8-70 出した答え
夜空に浮かぶ星々を隠すように雲が流れていく。
雲の隙間から零れた光が荒野の闇を切り裂く中を疾走する馬列が居た。数は十にも満たず、足元も覚束ないような暗さだというのに、昼と変わらない速度を出していた。特に先頭を走る馬は、他の馬たちよりも一歩前を行く。
乗り手の技量が為せる技か、あるいは乗り手の逸る気持ちが馬に伝わるのか。
ともかく、闇の中でも映える金の髪を靡かせ、少女は疾走する。すると、馬列の進む方向に突如として砦が出現した。岩や土で構築され、堀や土塁などが周囲を取り囲む、即席ながらも堅牢な砦に松明が掲げられ、闇の中で浮かび光の城のようにも見えた。
この集団にとって、そこが目的地だったのか。馬列の速度は先頭の少女が加速するのに合わせてさらに早くなった。あっという間に砦の入り口へと辿り着いた一団の前に兵士たちが槍を向けた。
「待たれよ。このような夜更けに、何者だ!」
昼の戦争から多少なりとも時間は経過したが、それでもデゼルト国の兵士たちには戦争の熱が残り火のように存在した。鼻息荒くする番兵たちに、金髪の少女は早口でまくし立てた。
「我らはダリーシャス陛下から留守役を仰せつかったラシード・ナキ様より派遣された者共です。陛下に至急お目通りを願いたい」
「む。それを証明する物はあるか」
問いかけに馬列の中から進み出た男が、懐から羊皮紙を取り出すと番兵に手渡した。松明の下開封されたそれは、確かにラシードの花押があり、正式な命令書であった。だからといって、上の者の指示を仰がない訳には行かない。
「しばし待て。今、確認を取る」
事務的な対応だが必要な手続きである。男―――ヌギド族の若頭であるクトゥスは納得して引き下がろうとするが、金髪の少女は待ちきれないとばかりに手綱を握りしめていた。
この数日、行動を共にした少女が、離れ離れとなった主や仲間、そして妹の事でどれだけ心をすり減らして来たのか間近で見ていた。クトゥスは我ながら甘いと思いつつ、足を止めて口を開いた。
「すまんが、その前にこの者だけでも中に入れてはくれまいか」
どういう事だと訝しる番兵と、指を向けられた少女。彼ら以外にも声が届く様に男は息を吸い込んだ。
「この者は、神前決闘、そして黄龍討伐にも一役買った《ミクリヤ》に所属する冒険者、エリザベートだ。彼女の仲間である《ミクリヤ》のレイがこの砦に居るはずだが、早く会わせたいのだ。すまんが、目こぼしを願いたい」
「《ミクリヤ》の! それは……申し訳ないが、私の一存では決めかねます」
一瞬だが好反応を示した番兵だが、教育が行き届いているのだろう。特別扱いは認めてもらえなかった。しかし、クトゥスの狙いは最初から彼では無かった。
「驚いたな、本当にエリザベートちゃんじゃないか」
闇夜の中から姿を現した男をリザは知っていた。包帯などで顔や腕などを覆っているが、間違いなく《神聖騎士団》の槍使いだ。彼の事は番兵も知っているのか、慌てて頭を下げた。
クトゥスは暗殺者として、強者の気配には敏感だった。おそらく馬の蹄に気が付いて様子を見に来たのだろう。高位冒険者の気配が近いと判断し、それが《神聖騎士団》の誰かだと推測して大きな声を出した。
「良かった、目を覚ましたんだな。それで、レイ殿たちに会いに来たのか。君、すまないが、私達の顔を立てて、ここは我儘を通してはくれないか。無論、責任は私が受け持とう」
法王庁の、それも《神聖騎士団》のメンバーにそこまで言われれば、番兵としても拒否することは出来なかった。彼は頷くとリザの入場を許した。
「あ、ありがとうございます!」
「さあ、中に入ろう。レイ殿たちが休んでいる部屋まで案内しようじゃないか」
馬から飛び降りたリザは、特例を許した番兵とその為に骨を折ってくれた槍使い、そして自分の気持ちを察したクトゥスに頭を下げて砦の中に入った。
