閑話:冒険王 立志編Ⅷ
夜の山越えは危険だ。木々が明かりを隠して生まれる闇は暗く、湿った土を覆う苔に足を取られかねない。
だというのに、先行する男は昼の野原を駆けまわる様に軽々と超えていく。
トレードマークである中折れ帽子に革のジャケットが作るシルエットを見逃すまいと、エイリークは目を凝らしながら追いかけた。技能を使わず、足に精神力を回して強化することで辛うじてついて行けた。
月が満ちるまでの数日、エイリークはオルタナから魔法の使い方を学び、親父さんからは精神力を用いた身体強化や武器の強化方法を習得した。本人はいやいや、面倒くさそうにしていたが、オルタナにせがまれてようやく、初歩の初歩を教えてくれた。
急ごしらえとはいえ、多少は戦える下地が出来て、その上に《スピリット・オブ・スティール》と三つの魔法があれば頭目相手にも勝ち目があるだろうとオルタナは分析していた。
そして、今夜。デクノから聞かされていた境谷へと進んだ一行の前に、どういう訳か王国の正規兵部隊が現れたのだ。
境谷へと続く道に柵を作り松明を掲げて、ちょっとした陣地や関所めいた物が出来ていた。
遠目からでも物々しい空気を肌で感じ取れる。明らかに軍事行動中だ。
下手に近づけば捕まってしまう。
嫌な予感に胸が締め付けられるエイリークにオルタナが提案したのは山越えだ。急ごしらえの関所を突破する事は可能だろうが、それでは騒ぎが大きくなってしまう。ここは誰にも気づかれずに、警戒の薄そうな山を越えて谷の上から皆と合流するべきである、と。
こうして親父さんが途中まで付き添いつつの山越えが始まったのだ。
肺が苦しい。
成長期に必要な食事を取れない劣悪な環境で育ったせいか、筋肉などはさほどではないが、その分心肺機能には自信はあった。だが、親父さんの背が一向に縮まらないのを見てその自信は砕け散った。時折、此方が付いて来ているか確かめる以外は速度が落ちない。明らかに此方が付いて行ける程度に速度を合してくれていた。
いったい、この人は何者なのだろうか。
親父さんへの疑問が深くなっていると、ようやく先行する彼の背中が止まった。同時に群生していた木々もそこで途切れていた。
横に並べば、そこは切り立った崖の上だ。向こう側までは十数メートルはあり、跳んで渡るには遠かった。
下を覗き込んでいた親父さんは舌打ちすると、
「……嫌な予感が的中したな」
と、つまらなそうに呟いた。エイリークも下を覗き込むと、地の底から微かに剣戟と悲鳴が反響して聞こえてきた。ここからでは薄闇のレースを幾重にも重ねたようにしか下は見えないが、戦闘が始まっているのは間違いない。時折、闇の中に浮かぶのは松明の灯りだろうか。
「王国の追跡部隊だな。どうしてこの場面で現れたのか知らんが、狙いは間違いなくお前の仲間だろうな」
淡々と、事実だけを親父さんは口にした。エイリークは凍り付いたように動かないまま、下から聞こえてくる仲間の断末魔を浴びていた。
「あっち側の入り口だけじゃないだろうな。反対側にも同じように部隊が張ってあるはずだ。前後を塞がれ、左右がこの壁。こりゃ、逃げ場は無いな。間違いなく全滅だ。でも、良かったじゃねえか。これで、お前は仲間を殺さずに済む」
残酷な物言いかもしれないが、これでも彼なりにエイリークを気づかった一言だった。魔法や精神力の使い方を学んでいる時に、それを仲間に、魂で繋がった仲間へと向ける事に抵抗を覚えて辛そうにしていた青年の横顔は彼にとっても印象的だった。
たとえ殺すと決断したとしても、決別したとしても、それを辛いと感じないはずがない。
まだ年若い青年が、これ以上余計な苦しみを背負わずに済んで良かったとさえ思っていた。
これ以上ここに残ってもやれる事は無い。
オルタナを一人で残しておくのも不安だ。
そう考えて動こうとしないエイリークを立たせようと手を伸ばすも、その手は何も掴めなかった。
ぐらり、と。エイリークの体が前に傾き、薄闇へと飲み込まれていった。
