10-12 毒を以て毒を制す
視界を覆い尽くす緑色の煙。瞬間、背骨に無理やりナイフを捻じ込まれたような悪寒に口を押えた。
だが、煙が眼球に触れただけで痛みが走った。
毛細血管が音を立てて破け、あっという間に視界が真っ赤に染まる。涙の代わりに血が溢れてくる。
この煙は間違いなく毒。それも猛毒だ。眼球から染み込み、神経を汚染して、脳まで溶かしかねない。
ガシャクラの孫娘は相打ちを狙った。
その可能性を頭から除外してしまった。彼女の一派がこれほど面倒な方法でレティの誘拐を企んだのは、彼女を生かして捕らえたいからだと推測していた。それゆえ、戦奴隷の所有者である自分を殺そうとはしないだろうとみていた。
なんて甘い考えだったのか。
死なば諸共。
目的が果たせないのならば、という強い覚悟が、毒煙を放つ前の相貌に浮かんでいた。
レイは口元を押さえたまま、自分をも取り込もうとする煙に向けて炎を放った。
龍刀から炎が走り、空中に漂う煙を飲み込むとする。だが、炎は煙に触れた途端、連続して爆発を起こした。
爆心地にいた二人は揃って吹き飛ばされた。
一瞬にして部屋の角へと追いやられたレイは、意識が明滅する。秒単位で視界が閉じたり開いたりを繰り返していた。爆発の衝撃ではなく、毒の効果だ。
ほんの一瞬とはいえ、吸い込んでしまった毒素が体を内側から切り刻む。内臓がねじれ、血が逆流するかのような痛みに悶絶する。悲鳴を上げる声すら毒で蝕まれ掠れていく。
僅かに吸い込んだだけでこれなのだ。まともに浴びた敵は即死だろう。
そう思い顔を上げて部屋の反対側に吹き飛ばされた敵を見ると、おかしな事に彼女はまだ生きていた。自分よりも数段苦しみもがいたのだろう。壁際にあった調度品はなぎ倒され、壁も床も一面血に染まっていた。それなのに、彼女は両の足で立っているのだ。
龍刀の一撃もあってか、その立ち姿は幽鬼のようで、いまにも倒れそうではある。しかし、驚くべき事に生きているのだ。
どういう事だと訝しむと、彼女の手から何かが滑り落ちたのに気づく。それが何なのかはここからは見えないが、自らの吐いた血で顔を汚す少女の視線が、自分では無く部屋の途中にある事に気づいた。
爆発が起きた付近に転がる、細い瓶のようなもの。ルビーを溶かした色合いの液体へと彼女はよろめきながら近づいていく。
途端、思い出すのはエトネの蘊蓄だ。
―――「どくをつくるときはね、きちんとげどくざいをつくるんだよ。じゃないと、まちがえてじぶんがうけたとき、しんじゃうからね」
狩人の心構えだと説いていた。その理屈からすると、敵が猛毒を多く吸ったのに動けているのは解毒薬のお蔭だ。そして、ふらつく体を押してまで拾おうとする小瓶はそれか、あるいはそれに関係した何かではないか。
そこまで考えた時、レイは龍刀を床に向けて突き刺した。
炎が床を走る。しかし、狙いが定まらず、壁に激突してしまった。壁が吹き飛びはるか向こうに水平線が見えた。途端、突風が部屋の中を洗っていく。その風はあたかも運命のように、敵の方へと小瓶を転がしていった。
拾い上げた少女は、勝ち誇ったように笑う。
だが、その笑みは直ぐに固まった。廊下を隔てる扉から足音が響いてきたからだ。
二度の爆発ともなれば、異変を察して誰かしら来るだろう。それが自分の味方という確率は低い。そう考えて、少女は転進した。レイが開けた、水平線が見える壁穴へと駆けた。
「その毒は、解毒薬なしでは治療できまい! そこで伏して死ね!」
そう吐き捨てると、彼女はそのまま段差を飛び越えるように穴に身を投げた。
思い切った判断だったが、結果的に正しいと言えよう。部屋に飛び込むなり、精霊剣の光線が逃げる敵を狙って放たれた。あと刹那の躊躇があれば、彼女の腰から上は蒸発していたかもしれない。
「逃しましたかっ! ……レイ様? レイ様!」
部屋に飛び込んできたリザは隅で蹲っているレイに気づいた。急いで駆け寄るも、彼の口から吐き出される血の量に危機感を抱いた。腰に括りつけたポーチから小瓶を取り出すと、急いで口元へと流し込む。
「少量でもいいです。急いで飲んで下さい! 何にやられたのですか!?」
尋ねながら瞳は外傷の有無を確認する。火傷の痕はあれど、致命傷には程遠い。すると、レイはか細い声で告げた。
「どく……どくだ」
「毒、分かりました! レティ、毒の治療を!」
リザが背後を振り返ると丁度ヨシツネに守られてここまで来たレティが部屋に飛び込んできた。彼女はレイの様子と、姉の言葉から何をすべきなのか最適解を導き出す。
杖を引き抜き、意識を集中させる。
花のつぼみの如き唇から紡ぐは修練の証。
