にも通じるなら、矢は空中で止まり、動き出してから閃光を放つ。ところが誰も閃光を見ずに矢は落ちた。それが意味する事は一つ。矢の時間は停止していない。
なら、魔法は? 戦技は? そして―――迷宮の罠なら?
時間停止中に罠は起動するのか否か。
そこにロータスとエスラは賭けた。
冒険王曰く、ラビリンスは全ての迷宮の特徴を内包している。それはモンスターも、迷宮の構成も、トラップも。
八階層にて発見された転移のダンジョントラップ。普通ならばこんな浅い層で見つからないが、大迷宮ラビリンスならばあり得る。真面目なカーティスが発見して、起動するかどうか確認までさせたのが功を奏した。
どこに跳ぶのか分からないが、発動すれば確実に迷宮のどこかへ転移させる。
魔法陣を踏ませるために、挑発して苛立たせ、エスラに意識を向かせたうえで道を限定させた。狙い通りに、クロノスは踏んでしまった。
時間を止めた所で手遅れだ。
発光は強くなり、クロノスは白い闇へと包まれ―――唐突に終わりを迎えた時、そこに彼女の姿は無かった。
時間は動き出し、エスラは居たはずのクロノスが消えたのを確認して、その場に倒れこんだ。
「ああ……疲れた。本当に疲れたわよ。……でも、なんとか、なった、わ、ね」
精神力切れから、彼女は糸が切れた様に意識を手放した。だが、その頬は確かな手ごたえに笑みを浮かべていた。
「……と、まあ。これが迷宮で遭遇した事の全てさ」
いつの間にか、雪は止んでいた。頭や肩の上にうっすらと積もった雪の冷たさを感じる事も出来ないほど、レイは衝撃を受けていた。
「俺達があった13神は、時を司る女神クロノス。……お前の知っている神なのか?」
その問いかけに、レイは頷くのが精いっぱいだった。
読んでくださって、ありがとうございます。
申し訳ありませんが、二回ほどお休みを頂ます。
次回の更新は七日、月曜日からです。五月も奇数日投稿をします。




