8-36 黄龍討伐Ⅴ
曇天が空を隠すアルビノ砂漠。一度は消えた大砂丘だが、ポラリスの爆撃が砂を拡散させ、その上を走る者達が居た。背には身の回り品をかき集めたと思しき膨らんだ鞄を背負い、あるいは駱駝に無理やり荷物を背負わせ、あるいは奴隷たちに担がせた籠に乗る者も。
彼らは砂漠の民だ。砂漠に産まれ、砂漠に生きて、砂漠に死ぬ。
何処の国家にも属さない彼らは、昼頃から起きた天変地異に素早く反応し、逃げる支度を済ませていた。砂の竜巻に吹き飛ばされないように、オアシスを脱出した彼らは南北に別れて避難する。
そのため、無人となったオアシスを黄龍の巨躯が押しつぶした。置き去りにされた天幕は踏みつぶされ、建物は崩れ落ち、大地は悲鳴を上げ、地響きの如き震動は止むことなく大陸を揺らす。
その光景を目の当たりにした者達は。ある者は神に祈り、ある者は膝を屈し動けなくなり、ある者は周りを叱咤し立ち上がらせようとする。
共通して彼らが感じていたのは、絶対的な無力感だ。
人の手で、あれはどうにかできる物ではないという諦めが蔓延していた。悠然とアルビノ砂漠を横切る黄龍に向け、諦念の視線を向けていた。
黄龍がアルビノ砂漠を突破するまで、残り一時間を切った。
行く手を阻む様に、幽体が次々と現れる。何度目の出現なのか、数えるのも面倒になった。何しろ、尽きる事の無い波が打ち寄せるように、蹴散らしても、蹴散らしても現れるのだ。
槍を突きだす兵士に対して、ダガーから紫電を放ち先手を取り、続けざまに弓を引き絞るエルフに対して、逆に距離を詰めて龍刀を斜めに振る。弓ごと、袈裟に切られた幽体が散るのを確認せずに、そのまま列へと戻った。
「主様! 目に付いた敵を片っ端に倒さなくていいから、とにかく近づいてくる奴だけを相手にしてちょうだい!」
「分かってるよ。そのつもりで、こっちも戦ってるんだよ!」
叫ぶシアラに対してレイも叫び返す。雨足はますます強くなり、そうしなければ互いの声すら聞こえなくなりつつある。視界も悪くなる中、幽体の白い輝きは目印となり、逆に有り難かった。
そんな雨中であって、爆発音が幾度となく響くのはエトネのせいだ。
エトネがボルトを番える端から撃っていく。ケラブノス石の粉末を詰めた特殊なボルトは、紫電を纏わせ地面やコブに突き刺さると、棒火矢の如く爆発し幽体を纏めて吹き飛ばす。装填から着弾までの流れは淀みなく、熟達した職人の手さばきを見る様な気持ちよさがある。
もっとも血腥すぎる職人芸だが。
レイ達は黄龍の背を駆けていた。曲線を描く丘のような足場を蹴って行けば、先を邪魔するように幽体が雲霞のごとく現れ、道を塞いでいく。これに付き合って一々足を止めるのは消耗するだけだと割り切り、エトネを先頭に一列となって強行突破を図る。
エトネが特殊なボルトで幽体の海を切り分け、リザがエトネのサポートに徹し、シアラが全体を把握しつつ、厄介そうな幽体に魔法で牽制をし、殿にレイが付いて行く。その布陣で、どうにか幽体の囲みを貫いていたが、しかし中々どうして突破できないでいた。
「厚みが固すぎます。一度、進路を変えるべきでは!?」
「それは駄目よ、リザ。目的地から逸れたら、戻って来れるかどうか分からないわ。それに厚みが固いっていうのは、それだけ突破されたくないっていう意思の表れに違いないわ。前進、前進よ!」
どこかの軍事政権下の指揮官よろしく、杖を指揮棒のように振るシアラ。彼女はエトネとの会話で何かに気が付いたらしく、声高に前進を主張している。彼女の熱意に押されるようにして、レイ達は前へ前へと走らされる。
「いい加減、何を思いついたのか話してほしいですね!」
馬車馬のように走らされているというのに、キャロットの一つも与えられなければやる気も続かない。焦れた様にリザは言うが、シアラは何も答えなかった。
