10-19 探究の賢者
告げられた名前に驚き、レイは隣のシアラへと顔を向けた。彼女も優美な顔を驚きの色に染めていた。どうやら知らない様子だった。二人の反応を愉快に思ったのか、グラッセは小さく唇を歪めた。
「その反応からすると、どうやら知らなかったようだね。まったく、マクスウェル殿も悪戯が過ぎる」
落ち着き払った学長の声に、レイは多少なりとも立ち直った。それでも、動揺は色濃く残り、手に掴んでいたカップを傾ける。飴色の液体が喉を伝う感触で、冷静を取り戻した。
「驚きました。まさか、六将軍の一人が『三賢』と呼ばれる一人だったなんて」
六将軍第一席エラスムス。それはレイも会った事の無い六将軍の名前だ。シアラから、既に六将軍の地位からは退き、フィーニスの元を去ったと言う事は聞いていたが、学術都市にも属しているとは聞かされていなかった。
いや、彼女自身も知らなかったのだから、説明しようが無い。
「『三賢』という二つ名は有名であっても、それの意味まではあまり浸透してはいないですからな。民衆の口に昇るのは、代々の流浪の賢者ばかり。繁栄の賢者は、学長の肩書と共にあるからまだしも、探究の賢者となれば俗世からも離れ、一人で研究を続ける世捨て人同然です。知らなくても無理は無いでしょう」
「第一席エラスムスは、六将軍を辞めた後に『三賢』になったのですか」
「違います。エラスムス殿は、六将軍が設立される前から『三賢』の席に着き、その後魔人へと至り六将軍になったと伺っております。以来三百年、御仁は人々の前から消え、探究の賢者の称号は誰にも引き継がれておりません」
「誰の前にも姿を現していないなのならば、既に死んでいるということも」
グラッセは首を縦に振った。
「その可能性は十分に考えられます。ですが、彼の死が証明されない限り、探究の賢者は彼の物となります。それが、学術都市がエラスムスに対して通すべき筋なのです」
言葉の端々から感じられるのは、同格の賢者に対する尊敬の念だ。繁栄の賢者は、学術都市を存続させ次代に繋げるために、自らの学問を捨てなくてはいけない。
対照的に、探究の賢者は富や名声などに縛られずに、ひたすらに知識を身に着け、新しき扉を開くことに尽力する。対極に位置するからこそ、思う所があるのかもしれない。
「さて、話を魂に関する研究に付いて戻しましょうか。ここ学術都市は、ありとあらゆる知が集まる都。当然、君が欲する知識についても収集されている可能性は十分高いでしょう。これをお持ちなさい」
立ち上がり、黒檀の机の引き出しから何かを取り出すと、それをレイに手渡した。真鍮製の重たいメダルは、何かの刻印が浮かんでいた。
「知を得るには、資格が必要です。本来なら、都に属する知恵ある者達の弟子となり、勉学に励み、口述試験などを経てからでないと文殿は使えませんが、それを使えば、都市の所有する蔵書は全て閲覧が可能となります。文殿に行き、司書に見せれば入館の許可は得られます。それで、目的は十分果たせるはずです」
レイとシアラは揃って感謝の言葉を述べると、グラッセはソファに戻り、身を乗り出しつつ言葉を続けた。
「ここまでは、流浪の賢者から頼まれた学長としての職務です。そしてここからは、『賢者』から託された『三賢』の一人、繁栄の賢者としてお話をしましょう」
「……それは何でしょうか」
尋ねながら、これほど愚かな質問もあるまいとレイは反省する。『賢者』が『招かれた者』である以上、これ以外に何を託すのだ。
「無論、世界救済についてです。『招かれた者』、レイ殿」
一拍開けると、グラッセはどこか遠くを見つめるような眼差しを向けた。
「先代の繁栄から学長の肩書と共に受け継いだ役目。この街に、『招かれた者』が訪れた時、その者を支援するという本来の役目を果たせる日が来るとは。よもや思ってもおりませんでした。これも13神のお導きかもしれませんな」
どこか陶然とした面持ちの男が正気に戻るまで、短く無い時間を要した。我に返ったグラッセは恥ずかしさのあまり咳払いをして誤魔化すと話を戻した。
「それで、レイ殿はどのようにして世界救済を為そうとお考えなのですか。かつて、それに挑戦した方々のように『七帝』を撃破するのでしょうか。それとも、他に何かお考えがあるのでしたら、お聞かせください。いえ、是非とも協力させてもらいたい」