内部は夜更けだというのに兵士たちが眠らずに、戦後処理に奔走していた。砦の中に収容しきれなかった軽傷の兵士たちが地面に布を引いて横になり、その隙間を動ける兵士たちが埋めていく。
岩と土で出来たたとは思えないほどの精巧な砦の各所に松明が掲げられ、人の影が壁を通り過ぎていく。おそらく、このどこかにダリーシャスも居るのだろう。
「ここだ。この階段を昇った先に、レイ殿たちは休んでいるよ」
槍使いが示した階段に向かって駆け出す直前、リザは慌てて頭を下げた。逸る気持ちが、肉体を動かしていた。
彼女は階段を何段も蹴り飛ばして駆け上がる。首都オーマットから、昼も夜も碌に休まず移動を続けた体は限界に近いが、彼女はそれを意思の力でねじ伏せる。肝心要の時に眠っていたのだ。この程度で足を止めている場合ではない。
数十段はあった階段を僅か五歩で踏破したリザの視界に飛び込んできたのは、見慣れたシルエットの少年だった。
通路の壁に凭れて胡坐をかき、紅蓮の刀身を膝に乗せた少年は驚いた様子で階段の方を振り向いた。
黒色の瞳と青色の瞳が交差した。
「リザ……リザか! 良かった、目が覚めて、ってどうして君がぁ!!」
言葉は最後まで続かなかった。レイを目にした瞬間、リザは少年めがけて飛び込んだのだ。危く龍刀が巻き込まれそうになったが、直前にレイが放り投げた為に難は逃れた。もっとも、そのせいでレイは後頭部をしたたかに打ち付ける事となった。
衝撃で意識が一瞬遠ざかるが、そこは根性で堪えた。視界が明確になると、感覚も明瞭になる。レイは胸にしがみ付く少女が、氷水から這い出したように震えている事に気が付いた。
「レイ様。レティは、エトネは、シアラは、皆、無事なんですか!?」
砦に到着するまで、リザは心を押しつぶしかねない恐怖と戦い続けていた。レイとの奴隷契約はどれだけの距離が離れていても有効である以上、彼か、あるいは彼と奴隷契約を結んだ誰かが死ねば《トライ&エラー》が発動する。
彼女自身が死の連鎖を起こさなければ、それを知覚することは出来ない。レイ達が、どれだけ死を繰り返したのか、彼女に知る術は無かった。
こうして世界の時が進んでいると言う事は仲間の誰も死ななかった―――と言う事ではない。
《トライ&エラー》の発動条件は肉体の生命活動が停止することだ。つまり、瀕死の状態や、昏睡状態だと発動しない。それに、《ミクリヤ》の中でエトネは《トライ&エラー》の恩恵をあずかれない。だから時間が進んでいるからといって仲間が無事だとは限らないのだ。
契約で繋がりながらも、蚊帳の外に置かれたリザの恐怖は、不安は、筆舌にし難い。
正気を保つのも難しい極限状態の中、それでもと自らに言い続け、リザは此処まで来た。そしてレイの無事な姿を見て、感極まると同時に、姿の無い仲間達を思い最悪の不安が頭を過った。
暗闇でも怯えの色が浮かぶ青色の瞳を至近距離で見つめたレイには、彼女の不安が直接流れ込んでくるようだった。だから、彼は安心させるように笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。皆、無事だ。誰も大怪我もしていない。流石に無傷とは言わないけど、今は部屋の中で眠っているよ」
その一言がリザの心を包んでいた暗黒の雲を晴らした。金色の髪がレイの胸板で広がりリザは顔を突っ伏した。
「良かった。本当に、良かった。皆に何かあったら、私は、私は」
それ以上は言葉にならない。嗚咽が零れる中、レイはリザの頭を撫でていると、岩の壁に紅蓮の煌めきが投影された。
しまったと思った時には遅かった。投げ出された紅蓮の刀身から不機嫌な声が耳朶を震わした。
『妾をぞんざいに扱った事。生涯に渡って忘れんと誓ってやろう』
それからほどなくして。どうにか落ち着いたリザと、宥め梳かし煽て謝る事で機嫌を直したコウエンを前に、レイは黄龍戦が終わってからの事を語り出した。
