閑話:冒険王 立志編Ⅸ
流麗なる音楽の調べが空間を一層華やかな舞台へと引きたてる。並べられた調度品の数々は一般庶民が額に汗をかいて働いても届かない品ばかり。私こそ主役であると言わんばかりに着飾った貴婦人たちを相手するのは、洗練された紳士たち。
ここは王国の社交場の一つ。
とある貴族が自らの邸宅を解放してパーティーを行っていた。夜の街を切り裂く様に眩い明かりが辺りを照らし、飾り立てた馬車が幾台も滑りこむ。上等な酒が次々と空けられ、冷めた高級料理が手つかずのまま捨てられていく。それを羨ましそうに見つめる浮浪者たちは警備の手で排除されていた。
そんな人の強欲が圧縮されたような場所で一際耳目を集める男がいた。
銀の髪を後ろに流し、威風堂々とした佇まいは貴族であると同時に騎士であることをうかがわせる。女は花で男は密に群がる蜂と例えられる社交場においては珍しく、青年に対して多くの女性たちが群がり、愛想よく笑いかけていく。
一つの花を巡り女が殺到するという逆転した構図を面白くなさそうに周りは見つめていた。
「何者なんだい、あの男は。あまり、こういった場で見かけない奴だが」
「知らないのか。アイツがアンドリュー・モーガンだ」
「アンドリューというと、この前の逃亡奴隷の一件で名を上げた奴か。陛下からお褒めの言葉だけでなく、直々に勲章まで与えられた」
「そうだ。あの一件は陛下の悋気に触ったからな。奴隷が反乱を起こすとは何事かって」
王国は奴隷によって支えられている国だ。
貴重な鉱石が取れる採掘場の実行は奴隷によって行われ、他の水産、畜産、農業やそれらの加工などにも大勢の奴隷が投入されていた。その支配管理は徹底されていて、水が漏れる隙間も無いほど鉄壁だった。そんな支配制度に風穴を開ける事態が起きた。
国営の採掘場で起きた反乱だ。
管理していた兵士と貴族は全滅。数百人規模の奴隷達が逃亡するという一大事に上層部は揺れに揺れた。この責任を取る形で、幾人もの貴族が物理的に首を落とされ、家が取り潰された者も出た。
そして、苛烈で知られる国王は全ての逃亡奴隷を廃棄せよと命令を下したのだ。
とはいえ、広大な国土において逃亡奴隷をしらみ潰しにするのはあまりにも手間であり、失敗すれば国王の逆鱗に触れる。
成功すればリターンは大きいが、失敗した時のリスクも大きい。誰もが嫌厭する仕事を、進んで請け負ったのがアンドリューだった。
爵位を継いだばかりの若造は、見事に期待に応えた。
逃亡奴隷一人一人の足取りを追跡して、自ら実地に赴いて指揮を執り、二百を超える逃亡奴隷を発見、処刑したのだ。その功績を持って、彼はつい先日勲章と領地の拡張を与えられた。
更には、国王自らが主宰する庭園会にも招かれたという噂があった。
「機を見るに敏は女なり。出世街道に乗った男へ唾を付けようと鼻息荒く突っ込んでいるということか」
「まあ、仕方ないさ。勲章に、領地の拡張。おまけにほれ、あの傷」
男は青年の秀麗な顔に走る傷を指差した。
「あの傷がどうかしたのか」
「若い女には、あれが魅力的に見えるそうだ。奴隷の反撃にあうも、見事に討ち取った名誉の勲章だとさ」
歪な、生々しい傷跡は男の美しさを損なわせず、むしろ引き立たせていた。完璧な美術品がワザと歪められたかのように、完璧でない分、完璧を上回っていた。
すると、音楽の切れ間を見計らったように人垣から歓声が上がる。何事かと一同がそちらを振り返った時、皆魂を抜かれたような衝撃を味わった。
艶やかな薄紫色の髪は神秘さを携え、整った美貌は古の女神たちをも凌駕し、瑞々しい肢体を惜しげも無く曝け出した赤いドレスは彼女の情熱を表しているのか。