落ちる直前、親父さんは確かに聞いた。
「《折れぬ心よ、我が身に祝福を》」
覚悟が、決意が力となってエイリークの体から溢れる。そのまま落ちていく青年に親父さんは吐き捨てるように言った。
「この大馬鹿野郎。なに、好き好んで苦しい方に飛び込んで行くんだ?」
その通りだと、落下していくエイリークは思う。
このまま崖の上で事の成り行きを見守っていれば、あるいはこの手を兄弟の血で染めずに済んだかもしれない。自分に殺されて死ぬという悪夢を見せずに済むかもしれない。彼らがどうなっているのか知らずに済むかもしれない。
だが、それでは駄目なのだ。
これは自分で決着を付けないといけない。
最後まで見届ける必要があるのだ。
重力という鎖に縛られた体は加速していき、地面へと激突した。普通なら足が骨折、悪ければ砕けた骨の欠片が太い血管を突き破ってもおかしくない。だが、技能と精神力で強化された体は軽い痺れ程度に軽減してくれた。
もっとも、暗い境谷に大きな音は響き渡ってしまう。
一瞬だか、闇に隠れた男たちの息づかいが止まり、意識が自分へと集まる事に気づいた。
松明の届かない薄闇の中で白刃が煌めくのが見えた。
エイリークはデクノから奪った剣を引き抜き、自分に向けて振るわれる剣を叩き折る。鉄が鉄を砕く耳障りな音に混じり、兵士は叫んだ。
「新手だ! 崖の上から妙な奴が―――」
言葉は最後まで続かない。エイリークは空いた手で兵士の顔を殴りつけて意識を失わせた。もっとも警告の声は反響して広く伝わってしまった。
シルエットだらけの兵士たちが武器を片手に警戒している。何人かは視野を確保しようと松明の数を増やしていく。
闇が払われ、地獄が顔を覗かせた。
地の底で伏しているのは、年若く、みすぼらしい姿をした者達ばかり。申し訳程度の防具は砕け、手にした武器は粗末の一言。彼らの多くは無念そうに顔を歪ませて転がっていた。
その顔に見覚えがあった。
皆、採掘場から脱出した奴隷達だ。それも自分たちの世代よりも下の世代だ。
地の底で奴隷の子として生まれ、奴隷として育てられ、自由を求めて地上に出たというのに、死に場所が地の底なのは何という皮肉なのだ。
「貴様、何者だ!? この逃亡奴隷の仲間なのか」
兵士の一人が上げた誰何に、エイリークは静かに答えた。
「だとしたら、どうなんだ」
「国王陛下より、貴様等逃亡奴隷は廃棄せよとのお達しである。命乞いは無用。疾くと死ぬが良い」
一方的な宣告に兵士たちが動き出す。エイリークを取り囲む様に半円の陣形を取り、じわじわと距離を詰めていく。
「そうか。処刑じゃなくて、廃棄なのか。俺達は人じゃないって訳か。なら、俺もそうしよう」
言葉と共に一閃。
剣は飛び込んできた兵士の体を斜めに切り裂いた。そこにあった鋼鉄製の防具ごと。
常識外れの光景に唖然とする兵士たちに、死神の声が囁いた。
「お前らは、単なる障害物だ」
そこから先は一方的だ。
エイリークが闇の中で泳ぎ、剣を振るうたびに誰かの命が失われていく。当然、剣は付いて行けないとばかりに折れていく。だが、替えは幾らでもあった。反射的に振るわれた剣を手で受け止めると、持つ人間の腕を取り、関節を極める。痛みで落ちる剣を拾い、止めを刺す。
あっという間に四本の剣を駄目にして、十人を切り殺した。闇の中とは言え、浮足立った兵士相手とはいえ圧倒的な戦果だ。
「い、一度退けぇ! 態勢を立て直すぞ!」
現場指揮官の悲鳴まじりの声を聞いた時、兵士たちは助かったとばかりに息を吐き、そして闇の中を駆けだしていく。無数の足音が反響して遠ざかり、後に残ったのは真新しい血でむせ返る静かな地獄だ。
エイリークは落ちていた松明を拾い、辺りを照らす。兵士たちの死体よりも圧倒的に多いのは、奴隷たちの死体だ。
彼らの苦悶の表情を見る度に、心が切り刻まれる。
彼は一人一人、その顔を確かめていく。
