8-41 影法師の狙い 改訂版
※コウエンとの会話を追加
デゼルト国首都オーマットより北西の方角にあるガヴァ―ナの港町。
南方大陸と他大陸を繋ぐ港は、デゼルト国にとって要所の一つである。地理的な要素と政治的な要素の兼ね合いからアフサル王子が軍を旗揚げしたことからしても、その事が窺える。
今、デゼルト国の重要港に我が物顔で入港しているのは帝国の軍船だ。通りを歩く軍勢は帝国で正式作用されている軍装の兵士ばかり。人々は建物の中で、異国の兵士たちを不安そうに見つめていた。
そして、この港町からさらに北西に馬を駆けること二日。首都から六日は掛かる距離に俊映なる山々に挟まれた砦があった。前後に二重の防壁に守られたこの砦の名前はスカンダ。
隣国との軍事路を阻む防壁の要である。
峡谷な地形ではあるものの、大軍勢が一度に押し寄せる事が出来る道の、デゼルト国の領土出口に、数代前の国王が命じ建設した、巨大な砦である。そこを抜ければデゼルト国の数少ない港町まで遮る物はおらず、更に言えば首都までの道程も一直線。それだけにスカンダ砦はデゼルト国における興亡の要石のような存在だ。
その要石に、デゼルト国の軍旗が翻り、砦内を席巻するのは帝国の兵士ばかり。彼らが掘ったと思しき穴には何千ものデゼルト国の兵士が放り込まれていた。
黄龍討伐にオーマットが沸く頃、デゼルト国北方は帝国と魔人によって陥落していた。
「これはどういう事なのか、説明してもらいたい!」
語気を強めた男の額には、球の粒の汗が浮かんでいる。軍装の下の体躯は鍛えられてはいるが、震えは隠しきれず、膝など今にも倒れそうなほどだ。
帝国軍南方大陸派兵部隊総指揮官ディオクレティア将軍は、肩書と比べれば凡庸な男である。
帝室に次ぐ権力を持つ三大貴族の一つと遠縁であること以外、この男が将軍職に就けた理由は無く、外征軍の将という役職は彼には重すぎる衣である。しかし、帝国はこの外征においてディオクレティアを選んだのは、彼の出自や力量では無く、使い勝手良かったのだ。
将軍職でありながら名前と風貌が世に広く知られず、そしてなおかつ三大貴族の門閥であるため、他の貴族筋に手柄を与えずに済み、また失敗した時の責任を負わせて切り捨てやすいという政治的な思惑。これらが噛みあって、彼は身に合わない衣を押し付けられ、はるばる南方大陸にまで足を運び、副官などという偽りの姿をしてゲオルギウスに傅く羽目になった。
それもこれも、全ては外征を成功させ、デゼルト国を、ひいては南方大陸に帝国の旗を掲げ、その手柄を持って傍流から主流へとのし上がるためだ。一時の恥辱など、後の栄達の為ならばいくらでも甘んじようとも。
だというのに、彼の率いる六万の軍勢は、スカンダ砦から動けずにいた。
「どうしてこうなったのだ、クリストフォロス殿!」
砦の一室にて語気を荒げる相手に、魔人は冷ややかな視線を向ける。金色の双眸は、それだけで人を絶命させるような迫力があり、ディオクレティアを圧倒させる。
冷ややかな、ぞっとするほど端正な顔立ちに憂いが浮かび、クリストフォロスは悩ましげな声を出した。
「将軍のご懸念については、重々承知しています。同盟を結びし者として、この作戦における魔王軍の指揮官としても、詫びねばなりません」
「……それはつまり、この状況はそちらの誤りであると、そう認識して宜しいのですか」
「無論ですとも。本来の計画では、貴君の振りをしたゲオルギウスが、アフサル・オードヴァーンが王になるまでを帝国軍のみで支援。頃合いを見計らい暗殺し、黄龍の封印を解き、オーマットに侵攻させ、それを私達の同盟によって駆逐し、後は帝国軍が治安維持を名目に統治を行うという段取りでした」