帝国との戦争が避けられないと分かり、出陣したダリーシャス達を助けるために、そして早期終結を狙うために自分たちも向かった事。到着した戦場では両軍の主力がぶつかり合い、六将軍の他に『勇者』までも姿を現した事。六将軍第六席ディオニュシウスと激突した事。
そして、勝ち目のない戦いに勝利するために、レティが覚悟を決めた事をリザに伝えた。
「……そう……ですか。あの子は、『勇者』の前に……出てしまった……のですね」
レイと同じように壁に凭れながら座るリザは脱力と共に無念の吐息を漏らす。
「すまない。僕らがもっとしっかりしていれば、彼女にあんな覚悟を抱かせずに、戦争を終わらせることが出来たはずだ」
「いえ、謝らないでください。正直……此処に来る途中で、この可能性は、何度か考えていました。敵が帝国である以上、『勇者』が登場するかもしれない。あるいは、私達の事を知っている者が現れるかもしれない。ですが、それでもレティは、秘密を明かさないと思っていました。でも……そうですか。あの子は、秘密を明かしてしまう事より、皆を失う事の方がよっぽど怖いと、そう思えるようになったのですね」
それはレティが口にした事と一致する。彼女はレイ達を守る為に、禁断の箱を開けたのだ。飛び出してくるのが絶望だと知りつつも、最後に残された希望を掴むために。
「姉として、そのことを嬉しく思います。戦奴隷の身に落ちてから、あの子がそんな風に、心から守りたいという居場所が出来た事に。本当に嬉しいです」
自らの胸の前で拳を握ったリザは、しかし直後に不安そうにレイを見つめた。不安に濡れた瞳は、闇夜の中でも微かに光っているようでもあった。
「それで……あの子は。全てを、お話になったのですか。我等姉妹の……秘密を」
「……君達の母親が現皇帝の妹であり、そして彼女の父親がその皇帝だと言う事……だよな」
レイの言葉に、リザは下唇を噛んだ。
ウィンドヘイル家において、最大級の醜聞であり、帝国の守りを担っていた大貴族が内乱を起こした理由なだけに、彼女にとっても忘れがたく、そして思い出したくない過去である。
そんな状態のリザに対して質問を投げ抱えるのは酷だと思いつつも、レイは確認するべき事柄があった。
「これは事実なのか。その血を分けた兄と妹が……その」
「事実です。父上が戦死なされたとの報せと共に届けられた日記……というよりも備忘録のような物でしょうか。修道院が焼け落ちる前、シスターから手渡されたそれは奴隷の身に落ちても隠し持つことができ、父の慟哭が記されていました」
元々、皇帝バルボッサは皇帝就任時に自らの弟妹を皆殺しにした事で悪名高い男だった。流石に理由も無く帝室の人間を一方的に処刑にする事は出来ず、一人一人、罠に掛け、あるいは事故として処理した。
その粛清の嵐が終わった後にひょっこりと現れたのがグレース・スプランティッド。
まだ赤子だった彼女は、前皇帝の、つまりバルボッサの父親が密かに手を着けていたメイドから生まれた子供だった。粛清の嵐が吹き荒れた時、彼女は身重であり、王宮から姿を消していた。嵐が止んだ頃に、生まれた子供と共に姿を見せたのだ。
他の国ならば、そのような話出鱈目だと一蹴されるが、しかし帝国に於いてはある問題の為どうしても確認が必要となる。
『勇者』への命令権の有無と序列だ。
民衆の中にジグムントへの命令が可能となる人材が居ては、どのような事に悪用されるのか分からない。赤子だったグレースはジグムントの前に連れて行かれた。例え物言えぬ赤子であっても、帝室の子ならば、ジグムントは反応するのだ。
そして『勇者』は大方の予想を裏切り反応を示した。これで彼女が前皇帝の娘であり、バルボッサの妹だというのが証明された。流石に普通のメイドの娘だと発表するのは体裁が悪く、母親であるメイドは四大貴族には劣るが、それなりの格を持った貴族の養子となり、グレースは帝室に入る事になった。
