閑話:賢者と呼ばれた女 『前編』
神々の遊技場と呼ばれるエルドラドは、幾つもの文明が生まれ、発展し、そして終焉を迎える。その度に管理者たる13神の手によって、世界はやり直される。汚れたシーツを新品の物に取り換えるように、淡々と。
魔法が異常なまでに発達し神々の真似事に手が届く所まで行った文明もあれば、星の大海へと進出した文明もあった。その逆に、未熟な倫理観では扱いきれなかった破壊兵器が起動し、築き上げた物が灰燼と化したこともあった。
千差万別。似たような世界が生まれる事はあるが、全く同じ時代は存在しない。
その時代に合わせて、他の世界の神々は己のお気に入りを盤に送り込んだ。剣と魔法が主流の時代。法と秩序が主流の時代。歪なほどに特化した分野が主流となった時代。
神々が見込んだ稀有な才能を持つ人材が、エルドラドを舞台に異世界人達は交流し、あるいはぶつかり合う事で起きた化学反応は世界を掻き乱していった。
同じように13神が選びだした『招かれた者』にも共通点があった。
彼らは皆、特別過ぎた。
異世界を望み人生を捧げた者。異端と罵られながらも救いを捨てなかった者。世界を救った事のある者。生まれてくるには未熟すぎた者。一つの分野に置いてバラダイムシフトを起こした者。
世界を救う為に13神が選んだ者達は、誰もが凡庸という言葉から逸脱した存在ばかりだった。
確かに、彼らならば、単独で世界を救う事が出来たかもしれない。それだけの力が、個々人に備わっていた。
しかしそれは閃光のような物だと、とある神は思った。
目も眩むような鮮やかな、激しい閃光。魂を燃やして放つ光は世界を隅々まで照らすだろうが、数秒しか続かない。網膜に残る残光は、瞬きを繰り返せば消えていく。
どれだけ偉大な人物でも、偉業を為したとしても人は必ず死ぬ。
人の一生とは、歴史という大河の前では短すぎると、水の神オケアニスは考えた。
短き生で手を伸ばすにも限界はあり、何時までも続かない。だからこそ、人々は託すことを覚えた。自分一人に出来なかった事を、誰かに託す。誰かと手を繋ぐ事で、遠くにまで手が届くようになった。
世界を救う真の方法は、一人の手による強引な救済ではない。
例え極少量の水滴でも、一滴一滴が集まる事で海を為すように、大勢の力と結束こそ世界を救う鍵だ。
だから、オケアニスは彼女を選んだ。
力も、知恵も、才覚も、それまでに選ばれ、それからに選ばれる十三人の『招かれた者』たちの中でも凡庸だが、ある一点に置いては並々ならぬ情熱を抱いていた彼女をこの世界に呼んだ。
大海に繋がる、始まりの雫として。
世界崩壊まで八百年以上も前。
死と痛みと暴力が主のように居座る時代に置いて、彼女が武器として振るったのは―――数字だった。
「由々しき事態である」
重々しい一言で、緩んでいた室内の空気が張り詰めていく。広々とした室内の大部分を占拠する円卓を囲む者達は、言葉を発した男へと注目した。何を言い出すのだと胡乱な目を向ける者も居れば、本意を確かめるように探る目をした者、あるいは男の言葉に反感を隠そうともしない者も居た。
彼らの多くは初老の域を越えている。かつては鍛えられたであろう体に、年相応の肉を付け、身なりは上等で、中には高価な宝石や装飾品で着飾っている。まるで自分の財力を周りに見せつけるかのようだ。
一方で、場の空気を払拭した男は華美とは反対な実直な出で立ちに、無表情とも取れる厳めしい顔で周りを見据えた。
「由々しき事態である。……率直に言おう。このままでは、ギルドは遠からず崩壊するぞ」
重々しい口調で告げられた内容に、集まった三十人近い男たちは一斉に息を呑む。それは彼らにとって死刑宣告であり、同時にあり得ない荒唐無稽な話だった。
「何をあり得ないな事を口走っておるのだ。各支部の長が集まる定例会議に置いて、そのような戯言を聞かされるとはな。貴様も老いたんじゃないのか、ジョージア?」
十本の指に宝石が付いた指輪を嵌めた、肥満体型の男が含む様に返した。
明らかに男を馬鹿にした発言だが、周りは窘めるどころか隠しきれない失笑が広がった。つまり、それだけ事実を事実として認識していないのだとジョージアは内心忸怩たる思いでいた。
もっとも、男もその事実を正確に捉えきれず、肌で感じていた。こうして言葉に出せるようになったのは、ある人物からの指摘だった。
他のギルド長達が、自分の発言を頭から信じないのも仕方ないと認めた。
