9-26 故郷の味
昼であっても、空には蓋をしたように鉛色の雲がかかっている。そのせいで、枯れ葉が落ちる森の中は一層と侘しさを醸し出していた。
その中を狼に似た人間が足早に移動する。最低限の旅装に、腰には剣を。表情には緊張が漲っていた。
今にも破裂しそうな風船に似ているのは理由があった。
食料泥棒の襲撃にあった狼人族の集落は、被害に遭った事よりも、相手が高位冒険者を相手に逃げ切ったという事実を重く見た。ただの食料泥棒では無く、相当な手練れが集落の近辺に潜んでいるとなれば、危機感も違う。
事態を重く見た大長の命令で、彼らは近隣の集落や警備隊へと報告に走っていた。よりにもよって、賊が逃げ込んだ森の方へと。
今にも賊が姿を現すのではないかという恐怖心が、彼らを急き立てる。
森を抜ければ、隣の集落。更に行けば、区境の関所がある。二人組の狼人族は、まずそこまでを目標に走っていた。
「お、おい。少し飛ばし過ぎじゃないか」
一人が足を止め、木に体を預ける。それを見て、もう一人も疲労が蓄積しているのを自覚した。
「そうだな。ここいらで、休憩をしよう」
「賛成だ」
若者たちはしゃがみ込むなり、携帯した水筒を煽る。昨夜の見張りから徹夜続きの体には妙な熱が篭っており、それを水が冷ましていった。
「ふぅ。人心地着いたぜ。……それにしても、昨日の戦いはとんでもなかったな」
「まったくだ。冒険者の、それも高位の方の戦いぶりを間近で見る機会なんて無いからな」
彼らは昨夜、泥棒が侵入した食糧庫付近の警備をしていた。そのため、レイ達と食料泥棒の戦いを目の当たりにしていた。短くも濃い攻防。想像すら出来ない武器や、目にも止まらなぬ早業。
まさに冒険王の英雄譚を再現するかのようではないか。
「全員が年若いけど、冒険者は年齢じゃないって言葉通りだったな」
「その通りだ。……幼くとも、タノさんの子だったな、あの子」
「……そうだな」
急に口が重くなるのは、彼らにとって怒りと憎しみのはけ口となっていたエトネを思い出したからだ。
ミエリッキ程ではないにしても、集落に住む者にとって、エトネへの感情は悪い。ただそれも、この場に居ない人間へと向けられていた、いわば実体なき者への攻撃だった。それゆえ歯止めが効かずに、悪感情が悪感情を呼び寄せ、坂道を転がるように憎しみは膨れ上がった。
それも本人を前にすれば尻すぼみする程度だった。
取り囲まれた時、何を言われても頭を下げて謝る姿に、怒りや憎しみは湧かない。
考えてみれば、彼女こそ不幸のどん底に居るはずだ。父を、母を、住んでいた場所すら失い、身を寄せる場所を求めて海を渡り、そして戻って来た故郷でこの仕打ちだ。それでも、集落の人間が困っているならと身を張る姿にいじましさすら抱く。
「でもよ、やっぱりあの子を受け入れるのは無理だ」
「……そんなの、分かっている。俺だって、そうだよ」
エトネが全ての原因ではない。
それは冒険者から言われずとも皆が、口には出さずとも理解していた。山火事が収まり、雨季が近づくと言うのに農作業を理由に山への対処も、対策も講じなかった自分たちにも責任はあった。
回避する手段か、あるいは被害を最小限にする方法があったのかもしれない。
それを棚に上げて一人の少女に詰め寄ろうとする気持ちは、もうない。
だが、それでも。
あの子の長耳を見る度に、緑髪を思い浮かべる度に、この子さえいなければ、この母娘さえいなければという思いが頭を過る。
鍋の底に張り付く焦げのように、拭い難い感情が残り、燻っていた。
きっとそれは、集落の全員も同じなのだろう。
「さあ、休憩は終わりだ。急がんと、隣の集落に着くのが、日暮れになってしまうぞ」
「そうだな。……そういや、あの冒険者たち。出発する時に見かけなかったが、何処に行ったんだ?」
「なんだ、知らないのか。あいつ等、森に入った食料泥棒を追いかけているんだ。なんでも、呼び寄せる罠を用意しているそうだぞ」
「そうなのか。罠なんかで捕まえられれば、話は早いんだがな」
違いない、と笑いながら二人は再び走り出した。
軽快な足音が遠ざかるのを確認して、彼らの頭上に潜んでいた影は息を吐く。