バルボッサは新しく帝室に加わった妹を無視した。まだ赤子だったため、他の弟妹のように危険分子として始末するという考えには至らず、出自の関係から潜在的な脅威ともなりにくい、無害だと判断したのだ。
そのお蔭というべきか、グレースは穏やかに、そして美しく成長し、社交界では帝国の宝石と謳われるほどにまで育った。
本来なら一定の年齢になれば、どこかしらの貴族、あるいは他国の王族へと嫁がせる事になるのだが、今度は彼女の出自が問題となった。彼女は皇帝の血族ではあるが、メイドの、市井の人間から生まれた子。他国へと嫁いだ後にその事が問題視された場合、帝国とその国の間に溝が出てきてしまう。かといって適当な貴族を国内で見繕い、それに嫁として与えたとしても、国内の貴族間のバランスを崩しかねない。
結局、正室を失ったばかりのウィンドヘイル家に押し付けるような形で嫁がせる事になった。
「それでも、父と母の間柄は良かったのです。……でも、レティが生まれてから徐々に、徐々にですが屋敷の空気は変わり、母を見る周りの目が、厳しい物へと変化していきました」
一年以上、反乱沈静の為に領地を留守にした夫と、その留守の間に子を妊娠した妻。その相手が実兄であるバルボッサだというのは知らないまでも、グレースが不貞を働いたのは確実だった。
「そして、決定的だったのが、母の死でした。病弱だった母はレティを生むと、一層体を悪くしました。それからしばらくして、この世を去りました。帝室の人間が亡くなった事もあり、葬式は領地を上げて行われましたが、そこで父は皇帝に呼び出され、そして妹を差し出すように命じられ、拒絶したと備忘録には記されています。葬式の次の日には、姉妹で修道院にて暮らすようにと言われ、追い出される形で領地を後にしました」
「……それで、内乱が起きたんだな」
「はい。といっても、父が反旗を翻した事を知ったのは、随分と後になってからです。首都まで攻め入った反乱軍が逆にジグムントの聖剣に焼き払われてから、ようやく周りが教えてくれたんです。同時に、父が戦死したことも」
指揮官として反乱軍を纏めていたオスバルト・ウィンドヘイルは、首都での戦いで死亡。彼の卓越された指揮能力と四大貴族の一角として内部事情に詳しかったがゆえの勝利。オスバルト無くして、反乱軍に未来は無く、それを失った反乱軍は呆気なく瓦解した。
「兄上たちも相次ぐように戦死。その後、領地まで侵攻され側室の方々と共に、戦場に出るような年でもなかった者達や、家臣たち。それに仕えていた使用人まで処刑されたと聞きます。草の根を掻き分けるどころか、森を焼くような勢いで粛清が行われたのは、やはりレティを探し出すためです」
「この地上で『勇者』に対して絶対的な命令を下せる存在だからか。でも、待ってくれ。レティは確かにジグムントの動きを止めたけど、それだけだ。他の命令には何の反応もしなかったぞ」
レイの疑問に対して、リザはあらかじめ答えを用意していたかのように淀みなく返した。
「昔、幼帝と呼ばれた皇帝が居ました。帝位に就いたのはちょうど今のレティと同じぐらいだったはずです。全権を担うにはあまりにも幼いという考えから執政が付きましたが、その時にジグムントに新たな式が加えられたのです。序列一位であっても、成人していなければ命令は一部しか受け付けない、と。幼帝の暴走を危惧した、周りの判断なのでしょう。レティの命令にジグムントが全て従わないのは、おそらくそのせいかと」
「この世界における成人というのは」
「十五です。つまり、三年後にはレティの下す命令をジグムントは全て受け入れ、実行する事になります」
『勇者』ジグムント。『七帝』の一角であり、なおかつ自分と同じ『招かれた者』である彼が同格のサファとぶつかりあった現場にレイは立った。平坦だった大地は波打ち、亀裂が走り、隆起した地形へと変貌し、国防の要である砦は全壊していた。
