9-1 招かれざる来訪者
神とは世界の行く末を見守り、時には介入し、あるいは突き放す事で苦難を乗り越えさせ導く、いわば管理者である。
そのため世界から外れた場所に、神々だけが立ち入る事の出来る、神の観測所は存在する。無論、神々の遊技場と呼ばれたエルドラドにも観測所はあった。
天を埋め尽くす星々の数だけ世界は存在し、空間の中央に置かれた円卓に着くことが許されたのは神のみ。
ここはエルドラドを管理し、運営する13神たちの集う観測所。
だが、今や十三の椅子は殆どが空席であり、人影は一人分しかなかった。
白いトーガを纏い、青き髪を一つに纏めた女性だ。
例えようのない美しさと神々しさを兼ね備えた美女は、神の証たる青い瞳に憂いを宿らせていた。彼女が目を落としているのは、空中に浮かんだ板が映し出した、過去の映像である。
映像の中では一人の少年が、仲間と共に強敵と戦っている。血を流し、泥にまみれ、死に襟元を掴まれながらも懸命に。見る者の心を揺さぶる力強き映像だった。
それは一枚だけでは無く、複数枚浮かび、同時に流れていた。
赤き龍との決戦が、『魔王』との死闘が、『機械乙女』との邂逅が、『勇者』との対峙が。まるで現場に居るかのような臨場感と共に映し出されていた。
全ての映像に登場する少年の名前はレイ。
神々によって送り込まれた、十三人の『招かれた者』の一人だ。
そして、この映像を真剣な表情で見つめている者こそ、彼をエルドラドに送り出した神。
時を司る神、クロノスである。
彼女は早回しで再生される映像を止めて、酷使した目頭を労わる様に揉んだ。
「やっぱり……話が繋がらないわ」
呟きを拾う者は居なかった。
かつては救済の志を持っていた13神の多くは、自らの招いた『招かれた者』たちの悲劇や、世界の悪意を前にして志を捨てた。いずれ来る世界崩壊の前に、世界をやり直すと決めていた。
今すぐに大洪水が起きないのは、『招かれた者』が一人でも生きている限りは実行しないというルールを順守しているに過ぎない。つまり、二人だけになった『招かれた者』が死ねば世界は終わるのだ。
その時が来るまで諦めた神々は己が座に篭り、顔を出さなくなった。クロノスを始めとした、世界救済を諦めない神や、あるいは世界の行く末を見守る傍観者や職務に忠実な神だけがこの場に現れる。
もっとも、今はクロノス以外誰も居なかった。
それはクロノスが、他の神が不在の瞬間を狙って現れたからだ。
自分がしていることを、他者に悟られる訳には行かなかった。
そのため、兄であるサートゥルヌスにまで秘密にして調査を行っていた。
彼女が気になっていたのは、レイが取ったある方法についてだった。
「魂の交換。龍刀の力をより深く引き出す為に、刀に宿る赤龍の魂と、自分の魂を同量交換するという荒業。確かにこれならば、龍刀の力を自分の力量以上に引き出す事が出来るわ」
強敵を前に更なる力を求めるレイ。その欲望に応じる形で魂を交換するという方法を思いついたのは、推測ではあるがコウエンからだろう。
肉体を持った精霊である赤龍の記憶を引き継ぐコウエンにしか思いつけない手段だ。
魂の交換という問題だらけの方法は、理に適っている。
龍刀を通して、心象世界を共有しているレイとコウエンならば、魂を同量交換するのは可能だ。その際に発生する魂の拒絶反応に目を瞑れば、問題は何も無い。実際に、彼らは成功している。
だがそれは、クロノスに違和感を抱かせた。
「……魂の交換。こんな無茶苦茶なやり方を、どこで思いついたって言うの」
停止した『窓』に写る過去の映像を睨みながら、彼女は疑問を口にした。
レイ達が魂の交換を初めて使用したのは南方大陸での戦いだ。
南方大陸中央部にある大砂丘、その中心部たる『悪魔の巣』で遭遇したキュクプロス相手に使用した。仲間の一人、エリザベートを助けるために、彼は魂の交換を行った。その効果は絶大で、超級モンスターの投擲を防いだ。
問題は結果では無く、過程。