「《導きよ、あれ》」
妹の口から出た言葉にリザは状況を忘れて驚いてしまう。
それは旧式魔法を発動する為の宣言だった。
「《昏き沼の毒蛇よ》《汝の牙に宿りし毒を貸したまえ》」
途端、小さな体から多大な精神力が消費されていく。新式魔法よりも精神力を消費する旧式魔法。使い手を選び、使いこなすのに多くの時間を必要とするがゆえに新式魔法に取って代わられた時代遅れの遺物。
だがしかし、それだからこそ秘めた力は新式魔法すら超える事すらある。
「《毒をもって毒を打ち破る》《其はまさに、救済の毒なり》」
最後の一節に到るまで、レティは神経を昂らせ、一気に杖を振り下ろした。
「《ポイズンキラー》!」
唱えられし魔法は、解毒魔法においては上級に分類されている。ありとあらゆる自然な毒は、これ一つで解毒できてしまうという万能の魔法。ただし、欠点はある。毒を持って毒を制すといえば耳辺りは良いが、体を蝕む毒よりも強い毒を一時的に生成し、体内に潜伏する毒を駆逐するという荒療治。生成された毒は短時間で消えるが、それまでは体の中で暴れ回る。
掛けられた側の負担は大きい。治療困難な猛毒を確実に根絶できるが、普通の人間相手には絶対に使えない切り札だった。
しかし、効果はあった。レイの顔色が土気色から戻りつつあった。か細い呼吸がはっきりとしていき、虚ろな瞳に活力が宿る。
「良かった。上手く行ったよー」
「レティ、貴女、何時の間に旧式魔法なんて!?」
へたり込むレティにリザはどういう事だと詰め寄った。
妹は得意げに笑うと、
「えへへ。デゼルト国に居た時に、ミストラルさまから教わったんだ。これから先、色んな状況に対応するには新式魔法だけじゃ難しくなるかもって」
新式魔法の欠点は、対応力の低さにある。事前に体に刻み込んだ魔法しか使えず、覚えられる数にも個人差はあるが限界がある。そのためヒーラーなどは、もっとも多く使うであろう《盾》系や《回復》系に絞って習得してしまう。
その点、旧式魔法は大量の精神力と高い能力値を要求するが、覚えられる数に限界は無い。
「シアラお姉からも教わって、ちょっとずつ増やしている最中なんだ。でも、本番で試すのは初めだから緊張したよ」
そう言ってへたり込む妹を、リザは眩しそうに見つめた。守らなくてはと思っていた妹が、いつの間にか色々と考えて行動していた事に嬉しさを感じていた。
しかし、感傷に浸る暇はなかった。
ぐうう、と。レイの口から苦悶の声が上がったのだ。
再び脂汗を流しつつ、身を捩る主にリザは動揺した。
「レイ様? レイ様、しっかりしてください。レティ、毒の治療は失敗したのですか!?」
「そんなはずないよ! 魔法は成功して、毒も駆除したはずなのに」
手応えはあったはずだと主張するレティに場所を譲る。いつの間にか、部屋の中にはヨシツネだけでなく、エトネやシアラ、それに船の警備や避難していたジムカンタ商会の人間も集まっていた。誰もが部屋の惨状に唖然とし、そして苦しむレイを見つめていた。
レティの必死な声が、川のせせらぎに混じって響いた。
「やっと事情聴取が終わったわ。船長もこちらの事情を汲んで、この部屋の使用許可を下さったわ。もっとも、あれは厄介者を隔離したかったというべきかしら」
部屋に入るなり皮肉を交えて呟いたシアラ。彼女は船長を始めとした主な人間達に一連の出来事がジムカンタ商会を狙ったテロ行為だと説明した。高名な冒険者の名を騙り、近づき、殺してその罪をなすり着ける卑劣な犯行。
もちろん、これは嘘である。状況から考えてジムカンタ商会は《ミクリヤ》を嵌めるために利用されたに過ぎない。だが、それを馬鹿正直に説明する必要なんてない。
もっともらしい理由をでっちあげ、あとは彼女の熱演に皆が騙されてくれた。特に巻き込まれた会長は何か思う所があるようで、素直に受けいれたのが印象的だった。
ともかく蒸気船内での戦闘行為に関しては不問。
その上で一等客室の一室を貸し与えてもらった。
「それで、主様の状態はどうなのよ」
ベッドに寝かされているレイの様子を尋ねると、憔悴したレティが首を横に振った。
「……打つ手なし。蒸気船に乗っている船医から冒険者まで、総がかりで治療を試みたけど、治らないの」
「《ポイズンキラー》でも駄目なんて、そんな事あり得るの。あの魔法は、解毒のみなら最高の魔法じゃない」
毒を以て毒を制す。どれだけ猛毒であっても、解毒方法が確立されていない毒であっても問答無用で治す魔法。体を蝕む毒よりも強力な毒を生成するこの魔法で治せない毒は、理論上あり得ないのだ。