今にも詰め寄らんばかりにぐい、と前に出るグラッセにレイは困ったなと呟いてしまう。
確かに、彼の言う通りレイは『招かれた者』である。
だが、世界救済に対して積極的に考えてきた事はこれまでになかった。自分に世界が救えるとは到底思わず、そもそも『七帝』を倒すというやり方で世界を救えるのか疑問に思っていた。
『勇者』ジグムントや『冒険王』エイリークが旧『七帝』を倒した所で、誰かが新しい『七帝』へと至っている。その謎を解かない限り、倒した所で意味は無いのだ。
「……世界救済に対して、こうするべきだという方法は、何も思い付いていません」
「……なんと、それは……むぅう」
それまで身を乗り出していたグラッセは、レイの告白を聞き思わず脱力し、背もたれに身を投げた。明らかに落胆した様子だ。
「これまでに世界救済に挑戦した人たちは悉く失敗して来ました。まずは、彼らが何故失敗したのか。どうして『七帝』を倒したのに、新しい『七帝』が現れるのか。そもそも、魂の肥大化とは何なのか。それらを解き明かさなければ、世界を救う事は出来ないと考えています」
「……それは真理かもしれませんが、ご理解していますか。その謎は、この学術都市が誕生してから代々の学長が研究者に調べさせていた謎の一つです。残り時間は四年半を切ったのです。九百年かけて解かれない謎が四年半足らずで解き明かせるとお思いですか」
「仰ることは最もです。ですが、それでもこの謎を放置したままでは前に進む事なんて出来ないと僕は考えています」
一瞬、レイとグラッセの視線が激しくぶつかる。しかし、それは本当に一瞬だった。
瞬き一つで剣呑な視線を消すと、グラッセは賢者に相応しい理知的な眼差しを向けた。
「お考え、承諾いたしました。ならば、このグラッセ。学長の名を持って世界崩壊の謎について調べるように研究者に働きかけましょう。ですが、そのためにはやはり、ナタリカ博士、いえカタリナ・マールム殿の知識は必要になります」
グラッセの視線はレイからシアラへと移った。彼女を見過ごすしかないと、彼は暗に言っているのだ。それが通じたのだろう。シアラは頷くも、納得していないとばかりに唇を噛みしめていた。
「では、私主導の研究機関を設立しましょう。これまでは信頼できる研究者だけに伝えていましたが、規模を拡大させ、研究者を集めるとします。もしかすると、意外な角度から真実に辿り着くかもしれませんな」
「それは有り難いですが、その、大丈夫なのですか。世界崩壊に対する研究機関を独自に作ってしまっても」
「問題ありませんとも。そもそも、学術都市が誕生した理由こそ、貴方がた『招かれた者』を支援する為です。レイ殿が、力を持って『七帝』を討ち果たすと仰るなら、そのようにお手伝いするつもりでしたが、知を求めるなら、それに相応しい者達を集めましょう。ここに繁栄の賢者として誓いましょう。私は、君を支援すると。……おっと、もうこんな時間ですか」
時計をちらりと見たグラッセが申し訳そうに告げた。
「そろそろ次の業務に取りかからないといけません。何分、忙しい身でして」
会談はこれにて終わりと言う事だ。
レイとしても、屋敷を購入する許可を貰えたことで、此処に来た目的は果たしていた。
「長々とお邪魔して申し訳ありません」
「いえいえ。今度、食事の機会でも如何ですか? この街に滞在するにあたり、有力者と顔を繋げておけば、後に役立つかもしれませんよ」
「良いですね。機会があれば是非に」
本心では、あまり有力者と会う事で面倒事を背負い込む確率は上げたくなかったが、グラッセの顔を立てて社交辞令を述べた。
グラッセは机に置かれたベルを鳴らす。すると扉が開き、秘書のモランヌが部屋に入ってきた。
「すまないが、しばらくレイ殿の世話係を頼めるかな。彼らがこの街に滞在するにあたり、色々と手助けしてあげてほしい。まずは屋敷だ。レイ殿と話をして、近日中に商人と引き合わせてあげたまえ」
モランヌは畏まりましたと一礼する。レイも、グラッセに頭を下げた。
「何から何までありがとうございます」
「いやいや、気にしないでくれたまえ。君を支援する事は、代々申し送りされてきた事の一環なのだ。……ところで、レイ殿。一つお聞きしたいのだが」
そこでグラッセは言葉を詰まらせた。半開きの口が何度か開閉されたのちに、彼はようやく言葉を捻り出した。