「カンパラ、ほくろ、ウロウロ、オセッカイ、もんくり、ゴリ、オオマル、たんそく、ハガネ、ミミシロ、オイマネ、キミシタ、イビキ、ほんすじ、カシオ、キリ、マサオ、はちのじ、オオフネ、ロウガ」
呟く名前は、人の名前にしては妙だった。
奴隷の子供隊は名前ではなく番号で呼ばれ管理される。そのため、彼らが互いを呼ぶのは相手の特徴や行動、容姿、あるいは音の響きなどで適当に決めた。
兄弟たちの骸を彷徨っていると、風の音に混じって微かな吐息が聞こえた。
間違いない。
誰か生き残りが居る。
「おい、誰か生きているのか! 僕だ、にーにーだ!」
そう叫ぶと、ここだよ、と微かな声が返って来た。エイリークはそちらへと転がる様に走った。
そこに居たのは、壁に背中を預けて座り込んでいるデクノだった。純朴そうな顔立ちは闇の中でも分かるほど青ざめ、腹からは血があふれ出ていた。傍に倒れているネズは、彼を守るためだろうか。全身に刀傷を追って、見るも無残な姿だ。
「ほ、ほんとうに、にーにーなの。にーにー、は、無事なの」
「ああ、俺だ。無理に喋るんじゃない。いま、治療するからな」
彼の傍にしゃがみ込んで、腰に括ったポーチから回復薬を取り出す。オルタナが、もしもに備えて持ってた方が良いと渡してくれた、親父さん特製の品だ。蓋をとり、中の液体を傷口に、そして残りをデクノに飲ませようとする。だが、口の中は血で満たされているのか、苦しそうに赤い物と一緒に吐き出されてしまう。腹の傷も治癒される様子は無い。
回復薬とて万能ではない。
人間の持つ回復力を一時的に増幅するのが主な効果だ。致命傷を治療できるだけの体力が無ければ、効果は薄い。
「皆が、集まった頃を、見計らったように、兵士が来たんだ」
「喋るんじゃない!」
エイリークの言葉を無視してデクノは続けた。まるで、喋りつづけないと命が途切れてしまうかのように。
「アイツら、僕達を一思いに殺さなかった。皆、嗤ってた。採掘場の仇だって言いながら、一人ずつ痛みつけてから殺したり、兄弟同士を殺させて、生き残った方を殺して。遊んでいたんだ」
血に混じって、透明な涙が幾筋も流れていく。彼が見た光景は正に地獄その物だ。
「ねえ、にーにー。僕達、間違ったのかな。僕達みたいな、奴隷は、外にでちゃ駄目だったのかな。あの地の底で、大人しく死んでいれば、こんな風に死ななくて済んだのかな」
その問いに答える事は出来なかった。だが、闇の中から無情な声が飛ぶ。
「そうかもしれないな。お前らにとって、そっちの方が幸せだったのかもしれないぞ」
あり得ない男の登場にエイリークはもちろん、デクノも呆然とした。何故なら、彼は王国の正規兵と共に居るのだ。
兵士たちが列となって並び、その前に野盗の頭目と見覚えの無い男が立っていた。エイリークはデクノを庇うように剣を構えた。
野盗と、正規兵。そのあり得ざる組み合わせに、どうしてこうなったかが理解できた。
「そう言う事か。お前が、こいつらを売ったのか!?」
エイリークの叫びにデクノは息を呑んだ。自分たちを拾上げてくれた人間が、そんな事をするとは信じたくないようだ。しかし、現実は非情である。
「そうさ。俺が密告したのさ。今夜、この場所に逃亡奴隷達が集まるって、この人にな」
言って、視線を横へと滑らすと掲げられた松明の下で周りの兵士とは一風変わった男が立っていた。銀色の髪を後ろに流し、貴公子然とした振る舞いは血腥いこの場所には似つかわしくない。明らかに一般の兵士とは身分からして違った。
「王国の貴族さまさ。そして、おじさんの支援者という訳さ」
「どういう、ことなんですか」
デクノが血を吐きながら尋ねると、頭目は嘲笑を崩さずに続けた。
「簡単な話だ。自由気ままに見える俺達も、実際の所は籠の鳥だ。王国って言う大きな籠の、その持ち主のご機嫌を伺いながら自由に飛んでいるように見せているっていお話しさ。分かるか、坊やたち」
「つまり、そいつに上納金でも納めている訳か。奪った金品を差し出して、身の安全を保障されているのか」