そんな驚異的な力がたった一人の少女の意思に従うという事実に、恐怖すら感じていた。
そしておそらく、この恐怖こそが皇帝バルボッサを追い込んだのかもしれない。
「帝国という国にとって『勇者』は帝位の象徴。皇帝バルボッサは将来の禍根を絶つために、そして自分の不道徳な行為を闇に葬る為に追撃部隊を編制し、『勇者』まで投入しました。それを指揮するのは次期皇帝と目されているゴルディアス・スプランディッド」
「その男が君達を見逃したんだね。その辺り、レティは意識が曖昧だったとかでよく覚えていないらしいんだけど、具体的には何があったんだい」
当時、レティはゴルディアスに生きたいかと問いかけられ、頷くと同時に意識を失ったという。話を聞いていて、レイは無理も無いと納得してしまう。生まれ故郷である修道院を襲撃され、家族同然の人々を殺され、その果てに死の象徴であるジグムントと対峙し、辛くも生き延びたと思ったら自分の出生の秘密に直面し。そして幼い少女は生きるか死ぬかの選択肢を極限状態の中で決めさせられたのだ。気絶していてもおかしくない。
目を覚ました時、既に何もかもが終わっていて、戦奴隷として国外へ運ばれる最中だったそうだ。
「第一皇子からの問いかけに答えた後、彼は一つだけ条件を定めました。それは私達が奴隷の身分から解放されない事です」
それはリザが昔から口にしていた事と合致する。彼女らは奴隷の身分から解放されるのを酷く拒絶していた。
「帝国の規範において、奴隷に貴族位は与えられない取り決めになっています。奴隷紋は、生命に関わること以外なら、大抵の命令を下す事が出来ます。規範はそれを避けるために出来ているのでしょうが、レティは奴隷である限り皇帝に祭り上げられる事はないとゴルディアスは口にしていました。そして奴隷でいる限りは、自分は決して手を出さないとも」
「もしかして、奴隷の身分から解放された場合、その事が向こうに知られるようになっているのか?」
「おそらくはそうかと。レティが気絶している間に、何人かの魔法使いが呼ばれ、私達に何かを仕込んでいきましたから。その代り、確かにゴルディアスは約束を守りました。少なくとも、彼の手の物が私達を狙った事は一度もありません。……ですが、ゴルディアス以外の王族、あるいは貴族の使いらしき者が接触してきた事は一度ならずありました。……命を狙われたことも何度か。……どうやら、あの男の口にしていた餌の役割を、私達はこなしているようです」
姉妹の情報を使い、政敵をおびき出し背中を見せた所を討つという効率的な方法を取るゴルディアス。彼はリザ達が奴隷でいる限りは命を取らないと約束し、それは今の所守られているようだった。
もっとも、その約束が永劫続くかどうかは甚だ不安だった。リザにはある懸念があった。
「三年後には、あの子も成人します。そうなれば、ジグムントの命令権は、あの子が最上位となります。あの子が帝国を滅ぼせと命じれば、『勇者』は何の疑いも無くそれを実行し、皇帝を始めとした帝室の人間は止める事が出来ません。……そのことをゴルディアスが見逃すとは思えません。……あの男は口にしていませんでしたが、おそらく成人するまでの間にレティを殺すつもりなのでしょう」
「そうか。リザがジグムントを、『勇者』を倒すと誓ったのは何も家族の仇だけじゃないのか」
リザの言動や、レティの打ち明けた話が一つの線となって結びついた。彼女にとってジグムントを倒すというのは、別の意味合いも含まれていた。
「『勇者』を倒す事で、レティを解放するのが君の願いであり目標なんだな」
「はい。その通りです」
生まれた事が罪であり、生きている事が罪であるとされたレティ。その根幹にあるのは『勇者』ジグムントに対する命令権だ。
