9-12 入国管理局
獣人の国カプリコル。東西を巨大な壁で遮り、南北は海に守られた国は、非常に閉鎖的な国だ。海からの入国と陸からの出国のみを認め、滞在中も申請した日程と順路を守らなければ強制退去も辞さないという。
そんな独特な場所こそエトネの生まれ故郷なのだ。
船の欄干に凭れ、故郷の陸地を眺めるエトネにレイは声を掛けた。
「故郷が見えて来たわりに、随分と浮かない顔だね」
「……うん」
くぐもった返事に、曇った表情。彼女にとって故郷は喜ばしい場所ではない。
緑髪に灰色が混じり、突き出た長い耳に腰のあたりから伸びた白い尾。彼女を現す特徴が、この幼い体に二つの血が混じっている事を物語っていた。
エルフを母に持ち、狼人を父に持ったエトネは、闇ギルドの奴隷商人によって住んでいた山を燃やされ、父を奪われた。狙いは、彼女とその母親だ。
最強の『守護者』に保護されているエルフは、隠れ里の外に滅多に出ない。情熱的な駆け落ちの末、夫の故郷であるカプリコルの山奥に隠れていたエトネの母親を見つけたのは彼らにとっても望外の幸運だろう。奴隷商人たちに住む場所と父を奪われた少女は、母親と共に彼女の実家へと移り住む事になった。
しかし、悲劇は続く。
折悪く、母親の故郷である隠れ里周辺ではスタンピードが発生し、大量のモンスターが隠れ里の付近まで流れ込んでいた。エトネの母親は娘を守り、モンスターの群れを一人で立ち向かい、死んだ。
僅かな期間で両親を失ったエトネに追い打ちを掛ける様に、母の同胞は彼女を拒絶した。エルフは純種こそを尊び、雑種であるエトネを里に置いておくことは出来ないと、里長でありエトネの祖父でもある男は決断したのだ。
結局、彼女は行き場を失い故郷へと戻ることを決め、レイ達はカプリコルを抜けた先にある学術都市に用があったため共に旅する事になった。
その旅の終わりが間近になると、エトネの様子は日を追うごとに暗くなっていた。自分と契約したモンスターの卵を抱き締め、船室の隅で蹲ったり、こうして甲板に出てもぼんやりとしていた。
心配そうにするリザやレティが声を掛けても、表面上は何とも思っていないように振る舞うが内心では一番心配しているシアラがお菓子を餌に話しかけても、いつもの晴れた太陽のような元気は無かった。
「故郷に戻るのが……不安かい」
潮風を浴びながら尋ねると、エトネに反応があった。萌黄色の瞳が何故と言わんばかりに大きくなった。
「君の様子を見てれば、何となく分かったよ」
エトネが母親と共に故郷を離れる事になったきっかけは闇ギルドの奴隷商人による暴虐だ。エルフという希少性の高い種族を無理やりに手に入れようとした彼らの罪は重い。しかし、彼女達母娘に責任も咎も無いけれど、こうなる事は予想できたはずだ。
そして何より、彼女の故郷はこの母娘を一度は拒絶している。
エトネの父親はカプリコルの生まれだ。少なくとも親族か、おらずとも知己の者が居たはずだ。だが、彼らは夫を亡くした母娘を助けようとはしなかった。そこにどんな意図があり、経緯があったのか不明だが、エトネの様子から何かがあったと察する事は出来る。
「……どれいしょうにんが来たとき、むらの人にいっぱいめいわくかけたの。エトネたちをさがすために、らんぼうしたって、おかあさんからきいた」
「故郷の山に戻った時、地元の人たちが、エトネやエトネのお母さんの事を恨んでるかもしれない。君はそう思ってるんだね」
こくりと頷く少女の頭を撫でる。絹糸のような細く柔らかい頭髪が指に沈むと、エトネはくすぐったそうに、不思議そうに瞬きをした。
「大丈夫だよ。君は良い子だ。それは旅を一緒にしてきた僕らが保証する。きっと、村の人も受け入れてくれるよ」
「そう……かな」
なおも不安そうにするエトネに、レイは躊躇いながらも口を開いた。
「もし、もしも。それでも村の人が受け入れなかったら―――」
「―――接舷の許可が降りたぞ。準備を急げ!」
言葉は船員の声にかき消された。閉じた帆が広がり、風を受けると船は加速していく。輪郭だけでなく、細部まではっきりとしていく故郷へと視線を向けたエトネにレイは言おうとしたことを飲み込んだ。
―――僕らと一緒に行こう。
そう、言うつもりだった。
しかし、言えなかった。
言えば、彼女は誘いを受け入れるだろう。思い上がりかもしれないが、彼女が心の奥底ではそれを望んでいるとさえ思えた。だがそれは、彼女が得られたはずの安寧と引き換えだ。