「その通りさ。やっぱり、奴隷共を煽って反乱を成功させただけの事はあるな。理解が早いな。俺がこの方と取り結んだ契約は、取り分の四割を差し出す事と、命令された場所の襲撃さ。そうする事で御目こぼしを頂いているのさ」
犯罪を取り締まるべき側が、子飼いで野盗を飼っているとは。この国の腐敗もここまでかと憤っているエイリークを、貴族はじっと見つめた。
「そうか。貴様が反乱の首謀者なのか。それは実に幸運だ」
「何が、幸運なんだ!?」
「貴様が引き起こした反乱は、他の採掘場にも衝撃を与えた。奴隷が主に歯向かうなど、有ってはならない事だ。その上、逃亡したとなれば、他の奴隷達に与える影響も大きい。そこで、国王陛下は苦渋の決断をなさったのだ。奴隷の大規模な粛清を」
貴族の言葉にエイリークの思考は真っ白になる。
男がつらつらと語る言葉が一向に頭へと入って来なかった。
「反抗的な行動が目立つ成人奴隷を中心に、国営採掘場全てで実行されたが、結果として奴隷の数を著しく減らし、生産力も落ちてしまった。自身が命じたこととはいえ、陛下のご機嫌は悪い。そこで貴様が、反乱の旗手が死んだとなれば溜飲も下がるであろう。当然、討伐した私、アンドリュー・モーガンの功績となる。ゆえに幸運と言ったのだ」
自身の栄達に思いを馳せているのかアンドリューは口元を緩めた。頭目は、そんな帰属に対して、
「モーガン男爵。その時には、俺にもお恵みを下さいよ。あの小僧を見つけたのは、俺なんですから」
「言われるまでも無い。それよりも、早く奴を殺せ。話に聞く通り、技能持ちなら、私の兵隊では荷が勝ち過ぎている。ゆえに、貴様を呼んだのだ」
分かってますとも、と安請け合いをした頭目は腰から提げている鎖を掴む。境谷に鎖が擦れる音が響き、場の空気が火薬庫めいた危険な物へと変わっていく。自然と兵士や貴族らは距離を取り、残ったのは頭目とエイリーク、そして瀕死のデクノだ。
「お前さんの力を侮るつもりはない。だから、初めから全力で行かせてもらう! 《絡み取れ、腐臭漂う泥濘よ》!」
頭目が唱えた途端、辺りは泥が腐ったような臭いで満たされた。
《泥ノ園》Ⅲは自他ともに認める鉄壁の防御技能だ。発動者に対して向けられる物体から速度を奪っていくという能力は、こと戦闘において分厚い防壁だ。その威力は、昨日の戦いにおいて、高位の魔法にすら及んだ点から疑う余地は無い。
結果として自分の首を絞める事になったが、あれは例外中の例外。一度は圧倒した相手に対して、頭目は油断をせずに、慢心をしていた。
それが命取りだ。
自分の眼前に居るエイリークが、あの夜とは違う事に気が付くべきだった。
エイリークの武器を持たない方の手が上がり、その際に服の袖が捲れた。兵士が置いた松明によって僅かに見えたそれは、刺青のように映った。
「《超短文・中級・音波砲》」
聞き慣れない単語の羅列に頭目が怪訝そうにした直後、彼の体を見えない力の塊が通り過ぎた。まるで、直接心臓を殴られたような衝撃に男の意識は大きく揺さぶられ、為す術無く崩れ落ちる。
血管が切れたのか、内臓が損傷したのか、口元から熱い物が自然と零れていく。
「な、なにが、起きたんだ」
自身に起きた事が理解できないと血と共に吐き出した。すると、エイリークが静かに答えた。
「音だよ」
「音? 音が、どうしたんだ」
「お前は自分の力をべらべら喋りすぎた。確かに、親父さんの魔法すら減速させたのは驚いたが、同時に自分の弱点も教えていたんだ。自分に向かってくる物なら、全て減速でいるってのは、お前の勘違いだ」
エイリークの指摘に頭目はあり得ないと首を振る。これまでに幾度も自分を守った技能に絶対の自信があった。《泥ノ園》は不抜の盾である。
だが、エイリークは盾の弱点を見抜いていた。
「だから音だよ。お前の言う通り、自分に向かってくる物を全て減速できるなら、声だって遅れてるはずだ。でもそうじゃなかった。技能を発動した時、お前は俺の言葉に直ぐに反応した」