「ジグムントに絶対の命令を下せる存在。それがレティの、他者から見た最大の価値です。でもそれは、『勇者』が存在するからこそ成り立つ価値であり、『勇者』が存在しなければ無用となります」
―――だからこそ、私は『勇者』をこの手で討つと決めたのです。
痛々しいまでの決意で彩られた横顔をレイは黙って見つめる。十にも満たない年の頃の少女がその決意を抱き、戦奴隷の道を選び此処まで来るのは並大抵の苦労では済まなかったはずだ。
歯を食いしばり、体に自ら鞭を打つようにして此処まで来て、そしてここから先は更なる茨の道を突き進む事になる。
あのサファですら、苦戦を強いられたという事実にレイは戦慄と恐怖を隠せなかった。
「それで、ジグムントは今どこに居るのですか。レティが停止の命令を出したのですよね」
「それが、綺麗に消えちゃったんだよね」
どういう事だと首を傾げるリザに、レイは状況を説明した。
主戦場から剣戟と応戦の音が小さくなっていく頃、レティに傅いていたジグムントが突如として動き出したのだ。戦いを挑んでくるのかと青ざめるレイ達を尻目に、『勇者』はその場を立ち去った。
後から話を聞いたマクスウェル曰く、序列では上だがまだ成人していないレティの命令を受理した結果、その前に受理した命令が実行不可能と判断したことで帰投したのではないか、と。
事実、彼が立ち去った方向は帝国の、それも首都がある方角だ。もっとも、間には複数の国家や海が広がっている。
「もしかして、泳いで帰るつもりなのかな」
「それは……あり得るかもしれません。……そう、ですか。もう、この地には居ないのですね」
無念そうに呟くリザに対してレイは言葉を鋭くした。
「まだ、戦わせるつもりは無いから。今の君や僕らが挑んだところで、一瞬で斬り殺されるのが目に見えている」
その言葉はリザにとって意外なのか、彼女は驚きを相貌に浮かべた。
「何だよ、その顔は」
「あ、いえ。その。……止め、無いんですか。……いえ、それよりも、私達を手放すつもりは」
「無いよ。今更、君達を手放すつもりなんて無い。それだけははっきり言っておくよ。これは僕一人の意思じゃなく、《ミクリヤ》としての総意だ。シアラも、エトネも同じことを言った」
当たり前のようにリザの質問をレイは否定した。
レティの悲しい過去の告白を聞いた直後、レイはシアラとエトネ、そしてレティにこう告げていた。
「僕は彼女達を手放すつもりは無い。その結果、帝国と敵対する事になっても仕方ないと思っている。でも君たちが、それは危険だと思うのなら、ここで別れよう。幸い、ダリーシャスがこの国の王様だし、法王庁の人間も居る。帝国もそう簡単には手を出さないはずだ。情勢が落ち着くまで身を隠すにはうってつけだろう」
その言葉に対する答えは、用意された客室に備わった枕による投擲だ。
戦奴隷の契約に縛られているシアラにとって、契約違反すれすれの威力を発揮した一撃は、レイの頭部に直撃した。
「見くびらないで頂戴、主様。それにレティ! アンタが帝国に命を狙われるのなら、ワタシは六将軍から命を狙われるのよ。どっちもお互いさまで、ワタシはこのパーティーを抜けるつもりなんかない。だからこの先も迷惑を掛けるかもしれないけど、アンタも思いっきり迷惑を掛けなさい。……それを助け合うのが、仲間でしょ」
「エトネには、むずかしくてよくわかんないや。でも、レティおねいちゃんや、リザおねいちゃんがわるくないのは、わかるよ。それで、エトネはみんなといっしょにいたい。だから、いちゃだめかな?」
二人の言葉はレティにとっては救いだったのだろう。彼女の宝石のような翠の瞳から涙は溢れ続け、それに感化したかのようにエトネまで泣きだした。いつまでも泣き止まない二人をあやしているうちに、シアラまで涙を流し、三人は泣き疲れたのか一緒のベッドで横になっていた。