「ああ、その通りだ。黄龍が持つ大量の魔力。それがこの乾いた大地である南方大陸を豊穣の大地へと変化させる糧だと。だからこそ、我ら帝国は、この何もない大陸を狙い、大部隊を編制し、大掛かりな策略を用いたのだ。だというのに、此処まで手を尽くした計画の、詰めの段階でこうも失敗するとは!」
本来なら帝国と魔人が同盟を結んだことは、秘匿されるべき事実。だというのに、ディオクレティアの振りをしていたゲオルギウスが神前決闘の場に姿を現した所で狂いだした。
衆人環視の中、正体を明らかにされた六将軍第二席ゲオルギウス。よりにもよって、法王庁の『聖騎士』の前での露見。誤魔化しようが無い。
音を立てて崩れ落ちそうになる栄達への道。だが、ディオクレティアは計画の続行は諦めず、しかし、大きく前倒しした。首都オーマット近郊に駐屯させておいた軍勢を北に向けて進軍させたのだ。
「良い判断でした。あの時点で逃げ出さなければ、スカンダ砦に速やかに入りこむ事は出来なかったでしょうね」
魔人に褒められても、喜ぶような感性は持ち得なかった。
何より、この状況に手引きしたのは、他ならぬこの男なのだ。
本来はガヴァ―ナの港を制圧し、本国から来るはずの増援部隊と合流し、態勢を整えようとしたかった。だが、軍を率いるディオクレティアの前に、クリストフォロスは現れた。
闇よりも昏い影から現れた黒衣の男は、いきり立つディオクレティアに対して魅力的な提案をしてきた。
ガヴァ―ナの港よりも、より軍事に適した場所を確保したというのだ。
困惑するディオクレティアにクリストフォロスが示したのは、このスカンダ砦だった。
あり得ないとディオクレティアは叫ぶ。なぜならこの砦は、アフサルとワシャフが争っていた時も不動を貫いた、国の盾とも呼ぶべき王直属の精鋭が諸語する砦だ。国の政治から切り離され、国防の為だけに存在する砦は、アフサルですら味方にするのを諦めていたのを、ディオクレティアは正体を隠していた時に知り得た。
確かに、ガヴァ―ナの港よりも軍事的に見れば有利な地形だが、それは逆に言えば攻め落とすのが難しい場所という事もでもある。八千の精鋭を腹に抱える砦を一万の帝国兵で落とすなど不可能だ。
だが、クリストフォロスはディオクレティアの言葉を訂正した。
「落とすのではなく、落としたのですよ」
と、涼しげに言われてしまう。半信半疑になりつつも、砦に進路を変更したディオクレティアを待っていたのは、帝国の旗がたなびく砦の姿だった。そして、自部隊よりも先に到着した本国からの増援五万が砦の中に物資を運び入れていた。
「言ったでしょう。この砦は既に我らの手で、我が同輩の手で落としたのですから。ああ、ついでに、ガヴァ―ナの方にしてあった封鎖線を解いたのは私です」
そう事もなげに告げたクリストフォロスと共に砦に入ると、二人の魔人が主のように待ち構えていたのだ。
室内の両端に背中を預け、会議を傍観している六将軍。
室内に居る者の中では最も幼い風貌の、全身に傷跡を残す奇怪な少年。六将軍第五席ジャイルズ。
そして室内に居るもの中では最も巨躯であり、天上に頭を擦りつけている鎧武者。六将軍ディオニュシウス。
この二人が、たった二人でスカンダ砦を制圧したというのだ。王の盾と呼ばれた八千の精兵を悉く殺戮し、砦の至る所では死臭が染みつき取れなくなっている。その中で平然とする怪物達を前にして開かれた軍事会議。だが、上げられた情報は芳しくなかったのだ。