声とは波である。発した側から受信する側にまで空気や、あるいは物体を伝播して伝わる。仮に、《泥ノ園》が波すら減衰させるなら会話にタイムラグが存在したはずだが、その様子は無かった。もしかすると、あれで減衰されている可能性もある。物体の移動する速度よりも速い音速では、減衰しているように感じないのかもしれない。
どちらにせよ、《泥ノ園》発動中でも、音は届く。それが重要だった。
エイリークはオルタナから受けとった三つの術式の一つを、音が武器になる魔法にした。
安城琢磨の生きた時代に音響兵器という物がある。
放射状に広がる音の波形を一定方向に絞り、対象人物に対して高音量を浴びせる非殺傷兵器だ。それと比べれば、エイリークの使った魔法は十分な殺傷能力がある。
一点に絞った音で肉体に損傷を与える。説明を受けた時は半信半疑だったが、成功した以上認めるしかない。
「馬鹿な! お前が、魔法だと。あれから、一週間も経って、いねえ。それなのに、魔法なんて、ありえねぇ」
「全くもってその通りだ。あり得ない事が起きたんだ。……いま、止めを刺してやる」
エイリークが倒れて動かない頭目へと近づこうとすると、背後から弱々しく待ってと声が掛かった。デクノだ。
「デクノ、止めないでくれ。こいつは、この外道はきっちりと殺す。そうしないと、ネズが、皆が浮かばれない」
「違うよ。にーにー、これを」
振り返るとデクノは小ぶりなナイフを差し出した。それは、エイリークが鍛冶屋の親父から貰ったナイフだった。デクノを刺した後、彼が持っていたのだ。
「これで、お願い」
今にも消えそうな弱々しい声なのに、瞳は力強かった。彼の中で燃え上がる炎はエイリークの中で渦巻く感情と同じだ。互いの怒りが一本のナイフを伝わって混じり強くなる。
「くそ、くそ、くそ。奴隷が、奴隷風情が! 男爵、男爵! 黙って見てないで、助けろ。おい、てめぇ、俺を、見捨てる気か!?」
エイリークが近づくにつれ、頭目は口汚く叫ぶ。血が地面を赤く濡らし、エイリークの爪先を染める。
彼が最後に見た光景は、青い満月を背に、ナイフを振り下ろした男の姿だった。
僅か一突き。
正確に喉を裂いたエイリークは、ナイフにべったりと付いた血を拭った。
そして、傍観していたアンドリューの方を睨み付けた。兵士の壁に守られた貴族は視線を悠然と受け止める。
「どうして手を出さなかった。こいつは、アンタの協力者じゃないのか」
「協力者だとも。だが、使い捨ての利く駒に過ぎない。兵士が死ぬ方が、損失は大きい。軍事行動とはいえ兵士が一人死ねば、その家族に対して見舞金を出し、新たに募集を掛け訓練しなくてはいけない。全て自費だ。君に殺された分で、実の所赤字に近いのだよ。無理をしてまで、彼を助ける理由はない」
「……どこまでも利己的な奴だな。自分にとって役に立つかどうかで判断しているのか」
批判にアンドリューは態度を変えない。
「それの何処に問題が? その理屈で言えば、君は十分に役立つ存在だ」
どういう事だと訝しむエイリークにアンドリューは僅かに興奮した様子で捲し立てる。
「今のは何だい!? あれは、魔法なのか。聞いた事も無い短い詠唱に加えて、君が魔法を使えるとは彼から聞いていない。だとすると、この数日の間に習得したのだろうが、それは現行の魔法体系ではあり得ない習得速度だ。ずばり新しい魔法だろ、今のは。それも君が編み出したのではなく、誰かが君に授けたと見た」
ぺらぺらと口が回る男だと呆れる一方で、頭も回るなとエイリークは男を評価した。頭目がやられるのを黙って見ているのではなく、僅かな会話から分析をしたのだろう。オルタナの存在まで看破したのだ。
それは親父さんが最も懸念していた事だ。
「ふふふ。やはり、私は幸運だ。よもや、反乱奴隷の討伐ごときで、この様なお宝に出会えるとはね。その力、詳しく聞かせてもらおう」
「……俺が、易々と話す人間に見えるか?」
「いや。だから、こうさせてもらおう」
アンドリューの合図に兵士たちが武器を構える。
