8-69 姉妹の過去と真実 『後編』
「もちろん序列一位とはいえ、貴様を皇帝と認める者は皆無だ。いや、一人いたか。物言わぬ動く骸が貴様の唯一の民にして臣下だ。大事に扱え」
傑作だと言わんばかりに笑うゴルディアスだが、居並ぶ騎士たちは何とも言えない表情でレティを凝視していた。国に歯向かった叛逆者の娘でありながら、この国における絶対的な存在である『勇者』に対して皇帝以上の命令権を有する少女。
この矛盾が目の前の少女を得体のしれない怪物のようにしていた。
帝国において『勇者』とは物質的な帝位その物である。最強の人間兵器を有したがゆえに、帝国は今日まで続く強国となり、安全神話を確立してきた。
いま、その神話に揺らぎが生じようとしていた。この少女が猿ぐつわを外し、『勇者』に命令を下せば、止める事が出来る者は誰も居ない。それこそ皇子麾下追撃部隊の全滅を彼女がジグムントに懇願すれば、容易く実行されるだろう。
「殿下! 奏上いたします! 即刻、この娘の首を刎ねましょう。こやつは、生かしておけば国を乱しかねません!」
騎士の一人が前に出ると、それに続く形で同意の声が上げられる。
鍛え抜かれた精悍な騎士たちが、顔を赤らめさせ、あるいは青ざめさせながら、一人の少女の死を願うという異様な光景。しかし、副官はそれが正しいと判断した。
「殿下。差し出がましいようですが、私も彼らの意見に同意です。この者は即刻処刑するべきです。……それは陛下の御下命とも合致します」
「……まあな。陛下の命では、姉は生かし、妹は殺せとの事だったが……ふむ」
冷静さを欠く騎士たちとは裏腹に、ゴルディアスは気品ある獣のような形相に思案の色を浮かべ、囚われの姉妹を見つめていた。すると、その片割れであるリザが訝しんだ。
「私を……生かす。それはどういう」
「貴様、誰が発言を許可した!」
騎士が叱り飛ばすも、ゴルディアスは不敬と捉えずに騎士を手で制止して、リザの質問に答えた。
「俺が命じられたのはウィンドヘイル家の関係者の探索と処刑だ。ただし、貴様だけは生かして帝都に連れて帰るようにと別名が下された」
「何故! 何故私を生かすのですか!? レティが、この子がもしも、本当に皇帝陛下の子ならば、この子を生かすのが親心なのでは!?」
「道理だ。全くもって、正道なまでの道理だ。しかし、覚えておくといい、エリザベート・ウィンドヘイル。この世は貴様の思うほど清廉では無い。父にしてみれば、その娘は倫理に悖る行為をした証明であり、証拠だ。それを手元に置いておくほど、我が父は豪胆な男ではないぞ」
リザは自分の価値観が揺らいでいくのが分かった。彼女は修道院に送られる前から、そして送られてからも帝室への尊敬の念を教え込まれていた。四大貴族の末席として、民と、そして皇帝の為に命を費やす事を理想とし、それゆえに自らが崇める存在は清廉にして潔白。賢明にして勇猛なお方なのだと無意識に思い込んでいた。
だが、明かされたのは現皇帝バルボッサ・スプランディッドの悪しき面だ。
「そしてエリザベート。貴様はその年齢で、既に亡き母の美しさを受け継いでいる。帝国の宝石と謳われた、貴様の母にな。それがどういう意味か、分かるか?」
残酷な問いかけである。
そしてリザはその意味が理解できてしまった。皇帝バルボッサは妹であった母に向けた情欲を今度は姪である自分に向けようとしていたのだ。
死や暴力といった、なまじ想像できる恐怖とは違う、男からの獣じみた欲望を感じ取ってしまいリザは歯の根が噛みあわないほど震えてしまった。会った事も無い存在が自分をどうするのか、想像できないからこそ怖かった。
「不憫ですな。母親の美しさを継がなければ、あるいは別の道もあったでしょうが。……慈悲と寛容の心を持って両方を処刑するというのは如何でしょうか、殿下」
副官からすれば憐れみから出た親切心の発言だった。しかし、リザはその言葉で恐怖を忘れ、ある事を思い出した。それは修道院に送られる前夜、父から命じられた事だった。
―――「エリザベート。何があっても、妹を、レティシアを守るのだ。この子こそ、帝国の未来だ」
当時は、何を言っているのか分からなかった。妹を守るというのは姉として当然の役目だが、それが何故帝国の未来と関係してくるのかが謎だった。
だけど、こうして認めたくない、出来れば耳も目も塞ぎ、考える事すら放棄したい真実を前にして、父の言葉を真の意味で理解できたかもしれない。
腐り切った皇帝バルボッサから帝位を奪い、帝国を正しき道に進めるための希望こそ、レティなのだ。
リザは自分の使命を理解した。
自分は妹を守る為に、先に生を受けたのだ、と。
「妹には……レティには手を……出させません」
リザの言葉に騎士たちはあからさまに馬鹿にしたような反応を示した。生死の決定権はゴルディアスにあるというのに、何を強がりを言うのだと笑った。しかし、ゴルディアスだけは前のめりになって興味を示した。