「老いたのはお互い様だ、ピグロ。それよりも、何故、ギルドの危機があり得ない、と言ったのか。その根拠を聞かせてもらおう」
「あり得ない事だから、あり得ないと言ったまでだ!」
ジョージアの剣呑な視線に怯むことなく、ピグロは円卓を宝石まみれの手で叩く。その際に、指輪の金具が壊れるも男は気が付いていなかった。
「確かに十年前までは、ギルドは危機的状況だった。師父が死去され、残された馬鹿息子共によって国が分裂と併合を繰り返し、結果として都市国家をこの場にいるギルド長達が治める事で混乱は終息したが、その間に『冒険王』の遺産は散逸した。ギルドを維持するための資金は底を突き、消滅するか、あるいは独立独歩の精神を捨てて別の勢力に飲み込まれるか。その二択しかなかった。だが、そこに救いの手が現れただろう」
ピグロの演説に、周囲の者は同意するかのように頷いた。ジョージアとて、彼の言い分は身に染みるほど理解していた。彼らの師父であり、指導者だった『冒険王』エイリーク・レマノフが急死したことにより、ギルドは過酷な状況に追いやられた。
日々、激変する情勢に翻弄され、誰が味方で、誰が敵なのか分からず。数年経ってようやく落ち着いて周りを見渡せば、誰も彼もが傷つき血を流し、今にも倒れそうな程衰弱していて、それを待ち望む死肉漁りの獣たちが待ち構えていた。
そんな絶体絶命の状況から今日の繁栄を得たのは、言葉通り天からの遣いだった。。
天井から吊り下げられた光源をピグロは指で示した。
「ギルドの一職員だった『科学者』ノーザンがこの世に送り出した魔法工学の道具。これをギルドが独占的に販売し、世界中に普及させることで、俺達は首の皮が繋がった」
「その点に関しては貴様の言う通りだ。師父エイリークと同じ、『招かれた者』である彼によって、我らは救われた。魔法工学の道具が持つ利便性と、汎用性の高さに貴族、王族を始めとした上流階級はこぞって買い集めた」
「そして広く道具が普及すればするほど、価値を増していき、需要が高まった物もある。それが魔石だ」
魔法工学の道具によって豊かになる社会。それを支え動力源となった魔石の価値が高まっていくのは必然と言えた。魔石の入手方法は迷宮が生み出すモンスター。迷宮を数多く管理していたギルドが、魔法工学の道具と魔石。その両方を独占していた。
経営不振から方針転換かあるいは廃業を余儀なくされる瀕死の会社は、一人が生み出したアイディア商品を武器に、不死鳥の如く蘇った。ノーザンは今も新しき魔法工学の道具を生みだす為に『研究所』に篭り、『工場』では彼の設計図を元に道具が大量生産されていた。
「まさに、我が世の春。この黄金時代を迎えたギルドがどうして危機的状況なのか、儂にはとんと分からんな。是非ともご教授願いたい。ガハハハ!」
ゲラゲラと肥えた腹を抱えて笑うピグロだったが、ジョージアは冷然としたまま言い放つ。
「これから配る資料を開けば、吾輩の言いたいことが理解できるだろう。君、頼むぞ」
ジョージアの合図に、それまで後ろで控えていた女性の秘書が、重たい羊皮紙の束を抱えて円卓を回る。
「ふん。相も変わらず、気取った奴め。……なんだ、これは」
不満げな声はすぐさま訝しむ物となった。彼らの手元に配られた羊皮紙には大きく、ギルドの抱える不安的要素と表題が記され、拍子を捲れば不思議な絵が描かれていた。
縦軸と横軸に数字が刻まれ、その中を色分けされた棒や、あるいは線が左から右へ、あるいは上から下へと伸びていた。
厳格なジョージアならば、難解な言葉の羅列だろうと身構えていた分、肩透かしを食らった気分にピグロは疑問をぶつけた。
「おい、ジョージア。これは何の絵なんだ」
「絵ではない。グラフという物だ」
「ぐらふ? そいつが何だというのだ」
ピグロの緩んだ顎が喋る度に震えるが、ジョージアはこれ以上説明しても無駄だとばかりに無視をした。資料に目を落としながら、説明を始めた。
「一枚目の資料は、吾輩の支部における、ここ五年間の新規冒険者の数を表している。年々、右肩上がりなのは一目瞭然だろう。一昨年よりも去年が。去年よりも今年の方が新人の数は上昇した」
「だろうな。何しろ、魔石の値段は天井知らず。高騰し、それでも買い漁る貴族が居る以上、冒険者の数は足りないぐらいだ。若者にしても、師父の冒険譚に触れて憧れを抱き、稼げる手段として冒険者を選ぶのは自然な流れだろう」