先程まで相手していた兵士たちと比べれば、随分と鍛えられているがそれでも脅威とは言えない。まだ《スピリット・オブ・スティール》は発動中だ。彼ら全員を相手しても余裕はある。
だが、アンドリューは闇の中で不敵に笑う。彼の視線はエイリークを越えて、その向こうに居る存在へと向けられた。
つまり、デクノだ。
しまったと叫んだのは全てが手遅れになってからだ。
闇の中を泳ぐように何本もの矢が動けないデクノに迫る。一瞬で彼を覆うように移動したエイリークの背に矢が突き刺さる。だが、全てを受け止めきれたわけではない。
とすん、と。
デクノの左胸から生えた様に矢が突き刺さる。それは深く、深く、根元まで突き刺さった。
一瞬、二人の間に悲痛な沈黙が生まれ、それを破ったのはデクノの口から吐き出された血の塊だ。
「デクノ! しっかりしろ、デクノ!」
自身の背にある矢を無視して、エイリークは叫んだ。だが、デクノは答える事も出来ずに滝のように血を流す。
兄弟の肩に触れれば、彼の体に温もりは欠片も残っていなかった。血管に直接氷を流し込んだかのような冷たさに、エイリークは悟った。これまでに幾度も見てきた、死への旅路に一歩踏み出した人間特有の冷たさだ。
「にー、にー。そこ、居る?」
「ああ、居るとも。俺は此処に居るぞ!」
エイリークは兄弟の体を抱き締め、耳元で叫ぶ。彼の命を何処にもいかせまいとしていた。しかし、デクノはエイリークの呼びかけに反応しなかった。
「もう、なにも、きこえない、みえない、よ。ここは、まっくら、だね。さむい、よ」
「もう喋るんじゃない! 俺は、此処に居るぞ!」
なおも喉を枯らせんとばかりに叫ぶが、やはり届かない。デクノは傍にエイリークが居ると信じて語りかけた。
「ねえ、にーにー。僕たち、まちがって、たのかな。どれいのこどもが、じゆうを、もとめちゃ、だめだったのかな。……あの、らせんのなかにいれば、よかったのかな。どれいは、にんげんに、なれないのかな」
そんな事ない。そう叫びたかった。しかし、現実はどうだ。エイリークを除く、多くの兄弟たちは厳しい逃亡の果てに死ぬか、道を踏み外してしまった。そればかりか、自分たちの行動が他の奴隷達も悲惨な目に遭わせていた。
本当に反乱は正しい事だったのか。エイリークは自らの行動に疑問を持ってしまう。
言葉に詰まり、何も言えないでいると、
「あ……きみは、くろまる。それに、みんなも。なんだぁ、ここに、いた、ん、だ」
「……デクノ? デクノ! デクノ!!」
彼が呼びかけに答える事は二度と無い。命の温もりは完全に消え去り、ただの肉の塊となった兄弟を横たわらせた。薄く開いた瞼を閉じて、エイリークは兵士たちを睨む。
「実に悲しい光景だった。涙を誘う。王都で人気の演目に負けず劣らずの物を見せてもらったよ」
「黙れ、アンドリュー。お前は、此処で殺す」
憎悪が彼の中で力となって還元される。一歩踏み出す度に、《スピリット・オブ・スティール》が生み出す力は増して行き、このままではエイリークを内側から破裂させかねない。
ところが、あと数歩で兵士に届くと行った所で、ぐらりと視界が傾いた。
足を止めて、ふらつく頭を押さえるも、視界の揺れは止まらない。明らかに異常な状態だ。
「やっと効いてきたか」
アンドリューの呟きにエイリークは自身に何が起きたのか理解した。
「さっきの矢に毒が塗ってあったのか」
「その通りさ。君は生きたまま捕らえさせてもらう。そして、全てを吐いてもらうよ。その魔法についてね」
兵士がエイリークを取り囲み、じっくりと時間を掛けて追い詰めようとする。彼らは毒で動けなくなるまで手を出すつもりはないようだ。
毒は着実にエイリークの体を蝕む。魔法の事を聞きだしたいからか、命を危うくする類の毒ではないが、それでも体が動かせなくなる。立っているのも厳しくなり、膝を突いてしまう。
頃合いだろうとアンドリューは兵士たちに確保するように命じた。