「我々が此処に立てこもり、機を窺うのは黄龍が首都オーマットまで侵攻し、デゼルト国首脳部が機能しなくなる瞬間を待つためだ。だというのに、その黄龍が討伐されてしまったではないか! それも、我らが首都を立った日の内に!」
「これに関しては、私も読み違えましたよ。よもや封印が解かれて僅か数時間で討伐されてしまうとは。砂漠の境界付近を塞ぐ形で、黄龍の死骸が放置されているとか。……あれの扱いは何処の国になるのか、それはそれで興味深いですね」
「何を呑気な事を! 結果、デゼルト国は追撃部隊を砦の付近にまで展開して、此方にいつでも攻め込める準備をしているのだぞ!」
ディオクレティアが激昂する理由は、砦の眼前に築かれつつある陣地のせいである。
魔法使いによって急速に仕上げられていく陣地は、ちょっとした砦の規模と防御力を有しており、六万に膨れ上がった南方大陸派兵軍であっても崩すのに時間がかる。
どうしてこうなったのだと、ディオクレティアは記憶を遡る。
神前決闘が行われた六日ほど前。軍を北に向けて出立した時から、追撃部隊は存在した。
新王となったダリーシャスの判断は早く、勇猛だった。オーマット付近に展開していたアフサルの軍勢を掌握し、北上する帝国軍の後背に着け、付かず離れずの距離を保たせながら此処まで追いかけてきた。
ディオクレティアの軍勢が砦に入るのに合わせて、砦から五シロメーチルほど離れた場所に陣地を形成させ、帝国軍の南下を阻む防波堤として存在している。
「デゼルト国の首脳陣が揺れ動いているというのなら、強引に砦を突破するという可能性もありえた。だが、こうも正確な判断を下している以上、強引な突破は自殺行為だ」
六万の軍勢と言えば聞こえはいいが、一国を落とすのにはいささか足りない数と言えた。副官として参戦したベヘンナディーの戦いはアフサル側が四万五千、ワシャフ側が五万五千、合わせて十万の軍勢による激突となった。このうち、一万は帝国の軍勢であり、さらに一万は徴募した兵という事を差し引いても、八万。
デゼルト国の兵士が八万、集まったのだ。
戦争でその数は減ったとはいえ、十四氏族側に余力はまだあり、これが外敵から国を守る戦いであるならばそれを出し惜しみすることもあるまい。つまり、兵の数で上回られる可能性があるのだ。
「だいたい、私は皇帝陛下からお預かりしている飛竜を失い……それもこれも、全ては貴様らのせいだ!」
鼻息を荒く、顔を赤らめたディオクレティアに対して、失笑が室内に広がった。少なくとも飛竜を失ったのはこの男が指揮した結果だというのに、責任転嫁も甚だしい。
「と、ともかく! 帝国としては、これ以上の負け戦に付き合うつもりは無い! 上層部と折衝し、今後の方針を決めさせてもらう!!」
叩きつけるように言うと、ディオクレティアは大股で部屋を飛び出した。足音が遠ざかっていくのに比例して、室内には邪気が広がっていった。
「三百年前と比べて、人間の質は落ちたねぇ。龍との戦いの時は、もう少し歯ごたえがあったと思うけど。その辺はどう思う、名前の似ているディオニュシウス」
「シンガイデアル。アノヨウナオクビョウモノト、ドウレツノヨウニアツカワナイデホシイ」
残された魔人たちが臆病な人間をあざ笑うように口を開いた。それを窘めるのはクリストフォロスだった。
「そこまでにしておきましょう。実際問題、彼の言っていることはさほど間違っていません。此方としても、この展開は予想外の一言ですからね」
「まあね。『聖騎士』はともかくとしても、まさか『守護者』が出張って来る上に、『機械乙女』すら参戦するとは。いやはや、随分と熱くなる話だよ」
「ウム。チガタギルナ」
純粋に喜ぶ同輩にクリストフォロスは頭が痛いとばかりに抱えた。