「同様の調査を他の支部で行った所、吾輩の支部と上昇率が同じ支部の数は十五。それ以上が十ある。支部の数が三十三の内、実に二十五のギルドで新規冒険者の数は増加している事になる。それを踏まえたうえで、次の資料を」
室内に紙を捲る音が響き、直後に困惑の声が漏れた。
ジョージアはその声に手ごたえを掴んだ。
「これは吾輩の支部における、引退かあるいは死亡した冒険者の数だ。横にあるグラフは、一枚目の、つまり新規冒険者の数を表した物だ」
二枚目のグラフは、形式こそは一枚目と似ていたが、上に向かって伸びる棒線の色が二色に分かれていた。上段が青色で、下段が血のように赤い。
「二色の棒だが、上が重傷や、何らかの事情で冒険者家業を引退した者の数を。下が死者の数を表している。といっても、下に関しては推定とさせてもらおう。何しろ、定住する冒険者でも無ければ、正確な数字は計りにくい」
ジョージアの説明は周りの者達の耳に届いていなかった。彼らは縦線の、居なくなった冒険者の数に衝撃を受けていた。
兄弟が背を競うように並ぶ俸線。こうする事でグラフの持つ意味が、直接的に伝わった。
二色で構成された棒線は、一色で構成された棒線とほとんど同じか、あるいは前者の方が高い。
つまり、死者及び引退する冒険者の数が、同じ年の新規冒険者の数を上回っていた。
「おい、ジョージア。新規冒険者の棒の中に振ってある数字は、何なのだ。四とか、三とか、二の年もあるな」
「それは割合だ。大よそで申し訳ないが、その年の新人冒険者の内、五体満足で翌年を迎えられた冒険者の割合だ」
「なっ!! ……たったこれだけしか、生き残れないのか!?」
厳格な男が渋面を縦に振れば、彼方此方で信じられないといった呟きが漏れ出した。だが、一方で全員が口に出さずとも納得できることもあった。
ここ数年、冒険者の顔ぶれが一定しないのだ。危険が伴う家業の為、あまり深く考えていなかったが、見慣れない顔は覚える前に消えて、懐かしい顔を見かけなくなって久しい。
ただ、それは個人の記憶を頼りにした認識であり、彼らは付き纏う違和感を、そう言う事もあるかと放置していた。
「放心しているところ悪いが、続いて三枚目、四枚目の説明もさせてもらうぞ。三枚目は支部周辺にある複数の山村の人口を、性別と年代別に分けた物だ。見ての通り男性の若手が非常に少ない。そして四枚目が年別の作付面積と収穫量のグラフだ。どちらも年々減っているのが分かるだろう」
「待て。待て、待て、待て! つまり、何が言いたいのだ! 貴様は、このグラフとやらを使って何を示したいのだ!」
一気に場の主導権を取りに来たジョージアに対して、巻き返しを図ろうと叫ぶピグロだが、その表情は資料を開く前と違い、焦燥が前面に現れていた。彼だけでなく、他の支部長も、危機的状況を遅まきながらも実感したのか、表情を青ざめていた。
その結果に満足するジョージアは会議の初めから告げていた危機的状況の意味を明かした。
「このまま行けば、数年以内に冒険者の成り手は激減する、と言う事だ」
「そんな馬鹿な! 魔法工学の道具を使う限り、魔石は必要となる。冒険者に成りたいという者は大勢現れるだろう!」
「確かに大勢現れた。だが、数字は偽りを述べないぞ。新規冒険者が次の年までに生存する確率は平均すれば三割を切り、全体の冒険者の数は年々減少傾向。同時に実力不足も目立ち始めた。五枚目の資料を見れば分かるだろうが、ギルドに持ち込まれる魔石自体の数も、質も下がっている。皆が初級や低級のモンスターを中心に倒しているのだ」
魔石の価値は、モンスターの強さに比例する。強ければ強いほど、得られる魔石は高品質となり、エネルギーを多く必要とする高価な道具や、あるいは長期に渡って安定した稼働を保証する。
品質が低い粗悪な魔石だと、その逆だ。
「それでもいいからと貴族たちは粗悪品を買い占めていくが、粗悪な魔石では道具を長く、安定して使えず、不満の声も上がっている。今の品質しか取れなくなれば、ギルドの魔石を買う者は居なくなるぞ」
今ある魔法工学の道具を維持できるだけの魔石が無くなれば、道具も使えなくなる。使えない道具に大枚をつぎ込むのはおらず、ギルドの春は散る事になる。
「だ、だからといって、冒険者の成り手が居なくなるというのは、発想が飛躍しているのではないか」