その事を伝えると、リザもまた許されたように肩から力を抜き、眦に涙を浮かべた。
「パーティーとしても、降りかかる火の粉には対処する。『勇者』討伐にも協力するよ。どちらにしても、『招かれた者』である僕としても、『七帝』はどうにかしないといけない存在だからね」
『勇者』と、それを擁する帝国と敵対することあっさりと、言ってのけるレイに、リザは嬉しく思うと同時に、彼がこういうだろうとも予測していた。レイは決して愚かでは無い。自分たち姉妹と共にある事のリスクは承知しているうえで、それを受け入れたのだ。
その優しさは得難い物であり、何よりも尊い。
帝国からの追跡に怯え、戦奴隷として過酷な戦闘を生き延び、寄る辺も無く彷徨い続けたリザにとっては、何よりもの救いだった。
この人を守りたいと思う気持ちが強くなると、それを祝福するかのように雲に切れ間が出て、青い月光が二人に降り注いだ。
そして、リザは絶句してしまう。
それまでは薄暗く、松明の輝きも届かなかったから分からなかったが、レイの黒髪に混じる白髪が、また一つ広くなっていたのだ。
少なく見積もっても、頭髪の三割近くがまばらな白髪に染まっているのに衝撃を受けた。
「……レイ、様。その……御髪は」
「ああ、これね。……ディオニュシウスとの戦いで、《トライ&エラー・グレートディバイド》を使ったんだ。これはその結果さ」
軽く口にするが、それは更なる衝撃となってリザを貫いた。
能力値の低下。
白髪化の進行。
此処までは《トライ&エラー》でも起こり得るペナルティだ。しかし、《トライ&エラー・グレートディバイド》にはもう一つ、最大にして最悪とも言えるペナルティがあった。
「認識の喪失は、どうなっているのですか!? 私達の事が分かりますか!? ファルナの事は、ダリーシャス様、ラシード君、ナリンザ様はどうなんですか!」
認識の喪失によって誰が分からなくなるのか、それはレイですら知らない。『魔王』フィーニス相手に初めて使った時、失われた人の事をリザも知らないため、どのような基準があるのか分からないままだった。それゆえ、今名前を上げたのはリザにとって、レイの中から消えて欲しくない人物の名前だった。
レイはリザの必死な様子から安心させる為に穏やかに口を開いた。
「大丈夫。いま、君が名前を上げた中には居ないよ」
その答えにホッとすると同時に判明した事実もある。
やはり、認識の喪失は発生していた。
レイの中から一人、誰かが抜け落ちたのだ。
レイはその答えとなるべき物をリザに差し出した。それは手甲だった。鮮やかな朱色をした、拳から前腕の半ばまでを守る炎鉄の手甲は、レイが愛用していた防具だ。戦闘の激しさを物語る様に形が歪み、留め具が壊れている様だが修理すれば使えるはずだ。
「これが……どうしたのですか?」
「リザ、君にはこれが何に見える?」
「何と申されても……■■■■■にしか見えません」
予想できた答えだったが、レイは小さくない衝撃を受け止め、そして不思議がるリザに答えた。
「僕には君が何と言ったのか。そして、これが何なのかさえ、分からない。僕には黒い塊にしか見えない」
「……それはつまり……これを認識できないのですか」
その通りだとレイは頷くと、それまで沈黙を保っていたコウエンが口を開いた。
『此度、こやつが失ったのは■■■■族の■■■という人物じゃ。■■■という■に住んでおる。既にこやつから失われた■■■から教えられたのじゃが……レイよ、今の妾の発言から推測できる情報はあったか?』
「何も。個人を特定できそうな情報は一切理解できなかった。リザ、君はどうかな」
「私には普通に聞こえました。■■■の■に住む、■■■という人物ですね」
予想通りというべきか。やはりコウエンの知る情報をリザが代弁した所で認識の喪失は働いている。だが、今回の結果で一つ、《トライ&エラー・グレートディバイド》のペナルティに対して判明した事実もあった。