「悪い、悪い。真面目に話するからさ。それで、軍師殿としては、帝国は戦争から降りると思うのかい」
「まさか。このぐらいの事で、彼方が降りるはずがありません。いえ、降りれるわけがない。悲願である外征の成就がすぐそこまで来ているというのに、それを止められるような勇気を、今の帝室が選べるわけがない」
帝国は大きくなりすぎた。
貴族の権益は拡大する一方であり、民は貴族の横暴に耐え続けるという構図は三百年という時間が経過したことで、手の施しようも無い病巣と成り果てた。本来なら、民衆主導による政治改革が起きても不思議では無い状況なのに、それが起きえないのは、ひとえに帝室が保持し続けている人間兵器の存在が原因だ。
圧倒的な武力による統治。
しかし、それゆえに国の膿は肥大化する一方で、どうにもならない状況まで追い込まれているのだ。
「帝国は外地が欲しい。植民地でも、直轄地でもいい。とにかく、膿を排出して、新しい健康な肉体を継ぎ足したいのだ。悪くなった内臓を取り換えるような発想ではありますが」
「オイツメラレタケモノガ、トキニバンコウニハシルノハ、ジュウブンカンガエラレル」
「帝国が戦争から降りないのは分かったけどよ、どうして俺らは降りないんだ?」
壁から離れるとジャイルズは椅子に体を投げ出し、背もたれに凭れる。脱力した体はしっかりとした筋肉が備わっており、一種の美術品のような造形美がある。
そんな幼い同輩にクリストフォロスは怪訝な視線を向けた。
「だってさ、陛下からの勅命は黄龍の封印を解き、黄龍を打ち倒す事であって、このなんちゃら国が滅びる事とは無関係だろ。だったら、お役目終了、ご苦労様解散、って流れじゃん」
「なんちゃら国では無く、デゼルト国ですよ。それに、今作戦の目標は二つあります」
「二つ? 一つは黄龍だとしても、何だけっけ、ディオニュシウス」
「……オマエトイウヤツハ。テイコクヲドロヌマノセンソウニマキコムコトダ」
ジャイルズは金色の双眸を丸くしてディオニュシウスを見上げた。
「帝国を? 何で?」
「本当に……まったく。良いですか、我ら魔人が、魔人種が先の大戦で敗北したのは、帝国と正面から戦争してしまったからです」
人魔戦役。
人と魔人種がぶつかったこの戦争は、意外な事に大規模な軍事衝突は少なかった。というのも、人龍戦役において疲弊した各国の代わりに、魔人たちの武力蜂起を鎮圧した存在が居たのだ。それが帝国だ。
人龍戦役において、帝国は被害が最も少なく、体力が有り余っていた。世界中に軍隊を派遣できるだけの国力を相手に、フィーニスは早々に正面からの衝突を避けた。
彼らが選んだのは民間人を巻き込んだ都市破壊。少数精鋭による後方の浸透攻撃は悪辣を極め、今日まで魔人種が憎悪と軽蔑の対象となりえた理由だ。
「先の大戦で、帝国という柱があったからこそ、各国は纏まって団結が出来た。だからこそ、この柱を折る。それが今回の作戦だというのに……開いた口が塞がりませんね」
クリストフォロスのため息にディオニュシウスが静かに頷いた。二人に責めたてられたジャイルズは態勢を立て直すべく、別の話を持ち出した。
「そ、そういえば、黄龍を倒した奴らの中に、例の人間が混じっているって本当かい」
「レイノニンゲンダト?」
「ああ、『招かれた者』であるレイの事ですね。それならば、その通りですよ」
「そうそう。陛下から聖印を賜った、俺達の同輩になるかもしれない奴。どんな奴なんだ? アマツマラで会ったんだろ」
興味があるんだとばかりに尋ねるジャイルズ。それまで不動を貫いていたディオニュシウスですら壁から離れクリストフォロスに近づいていた。