「君は……幽霊に心当たりはあるかな」
「幽霊、ですか?」
あまりにも唐突な質問にレイは目を丸くした。思わず、背後に居たモランヌへと振り返るが、彼女も雇用主の発言に戸惑っている様子だ。
「えっと、モンスターのゴースト系の事ですか」
迷宮の中に、いわゆる幽霊のようなモンスターは存在する。霧状の体で、触れたら生気を吸い取られ、魔法すら放ってくる厄介なモンスターだ。その正体は死した人の怨念、という訳でなく、霧のような体の中に極小の魔石を保有している。霧を吹き飛ばせば、魔石が砕けて死ぬという仕組みだ。
どうやらグラッセの言う幽霊とゴーストは違うようだ。
レイの答えに残念そうに肩を落とすと、
「いや、妙な事を尋ねてしまった。忘れてくれたまえ」
と、言った。本当にそれ以上聞きたい事は無いようだ。
レイは扉の方へと歩いて行き、最後に頭を下げて部屋を後にした。
応接室に戻ると、仲間がレイとシアラを出迎えた。
「お疲れ様でした。学長殿との会談は首尾よく運びましたか」
リザの問いかけにレイは曖昧に頷いた。そして、モランヌの方へと一度振り返ると、
「申し訳ないけど、少し仲間内で今後のことを話したいので、この部屋を使わせてもらえませんか」
と、頼んだ。モランヌは構いませんと告げると、場の空気を察して部屋を後にしてくれた。
リザ達はレイとシアラの話を聞こうと集まる。
「どこから話すべきかな。……まず、学術都市に滞在するにあたり屋敷を購入する許可を貰えた。明日以降、学長の口利きで商人と会う事になりそうだ」
「それは僥倖でござる。宿では罠を仕掛けるにしても、逃走経路を用意するのも難しいですからな」
「後で、どんな屋敷が良いのか、相談に乗ってくれ」
忍びとして様々な屋敷や建物に侵入してきたヨシツネだからこそ気が付く事もあるだろうと考えてレイは頼む。ヨシツネは胸を張って心得ましたと返した。
「それと、僕の魔人化についても話をした結果、魂に詳しい研究者を紹介してもらえることになった」
「それは良かったです。……どうかしたのですか、シアラ? そんな苦虫を噛み潰したような顔をして」
「誰を紹介されたと思う? あのナタリカ博士よ」
「……どういう事ですか、レイ様?」
戸惑う様子のリザに、カタリナが学術都市において魂の研究者として優秀な事と、学長として優秀な研究者の過去は一切問わない姿勢であることを話した。
「それは困ったね。あの人を信用するなんて、とてもじゃないけどできないよ。でも、あの人は『魔王』の娘であると同時に自分も魔人。フィーニスと一緒で、他者を魔人にする事も出来るよね。お兄ちゃんの状態を最も理解できる人って事だ」
レティの言う通りだ。カタリナこそ、レイを助けられる唯一の人材かもしれない。
「だからといって、魔人に頼る訳にはいきません。レイ様には申し訳ありませんが、他の研究者を探すまではフィーニスの呪いは」
「ああ、後回しだ。でも、どこかでカタリナと会って話はしたい。彼女が本当に魂に付いて最も詳しい研究者なら、僕の魂に付いても何か気づくことがあるかもしれない。それに、学長が組織する研究機関に、彼女も組み込まれるだろう。望まなくても、会う事になりそうだ」
「けんきゅうきかんって?」
「世界救済のための組織……って事になるかしら。この街は『招かれた者』を支援する為に設立されて、主様を支援する事に決めたそうよ。それで、主様の唱えた、魂の肥大化や、『七帝』の謎を解くために研究者を集めるそうよ」
困った事になったとレイは頭を抱えたくなった。自分が『招かれた者』である以上、世界崩壊から逃げる事は出来ない。ましてや、自分が本物の御厨玲じゃない以上、帰る場所も無い。
この世界が壊れれば、自分も死ぬだろう。
だからといって、周りの思いに流されるままだと、気が付けば大変な場所に行きつきそうな予感があった。
「テオドール陛下も僕を旗頭にした連合軍を組織しようとしてたな。権力者って、どいつもこいつも勝手だ」
「弱音を吐くのも仕方ないけど、主様も決めなくちゃいけないわよ。『招かれた者』として、どうするのか。どうしたいのかを。……ワタシは、貴方の選択を支持するから」
そう言って、レイの膝に手を乗せるシアラ。潤んだ金色黒色の瞳が、まるでレイの心の奥底まで覗こうと見つめていた。どうしてだか、その視線から逃れられずにいると、咳払いが妙な空気を一掃した。