「この毒の厄介な所はそれなんだよ。《ポイズンキラー》で生成された解毒毒を取りこんで新しい毒として蘇るの。だから、一時は弱まっても、また猛威を振るうの。この毒は常に変化しているの。正しい方法で解毒しないと、ずっとこのまま」
「……まるで毒が意思を持っているかのような言い方ね。……その小瓶は?」
シアラの目が枕元に置かれた細長い瓶へと向けられた。先端に針があり、中身は空だ。内側に水滴が残っており、液体が入っていたのだろうか。
「部屋の隅で発見された物よ。レイ様の意識が戻った時に聞けたのだけど、どうも敵がこの毒を解毒する際に使った容器じゃないかと」
「毒使いが解毒薬を用意しているのは当然の話ね。それで、これの再現は出来そうなの」
「無理。もう少し量があれば、分析も出来るけど、ほとんど空じゃ。いまは何が解毒に有効なのか試すしかないの」
言って、彼女は薬草を磨り潰し、配合していく。神経を使う作業だけに集中を乱さないようにシアラはリザだけを手招いた。
部屋の隅で、少女達は密談をする。
「敵の方はどうなったの。空いた穴から飛び降りたと聞いたけど」
「ヨシツネ殿が縄を使って降りた所、階下で窓が割れた痕跡がありました。川に落ちる前に、船の中に戻ったのでしょう。いま、エトネと共に探索中です」
「私達が倒した部下らしき男たちは? 警備に引き渡したのよね」
レイを会長救出に送り出した一方で、リザ達は敵の増援を足止めする役を引き受けていた。その際に倒した者達ならば、敵の動向を知っているのではないかと期待を込めて尋ねた。
「残念ながら、独房内で隠し持っていた毒で自殺しました。レイ様に使用された毒と同じかは不明ですが、小瓶らしきものは発見されていません」
「……最悪ね。解毒薬が他にあるかどうか聞くことすらできないなんて」
「それは大丈夫です。解毒薬らしき物はもう一つ、あるはずです」
「そうなの! ってちょっと待ってよ。どうして、アンタがそんな事を知っているの?」
「小康状態の時にレイ様がお話しに。あの小瓶と同じ物を、脱出した敵は拾い上げていたと」
つまり、敵を捕まえさえすれば解毒薬も手に入るという寸法だ。だが、そう簡単に話は終わらない。ほどなくして、項垂れた様子のエトネを伴ってヨシツネが戻ってきた。
「しくじりました。敵はエトネ殿の鼻を警戒して、自分の匂いをした物をいくつも設置し、こちらをかく乱。その隙に船から降りた模様です」
「もう、ふねのなかにいない」
悔しさを滲ませる二人。この二人が言うのだから、船内に居ないのは確かだろう。
リザが苛立ちから壁を叩く。
「やられました! レイ様を亡き者にすれば奴隷契約からレティが死ぬと、そう踏んで離脱したんです。もう、解毒薬を手に入れる手段は……」
敵が目的を変えたのは明らかだ。リザ達は《トライ&エラー》によって二日目の朝に戻ってきたレイから、殺人の冤罪で拘束され、レティと何故かシアラまで誘拐されるという事実を知った。それを踏まえたうえで、相手の狙いを逆手に取って強襲したのだが、よもや相打ちも辞さない覚悟だったとは。
おそらく、命令の中に誘拐が果たせない場合は殺すようにと含まれていたのだろう。
「このまま解毒方法が見つからなかったら、主様は死ぬしかないの」
シアラの問いかけに、レティは顔を悲痛そうに歪ませた。それで答えは十分だった。
「諦めないで、アンタたち。まだ、打つ手は残ってるわよ」
「どういう意味ですか? まさか、戻るつもりなのですか。でも、戻るにしても、レイ様の意識は覚醒と失神を繰り返していますよ」
この時間軸では事情を知らないヨシツネを気にして小声で話すリザ。《トライ&エラー》を使っても、毒を使われる前には戻れないだろうというリザに、シアラは首を横に振った。
「そうじゃないのよ。主様が毒に耐えれば耐えるほど、向うは焦るはずよ。そうすれば、動かざるを得ない。それまでは焦らずに待ちましょう」
シアラの謎めいているが力強い言葉に、リザやエトネは頷いた。彼女の事だから何の確信も持たずに言うはずが無いという信頼だ。
それが事実のように、その時はやってきた。
夕日が水平線に隠れる間際、扉がノックされた。ヨシツネが開けると、そこに立っていたのは年若い船員だった。刃の柄に手を当てながら、何用かと短く尋ねた。
「お手紙をお届けするように言いつかりました」
そう言って差し出したのは蝋で閉じられた封筒だった。
ヨシツネがシアラに渡すと、彼女は差出人不明の手紙を読み上げた。
「取引の用意がある。今から一時間後に、甲板にレティシアを一人で寄越すなら、解毒薬を渡そう」
読んで下さって、ありがとうございます。