木の枝に凭れ、身を潜めていたのは、彼らの集落を襲っていた食料泥棒その人だった。
夜分よりも昼の方が姿形はハッキリとしていた。暗い色の生地は和服に似た作りで、首元に巻いてある長布を無視すれば、レイの言う通り忍者の出で立ちに良く似ていた。
「拙者を捕まえる罠か。虎穴に入らんずんば、何とやら。いっその事、飛び込んでみるのも一興か」
二人組の話を上で盗み聞きしていた忍びは、言葉とは裏腹に顔色は優れなかった。その理由は、袖が捲れ、むき出しの腕にあった。
右腕の前腕。その中程には太い線のような熱傷がくっきりと残っていた。昨晩の交戦時に負った傷だ。龍刀の峰とはいえ、振り下ろされた一撃は、忍びの腕を折るのと同時に焼いていた。
ただの骨折、ただの火傷ならばいくらでも対処法はあったが、両方が甚大なダメージとなっているため、満足に動く事も出来ずにいた。そのため、集落近くの森を脱出する事も出来ずに、一夜を明かしてしまった。
とりあえず、中断した治療を再開させた。
そこらで生えていた薬草を幾枚も重ね合わせ、予備のさらしで患部に固定。上から添え木を当て、もう一度さらしで巻いて動かないようにする。若干だが痛みが和らいだのは効果があったからだろうか。
これ以上の治療が望めない以上、後は体に備わっている自己回復に期待するしかない。忍びは木の幹に背中を預け、細い枝の上で座禅を組んだ。そして浅い呼吸を繰り返す。
一つするたびに、自分が薄まる感覚だ。世界という大きな水に、自分という氷から溶けた水が混じり合う。そんなイメージを頭で思い描く。
すると、何処からともなく飛んできた鳥が、彼の膝に掴まった。そこを枝だと誤解して、捕えた虫を飲み込んだ。
動物や虫ですら騙してしまう、完璧な隠形だ。見つかるとしたら、何かしらの技能を使われた時のみ。そうなった時は、逆に相手の接近に気づき、移動する猶予がある。
今の内に考えを纏めねばならない。
痛みが沈殿していくと、頭が回り出した。
遡る事二十日以上前、自分はこの地に落ちた。
落ちた、という表現以外、何も言えない。
落ちる直前の記憶は、筆舌に尽くしがたい。あれを、あの光景を何と説明すればいいのか、目撃した今となっても思いつかない。辛うじて言語化するとしたならば、あれは正しく―――世界が終わる瞬間だ。
どうにか生を拾えたのもつかの間、辺りは見知らぬ場所、地形だった。情報を得ようと人里へと近づけば、心底驚かされた。
獣が人のように暮らしていた。
正確に言えば、二足歩行する獣が、人のように衣服を纏い、道具を使いこなし、農作業や家事などに従事していたのだ。中には自分と似た外見の人に近いのも居たが、彼らも耳や、あるいは尾などに獣の特徴を残していた。
狐か狸が人間に変化しているのだと言われれば、納得できそうな光景。それは余りにも異様な光景にしか見えなかった。
ここは果たして、自分の知るエルドラドなのか。別の世界に飛ばされたのではないだろうかと疑問が浮かんだ。
身の危険を感じて、森へと姿を隠し、情報を得ようと彼らを観察した。
観察の結果、彼らの気性は荒く、残忍とまではいかなくとも暴力的な面があると分かった。下手に出ていけば、身の危険もあり得る。そこで食料だけを盗み、この土地からの脱出を図ったのだ。
一応の詫びとして、持っている貨幣の中でもっとも高価な物を詫び賃として残していったのに、あのおなごから食料泥棒と呼ばれるのは遺憾だ。だが、同時にあの邂逅は希望をもたらした。
そう。この地にてやっと自分と同じ人間達に遭遇できた。
それも、二つの意味で。姿形が同じという意味と、中身の出自が同じ、という意味だ。
残念ながら、対立してしまったが、交渉する余地はあるはず。
集落へと戻り、投降するべきかと考えるが、手負いの状態で捕縛されれば逃げ出せる自信は無い。ここはやはり、待ちの一手で様子を窺うべきかと悩んでいると、忍びは遠くの方で人の気配を感じた。
感じた、という生易しい物ではない。
熱気を孕んだ突風が木々を揺らし、小動物が一斉に身を竦ませた。膝の上に乗っていた小鳥は煽られ地面に叩き付けられそうになるのを手で押さえた。