表舞台に姿を現した六将軍とそれを率いる『魔王』。
三百年の封印から解放された最後の古代種『龍王』。
最強の軍事国家、帝国とそれを背景に持つ『勇者』。
少なくとも、『七帝』の内、この三体とレイは敵対している。『魔王』、『勇者』は言わずもがな、まだ会っていない『龍王』は人類を滅ぼす為に戦役を起こした存在。間違いなく、人類の敵だ。
厄介事は彼らだけでない。
都市を灰燼と化すという謳い文句が誇張で無いと証明した『機械乙女』や、まだ疑惑の段階ではあるがアクアウルプスで共に戦ったオルタナ。彼が『魔術師』の可能性もある。
因果はもつれ、因縁は絡み合い、運命は避けようが無い
近づきつつある災いの気配。レイは仕方ないとある意味受け入れてもいた。自ら首を突っ込んでしまい起きた出来事もある。何より、リザやレティ、シアラといった奴隷契約を交わした彼女たちにも彼らとの浅からぬ繋がりがある。切っても切れない鎖のような縁。
エトネには、それは無いのだ。
彼女は、ここで降りる事が出来る。否、降りるべきなのだ。彼女を守る為に死んでいった父母の為に、そして里の掟を第一にと考えつつも、それでも気にしているエルフの祖父の為にも、彼女は生きて幸せになるべきだ。
そう、望んでいる一方で、彼女と別れる事を寂しいと思う気持ちもある。
相反する二つの思いを抱えつつ、船はカプリコルへと吸い込まれていった。
軽い震動と共に船は桟橋へと接舷した。
異常なまでの入国管理を行う関係からか、船が接舷を許されたのは陸地から伸びた出島から突きだした桟橋だ。
「というよりも、他国籍の船が近づけるのは此処までという話です。彼方に見える浮きよりも陸地の方に近づいたら、即座に攻撃されます」
「そいつは過激な対応だ。ちょっとの傷でも過剰に反応する過保護な親か。リザはこの国に来たことがあるのかい」
闇ギルドの奴隷商人、クロトの護衛を務めていた彼女は、その関係から彼方此方の国の情報に詳しい。しかし、期待に反して彼女は首を横に振った。
「申し訳ありませんが、この国は初めてです。カプリコルは入出国が厳しく、闇ギルドの人間が入りこむのは難しいと聞いた事があります」
「え? でも、エトネの母親を狙った奴隷商人は、手勢を連れてたって話だよな」
「それは蛇の道は蛇と申しますか。……大きな声では申せませんが、賄賂を握らせれば隠れて上陸する事も、その後の国内の移動も可能になるそうです」
どうやら官僚の腐敗は異世界でも似たり寄ったりなのかもしれない。
「恐らく、エトネとその母親を狙った奴隷商人は、エルフの母娘が住んでいると確証を得てから念入りに計画したのでしょう。国の内部に、裏切る事の無い役人を見つけ、国を脱出する際の方法も一つだけでなくいくつも。そうでなければ、大所帯で密入国なんて、経費だけで散在します」
「人数が増えたり、御目こぼしの内容が増えれば賄賂の金額も跳ね上がるって訳か。それでも実行したって事は、やっぱりエルフは高値で売れるの」
リザが小さく肯定するのを見て、レイは気分が悪くなった。人のどす黒い欲望が幼い少女を不幸に落としたのだと改めて実感した。
(リザ達もそうだけど、エトネにも幸せになって欲しい。やっぱり、彼女とはここで別れるべきなんだろうな)
ぐらついていた天秤が片方へと傾き掛けていると、レティがレイを呼びに来た。
「ご主人さま。何か、入国管理官って人がやって来たよ。入国希望者の代表と話がしたいって」
「あ、ああ。分かった。リザ、荷物とキュイを連れて甲板に集合させてくれ。いつでも降りられるようにね」
了解ですと返事を受けて、レイはレティと共に歩き出した。桟橋に向けて掛けられた板の先で、船を見上げている熊人族が視線に気が付き頭を下げる。レイは板を降りて入国管理官の前に立った。
「貴方が、入国を希望する団体の代表ですか。何か、身分を証明する物を拝見できますか」
言われ、レイはギルドが発行するプレートを提示すると、管理官は確認を済ませた。
「結構です。では、これより入国に関する審査の流れをご説明しますが、カプリコルは初めていらっしゃいますか」
「え? ええ、まあ」
思わず面喰ってしまった。入国管理官と名乗ったから、これが入国の審査かと思えば、全く違ったのだ。その反応を無視して管理官は説明を始めた。