『こやつが患う認識の喪失。その法則の一つが判明した。それは―――順番だ』
「順番……ですか?」
「ああ。正確に言うなら、この世界に降り立ち、出会い、会話し、そして名前を知った順番に認識の喪失は発生するんだ。コウエン曰く、今回失った人は二番目に名前を知った人なんだ」
「出会った順番では無く、名前を知った順番なのですか」
「もしも、出会った順番だったら真っ先に君達二人を、僕は失う事になるね」
異世界エルドラド。
異郷の地に降り立ったレイが最初に出会ったのは他ならぬ、リザとレティだ。彼女たちはあの時、互いを愛称で呼んでいたからこの法則に加わらなかったとコウエンは分析していた。
「そうだったのですか。……今は、まだ《グレートディバイド》の方にしたままなのですか」
「まあね。この状態を維持していれば、次に使用しても認識の喪失は発生しない。六将軍も『勇者』も引き上げたけど、何が起きるか分からない以上、警戒しておくに越した事はないだろ」
レイの言葉にリザは項垂れてしまった。
彼を守ると決めたのに、肝心な時に寝てしまっていた自分が恥ずかしく、許せなかった。
「安心してください! 次は、次は必ず、お守りして見せます! 例え、相手が六将軍であっても、『七帝』であっても!」
「わ、分かったから。落ち着いて、リザ」
急に顔を上げ、興奮した様子で急接近するリザに、レイは慌てて距離を取る。すると、どこからか聞き覚えのある声が耳朶をくすぐったのだ。
「お、お姉ちゃん! しちゃうの、しちゃうの!?」
「しちゃうって、なーに?」
「アンタら、ちょっと黙ってなさいよ。それにここからじゃ角度が悪いわね。鏡でも持ってこようかしら」
彼女らなりに囁いている様だが、興奮しているのが手に取るようにわかる。レイが声のした方を向けば、薄らと開いたドアの隙間から三対にして四色の瞳が覗きこんでいた。
「覗きとは、良い趣味しているじゃないか、レティ、シアラ、エトネ」
「「「……あ」」」
気まずそうな声を上げる三人に追い打ちを掛ける様にコウエンが呟いた。
『なんじゃ、気づいておらんかったのか。随分と前からでばがめしておったぞ、こやつ等』
「ちょっと、コウエンちゃん!」
慌てて制止するレティだが、ドアが勢いよく開かれてしまいどうする事も出来なかった。見上げれば、そこに居るのは青い月光を背負ったリザだ。顔は影となって見えない。
「えっと……お姉ちゃん、もしかして、怒ってるかな?」
恐る恐る放たれた問いの答えは抱擁だった。
レティをこれでもかと力の限り抱き締めるリザ。それだけで十分、彼女の気持ちは妹に伝わっていた。レティもまた、答えるように力の限り姉を抱き締めたのだ。
ついでとばかりに、リザはシアラとエトネも捕まえて抱き締めていた。エトネは喜び、シアラは暑苦しそうに最初は脱出しようともがくも、リザの気持ちを理解し、されるがまま受け止めた。
一人、取り残される形になったレイは、コウエンを鞘に納めながら青い月光を見上げた。
リザが来るまで、コウエンと相談していた内容を反芻する。
《トライ&エラー・グレートディバイド》。
その能力がもたらす認識の喪失が、名前を知った順番ならば、次に失う人物もおのずと判明する。というよりも、判明してしまったのだ。
「次は、ファルナか。……僕は選ばないといけないのか。彼女を自分の中から消すのか、それとも敗北を認め、誰かの死を受け入れるのか。……まったく厄介な力だね、これは」
呟きを拾ったコウエンは、何も言わずに龍刀の中へと消えていった。
読んでくださって、ありがとうございます。
次回の更新は水曜日頃を予定しております。なお、次回で8章本編は完結となります。
その後は閑話を三本ほど予定しております。詳しくは活動報告などに掲載するつもりなので、そちらをご確認ください。