輪が小さくなり、槍を向けられるエイリークは、最後の賭けに出た。
「《超短文・中級・衝撃波》!」
地面に向けて放たれた魔法は拡散され、周囲を一掃した。
「こいつ、まだ魔法を使えるだけの余力が!」
予想外の反撃に慌てふためくアンドリューに向けて、三つ目の魔法にして、頭目に対して用意していた切り札を使った。
「《超短文・中級・引力》!」
魔法は正しく発動される。兵士の壁に守られていたはずのアンドリューは、見えざる巨人の手に掴まりエイリークの方へと引きずられる。
これこそ、頭目に対して用意した切り札。音の魔法で仕留める事が出来なかった場合、相手に向けて放つのではなく、相手を自分の方へと引き寄せる、逆転の発想だ。
毒によって狙いを付けるのもままならず、近づくことすらできないエイリークにとって、これが最後の好機。
頭目の命を吸ったナイフを握りしめ、距離を縮めるアンドリューに向けて振り下ろした。
「ぐうぅう!」
苦痛は短く、手応えは浅い。
刃が顔に突き刺さる直前、アンドリューは持てる力の限りを振り絞って体を捩じった。ナイフの先端は、男の顔を斜めに裂くに終わる。
それで、持てる力の全てを振り絞ったエイリークは地面へと崩れ落ちた。同時に、魔法の効果が切れたアンドリューも地面へと転がった。
兵士たちが主の元へと殺到し、起き上がらせようとするが男はそれを煩わしそうに振りほどいた。
「ええい! この程度かすり傷だ! 離れろ、離れろ!」
新しい傷から流れる血もいとわず、歯をむき出しにして吼える男の姿はとてもじゃないが貴族には見えない。辛くも生き延びた反動からか、アンドリューは興奮ぎみに叫ぶ。
「貴様等、なにをぼさっと見ている。早くそいつを拘束して、撤収の準備だ!」
命令に、兵士たちは動き出した。倒れている仲間へと手を貸して、エイリークを拘束しようと近づく。だが、それを止める声が文字通り、真上からした。
「悪いが、そこまでにしてもらおうか。そいつはこっちで預かる」
声に全員の視線が上へと向けられ、驚愕に彩られる。
切り立った崖の間に挟まれる境谷は、中空に何もない。橋はおろか、縄だって掛けられていない。だというのに、彼らの頭上に一人の男が浮かんでいた。
中折れ帽子を目深に被り、革のジャケットを羽織る男は、そこに透明な階段でもあるかのように降りてくる。その異様な姿に兵士たちは動揺を隠せなかった。
「その姿。奴が言っていた凄腕の魔法使いとは貴様の事か」
「奴ってのが誰の事か知らないが、凄腕という評価は有り難く受け取っておこう」
アンドリューは事前に頭目から男について聞いていた。雨雲も無しに天から夥しい数の雷を降らせ、それを全て操ってみせたという怪物。その登場に、場の空気は飲まれていく。
「凄腕である一方で、人を殺す事は出来ないと聞いているが」
「その情報は間違っていないな。確かに、人を殺す事は出来ない。だが、殺さずに人としての機能を失わせる事ぐらい造作も無いぞ」
地面へと降り立った男の言葉が大げさでも何でもない、事実なのは伝わってくる。魔法使いというだけでも兵士の士気は下がっている。これ以上欲を掻けば、全てを失うとアンドリューは決断した。
「撤退だ。全員、この場より速やかに撤退をせよ。動けぬ仲間を回収。装備などは諦めろ」
命令に兵士たちは速やかに従う。統制のとれた動きに親父さんは意外そうに呟いた。
「見た目よりも思い切りがいいな。もう少し足掻くのかと思ったぞ」
「足掻いて勝ち目があるのなら、いくらでも足掻くさ。……だが、忘れるな。貴様等の持つその魔法は、必ずや私の物としよう」
そう告げて、アンドリューは部下を率いて闇の中へと消えていった。
親父さんは、貴族の目に宿る執念に嘆息してしまう。
「結局、一番厄介な結末に終わった訳か。兄弟は全滅して、オルタナの魔法が国に知られてしまった。こいつは厄介だな」
面倒になったともう一度ぼやくと、倒れているエイリークへと近づき、彼の状態から使われた毒を判断して回復の薬を与えた。