普通に考えて、魂の交換という裏技を初めて実行するならば、誰しも緊張してしかるべきだ。なのに、レイもコウエンも動じる様子なく、慣れたように挑戦し成功させた。
この過程にクロノスは納得が行かなかった。
彼女はレイをこの世界に送り込んでしまった事に責任を感じていた。それゆえ、彼が関わる戦いは大小関係なく全て見ていた。
ネーデの森を必死になって抜け出した時から、ずっと。
だからこそ断言できる。これはおかしい、と。
そしてもう一つ、無視できない事があった。
彼女が『窓』に触れると、停止した映像が息を吹き返したように動き出した。
―――「レイ様! ご無事で……そのお姿は。それが魂の交換を果たした姿ですか?」
映像の中で、エリザベートが驚きを浮かべながら尋ねていた。
この反応がおかしいとクロノスは思った。これではエリザベートが魂の交換を事前に知っていた事になる。
それはつまり、彼女はこの方法を事前に聞かされていたが、見た事は無い、という推測が成り立つ。
ここから考えられる可能性は二つ。
レイが実行できる可能性として魂の交換を話したのか、あるいは以前に使用した際にエリザベートが目撃していなかったかのどちらかだ。
しかし、どちらの可能性も、それぞれ違和感と矛盾が付き纏う。
仮に前者ならば、あのレイが頭の中で思い描いた事を一度も実験せず、ぶっつけ本番で実行した事になる。自分の命に価値を見出していない彼の命だけが掛かった状況ならばあり得るかもしれないが、その場には仲間が居たのだ。そのような危い賭けに出るとは思えなかった。
ならば後者となると、魂の交換を何処で行ったのかという問題が発生する。クロノスはこれまでの過去の映像を全て遡ったが、いくら探してもそのような事実は発見できなかった。
(玲様の性格上、前者はあり得ない。試した事も無い事を実行して、仲間を失う事を彼は極端に恐れるはず。でも、後者だとしたら……映像に矛盾が発生するわ)
それが何を意味するのか。クロノスは懸命に視線を逸らそうとするも、向うから近づいてくるのを感じ取っていた。ひたひたとする足音から逃れようと頭を振った。
もう一つ気になる点もあった。
再生した映像の中でエリザベートがレイの事を、レイ様、と呼んでいたのだ。
自らを復讐者と規定した騎士然とした彼女がご主人様と呼んでいたのは、レイとの距離感を不用意に詰めないための方策だろう。いずれ来る、復讐の時に迷わないようにするための処世術。それが崩れたからには何かしらの理由があるはずだ。
だが、またしてもその場面を示す映像は何処にもなかった。
クロノスは直感でこの二つの謎は繋がっていると睨んでいた。
(でも、八方塞がりね。どれだけ過去の記録を遡っても、答えは無い。……それってつまり、それが答えだと認めるしかないわね)
ここに来てようやくクロノスはある事実を認めるしかなかった。
真実という名の恐怖が自分の肩口にまで顔を寄せているのが分かる。だが、これを無視するのは、神として、なにより御厨玲をこの世界に送り込んだ者として許されなかった。
(魂の交換と呼び名の変化は、時期的に水の都を境に起きている。でも過去の映像において、水の都で何かが起きた。あるいは玲様達が巻き込まれた形跡はない―――と言う事になってる)
これが間違っている。
(玲様達が滞在した期間。水の都で何かが起きた。その結果、魂の交換や呼び名の変化が起きたと考えるべきね。つまり、この帰還の映像は全て偽物と言う事)
それならば筋道は立つ。
呼び出した『窓』が映し出した、水の都での平穏無事な映像が偽りならば、どれだけ映像を調べても謎は解けない。最初から提示されている映像自体が間違っているのだから不可能だ。
しかし、それを認める事は更なる問題へと彼女を引きずり込む。
ここは神々しか立ち入れない観測所。エルドラドにおける様々な情報が自動で集積される場所だ。そこに偽の映像を用意し、差し替える事が出来る人間は存在しない。人の身でここに立ち入る事は不可能だ。
―――人間には不可能ならば、神ならばどうなるのか?