周りを振り返る余裕はないが、息が僅かに苦しくなってきた。動く山と表現できる黄龍の背を駆けあがるというのは、一種の登山と同じだ。頂上に近づくにつれ、空気が薄くなっても不思議では無い。
地上に比べて空気が薄いことから、大分高い所まで上ったのだと判断した。
すると、前方で駆けていたエトネが叫んだ。
「おにいちゃん、シアラおねえいちゃん、あそこがひかってるよ!」
坂の終点をエトネは指差すが、レイとリザは揃って首を傾げた。なぜなら坂の上段は暗く、他の部分と比べても何の変哲もないのだ。
雨雲によって太陽が遮られている分、余計に暗く感じる。ところが、シアラはエトネの言葉にしてやったりとばかりに笑みを浮かべた。
「主様! あそこで《アイスエイジ》を放って幽体を全滅させるわ。だから、魔法の詠唱が終わるまで、ワタシを守って!」
シアラの指示にレイは目を白黒させる。長期戦を想定して、魔法を小出しにしていたシアラが、ここに来て大技を繰り出そうとするのは、何か狙いがあっての事だろう。
分かったと返事をすると、シアラは走りながら詠唱の準備に入る。
「《器を満たせ》」
魔法の『宣言』を告げると、彼女の体から精神力が汲みだされる。闘気とも違う力の塊は肌に突き刺さるようだ。レイは龍刀を後ろに向けて振るって、跳びかかろうとした兵士を打ち払う。
坂の終点に辿り着いたのは、先頭を守り切ったエトネだ。彼女は周囲を見渡し、
「だれもいないよ!」
と、上が今の所安全だと確認した。そしてボルトを番えると、レイの後ろに並ぶ幽体たちを次々と射抜く。ケラブノス石入りのボルトは使っていない。幽体とレイとの距離が近すぎるため、下手に使えば巻き込んでしまう。
続いて辿り着いたのはリザだ。彼女も油断なく左右を見渡し、そこが安全だと分かると、昇った坂を滑る様に降りる。
「《世界よ、静まれ》」
《アイスエイジ》の詠唱に入ったシアラとすれ違うと、リザは最後尾に居たレイと並走する。
「近づく幽体の露払いは私に任せてください。レイ様は炎で遠距離から狙ってくるものを優先的に叩いて下さい」
そう言うと、メイスを構えた巨体の兵士の一撃をロングソードで受け止め、押し返した。レイはリザから任された役目に従い、弓を構えている兵士を炎で狙う。紅蓮の刀身に炎が絡みつき大上段から振り抜けば、炎の刃となって奔る。
「《水よ、氷結し》《時代を凍えさせる、審判の吹雪よ》」
朗々とした詠唱が背後から流れてくるのと同時に、底冷えする冷気が漂ってくるのは、長雨のせいではないだろう。振り返らなくとも、シアラの周りの温度が下がっているのが伝わって来る。
魔法の詠唱は最終節に入ろうとする。
「《今一度、この地に再臨したまえ》」
力が最高潮に高まるのと同時に、リザがレイの腕を掴む。そして背後に向けて、
「《この身は、一陣の風と為る》!」
と、《風ノ義足》を発動させた。右足を包み込む風の力が解放され、リザとレイの体は揃って坂の上へと跳躍した。障害物が無くなった事を確認したシアラは魔法を幽体の群れに向けて放った。
「《アイスエイジ》!」
時代を凍らせた吹雪が坂を撫でつけると、幽体のみならず、降りしきる雨粒すら凍らせた。一瞬で静寂を作り出したシアラは指を鳴らすと、途端に氷は砕け散った。あれだけいた幽体の群れが一撃で消え去ったのだ。
着地して、坂を見下ろせば、幽体の姿は残っていない。
「とりあえず、一息つけそうだけど……シアラ。大丈夫なのか。こんな所で大技を使って。まだ先は長いんじゃないのか」
「逆よ、逆。ここが目的地の筈よ」
そう言ったシアラは視線を後ろへと向けた。釣られて、レイもそちらを向いた。
坂を上り切った場所は、それまでの黄龍の背とは少し違った雰囲気だった。円形の窪地が広がり、まるでそこに隕石が落ちたのかと思ってしまうほど整備されていたのだ。