「彼方に見える建物、あそこが入国管理局となります。まず、皆さまはあちらの建物に行き、審査課にて個々人の身分証を提示し、簡易的な検疫検査を受けて貰います。結果が出るまでの間、代表者には入国の目的と、それに掛かる日数などを旅程課で専門の役人と共に相談して算出。国内の旅程を予定表として提出して頂きます。旅程に問題が無く、検疫の結果も問題が無いとなりましたら、こちらで用意した案内人と共に出立してもらいます」
「案内人とは何者ですか」
「読んで字のごとくです。大変お恥ずかしい話ですが、我が国は閉鎖的な国策の為、国民が他国人に慣れておらず、余計な接触で諍いが起きかねません。それを回避するための処置です。案内人は随所に設けてある関所を通る際の手続きを行い、出国まで共に行動します。なお、同行時に掛かる案内人の経費は国が負担しますのでご安心を」
言葉を濁してはいるが、要は国のお目付け役が付くという事だ。此方が国内で悪事を働かない様に見張るつもりなのだ。
とことん閉鎖的で監視社会のカプリコルに辟易していると、管理官は眉を上げて、
「ところで、我が国にいらした目的は何でしょうか。観光ですか? それとも通過ですか?」
「最終的な目的は通過ですが、実は仲間の一人が此方の国の出身で、ある事情から住む事を望んでいます。僕らはそれの付き添いを兼ねています」
管理官の目が鋭くなった。それだけで直立する熊の圧迫感は増していた。
「移住希望者が居るのですね。畏まりました。では、入国管理局内にある移住課の登録窓口にそちらの方を連れて申請をお願いします」
必要な事を言うと、管理官は次の船へと移動していった。レイはその背中を見送りながら、異世界でもお役人はそっけない対応だなと感想を抱いた。
「主様? 荷物を上に持ってきたけど、そっちに渡っても大丈夫なの」
上からシアラの声が降って来た。船の欄干から身を出して声を掛ける彼女の横にはリザ達も居た。レイはそれに肯定の返事をすると、少女達は板を渡って桟橋へと移動した。後ろには船の船長も居た。
「これで私どもの役目は終わりですな。いや、道中は助かりました。あれだけの回数の襲撃があって、荷を一つも失わずに済んだのは、貴方がたのお蔭です」
「此方こそ、無理を言って船を出してもらってありがとうございます。帰りの護衛は、どうするおつもりで?」
デゼルト国を起点に貿易をする船なのだが、今回はダリーシャスが無理を言って、予定よりも早く船を出してもらった。そのため、いつもは付くはずの護衛はおらず代わりにレイ達が務めていた。
「なに、心配いりません。デゼルト国に向かう船に同道できるように交渉は済ませてあります。どうぞお気兼ねなく」
その言葉にレイは甘える事にした。船から荷物とキュイを降ろして、レイ達は最後に手を振ってから桟橋を渡った。
アクアウルプスにもあったが、海の上に作られた人工島とは思えないほど地面はしっかりとしていた。巨大な建物を中央に構え、大勢の人が行き交うのに足元が崩れる心配はない。
人々の荒波をすり抜けるようにしてレイ達は建物へと近づいた。
すると、エトネが手を引っ張った。
「おにいちゃん。あそこにうまとかあずけるばしょが、あるよ」
「本当だ。それじゃ、キュイはあそこに。それにしても、よく気が付いたね。前に、ここに来たことあるのか」
「ううん。エトネがしゅっこくしたときは、ひがしのもんから。でも、あっちにも似た、たてものがあって、おんなじようにうまがならんでたの」
納得しつつキュイを預けてからレイ達は人が吸い込まれていく建物へと足を踏み入れた。
そこはギルドの施設と似た作りとなっていた。カウンターで仕切られ、奥の空間には先程の管理官と同じ制服を着た職員が働いている。しかし、決定的に違うのは職員が全員、獣人種である事だ。純種か雑種の違いはあるが、全員が全員獣人種なのは驚きの光景だ。
これまで旅してきた国で見渡す限り獣人種か、あるいは半数以上を越えていたのは初めてだった。改めてここが獣人の国だと言葉ではなく映像で実感した。
それでも案内標識はエルドラド共通文字で記されていた。レイ達は他の人も並ぶ入国審査窓口へと並んだ。
ほどなくして順番が回って来ると渡された用紙に入国する目的や、人員などを役人と話しながら記入していく。書き終えると全員分のプレートとともに提出し、代わりに次の窓口へと誘導された。
検疫の為の小部屋は清潔に保たれ、白衣を纏った獣人種が流れ作業のように口内の粘液と血液を採取した。
「はい、結果が出るまでの間は別の窓口で入国の為の書類作りをお願いします」
「分かりました。ところで、検疫の結果が悪かったら、どうなるんですか」