効果は覿面。あっという間に体を蝕んでいた毒は消えた。
エイリークの瞼が震え、ゆっくりと持ち上がると、彼は周りを見渡した。
「親父さん? 俺は……あいつらは!?」
「もう逃げたぞ。どら、動くな。背中の矢を治療してやるから、じっとしてろ」
親父さんは今にも立ち上がりそうなエイリークを押さえつけて、背中の治療を始める。その間、エイリークは辺りをじっと見つめていた。
死んだ兄弟たちの亡骸を、目に焼き付けるように、瞬きすら忘れていた。
傷口に回復薬を塗り、包帯で巻いて治療は終わった。
「これで良し。さあ、ここに長居する理由は無いだろ。流石に、あれだけこっぴどくやられたから直ぐに追っ手が来るとは思わんが、それでも急ぐぞ」
言って、魔法で崖上へと戻ろうする親父さんに対してエイリークはその場を動こうとしなかった。さしもの親父さんも苛立ちを隠そうとせずに、
「おい。これ以上、俺達に迷惑を掛けるつもりなら、流石に黙っているつもりはないぞ」
徐々に怒気を膨らませる男に対して、エイリークは静かに言う。
「……すいません。こいつらを、埋葬する時間を下さい」
言われて、親父さんは意表を突かれたように言葉に詰まった。残された松明が、地面に転がっている骸を照らす。このまま、彼らを放置すれば野犬などに食い漁られるか、このまま朽ちるかのどちらかだ。戻ってきた王国の兵士が埋葬するはずもない。
親父さんは、何度目かになるため息を吐くと、崖の根元へとしゃがみ込んだ。
自分は手伝わないが、好きにしろと言う意思表示だ。エイリークはありがとうございます、と告げて、兵士たちの手荷物にあった折り畳みのシャベルを拝借して地面を掘る。
崖に挟まれた地の底は、石や岩に埋め尽くされ、その下の地層も固かった。だが、エイリークは手を止めることなく、人が一人埋まる穴を人数分揃えた。そこに一人ずつ、兄弟たちを丁寧に埋葬していく。解毒されたとはいえ、負傷している体。ましてや埋葬しているのは自分の兄弟たちだ。肉体、精神、その両方を著しくすり減らせる作業を、彼は見事やり切った。
いつの間にか、空の色は変わっていた。明らむ空は、だが左右の崖によって形を狭まられていた。おそらく、境谷の底に太陽が当たる時間は僅かなのだろう。兵士の死体が転がっているのを差し引いても、辺りは陰鬱な空気が漂う。
採掘場の底と同じだ。自由を求めて飛び出した兄弟たちの眠る墓が、こんな場所になるのは何と言う因果なのか。
全てが終わったのを見計らい、親父さんが声を掛けた。
「気は済んだのか」
「……はい。迷惑を掛けました」
謝りながら振り向いた男の顔を、親父さんはまじまじと見つめた。その視線に気づいたエイリークは不思議そうに尋ねた。
「俺の顔に、何かついてますか?」
「いや、そうじゃない。てめぇの事だから、少しは泣いているんじゃないかと思ってな。だが、涙が通った痕は無くて、ちと意外だと思ったんだ」
魂で繋がったと豪語する相手の死に、涙を流すのは人として当たり前。そう考えていた親父さんにエイリークは首を横に振った。
「泣きませんよ。泣いたら、こいつらが殺してきた、奪われてきた人たちが浮かばれない。何より、俺にこいつらの為に泣く資格なんて無い。俺はこいつ等を殺そうとしたんだ」
男は涙の代わりに、兄弟たちの墓前に対して誓いを立てる。
それは自分の無力さと、浅慮が招いたこの結末を忘れないために。
「俺はお前らに誓う。奴隷が、人になる事が出来る。そんな当たり前の世界にしてみせる。絶対にお前たちの死を無駄にはさせない―――させてたまるか」
その誓いは、『冒険王』エイリーク・レマノフが突き進む原動力となる。
彼は、この世界に深く根付いた奴隷制度を、そしてそれに纏わる意識を変革する為にありとあらゆる手段を駆使する。そのために必要なら―――世界を救う。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回で閑話終了です。