その中央に、隕石とは別の人工物が突き刺さっていた。
遠目でもはっきりとわかる。
あれは剣だ。
薄紅色の刀身は特殊な鉱石を使っているのか、僅かな太陽光でも煌めき、装飾が施された柄などを見る限り、実用的な剣というよりも、どこか美術品のような趣のある剣だ。
しかし、なぜここにそんな剣があるのだと不思議がると、エトネがむず痒そうに目を擦った。
「ううー。まぶしいよ、あのけん」
「眩しいだって。確かに輝いているように見えるけど、そこまで強い光を放っている訳じゃないよな」
「ええ。私にもそのように見えます」
同意を求められたリザがそう応じるが、シアラは違うのよと口を開いた。
「おちびとワタシたちが見ているのは、同じであって微妙に違うのよ。おちび、ちょっとハヅミを呼んでもらえるかしら」
「ハヅミを呼ぶのか。でも、彼女を下手に呼べば、黄龍に飲まれてしまわないか」
「確認が欲しいのよ。そんなに長くは拘束しないわ」
シアラの意思は固く、エトネは一度目をつぶると、自分の中に居るハヅミと語り合っている様だ。
「うん……うん。そうなの。シアラおねいちゃんがね……だいじょぶ? うん、わかった。ハヅミとかわるね。……また、会ったわね」
コインが裏返る様にがらりと雰囲気が変わる。萌黄色の瞳に青色の縁取りが入ると、彼女は鬱屈そうに、
「で、私言わなかったかしら。これ以上、浅い所に居ると黄龍……に……ぇ」
最後の方の言葉は掠れてしまい、雨に飲まれて聞こえなかった。エトネの体を借りるハヅミは、文字通り息を飲んで、驚きを全身で表していた。
身を強張らせ、瞠目する少女は叫ぶように、何故という。
「な、なんで。なんでここに、あれがあるのよ!」
「ハヅミ。あれは一体、何なんだ。何か知っているのか」
「知っているも何もないわよ。あれは、あの子の、イーフェの剣―――精霊剣バルムンクよ」
「精霊剣じゃと? それがお主の言う切り札なのか」
「そうだ。かつて、花の都でも希少だった鉱石を剣の形に加工し、装飾を散りばめた宝剣。薄紅色の輝きは、例えようもなく美しいと謳われた。だが、その鉱石が精神力に反応して微弱な熱線を放つと知れると、価値は転落した」
精神力をそのまま武器に転用できるという点は注目を集め、新たな武器となるのではと期待されたが、研究が進むにつれ、精神力の変換率が非常に悪い事が判明。普通に魔法を放った方が、よっぽど効率が良いとされてしまう。
元々、僅かしか取れなかった鉱石。それが使い道の無い物だと分かると、期待が裏返えった分、余計に失望されてしまう。王家に献上された剣も、蔵に収められ忘れられようとしていた。
そんな厄介者の精霊剣が日の目を見る事になったのはイーフェのお蔭だ。
「イーフェの持つ技能は、自動回復なのだが、厄介な事に生命力が満ちていても微弱に回復しようとする。そうなると、無理やりに器に注がれる生命力のせいで、逆に器が傷つく。幼い頃の彼女はそれに苦しめられていた。見かねた王族が、彼女に精霊剣と、変換の魔法陣を与えたのだ」
今では広く知れ渡るようになった、生命力と精神力を変換する魔法陣。本来なら精神力が豊富なエルフにとって、不要な魔法陣なのだが、そう言った経緯があったため、生み出された。
「イーフェは精霊剣を常に持ち歩き、剣に刻まれた魔法陣を通して、余剰の生命力を精神力に変換して蓄積させていた。精霊剣に注ぎ込まれる精神力は尋常ならざる量となり、放たれる熱線は拡散すれば広範囲を焼き払い、絞れば山をも穿つ。結果、精霊を従えた、人間兵器が誕生したわけだ」
「お主の目から見ても、ここに精霊剣があるならば、黄龍の肉を貫けると思うのか」
「精霊剣単体では無理だろうな。あれはイーフェと共に合ってこそ、大陸に名を轟かせるとになったのだ。さて、話をしているうちに、辿り着いてしまったようだな」