新たなる六将軍の存在に興味を示すなという方が難しいだろうが、しかし、クリストフォロスは弱ったなと頬を掻いた。
「アマツマラでは会ったというよりも見たというのが正しいですからね。人となりも、実力も知りませんよ、私は。その辺り、ゲオルギウスに聞くのが良いのでしょうが」
「アイツは陛下と一緒に行動中でしょ。ああ、いいなー。俺もあっちが良かったなー」
「コレバカリハシカタナイ。ワレラデハヘイカノアシヲヒッパルダケダ」
「ディオニュシウスの言う通りです。私達は、私達の役目を全うしましょう。……そのためには、デゼルト国に血を流してもらう必要があるのですがね」
帝国を逃れられない戦争の渦に叩き込むために、魔人たちはデゼルト国を生贄に捧げようとする。酷薄に笑う魔人たちの思惑通りに、帝国とデゼルト国の間に緊張が高まり、それが何時弾けてもおかしくは無かった。
目が覚めたら、見慣れた空が見えた。
赤灼けた、夕暮れとも朝焼けとも見分けがつかない空だ。背に感じる固い土の感触は、乾ききった大地の物。命の雫なんて、蒸発したような世界の空気に懐かしさすら感じるようになった。
どうやらここは、自分の心象世界だとレイは判断した。体を起こせば、無辺に広がる滅んだ世界が広がっている。
どうしてここに居るのだろうか、という疑問が頭を過る。自分は、黄龍討伐に挑み、そして幽体となったイーフェと戦った。リザが一瞬の隙を突いて精霊剣を解放して力を振るい、黄龍の体を貫いた極光が消え、そこからサファが登場してイーフェと別れを交わした……所までは覚えていた。
その直後、全身が内側から殴られるような衝撃を味わい、意識が逆らえずにぶつりと切れてしまったのだ。
「……まさか、死んだんじゃないだろうな。冗談じゃないぞ! もう一回、黄龍討伐なんて、ごめんだ!」
幾つもの幸運が重なりどうにか成功した黄龍戦。それをもう一度やれと言われても、はたして同じ事が繰り返せるか自信は無い。だが、そんなレイに救いの手を差し伸べるように声が欠けられた。
「安心せい。其方は死んだわけでは無い。単に気絶したに過ぎん」
幼くも、重々しい口調のそれは聞き慣れた少女の声だ。振り返れば、ふわふわと宙に浮くコウエンがレイを見下ろしていた。空中で胡坐をかきながら、頬杖をつくという器用な真似をした幼女にレイはどういう意味だと尋ねた。
「気絶ってどういう事だ。誰が僕を気絶させたんだ」
「誰というのならば、それは黄龍だと言うべきか、それとも其方自身だと言うべきか、悩ましいことだな」
まるで謎かけのような口調に、レイは首を傾げた。
「得心いかんようだな。ならば、教えてやろう。其方は、正確に言えば其方らは黄龍を倒した事で得た経験値によって、一気にレベルが上がり、器の急成長について行けなくなったのだ」
「それってもしかして、レベルアップ酔いか」
「うむ。其方は二度目だったか?」
コウエンの問いかけに頷いた。
レベルアップ酔いとは、大量の経験値を得てしまい、器が急成長したことについていけずに体調不良を訴えたり、あるいは気絶してしまう事だ。かつて、レイはスタンピードの時に大量のモンスターを魔法工学の兵器を用いて撃破。得た経験値によってレベルが急上昇したが、代償に気を失ったのだ。
「ちょっと待ってくれ。いま、らと言ったよね。それってもしかして」
「しかり。其方の従僕である少女ら。あの場に居た娘御らも気絶しおったわ」
レイはリザ達とパーティ契約を行っている。この契約の利点は、一人にしか経験値が入らない場合でも、それを契約している全員に行き渡らせる事が可能だ。つまり、レイだけじゃなく、リザ達にも黄龍討伐の経験値が流れ込んだという事になる。