彼女が一歩踏み出す度に場の空気は、彼女の色へと塗り替えられていく。それだけの魅力を持った女性だ。
「おいおい! あれって、ムルリエ・プルクラ様か!?」
それまでアンドリューへと僻むような視線を向けていた男は、打って変わって欲情した、熱っぽい視線を彼女へと向けていた。だが、それは周りの男たちも同様だ。会場の反対側だというのに、そこまで彼女の色香は届いていた。否、会場全てが彼女の底なしの色香に落ちていた。
「あ、ああ。間違いない。遠くからお姿を見た事があるが、間違いないぞ。あんな見ているだけで、いや、一緒の空間に居るだけで果てそうな女、一人しか知らねえよ」
口々に興奮する男たち。それは女であっても同じだった。
性の区別なく、人ならば欲情を掻きたてずにはいられない女性は、視線を一身に浴びても堂々と、優雅な仕草で給仕から受け取ったグラスを傾ける。彼女を間近で見てしまった給仕は、その場で崩れ落ちた。
自身が登場したことで起きた出来事に露とも気に留めず、ムルリエは一人の男を真っ直ぐと射抜いた。
会場の反対側に居る、アンドリューを。
アンドリューは彫刻のように固まった女性たちを掻き分け、ムルリエの方へと近づいていく。彼女は近づこうとしない。あくまで、男の方が自分に近づくという状況を作り上げた。
「失礼。ムルリエ・プルクラ様でいらしますか。私は―――」
と、一礼と共に名前を告げようとした唇を白い指で押さえつけられる。
面喰ったアンドリューに、ムルリエはまるで童女のように笑いかけて、
「存じ上げていますわ。アンドリュー・モーガン様ですわね。私、貴方に興味があって来たの。一曲、踊って下さらないかしら」
そう言って、唇から離した自分の指先を真っ赤な紅で彩られた唇に当てて、蕩けきった笑みを浮かべた。
白い肢体が明かりを落とした室内で艶めかしく蠢く。全身から立ち上る色香だけで昇天してしまいそうだ。どこを触れても肌は瑞々しく、柔らかく指を押し返す。たわわな乳房は完璧な曲線美を持っており、これを型として作った皿でもあれば、それは歴史に名を残す美術品となるだろう。
社交場で見せた童女の如き無垢な笑顔は何処へ消えたのか。上擦った喘ぎ声を放つ口元は淫らな笑みに彩られていた。
何と淫欲な女性なのか。
寝室へと連れ込まれてからどれだけの時間が過ぎたのか。一向に終わりが見えない
自分は幾度も果てたというのに、彼女は満足していないのか上へと跨り髪を振り乱す。
騎士として鍛えた自分よりも一回り小さいはずなのに、自分が貪られているような気分だ。
全てが完成された美しさのムルリエが急に顔を寄せた。唇を合わせて舌を押し付け合うと、ようやく行為に終わりが見えた。
アンドリューの胸板に倒れこんだ彼女は、玉のような汗をかいていた。それすらも宝石のように男には映った。
甘い香りのする荒い息遣いも落ち着くと、ムルリエは恥ずかしそうに笑った。先程までの淫欲に塗れた姿との違いにアンドリューは脳天が痺れてしまう。
「うふふ。恥ずかしいわね。私、こんな風に乱れないのに。きっと、貴方のせいなんだわ」
胸板の筋肉をなぞるように指が這う。その感触だけでも天に昇る気分だ。
「喉が乾いちゃったわ。お酒、取って下さるかしら」
「あ、ああ。どれでもいいかい」
甘えた声で縋るように言われ、アンドリューは足がふらつくのを誤魔化しつつ立ち上がった。途中の椅子にあったガウンを羽織り、寝室にあるバーカウンターから酒瓶を取ってグラスに注ぐ。ムルリエもシーツを体に巻き付けてベッドに座るとグラスを受け取り、合わせた。
「未来の大貴族様へ」
「随分と気が早いですね」
「あら? そうかしら。だって貴方ってば、国王陛下から直々に勲章を授与され、庭園会に出席できるのよ。相当気に入られた証拠よ」