「感染している病気の種類にもよりますが、概ね入国せずに立ち去っていただく事になります。ご理解ください」
徹底した管理体制だ。レイは全員通りますようにと祈りつつ、管理官や審査官から教えられた移住課の登録窓口へと向かった。
他の窓口とは違い、人が疎らな窓口で渡された書類に記入していき、職員に渡すと、
「ああ、元国民の移住ですか。でしたら、戸籍課に行き、当時の戸籍を発行してお持ちください」
と、にべもなく言われてしまう。それが無ければ申請できないと言われれば、仕方ない。次の窓口へと行き、渡された書類に記入して職員へと渡せば、
「一年以内の出戻りですか。それだと東の出国門にある戸籍の複製は回ってきていませんね。申し訳ありませんが、戸籍は此方に無く、その代り、出生証明書を出生課に行ってもらってきてください」
と、淡々と告げられ、シアラの額に青筋が浮かぶ。出生課に行くと、
「え? 父母はどちらも死亡? それじゃ、まず両親の戸籍を発行してから此方に持ってきてください。でなければ、本人確認が出来かねます」
と、面倒くさそうに言われ、レティが口数を減らしはじめた。戸籍課に戻ると、
「父親はカプリコル出身ですので此方に戸籍がありますが、母親は移住された為、戸籍はここにありません。ですが、移住課の方に、当時の申請があるはずなので、それで代用できます」
と、一応は親切に教えられ、リザが久方ぶりに鉄仮面を被り直した。移住課の窓口に戻ってくると、
「あれ? 先程の方たちですよね。過去の移住者の記録を発行って、どうかされたのですか?」
と、無神経に尋ねてくる職員にレイは叫びたかった。
(お役所特有の説明不足で彼方此方回ってるんだよ。いい加減、誰か本当に必要な書類の種類と手続きの仕方を教えてくれませんかね!)
自分の役割の中でしか仕事をしない役人の気質に説教をしたかったが、レイは懸命に堪えつつ、ようやく必要な書類を持って移民課の登録窓口に辿り着いたのは、窓から見える空が紅葉に埋め尽くされたような真っ赤に色づく頃合いだった。
「はい、それでは書類を預かります。……ええ、必要な書類は全て揃っています」
「……それは、本当に、良かったです」
彼方此方の窓口を彷徨い、役人と話をしているだけで体力以上に気力が削がれていく。壁際に並べられた椅子にレティを挟んでリザとシアラがぐったりと座っていた。正直な所、迷宮を潜るよりも疲れていた。
「では、審査に入ります。移住希望者のエトネさんは貴女で間違いありませんね」
「はい」
エトネと役人は低いカウンター越しに顔を合わせながら、書類の内容を確認していく。
「エトネ、狼人族の血が混じっていますね。第二世代ですか?」
問いの意味が理解できなかったレイに代わってエトネが頷いた。
すると役人がレイの方へ一言説明を添えた。
「カプリコルでは移住できる雑種の獣人種は、孫の代、つまり第三世代までと決まっているのです」
人間種との混血は、代を重ねるごとに血は薄まっていく。途中に獣人種の血が混じれば濃くはなるが、そうでない場合は孫より先には獣人種の特徴は発現しないのだ。
「元国民の移住の場合、国の規定により移住先は、当時住んでいた地区でしか許可されていません」
カプリコルは獣人種の国だが、その内部は厳密に区分けされている。一つの地区に、同族の集落は一つまでしか認められず、狼人の場合は七つの地区に七つの集落しかない。
ちなみに、集落内での血が濃くなるのを防ぐために、結婚は他地区の同族とするのが通例らしい。
エトネたち一家は、父親が生まれ育った狼人族の集落近くにある山に住んでいた。彼女はそこに帰りたがっている。
「もっとも、そこを十年以上暮らせば、同族の他の集落へと移り住むことも可能ですが、それでよろしいですか」
「それで、いいです」
「分かりました。狼人族の集落は七つありますが……これは」
書類を目で追いかけていた職員は言葉に詰まった。あからさまな反応にレイは不安に駆られて口を開いた。
「どうかしたのですか。何か、問題でも」
問いかけに役人は歯切れを悪くして答えた。
「いえ……私共は何かを言える立場ではないので、明言は差し控えさせていただきたいのですが。……エトネさん。貴女が住んでいたホスロー地区の狼人族の集落に移住するのは厳しいかもしれません」
覚悟してくださいと言う職員の姿は、難病を患者に告知する医者のような深刻さがあった。
読んで下さって、ありがとうございます。