ただし、それには距離が関係するため、遠くに居たレティは、今回含まれていないはずだ。それでもリザ達がレベルアップ酔いで気絶したのはレイに焦りを与えた。
「三人は無事なのか。レベルの壁にぶつかったのは居ないのか!」
「安心せい。三人とも無事だ。レベルの壁にぶつかり、死亡した者は居らん」
その答えにレイは胸をなで下ろした。どうやら、最悪の可能性は避けられた。
レベルの壁とは、読んで字のごとく人の成長を阻む壁である。冒険者や戦士は個人差はあるが、一定のレベルに到達すると、そこで足踏みするように止まってしまうのだ。その壁を乗り越えるには、普段の戦いだけでなく、格上の敵との一騎打ちや、仲間と共に難局を乗り切るなどの殻を打ち破る行為が求められるのだ。
それをせずに無理やり経験値を得れば、体が拒絶反応を示し、死んでしまう可能性がある。
リザ達がそうならずに済み、ほっとするレイに対して、コウエンが改まった口調でレイの名前を呼んだ。
「レイ。此度の黄龍討伐、大義であった」
「急にどうしたんだよ、一体。随分と真面目な口調じゃないか」
「千年前。同胞であった古代種の龍である黄龍を討伐できず、封印するしか出来なかったのは、赤龍にとっても忸怩たる思いだった。それが経緯はどうあれ、こうして悪しき因果に囚われたあの者を解放してもらえたことに、深く感謝をしている」
ふわふわと空中に浮いたままだが、コウエンが頭を下げた。それだけでも、レイにとっては天地がひっくり返るだけの衝撃だ。傲岸不遜を地で行く、赤龍の生まれ変わりとも言えるコウエンが感謝を口にしたのは、それだけの出来事だ。
「僕個人の力じゃないよ。リザやシアラ、エトネの力は勿論、中に突入したサファさんやマクスウェル達が頑張ってくれたおかげだ。そして何より、千年前に黄龍に立ち向かったイーフェさんが居たからこそ、ああして勝利できたんだ」
あくまでも自分一人の力では無いと言うレイに、コウエンは唇を緩ませた。確かに、大局的に見てレイが直接関わった部分は非常に小さいだろう。だが、その流れの起点になったのは間違いないくこの少年の筈だ。
だが、あまりこれ以上礼を口にして図に乗らせるのもいかんとばかりにコウエンは短く、
「なら、其方の口から皆に感謝を伝えておいてくれ。古代種の龍が一頭、赤龍は其方らの行動に感服していると」
「ああ、分かったよ。伝言しておく。……なあ、コウエン。一つ聞いておきたいんだけどさ。黄龍が死んだことで、これから何か大きな変化は起きるのか。それに魔人たちはどうしてお前らが死ぬように策略を進めていたんだ」
幼い風貌に、険が走る。それだけで、答えにくい質問だったとレイは察した。すぐに、
「答えにくいなら、また今度でも構わないよ」
と、言うも、しかしコウエンはレイの気遣いを無用と断じた。
「奴らの狙いは、まだ推測の段階ゆえ妾にも確信は無い。だが、黄龍を倒したことで世界は二つの変化をもたらされる事になる。良き変化とは、あれが抱えていた魔力が大地に還元される事だ」
「それってもしかして、南方大陸が実りある大地になるってことか」
「うむ。元々、黄龍が花の都を起点に大地に流れる魔力の道筋を強引に奪った事で、あの大陸は疲弊した。それが元に戻るだけではあるが、それでも格段に人の住みやすい土地と為ろうぞ」
それは熱砂の大陸に住む者にとっては喜ばしい報せの筈だ。だとすれば気になるのは悪い変化の方だが、コウエンはそれ以上語ろうとはしなかった。眼光を鋭くして沈黙するコウエンに耐えかねて、レイはそういえばと口にした。