「残念ながら、そうでもない。いいか? 人間とは作物のように短期間で成長し、出荷する訳ではない。生まれてから十五年程度の時間を経て、ようやく一人前だ。つまり、人の数には限度があるのだ」
人の数もまた資源である。ジョージアはそう口にしていた。
その意味を理解し嫌悪感を抱く者も少なからず存在したが、彼らは閉口するしかなかった。完全に場の主導権はジョージアが握っていた。遮る事は誰にも許されない。
「新人冒険者の大半は田舎の次男坊、三男坊だ。土地を継ぐのは長男で、自分たちが土地を得るには新しく開墾しなければならない。そんな彼らは家族を助けるために、冒険者になる。出稼ぎの一種だ。故郷に残された家族も、彼らの仕送りを頼りにしている部分がある。だが、そのようにして冒険者になった七割が死ぬのだぞ。送り出した貴重な働き手が死に、期待した仕送りも無くなれば、残った家族に待っているのは苦しい現実だ。五枚目を見てもらおうか」
開いた羊皮紙には、右肩上がりの折れ線グラフが記されていた。その表題を見て、誰もが苦い顔をした。
「商人ギルドにて流通している奴隷の数もまた、年々上昇しているのだ。困窮からか、口減らしからか、身売りしているのだ」
再びうめき声が室内に蔓延する。彼らには、これが単なる数字の変動を記した図には見えなかった。ここに記されているのは、名も知らぬ者達の怨嗟の声を凝縮して形にした物だ。見ているうちに、彼らの荒んだ瞳が返ってくるようだった。
誰もが、知らずの内に右手の甲を撫でていた。
そこに刻まれていた刺青は、エイリークとの絆であると同時に、彼らのかつての身分を示していた。
「最後の資料を見てくれ。これは円グラフという物で、吾輩の支部で聞き取りした結果を表している。冒険者が引退を決めた理由だが、見ての通り三割を超えた一位の理由が、新規冒険者の失敗による物だ。彼らが迷宮内でとった行動が引き金となり、重傷を負った。あるいは、パーティーが壊滅した等の意見が多かった」
もう、誰もうめき声も出す事は出来なかった。
ここに集まった各支部の長たちとて、現場を知らない訳ではない。上げられる陳情も無視していた訳ではない。しかし、盤石と思っていた繁栄が、予想外にも脆い事に衝撃を受けていた。
「これらの資料から纏めると、現状、冒険者の数と質は緩やかに落ちている。原因は新人冒険者が、最低限の指導も受けずに迷宮へと潜り失敗を引き起こし、被害を拡大している。指導できるベテランは数を減らし、新人も年を跨ぐ事も出来ずに死んでいっている。
そして、近隣の村では若者が冒険者に成り、無為に死んでいくことで貴重な働き手を失い困窮した結果、奴隷落ちする者が増えていき、村としての形を維持できなくなりつつある。作物と違い、人は一年や二年で成人にはならない。今回調査した村の中には、若者が冒険者になる事を固く禁じる村も確認された。冒険者の数、質が低下すれば、魔石の価値にも影響を与え、我らは重要な収入源を手放す事になる」
一拍開けて、ジョージアは自分が訴えたかった事を告げた。
「五年、あるいは十年後。ギルドが存続しているか、楽観を持って告げる事は、吾輩にはできん。そうなれば、師父エイリークの遺志を、最期のクエストを達成することは不可能となるだろう」
その未来はジョージアの胸中を深く切り裂く。厳格な男が垣間見せた沈痛な表情に、政敵であるピグロでさえ共感できた。
目元を拭えば、男は元の自分を取り戻した。鋭い双眸を前に向けて、雄々しく言い放った。
「……吾輩は、それが無念だ! 叶う事なら、この手で成し遂げたい。だが、もう吾輩も老いた。貴様等も同じだ。後進に願いを託すしかない。だが、このままでは後進が途絶えてしまう。吾輩は、この危機的状況を立て直す、打開策を提案したいのだ!」
「それは……何なのだ? 貴様は何を提案するつもりだ」
誰も彼もが、あのピグロでさえ自分の言葉に救いを求めるように身を乗り出していた。
ここまでは上手く事が運んでいた。
彼女が数字を集計し、実情を調査し、統計を纏めた資料。そして会議に出席する各支部の長たちの性格、来歴、力関係などを元に予想された質疑応答集と、台本通りに全てが進んでいた。
ジョージアは自分に用意された台本に従い、台詞を諳んじた。
「学び舎を作るのだ。冒険者になろうとする若者たちを集めた、学び舎を」
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は水曜日頃を予定しております。