「……リザ、アンタね」
「さて、何のことやら」
明らかに目線を逸らした姉の代わりに、レティが口を開いた。
「それで、この後はどうするの。屋敷を紹介してくれる商人と会うのが明日以降なら、今日は……というかしばらくは宿暮らし? それとも迷宮にでも潜ってみる? ヨシツネも迷宮は初めてでしょ」
いつの間にか、レティはヨシツネの事を呼び捨てにしていた。リザ同様、蒸気船での戦いを経て彼を仲間と認めたのかもしれない。
「いえ、拙者は前の主に仕えていた時に迷宮を潜った事はあります。とはいえ、それも一、二度程度ゆえ、ほとんど素人と呼んで差し支えありませぬ」
「迷宮に潜るのは地上でちゃんとした拠点が手に入ってからにしよう。まずは武器や防具、それに日用雑貨の修繕から始めようか。場合によっては新しいのを揃える必要もある」
龍刀や精霊剣などの特殊な武器以外は、手入れが必要だ。命を預ける道具なだけに日頃から修繕は欠かしていないが、それでも素人に毛が生えた程度の技術しか持たない。街へと到着しても、日数の関係から本職に任せる事が出来ない事も多い。
武器や防具だけでなく、日ごろから使う調理器具や、衣服や毛布などもほころび始めている。それにこの半年で背が伸びたのか、丈が合わなくなってきている。
どこかで一新する必要があると考えていた為、レイの言葉に一同が頷いた。
「それでは改めまして。レイ殿たちのお世話をする事になったモランヌです。以後、よろしくお願いします」
ぺこりと丁寧な仕草でお辞儀をしたモランヌに皆がよろしくお願いします、と挨拶をする。二度目の自己紹介を終えて、モランヌはレイへと視線を向けた。
「それではレイ殿。本日のご予定、並びに数日間のご予定についてお聞かせください」
「まずは、武器や防具などの手入れをお願いしたいので、鍛冶屋か修繕の専門の店まで案内して欲しいです。そこで必要な物を出したら、次は宿を。屋敷の手配が終わるまでは、そこを仮の拠点とします」
レイの説明に了解しましたと頷いたモランヌは、早速武器や防具、それに金物類の修繕を一手に引き受ける店へと案内を始めた。
再び路面馬車を乗り継ぐこと一時間。
降り立ったのは雑然とした人ごみの中だ。
「この区域は冒険者にとって必須の品が置いてある商店の集合地です」
彼女の説明通り、右を向いても左を向いても冒険者だらけだ。その人垣の向こうでは、冒険者相手に商品を説明したり、客引きをしている商人たちがずらりと並んでいた。
入り口から覗くだけでも、剣だけしか置いていない武器屋や、盾のみを販売する防具屋、あるいは様々な種類の回復のポーションだけを置く店など個性的な店ばかりだ。
「ここはいつもこんなに人で溢れているんですか?」
「いえ、流石にこれだけの賑わいを見せているのは、やはり冬ごもりの期間へと入ったからですね。ご存知の通り、この街の地下は三大迷宮が一つ、ラビリンスが広がっています。難度は最低から最難関までと幅広く、広大な面積と深さを持つことから、どのようなパーティー、クランでも挑戦できます。それゆえ、冬ごもりになれば、多くの冒険者が集まるのです」
つまり、店側にしてもこの時期は掻き入れ時なのだろう。威勢の良い掛け声がそこかしこからする。
すると、モランヌの足が止まった。ようやく、目的地へと到着したのだろう。工房が併設されているのか、奥からは黒い煙と共に金づちを打つ音が響いてくる。
「こちらが、私の知る限り学術都市一の鍛冶師が居ります。あの『鍛冶王』の工房で修業した程の方なので、腕前は保証されています」
テオドールの名前を出されると信頼できる。この龍刀を打った男なのだから。
扉を開くと、店奥に溜まった熱が顔を撫でていく。
「おや、いらっしゃい、モランヌ嬢。親方に用なら、ちょっと待っていてほしいんだけど」
店の中に入ったレイ達に職人らしき男が声を掛けると、その人物と話し込んでいた冒険者も振り返った。
レイと冒険者の視線が交錯し、彼らは同時に叫んだ。
「お前、レイじゃないか!」
「カーティスさん? 『紅蓮の旅団』のカーティスさんじゃないですか!」
名前を呼ばれた狼人族の青年は、歯をむき出しにして笑いかけた。
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次回の更新は3月30日を予定しております。