それは闘気の塊。
火山が傍で爆発したのかと誤解する程のエネルギーが森の奥から放射されている。
これは人間が発しているのか、と背中に冷たい汗を掻く。どこか超常的な存在を感じさせる闘気に覚えがあった。昨夜の少年が持っていた日本刀。美しき紅蓮の波紋を携えた名刀。あれに収まり切らないナニカの気配だ。
つまり、この闘気を辿れば、あの少年が待っていると言う事だ。
呼んでいるのだ。ここに居る、来い、と。
先の盗み聞きした話と合わせれば、何かしらの罠を講じているはず。
まさに虎穴だ。
手負いの体で飛び込むなど愚の骨頂だ。頭の中の理性は叫ぶが、かといってこれ以上待っていたとしても状況が良くなる保証はない。時間が経つにつれて傷は膿む。体力も消費して行けば、対等な話し合いの場すらもぎ取れない。
付近まで行き、様子を窺うのが最上かと判断した。
枝の上で音を立てず、重さを感じさせない動作で跳んだ。手にあった鳥を逃がすと、そのまま森の中を疾走した。
手負いの人間とは思えない俊敏さ。誰からも見られないように、遮蔽物を使った移動は静謐さすらあった。むしろ、忍びが向かう先から放たれる熱の方がうるさすぎた。
近づくにつれて、うだるような熱さは増して行き、剣呑な空気が肌に突き刺さる。本能は逃げろと叫んでいた。しかし、それを無視して辿り着いたのは、森の中に出来た空白地帯だ。木も草も無い土地の真ん中に抜き身の日本刀が刺さっていた。
日の光では無く、自ら紅蓮に輝く刀。こうして目にすれば、名刀というよりも、妖刀と呼んだ方がしっくりとくる。尋常ならざる波紋に魂すら取りこまれそうだ。その日本刀から熱気は放たれていたが、突如としてそれは止んだ。
『レイ。ようやっと来たようだぞ』
木の影に隠れていた忍びは、脳に直接流し込まれた幼子の声に身を強張らせた。何処に潜んでいるのかと視線を彷徨わせたが、それらしい気配は無かった。
「そうか。こっちも丁度だ。忍者の人、近くに居るなら出てきてくれないか」
今度の声は耳朶を震わした。
聞き覚えのある声に視線を向ければ、妖刀の向こう側でたき火に当たる少年の姿が見えた。熱波の近くに居たのに、たき火に当たるとはよほどの寒がりなのか。
少年は此方の正確な位置までは把握していないのか、首を左右に振りながら語りかける。
「武器は見ての通り、そこに置いた。君を捕らえたり、戦うつもりはない。ただ、話がしたいだけなんだ」
呼びかに偽りは無いのだろう。妖刀の傍に、短刀が同じように地面へと刺さっている。だが、信じるにはまだ早い。忍びは、己の喉を指で掴みながら、
「信じ難い」
と、返した。その声は、忍びの喉から出たというよりも、どこか別の場所で響いたように聞こえた。
「どうしてだ。何故、信じてくれないんだ」
「貴殿の背後。茂みに隠れてはいるが、昨夜のおなご衆が控えておろう。拙者の目を誤魔化せると思うな」
妖刀の放つ威圧感の中でも、付近に潜む人間の位置や数は把握できる。
伏兵の類だと判断したが、どういう訳か困惑したのは少年の方だった。後ろを振り返り、茂みへと手を伸ばした。そして掴んだ者を持ち上げれば、栗色の髪を持った少女と顔を合わせた。その奥に隠れていた他の少女達も立ち上がる。
「レティ!? それにリザにシアラ、エトネまで。何だよ、皆。来ちゃったのか」
「えへへ。やっぱり、心配で来ちゃった」
誤魔化すように笑う少女に、少年は肩を落とした。そして弁明するように隠れている忍者へ喋りかけた。
「すまない! 君に嘘を吐くつもりは無かった。ただ、君と話がしたくて、仲間達には集落で待っていてもらうように頼んだけど……どうやら、僕を心配して来てしまったようだ」
「残念ながら、信じられんな。すまないが、ここまでと致そう」
言って、話を切り上げようとする。
無論、これは演技だ。
少年と話がしたいのは此方も同じだ。しかし、対等な条件下で話をするのは好ましくない。相手から主導権を奪い、有利な立場で交渉をする。この演技はその一環だった。
どう出てくると様子を窺うと、少年は予想外の一手を繰り出した。
「待ってくれ! 話し合いをする前に、これを食べてみないか」
食べるだと?