「ほう。では、手を出させないために貴様は何をするというのだ。拘束され、周りを騎士に囲まれた、この絶体絶命の状況で如何とする」
問いかけにリザは舌を出した。不敬な態度に騎士が殺気立つ中、彼女は宣言した。
「自殺をします。妹に手を出したら、私は舌を噛み千切ります」
「ふむ。……それで?」
「私が死ねば、貴方は皇帝の命を全うできなかったという評価を下されます。その上、乱戦の中で不慮の死ではなく、拘束した上で自害されたと分かれば無能者の烙印を押されてしまうでしょうね」
「貴様、殿下を脅すつもりか!」
「ええ! 何度でも言います! レティに手を出せば、私は即刻自害します。それが嫌ならば、妹には手を出すな!」
副官はリザの子供とは思えない剣幕にたじろいだ。
同時に、厄介だと心中で呟いた。
リザの処刑も口にしたが、それは彼女の言う通り皇帝の命令を無視することに繋がる。露見すれば叛逆行為とも取られかねないため、もしも主君がそれを決断した時は死体を乱戦で死んだ事にして偽装工作しようとしていた。しかし、明らかに自害、それも拘束した後に自害されたと言う事が知れれば、それはゴルディアスの失態と言う事になる。
もしも、リザにそれを可能とする技能でもあれば、偽装工作は失敗してしまう。
幼くとも獅子の子は獅子なのかと苦々しく思う副官の横でゴルディアスは呵々大笑した。
「はっはっはっ! これは貴様の負けだな。しかし、面白いぞ、エリザベート。よもや、俺を脅すとは、豪胆な性根を持つ!」
誰が見ても明らかなまでに機嫌を良くした皇子は言葉を続ける。
「惜しいな。男なら、名を変えさせて部下にしたいほどだ。女とはいえ、従姉妹に手を出すほど、女には困っておらん。さて……どうするべきか。資源は有限だ。限りある物は、最大限使うべきだと俺は思うのだが、貴様等はどう思う」
急な問いかけに戸惑う騎士たち。何故、この状況で資源という言葉が出てくるのか、あまりにも理解できなかったのだ。察しの悪い騎士たちに軽く手を振りながら、ゴルディアスは続けた。
「西方大陸を所有する帝国にとって、資源とは広大な森林と豊富な金銀宝石が取れる鉱山。そしてギルドの介入を拒み続けた事による迷宮の独占だ。しかし、成立してから四百年余りで、広大だった森林は影も残らず、豊富な鉱山は掘り尽くしてしまった」
帝国という巨大な国は、その巨大さとは裏腹に経済活動については貧弱と言えた。森林や鉱山から取れた資源はそのまま他国に出荷され、向うで加工されて何倍もの値段となった品を輸入するという取引が日常的に行われていた。
一方で、貴族を始めとした上流階級の放蕩ぶりは代を重ねるごとに酷くなり、民衆は繰り返される重税に喘ぎ貧困の中で暮らしていた。
「断言しよう。帝国という国が、今の形を維持できるのは、俺の代までだ。国庫は既に空に近く、今回の内乱が国の脆弱ぶりを露呈させた。帝国が盤石だとは誰も思わん」
「そんな事はありません! 現に我らは勝利し、こうして叛逆者の娘を捕らえているではありませんか!」
「首都まで攻めたてられたという事実は、敗北に匹敵すると俺は考えている。例え、『勇者』によって追い返したとしても、民衆に国の滅びを感じさせるには十分すぎた。同時に『勇者』の恐ろしさを知らしめたため、少なくとも数年の内に国が破綻することはあるまい。しかし、長くもあるまい」
国を支える騎士たちにとって、ゴルディアスの言葉は悲痛な感情を持って受け止められた。次期皇帝候補が偽りなく、正しき視点によって国の寿命が長くないと言えば、それは事実なのだろう。
「此度の反乱において帝国に仇為す勢力が一掃されたとは考えにくい。そして帝室の中にも、反乱を隠れ蓑として暗躍をした者も少なからずいる。仮に、帝国が滅びるとしても、それは同じ形をした国が興るのではなく、複数に分裂した形になるだろうと俺は考える」
「名を変えて、制度を変えてという訳でなく、複数の国家の誕生。それでは、帝国成立前に逆戻りではありませんか」
「仕方あるまい。それも時節という奴だ。大小さまざまな国々による戦い、いわゆる戦国時代に戻るとして、その中で最も抜きんでる国とはどのような国だと貴様らは考える」
「……やはり、力でしょうか。強い軍隊、あるいは戦士を保有する国が、他国よりも一歩勝るかと」
副官の意見に騎士たちは同意した。国という形が変われど、大陸が様変わりする訳ではない。資源が空から降って来ない限り、枯渇した状況はそのまま継続するのだ。
「となれば、やはり争いの鍵は『勇者』だ。これを手中に収めた国こそ、新たな戦国時代の覇者となりえる。そして、ここに序列一位になってしまった少女が居るという訳だ。……やはり、利用しない手は無いな」