考えるまでも無い。
答えは是である。
エルドラドを管理する黒子の役目を担った13の神々ならば、この映像を加工し、あるいは差し替えて偽装する事は可能だ。やろうと思えば、クロノスにもできる。
「……嘘でしょ。13神の中に、居るというの。……明らかに敵意を持って何かを仕掛けようとしている神が」
頬を氷のように青ざめさせるクロノス。辿り着いてしまった答えは、彼女の心を傷つけるのに十分すぎた。
エルドラドの崩壊を回避するべく知恵を出し合い、語り合った友と呼ぶべき者達の中に卑劣な裏切者が居るとは信じたくも無かった。
だが、推測の域は出ないが、その可能性があるだけで疑うのには十分だった。映像を改竄した者の狙いは不明だが、間違いなく元の映像には他の神に見せられない何かが映っていた事になる。
それを隠そうとする者はクロノスにとって敵だ。
彼女には御厨玲を元の世界に戻すという役目がある。それを阻むかもしれない存在は排除するべき敵に他ならない。
衝撃でちぎれそうな心を強引につなぎ合わせ、頭脳は研ぎ澄まされていく。敵に先手を取られたとしても、こうして気が付けたのは挽回の可能性が残されているのと同じだ。
(相手はこの偽装に気づかれていないと楽観しているはず。そこを突くことが出来る分は有利だけど。……そもそも元の映像にはどんな内容が映っていたのかしら。……玲様と直接接触できれば、水の都で何があったのかを知る事は出来るわね。どうにか聖域に誘導できないかしら)
レイ達が今後移動するルートから、神々と接触できる数少ない聖域に誘導できないかと考えだした彼女の思考は、突如として発生したけたたましい音に掻き乱された。
「―――っ! 今度は何が起きているの?」
クロノスは手元に寄せていた『窓』を消すと、別の『窓』を呼び出すと音の原因を調べ始めた。踊るような指先は、ほどなくして原因へと到達したが、同時に美麗な相貌を驚愕に固めた。
「この音は何だ!」
けたたましい音を打ち破る大音声は、観測所に飛び込んだ神々の発した物だ。
耳を塞ぎたくなる騒々しい音は、彼らがこもる座にまで響いていた。
火を司るプロメテウスを筆頭にオケアニスにアネモイ、ヘリオス、そしてクロノスの兄であるサートゥルヌスが揃って現れると、一人円卓に着くクロノスへと殺到した。
「クロノス、答えよ。この音の元凶はなんだ」
重々しい口調で問いかけるヘリオスにクロノスは答えようとしなかった。
彼女は眼前に浮かぶ窓に視線を、魂を取りこまれたように見つめていた。
「クロノス? クロノス、どうかしたのか!」
「え? に、兄さん。それに皆様方も」
妹の様子を不審に思ったサートゥルヌスの呼びかけで、ようやく周りを神々に囲まれている事に気が付いた。
「クロノス。答えよ。これは貴様のした事なのか」
再度の問いかけは先のよりも鋭さを増していた。集まった神々も疑念の目をクロノスに向けると、美しさ女神はか細い声で己の潔白と、信じ難い現実を告げた。
「違います……これは……時空の振動による物です」
その答えに神々は絶句した。
誰も彼もが、信じられないとばかりに狼狽し、救いを求めるように隣に立つ神へと視線を求めるが、明確な答えは誰も持ち会わせていなかった。
強靭な精神力でどうにか動揺を押し殺せたヘリオスだけが、それでも僅かに上擦った声で聞き返した。
「……いま、何と言った。……時空の振動、だと。それが……何を意味するのか……理解しているのだろうな」
問いかけにクロノスは小さく首肯した。
今、彼女の開いた窓に表示されているのは、世界の壁を突き破って現出する存在の観測データだ。本来なら正規の手続きを経て実行されるそれが、不許可だから警報が鳴り響いていたのだと神々は理解した。
世界の壁を突き破り現出する存在とは、この場合一つしかなかった。
クロノスはその事実を口にした。
「……いま、まさに。エルドラドに新しき『招かれた者』が現れようとしています」
告げたられた内容は、神々にとって許容できない事柄だった。
まさに驚天動地。世界が逆さまになったと聞いた方がまだ信じられたかもしれない。
揃いのトーガでも隠せない筋骨隆々とした神プロメテウスが、顔に怒気を漲らせて叫んだ。
「そんな馬鹿な話があってたまるか! 『招かれた者』だと? あり得ない!」
「この筋肉馬鹿と意見を同じくするのは屈辱だけど、同意見よ。そんなのあり得ない。絶対に、絶対にね」
吼える男神と対立する女神オケアニスですら彼の叫びに同意した。そして常の気取った立ち振る舞いを忘れてアネモイがクロノス開いた窓を食い入るように見つめ、信じられないが、と前置きして呟いた。