「あのさ、コウエン。フィーニスの憎悪はどうなったんだ。君に任せて、僕は黄龍に集中してたけど、その辺に無いという事は燃え尽きたのかな」
四方を見渡すが、あるのは赤灼けた地平線だけ。フィーニスの憎悪を思しき黒い球は何処にも見えなかった。
フィーニスが刻み込んだ聖印。それは種のような物だった。レイの憎悪を煽り、糧として成長した禍々しき存在は、レイと同化しようと根を広げた。一度は飲まれかけたが、リザ達の献身的な行動と、コウエンの活躍によりレイは解放された。
だが、彼は知らなかった。その救出劇の裏に、文字通り影のような存在が関わっていた事に。
「あれならば、まだ燃やしている最中だ。見てみるか?」
問いかけに頷くと、コウエンは頬杖の姿勢のまま、もう片方の手を上に伸ばした。すると、赤灼けた空に浮かぶ太陽が、二つに割れたのだ。
その中にあるのは、まぎれもなく黒い球体。フィーニスの憎悪だった。
「あれから念入りに焼却しておるのだが、中々燃え尽きん。よほど、其方の憎悪が糧として上質だったのだろうな」
そう言って、言葉を区切ると、コウエンは改まった口調で話があると告げた。
「其方を助ける時、妾はフィーニスの分身と共に燃え尽きるつもりでいた。だが、見ての通り、妾はこうして外におる。その理由を其方に話しておらんかったな」
「……そうだね。あの時、外に居た僕には中で何があったのか分からなかった。教えてくれ、コウエン。何があったんだ」
コウエンは灼眼を一度瞑ると、影法師がレイを救うべく、献身的な行動に出た事を端的に伝えた。そして、彼がまだ黒い球の中に居るという事も合わせて告げた。
話を黙って聞いていたレイは考え込むように顔に手を当てる。その仕草からよもやと思い、コウエンは口を挟んだ。
「其方、影法師を助けたいなどと抜かすつもりはあるまい。言っておくが、あれをもう一度こじ開ける術は無いし、あったとしても許さん。影法師には悪いが、あやつ事燃やし尽くすのが最善だろう」
コウエンとて、その選択に思う所が無いわけじゃない。
だが、レイを守る為に、そして何より影法師の覚悟を汚さないためにも非情な決断を下したのだ。ところが、レイは全く真逆の事を考えていたのだ。
「違うんだよ、コウエン。僕は、影法師が、そんな殊勝な心持ちで、僕を助けようとすることが信じられないんだ」
「……なんじゃと。しかし、現実としてあやつは其方と妾を助けるために、一人残ったのだぞ」
「結果だけを見ればね。でも僕は、あいつが僕を助けるために飛び込んだとは思えない。むしろ、そうする事が自分の利になると分かっていたから、そうしたんじゃないかと考えてしまうんだ」
穿ち過ぎな物の考えだ、とコウエンは批判できなかった。
言われてみれば、レイの推測の方が腑に落ちるのだ。英雄的な犠牲行為を唾棄する方が影法師らしい。
コウエンは太陽に閉じ込めた黒い球に視線を走らせた。あの中で何が起きているのかは不明だが、どうやら好ましくない予感がした。コウエンがらしくない固い表情を浮かべつつ、
「焼却を急がせよう。灰も残さず、処分する」
「そうしてくれ。本当にアイツは、僕から生まれた存在なのかよ」
今更な疑問にため息を吐くレイ。その体から光の粒子が立ち昇るのに気が付いた。どうやら体の方が目覚めようとしているのだ。
「それじゃ、コウエン。そっちの事は君に任せるね」
「うむ、相分かった。其方は、十日ぶりの目覚めを味わうといい」
「ああ、分かっ―――何だって? 十日だって。それって」
レイは最後まで言う事が出来ずに、泡のように消えてしまった。
読んで下さって、ありがとうございます。