群がる幽体を蹴散らしていたサファ達、体内侵入組が足を止めた。マクスウェルの生み出す灯りに照らされて、てらてらと滑りを反射させた肉壁を見上げている。
「この気配。間違いあるまい。この先に心臓があるのだろうな」
「ああ。喧しい鼓動の音が、体を叩くように感じるぞ」
規則正しく鼓動を刻む心臓の気配。加えて、生命力の吸収がこれまでの中で最も激しいのだ。間違いなく、この肉壁の向こうに心臓がある。
サファが居合いの構えを取ると、《神聖騎士団》の冒険者たちが背中を向けて周りに対して警戒態勢を取る。いまだ、雲海のように幽体たちはひしめき合い、サファ達を自分らの側に落とそうと揺らめいている。
細長い呼吸を一つ吐いたサファは、口元を引き締め、眼光鋭く告げた。
「斬るぞ」
短い単語がマクスウェルの耳朶を震わすのと同時に、鍔なりが広がる。澄み切った音は斬撃のように、黄龍の体内に澱む空気を打ち払った。
そして、三筋の切れ目を走らせた肉壁が向こう側に落ちると―――。
―――空気が腐食した。
肉壁の向こう。肥大化した醜悪な心臓からこれまでにない規模の魂吸いが放たれた。まるで、防衛本能が働いたかのような素早い反応だ。
「こ、れは! これほど、とは!!」
マクスウェルが胸を押さえ膝を突くと、冒険者達が多かれ少なれ、同じように苦しむ。分厚い肉壁に阻まれていた心臓を目の当たりにした瞬間、彼らの生命力を根こそぎ奪うかのような引力に晒されたのだ。
心臓が黄龍の魂吸いの根幹であると推測を立てていたが、これほどとはと驚く。
肉体を巨人に引き千切られるような、抵抗する事すら出来ない暴威。これまでは断続的に起きていた魂吸いが、増水した川のような勢いで襲い掛かって来る。
あと数秒もあれば生命力が枯渇すると感じたマクスウェルらだったが、彼らの体は轟音と共に軽くなった。
見えざる引力は霧散し、魂吸いの魔の手から逃れたのだ。どういう事だと訝しむと、前方に藍色の軌跡が残像のように写る。
先頭に立つサファが一人、日本刀を振るう。
精神力を纏わせた刀身は空間を切り裂き、切り裂かれた空間が塞がるよりも前に新しく切り裂く。それを繰り返す事で、サファは引力を断ち切っているのだ。その度に、世界が割れる音が腹の底にまで響いた。
「『三賢』! 今の内に回復をしろ! これは少しばかり予想以上だ」
「心得た、サファ殿。しばし待て!」
ミストラル不在においてマクスウェルはヒーラーの役割を担う。息を切らしながらも仲間が幽体の相手をしている間に、回復魔法の詠唱を始める。しかし同時に心の片隅で不吉な予感に囚われていた。
空間の斬撃を繰り返すサファのお蔭で引力からは免れているが、それに手を塞がれてサファは動けない。つまり、このままでは心臓を前に身動きが取れないまま、幽体に押しつぶされてしまう。
「信じられないわ。千年も経っているのに、風化もしないで。しかも、あんなに精神力を貯め込んだ状態で、存在するなんて」
「だから、一人で驚いていないで、説明してくれないか。あの剣は一体何なんだ」
呆然としていたハヅミだったが、レイの呼びかけに我を取り戻した。そして、奇しくも時を同じころに、サファがマクスウェル相手にしていたのと同じ説明をしたのだった。
「それじゃあ、あの剣は精神力を光線として放てるんだ。そして、どういう訳か精神力が充填されているんだね」
「どういう訳じゃないわよ、主様。ちゃんと理由があるのよ」
したり顔で言うシアラ。彼女は何もかもが分かっている風に、
「エルフの『英雄』イーフェ。彼女が精神力を貯めていたのよ。刃を自らの血で染め、ワザと技能の回復力を上昇させて、その分の生命力を全て精神力に変換し、注ぎこんだのでしょうね。それがエルフの瞳を持つエトネに見えたのよ」