「買いかぶり過ぎです。たまさか、上手く行った功績に過ぎません」
謙虚な言葉を口にしたが、アンドリューは内心で気をよくしていた。彼女の言う通り、自分の未来は開けたも同然だ。国王を始めとして軍務尚書などからもお褒めの言葉を頂き、今夜のようなパーティーへ誘いを幾つも受けていた。
数か月前までは想像すら出来なかった栄誉。
それもこれも、今回の一件が上手くいったからだ。
だが、それに胡坐をかいていてはいけない。幸運で掴んだ出世への道は、同量の不運で直ぐに消えてしまう。
ここからが正念場である。何より、今の自分にはさらに飛躍できる情報があった。
ずきり、と。思い出すと疼く傷跡。貴族であるアンドリューは、金さえ出せば手に入る上等な回復薬で傷跡を消す事を、あえてしなかった。屈辱と、栄達への道しるべとして残したのだ。
この傷を付けた逃亡奴隷たちの指導者。自分よりも若い青年は、技能を持った上に、魔法すら扱えていた。それも、通常の魔法とはまったく違う系統の魔法である。
古来より使われている魔法とは違う、新種の魔法。
アンドリューは、この事を誰にも話さずに居た。目撃者した兵士を金で黙らせ、あるいは人を雇って口封じをさせていた。
理由の一つとしては、逃亡奴隷の指導者を逃がしたという事実を国王の耳に入れさせないため。それが知られたら、自分の評価は一気に地に落ちる。もう一つは、あの魔法を独占するためだ。
子飼いだった野盗の頭目が口にしていた話が事実なら、あの男は少し前まで魔法の欠片も使えなかった元奴隷なのだ。
それがどうだ。三種類もの高度な魔法をいとも簡単に繰り出し、その詠唱は驚くほど短い。
魔法において問題とされる、習得の難易度の高さと、発動する為の詠唱の長さ。
この二つを改善したあの魔法は、驚異的な技術だ。
あれが欲しい、と部下に連れられて逃亡したアンドリューは思った。
人の世を進化させてきたのは技術だ。
鉄の発見が、車輪の誕生が、文明を進化させる。
あの魔法もそれらに匹敵する力だ。それもより実践的な力だ。
仮に、あの奴隷と同じだけの戦力が百人揃えられれば、この地上において指折りの部隊となるだろう。それこそ、傭兵業を営む魔人種をも越えられる。
それをこの手に独占できれば、自分はこの国で絶大な権力を得られる。
それこそ、望めばあの苛烈な国王が座る場所にすら手が届くかもしれない。
アンドリューが自らのバラ色に輝く未来予想図に悦に浸っていると、ムルリエが蠱惑的な吐息を零して、
「それで……お話を伺えるかしら。貴方が取り逃した逃亡奴隷に付いて」
と、切り込んだ瞬間、男の未来予想図は音を立てて崩れた。それまで体を取り巻いていたふわふわとした、それこそ天上から滴り落ちた至福を味わっていた男は一転して、地の獄へと落とされたように体は芯から凍り付く。
この女は何を言っているのだ。
「な、何のことでしょうか。私には覚えのない話ですな」
「あら、誤魔化さないでくださるかしら。これでも、私の手は長く、どこまでも届くのよ。この国で起きた事は、大概知っているの」
鈴が鳴るように笑うムルリエだが、アンドリューは眼前の美女が悪魔めいた何かにしか見えなかった。確信をもった口ぶりは、間違いなくあの逃亡奴隷の事を、あの場で起きた事を知っている。
どこから情報が漏れたのだと考えを巡らしていたが、ぐらり、と視界が揺れた。軽く押されただけでアンドリューの体はベッドに横たわる。
四肢に力が入らず、ムルリエがガウンの前を開くのも黙って見つめるしかできない。不自然な状況に、一つの可能性を思いつく。
「ま、まさか、この酒に、薬を」