この状況にそぐわない提案に疑問を浮かべていると、少年は自分の足元にあった金属製の筒を何処からでも見えるように持ち上げた。
「正直、この炊き方でやるのは初めてで、美味くできたかどうかは保証できないけど、それでもいいなら一緒に食べないか」
普段の忍びなら、歯牙にもかけない交渉。
しかし、聞き捨てならない単語に、忍びは身を潜めていた場所から一歩出てしまった。少女達が戸惑う声が漏れた。
「嘘でしょ。何で、こんな展開になるのよ」
「まったくです。レイ様の言う通り、本当に現れましたね」
「まあ、予想通りだね。立場が逆なら、僕も同じ反応しただろうね」
少年は一歩、二歩と近づく忍びに対して筒の蓋を開けた。
湯気が解き放たれるのと同時に、微かな甘い香りが鼻孔を擽る。目にも美しい白い粒は張りがあり、何とも食欲を掻きたてる。喉がごくり、と動くのは抗えない本能だ。
「……信じられない。この地で、本当に巡り合えるとは」
「全くもって同意見だ。僕も昨夜は驚いたよ」
少年は金属製の筒に入った食べ物―――白米を見て頷いた。
昨夜の攻防。
忍者が見せた不自然な行動。自分の腕を切り落とされるのを覚悟してまで、取り返そうとした巾着の中身こそ、精米される前の米だった。
その時の衝撃は凄まじかった。
薄茶色の糠に覆われているが、それは間違いなく米。日本人なら馴染深い主食だ。それが、異世界に来て巡り合えるとは予想すらしていなかった。
大長から話を聞くと、カプリコルにおける主力の農産物だと言う。何でも、『冒険王』エイリークが興した国が中央大陸に存在した頃、南部の地方―――つまりカプリコルの北東付近で米の実験的な栽培が行われていたという。彼の死後、国は分裂と統合と消滅を繰り返していく中、米の種籾は土地の主に引き継がれていき、最終的に受け取ったのがカプリコルという訳だ。
エイリークこと安城琢磨も日本人だ。おそらく、どこかで見つけた米を食用として広めようとしたのか、あるいは自分で食べようとしたのかまでは不明だが、栽培を命じたのも筋が通る。
レイ達が着いた時に見た畑。あれは水田が収穫後に水を抜いた田だった。
用意していた器へ炊き立ての米をよそい、金縛りに遭う忍者へと向けた。
「悪いけど、おかずまでは用意していない。でもまあ、その方が十分味わえるだろ」
「……拙者に、分けてくれるのか」
「ああ。君と一緒に食べるために大長に頼み込んで分けてもらったんだ。……君等も食べるかい」
最後の方の質問は後ろで固まっているリザ達に向けてだ。話し合いを受け入れてもらうために集落に残っていてくれと頼んだのだが、心配して付いて来てしまった彼女らの食器は無い。
だが、分かっているとばかりにシアラが取り出したのは雛馬車だ。
地面に置いたそれはあっという間に大きくなり、彼女は中から食器を人数分用意した。
用意が良いなと呆れるしかない。
急遽増えた四人を合わせて合計六人。
予定よりも人数が増えた分、一人当たりの量は少なく、飯盒の中身も僅かにしか残っていない。それでも全員に行き渡った。
折角だからとレティが用意した敷物に腰を下ろした。忍者は敷物へ乗らず、直ぐ近くの地面で胡坐を組んだ。
すると、レティが杖を引き抜いてレイに目配せをした。それだけで意味を理解した。
「食べる前に、その腕。治そうか?」
忍者の右腕は添え木が施されている。昨夜の手応えからすると、骨折しているのだろう。忍者は一瞬ためらうが、慎重に首を縦に振った。
レティは近づくと《回復》を唱えた。光の粒が患部へと吸い込まれていく。低級の回復魔法だが、彼女のレベルにもなると骨折も治せる。忍者は治った腕を振り回し、短く感謝の言葉を告げた。
「じゃあ、全員行き渡ったたね。それじゃ、いただきます」
「「「「いただきます」」」」
《ミクリヤ》では定番になった食事前の挨拶。だが、忍者はそれに驚きを隠そうとしなかった。
「色々と聞きたいこともあるだろうけど、まずは食べてからにしよう。冷めたら勿体ない」
「……一理ある。ならば、頂戴しよう」
言って、忍者は顔の下半分を隠していた長布を下ろした。
現れた相貌は整っているが中性的で、男のようにも、女のようにも見える。
和服に近い衣服は体のラインを隠しており、忍者の性別を判断するのに有用な材料とはならない。
忍者は少量の米を口に運ぶ。啄むような食べ方は、毒味でもしているのか。だが、髪色に似た瞳から涙が零れてきた。
「……ああ、懐かしい。生前において白米を食した事など、片手の指に足りてしまうほどしかないが、記憶が、魂がこの味を覚えている」
「そうか。やはり君は」
涙を流し続ける忍者は、隠そうともせずに堂々と明かした。
「拙者、貴殿と同じく日ノ本からこの地に降り立った、『招かれた者』。以後、お見知りおきを」
読んで下さって、ありがとうございます。