エルフは精神力を光として視る事が出来る。エトネが雨中の向こう側で見た輝きとは、精霊剣に込められたイーフェの精神力だった。
「剣に生命力を宿す事が『英雄』が黄龍を倒す為に自分で自分を貫いた理由だったのですか」
納得するリザは、ハヅミに対して尋ねる。
「あの剣に収められている精神力の量で、この黄龍の肉を貫くことは可能ですか」
「……多分、大丈夫だと思うわよ。剣に宿った精神力の量は、私でも見た事が無いほどよ。でも、心臓の場所なんて外からじゃ分からないわよ」
「あら、そんな事ないわ。『英雄』は身をもって、心臓のある場所まで辿り着いた存在。彼女なら、例え外からでも心臓の位置を正確に知れたのでなくって。何より、この地形よ」
シアラが手を下に向け、隕石が落ちたかのような窪地を指した。
「黄龍の修復力に抗い、深手を負わしたと思える跡よ。きっとイーフェは外側から心臓の方角を目指して黄龍の背を昇り、此処に辿り着いた。此処で何があったのか分からないけど、イーフェは剣に宿した精神力を解放することは出来ず、死の間際に誰かが此処に来ることを祈りつつ、剣を突き刺した。そして、剣は黄龍の封印に巻き込まれて、それが逆に功を奏して、剣は元の姿形を保っているのよ」
話を聞いて、レイは筋は通っているなと思う。証拠などは無いが、それでも、シアラの語る推理には妙な真実味があった。どちらにしろ、イーフェは最期まで諦めることなく黄龍に挑んだのは確かだ。そして、彼女は精霊剣を後から来る誰かに託そうとしたのも間違いない。
「イーフェ。こんな、こんな寂しい場所で、貴女は、一人で、」
涙ぐむハヅミ。瞳からは涙が次から次へと流れ落ち、雨と混じって黄龍の背を濡らす。
そんな彼女に申し訳ないと思いつつも、レイは尋ねる。
「ハヅミ。あの剣を扱うには、なにか特別な条件とかは無いのか」
涙を袖口で拭うとハヅミは答えた。
「無い、わよ。剣の柄を握り、力を放つ事を頭で思い描けば、剣が答えてくれる」
弾丸が装填された銃なのかとレイは想像する。
背面の下り坂に視線を戻せば、再び幽体が集まり始めている。それだけじゃない。黄龍の背を走っている間に随分と時間が経った。まだアルビノ砂漠を抜けてはいないだろうが、それほど多くの時間が残されているとも限らない。
レイはすり鉢状の坂を降り、精霊剣に向けて走り出した。
遅れて、リザ達も後を追う。
精霊剣バルムンクは誰かを待つかのように、黄龍に突き刺さったまま動かない。剣まで、あと十メートルとなった所で、不意に、レイは寒気を覚えた。
脳天から爪先まで、氷を注ぎ込まれたかのような感覚に足を止めると、精霊剣の前に幽体の輝きを見て取った。
ようやく見つけた光明に立ちふさがる、最後の壁かと龍刀を構えると、幽体がゆっくりと形を作る。
エルフの古い民族衣装に軽装の装備を身に着けた幽体は、起伏に富んだシルエットから女性だと分かる。手にした武器は剣で―――まごうことなく精霊剣だ。
実体の精霊剣と瓜二つの幽体の精霊剣をエルフの女性は握りしめていた。
それが何を意味するのか。
レイが理解するよりも前に、背後から絶叫が響く。それは世界の理不尽に嘆く少女の声だった。
「ああ、そんな! こんな、こんな事が! こんな事があるなんて!」
跪き、嘆くハヅミ。彼女の視線は、幽体という事を差し引いても美しいエルフの美貌に向けられていた。
「ここに千年も一人で居たのね。――――イーフェ!」
嗚咽に返事は無かった。
精霊剣バルムンクを携えし、エルフの『英雄』にして、十三人の『招かれた者』の一人、イーフェ。彼女こそ黄龍を守る最後の番人としてレイ達の前に立ちふさがった。
読んでくださって、ありがとうございます。
次回更新は、七月四日火曜日頃を予定しております。