呂律が回らないなか尋ねると、彼女は可笑しくてたまらないとばかりに笑った。そして、はだけた胸元に向けて、手のグラスを傾けていく。黄金色をした酒が垂れ、男の胸元を汚していく。その冷たさも、いまのアンドリューには鈍くしか伝わらない。
「くすくす。お酒には何にも入ってないわ。もちろん、グラスにもね」
それを証明するように、彼女の舌は男の胸板を這い、酒を舐めとる。どういう訳か、その感触だけは、彼女が触れている部分だけは焼けたナイフを当てられたように熱くハッキリと伝わる。
「貴方はもう、私の快楽の虜。この淫獄からは逃れられないわ」
そう言って纏ったシーツを剥いだ。青い月光に彩られた裸身は、この世の物とは思えない淫靡さを放つ。見つめているうちに、アンドリューの思考に靄が掛かっていく。
もう、何も考えられない。この快楽に身も心も捧げたい。
「そう。それでいいのよ。何もかも委ねてくれるのなら、貴方にはこの世における最上の快楽を味わせてあげるから」
その言葉に嘘は無かった。アンドリューは、この世の物とは思えないほどの快楽を味わい、精も魂も尽き果て、何もかも絞り尽くされていた。息は掠れ、辛うじて生きていると言った状況だ。
男一人をそこまで追い詰めておきながら、ムルリエは涼しげな顔で絞り出した情報を反芻する。
「過去に類を見ないほど短い詠唱によって発動する魔法。それも一種類だけでなく、三種類も。素養も無かった奴隷に習得させる技術。……こんな重大な情報を独り占めしようなんて。可愛い顔をして、随分と野心家なのね」
ぴくりとも動かない睦言の相手を面白そうに見つめると、自分のガウンを羽織ってベランダへと出た。そこからは王国の夜景が一望できるが、女にとってその光景は心を動かすものでは無かった。
むしろ、この瞳に届かない場所で芽生えた新しい技術に興味を抱いていた。
「そんな技術、前回のエルドラドには存在していなかった。つまり、『招かれた者』の介入によって発生した大きな特異点かしら。面白くなって来たわ。私が動くのは難しいから、姉妹の誰かを向かわせてみようかしら。独占できれば、それでよし。公開されれば、それもまた良し」
呟きを聞く者は居らず、仮に居たとしてもその意味を理解できないだろう。
「おとうさまから聞いた『招かれた者』でそんな事が出来そうなのは……確か、エイリークとか言う人物……いえ、物だったわね。ふふふ。それにしてもおかしいわ。人を司る神が、まさか転生する魂として、あんな物を選ぶなんてね」
ひとしきり笑うと、ムルリエ・プルクラは両手を天に向けて伸ばした。青い月の更に向こう側に居るであろう存在に向けて。
「ああ、おとうさま! 貴方の娘は貴方の為に、世界を掻き乱しましょう! それこそが、貴方の願いだと信じて。例え、この地に地獄が誕生したとしても、それは仕方なき事ですわ」
悦に篭った瞳で、妖しく笑う。
ムルリエ・プルクラ。国王の愛妾とも噂される彼女は、その実、国王を始めとする国の上層部から末端までを意のままに操る事の出来た女性だった。
それゆえ、口さがない者からはこう呼ばれていた。
―――影の女帝、と。
自由があると信じて疑わなかった地上の現実と、共に這い上がろうと誓った兄弟たちの堕落と死を目の当たりにしたエイリーク。
彼は誓う。
ただ消費されるだけの奴隷達の境遇を変える事を。そのために必要なら、世界すら救ってみせる。
しかし、その途方もない決意を嘲笑うように邪悪なる悪意は水面下で侵攻しつつあった。
それに気づく者は、まだ居なかった、
読んでくださって、ありがとうございます。
これにて9章の閑話を終了となります。
次回は章終了時のステータスと人物紹介を投稿する予定です。