「あり得ないはずの現象が、いま起きている。彼女の言う通りだ。これは『招かれた者』が現れる際の空間の揺らぎだ」
「そんな馬鹿な話があるか。退け、俺にも見せろ」
プロメテウスが割り込み窓を見つめるも、表示されている内容に変化はない。彼は喉の奥で不機嫌そうな唸りを上げつつ、その事実を認めた。
押し黙っていたサートゥルヌスが、これほどまでに神々が動揺する理由を口にした。
「つまり、その人物が男か女かは不明だけど、十四人目の『招かれた者』となる訳か。これは流石に、予想外だね」
『招かれた者』。
それは神々の遊技場に招かれた、異世界の人々の総称である。しかし、今は別の意味合いがある。13神によってこれはと見込まれた、世界救世主候補者達の事を指す。
その人数は13神と同じ十三人。
一柱の神が招けるのは一人だけだ。
そして、御厨玲を持って十三人の『招かれた者』は揃った。
それなのにこれはあり得ない事だった。
十四番目の『招かれた者』は存在してはならない。
驚愕と困惑に打ち震える神々だったが、観測所に木霊していた警報が停止すると、認めがたい現実と向き合う。
「各自、席に着け。真偽はさておき、今の時空震を引き起こした存在が、どこに落ちたのか、確認を急げ。それと、どの世界から招かれたのかも、合わせて調査せよ!」
ヘリオスの威厳ある声にも切羽詰まった感情が浮かぶ。それだけ異常事態なのだ。本来は同列である13神にとって命令を下す、受けるという関係はご法度だが、それを言い出す者は居らず、各自が担当地域を決め、あるいは手すきの神を呼びに観測所から出ていく。
そんな状況下において、クロノスは先程頭をもたげた疑念が再び疼くのを感じていた。
映像の偽装を行った裏切者が13神の中に居ると判明して早々に起きたこの異常事態。
これらが無関係だとは、彼女にはどうしても思えなかった。
これもまた裏切者による策略だとしたら。
(……こんな事。誰にも相談できない。だって、一度疑い出したら、誰も彼もが疑わしいわよ)
座に引き籠る神だけでなく、こうして世界救済を諦めず、あるいは最後まで見届けようとする覚悟を持った神までもが怪しく見えた。孤立無援の中、正体不明の裏切者を探すのは不可能に近い。
―――正体不明?
そのフレーズにクロノスの手は止まる。彼女にとって、13神にとってなじみ深く、そして謎めいた呼び名。
七帝最後の一角にして、エルドラドを滅ぼす最後のピース。
『正体不明』。
彼女は自身の頭の中で結び付き、生まれる可能性に発狂しかねない恐怖を抱いた。
(もしもそうなら、私達は前提から間違えていた事に。……ううん。いくらなんでも、発想が飛躍過ぎている。……でも、もしもそうなら……覚悟しなくちゃ)
次々と神々が姿を現し、数百年ぶりに円卓が全て埋まる。
揃い踏みする十三神を前に、クロノスは一人、孤独の戦いに挑む覚悟を決めた。
自分のせいで過酷な戦いを繰り広げる少年を守る為に、女神は立ち上がる。
気が付けば、森の中に居た。
鬱蒼と茂った草むらに、天にまで届きそうな背の高い木々。伸びた枝葉で空は覆い隠され、星明りも射し込まず、さながら夜の海の中を潜っているようだった。
そんな森の中で、その者は目を覚ました。
寝転んだ姿勢から手を使わずに立ち上がる。その俊敏な行動だけでただ者ではないとうかがえた。己の体すら見失いそうな闇にも関わらず、辺りを見回すと、手近の木へと跳躍した。枝を伝い、幹をするすると昇る姿は人よりも猿に近い。
木の枝を揺らすことなく、葉の一枚も落とすことなく、人影は木の頂点へと辿り着いた。
偶然なのか、あるいは必然なのか、黒々とした森の中でもひときわ高い木の頂点からは辺りが一望できた。
しかし、遠くに見える山々の峰や、どこまでも続きそうな深い森に見覚えは無かった。
ここが何処なのか、人影には分からない。落胆するが、それも一瞬だった。
見知らぬ土地であっても、唯一、網膜に焼き付いて離れない物と再び巡り合えたのだ。
夜空に浮かぶ王の如き堂々とした青き月。
それを見た瞬間、人影は薄く笑みを浮かべた。
「これは僥倖。あの青き輝き。間違いなく、ここはエルドラドに相違ない。さてはて、ここがどのような場所なのかは定かではないが……主君の元へ急がねば」
確信を抱いた呟きは風に紛れ散ると、木の上に居たはずの人物も姿を残さず消えてしまった。
まるで、そこには誰も居なかったように。
跡形も無く消えてしまった。
読んでくださって、ありがとうございます。
9章も隔日投稿となります。そのため10月は偶数日投稿となります。