何かを決断したように頷いたゴルディアスはそれまで腰かけていた椅子から立ち上がるとリザの前に進んだ。這いつくばる姿勢のリザに対して、皇子は目線を合わせるために膝を折った。
「エリザベート・ウィンドヘイル。貴様に問おう。妹と共に生きたいか?」
副官が間に入ろうとするも、視線で止められてしまった。ゴルディアスの威圧感を前にしたリザは問われるままに答えた。
「もちろん、生きたい」
「生涯、日の光を浴びることなく、世界の裏側の、人が目を背きたくなるような地獄を延々と歩く事になったとして、それでも生きたいのか」
「それでも、生きたい」
「ならば、生かしてやろう」
その言葉に、天幕に集まった者達は一様に驚いた。副官に至っては我を忘れた様に皇子の名を叫んでいた。しかし、当の本人は涼しい顔で狼狽する副官に指示を出した。
「陛下の息の掛かっていない闇ギルドの奴隷商人を探し出せ。この者らを秘密裏に国外へ脱出させるぞ」
「承服しかねます、殿下」
副官の返事を意外に思ったのか、ゴルディアスは訝しそうに眉を吊り上げた。
「どういう意味だ、副官」
「殿下。考え直してくださいませ。エリザベートはともかくとして、レティシアは処刑命令が出ております。その上、この者の序列が一位となれば、将来貴方様の覇道の邪魔となりましょう。そのような芽は摘むに限ります」
「ふむ。貴様の言う事も道理だ。しかし、俺はこう考えるのだ。この者らを利用するべきだ、とな」
「仰ってることが分かりかねます。皇子のお考えをお聞かせ願います」
副官以下、騎士たちは皆揃って頷くと、ゴルディアスは仕方ないとばかりにリザ達を生かす理由を語り出した。
「先も述べた通り、此度の反乱でも帝国に対する不満を持つ者達が一掃できたとは限らない。いや、むしろ反乱を経て余計に増えたといっても良い。そんな者達にとって、ウィンドヘイル家は一つの象徴となりえる。帝国の喉元に剣を突きつけた、叛逆の象徴としてな。そんな一族の生き残りがまだ生きていると知れれば、不満分子はどんな行動に出る」
「やはり……ウィンドヘイルの家名は力があります。民衆のみならず貴族にも一定の信奉者が存在し、かの名を継ぐ者が現れれば、状況次第では力を貸すやもしれません」
だからこそ、ウィンドヘイルの血族は幼くとも皆殺しにするべしと皇帝は命令を下し、ゴルディアスは実行してきたのだ。レティよりも幼い弟すらも、彼は淡々と処刑したのだ。
「そして、俺の下に甘んじ、それを不満に思い、いつか寝首を掻こうとする親愛なる弟妹達が、この新しき妹にして、序列一位の存在を知ればどう行動する。この者を確保すれば、一足飛びに俺を追い越せるかもしれないのだぞ」
「……よもや、殿下。貴方は、この者らを餌とするのですか。国の中に巣食う不満分子を、帝室の中に存在する敵対者たちを炙り出すための、餌に」
辿り着いた結論に副官が戦慄すると、ゴルディアスは唇を片方だけ吊り上げ、そしてエリザベートに対して告げた。
「しばらく時を置いてから、貴様等の生存を、国内における不満分子に流そう。同時に俺の弟妹に対して、貴様の妹についての情報を流す。無論、序列一位という点は隠そう。俺よりも順位が上だとだけは知らしめる。想像してみろ。帝国という国に不満を持ち、決起を考えている者達にとって貴様等姉妹は良き旗頭となるだろう。想像してみろ。『勇者』を操れる者を魑魅魍魎しか生き残れない帝室の者どもが知れば、利用しようと企み、あるいは危険と見做して排除しようと動くだろう」
ゴルディアスはまるで、そこに敵が居るかのように拳を振るうと、閉じた天幕に風が起きた。
「俺はそんな輩の後背を突く。貴様等姉妹を餌として、飛びつく愚か者どもを一掃し、将来の禍根を絶とう。その為にならば、貴様等が生きるのを認めてやる。……さて、改めて問うぞ、エリザベート・ウィンドヘイル、そしてレティシア・ウィンドヘイル。貴様等は―――本当に生き延びたいか。この先、地獄を永劫歩く事になっても、それでも生きたいと願うのか」
男が示したのはどちらを選んでも過酷な結末だ。
いま此処で生を諦め、粛々と死を受け入れウィンドヘイル家を絶やすか。
生きている限り見えない追っ手から姿を隠し、日の当たらない場所を這いずり回るような生を受け入れ、その果てに死ぬか。
どちらを選んでも、待っているのが想像を絶する過酷な未来なら、答えは一つしかなかった。
リザとレティは選択をした。
「これが、あたしとお姉ちゃんの真実なんだよ、お兄ちゃん」
苦しい過去を語り終えたからか、それまで秘密にしてきたことを話せたからか、悲しさに混じって清々しさも浮かぶ顔でレティは締めくくった。
読んでくださって、ありがとうございます。
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