8-17 純粋な想い 『中編』
民衆の避難が完了し、無人となった祭儀場に剣戟の音だけが高らかに歌い上げる。火花散る戦いの激しさに、神殿から離れようとする民衆の足が何度も止まるほどだ。
《神聖騎士団》と《ミクリヤ》。二つのパーティーによるレイ救出作戦は難航していた。
「囲め、囲め! 包囲を崩さず、レイ殿をエリザベート殿らに近づけさせるでない!」
マクスウェルが叫ぶと、前衛組が応と返事を木霊させ各々武器を携えてレイを囲う。一騎当千とまでも行かないが、現役の冒険者の中でも指折りの高位冒険者にとって、レイの相手はさほど難しくはない。
確かに、黒い筋肉のような物に覆われたレイの移動速度や膂力は格段に上昇した。現在のレイをレベルで換算すれば、恐らく200前後。加えて、闇による全方位攻撃が厄介だ。
普通の人間は、背中に目は無い。
死角からの攻撃を察知するのは、たゆまぬ訓練と超えてきた死線によって培う戦闘経験からの予測だ。あとは連携を取る仲間からの注意喚起で、背後からの強襲を防ぐのが一般的なやり方だ。
だというのに、闇に覆われ、左目だけを露出したレイは、まさに背中に目があるのではないかと疑いたくなるほど正確に、的確に攻撃を放つ。
重量級のドワーフが振るう鎚に対して、闇を盾のように変形させ応戦している隙に、弓使いが放った二射を、それぞれの矢じりにぶつけるように矢を放った。振り返りもせずに、背中で放ったのだ。
「ええい、あの鎧。攻めにも守りにも変形するとは。攻防一体の武器。流石は『魔王』の鎧と言った所か」
呟くマクスウェルの脳裏に、人魔戦役における戦場絵が掠めた。
ある地方、ある戦場において出陣した『魔王』の姿が描かれた、希少な絵だ。フィーニスが戦場に自ら出たという事自体稀な上に、それが絵という形で今日まで現存するという二重の意味で貴重な歴史資料には、フィーニスの胴体が黒く塗りつぶされ、そこから無数の武具が放たれていた。
今まさに、己が眼前で繰り広げられている光景がそのまま、その絵には記されていたのだ。
これまでのゲオルギウスやコウエンの発言、レイの姿。そして、自らの体に刻み込まれた印から推測するに、聖印の正体にマクスウェルは辿り着いていた。
『魔王』フィーニスが、己が魂と感情を削り取り、他者に植えつける聖印とは、自らの分身とでも呼ぶべき存在を作り出す。言ってしまえば、魔人の繁殖方法といえる。
魔人種のではなく、魔人を産みだす方法だ。
自らの魂と感情を与える事で、魔人として再誕させる。その際に自らが持つ力を相手にも宿らせる事が出来る。
レイが振るう闇や、スタンピードの際にクリストフォロスが使用した影による転移など、同様の物をフィーニスが使用していたのは、調査の過程で判明していた。
つまり、六将軍とは『魔王』フィーニスの力を操る集団という事になる。
自らと同じ力を持つ分身を作る事で、戦力を増強しようとしたのなら納得できる部分もある。
突飛な発想だが、マクスウェルにしてみればそれに近い技能の事を知っているため驚くほどの事では無かった。
《ロード・トゥ・ヘブン》。
所有者を次々と変えていくこの特殊技能は、時の流れに対して縦に伸びていく刃のような物。対するフィーニスの技能は横に広がっていく、根のような物だ。
そこにレイが組み込まれるのを阻止するべく戦っているのだが、一向にらちが明かない。
原因は『魔王』の力では無く、それに囚われているレイを気にして、《神聖騎士団》のメンバーは全力を出せないでいるのだ。
我を忘れて暴れている人間を取り押さえようとするなら、意識を喪失させるか、四肢を拘束するのが通常の手段だ。しかし、今回の場合、既にレイの意識は喪失状態であり、呼吸を塞いで窒息状態に追い込んだとしても体が停止するかどうか怪しい。また、四肢を拘束するとしても鎧の抵抗が激しく、直ぐに抜け出されてしまう。
ミストラルの拘束結界すらも砕いた鎧の破壊力は並大抵ではない。かといって、《神聖騎士団》が全力を持って相手すれば、中に居るレイごと吹き飛ばしてしまう恐れがある。
当然の話だが、レイは生かしたまま救出する。出来得る事なら、四肢の欠損も無く、今後の活動に支障をきたさないような状態だ。
彼は、現在生存が確認されている『招かれた者』の中で、唯一真面な存在だ。
『魔王』フィーニスや『勇者』ジグムントのように、暴走状態に陥っていない、稀有な存在。それだけに、彼は将来において『聖騎士』に匹敵する役割を担えるはずなのだ。
世界救済の旗頭として。
法王庁としては、レイが『魔王』の麾下に加わる事はあってはならず、更に言えば個人的にも用がある。
「このままじゃ、此方が消耗して終わるわよ。なにか、良案はないの、マクスウェル」
「そうは言うがな、ミストラル。儂の魔法を使って闇だけを吹き飛ばすという都合の良い事はおきんだろう。闇ごと、レイ殿の体が吹き飛んでしまうわ」
魔法で味方のサポートをしていたミストラルが戦況が変わらない事に危機感を募らせて尋ねるも、マクスウェルはどうしようもないと返した。
「このまま、近接戦闘を繰り返しながら闇を削る。見よ、使えば使うほど、闇の鎧が薄くなっているだろ」
マクスウェルの指摘は事実だ。攻撃を受け止めたり、逆に反撃に出る度に鎧は体積を減らしたかのように薄くなっていく。時には砕け、その下にある防具や衣服、肌などが露出する。しかし、即座に闇が砕けた部分を修復してしまい、更には薄くなった箇所も闇が漆を塗るように何度も往復して厚みを増す。
「まさか、無限じゃないわよね」
「それはありえん」
尽きる事を知らないように勢いを増す闇を前にして、ミストラルがポツリと呟いた。それはこの場に居る全員の不安を代弁するかのような内容だった。マクスウェルは不安を払拭するべく断言する。
「この世に無限なんぞある訳がない。あるとすれば、それが無限に見えるだけ膨大なだけだ。時間をかければ、きっと枯渇するはずだ」
「……そうね。そうであると信じたいわね。でも、それを信じて付き合っていられるような体力も時間も、こっちには無いわ」
ミストラルの視線が別の方向を向く。マクスウェルが追いかけると、そこには荒々しい風が竜巻となって観客席を吹き飛ばし、その竜巻を大剣で両断した男が居た。
ローランとゲオルギウスだ。
《ロード・トゥ・ヘブン》によって、ローランは魔法を使う事が出来ない。つまり、今の竜巻はゲオルギウスが発動した魔法という事になる。
ゲオルギウスの厄介な点は、近接戦闘と並行しながら魔法が詠唱できる点だ。肩に付いた二つの口が、槍を振るう間に詠唱を行い、同時に二発の魔法を放つことを可能としている。旧式魔法は戦況を一変させるだけの破壊力を有している。それだけに長い詠唱と集中力を必要としているのに、近接戦においてそれが出来てしまうゲオルギウスは紛れもなく怪物だ。
「ローランが《ロード・トゥ・ヘブン》を使い始めて既に五分よ。彼がいつ果ててもおかしくはありません」
「助けに行くべきだと言いたいのだろう。だが、レイ殿をこのまま放置するわけには行かないぞ」
「それは承知しております。彼が重要だと。ですから、このまま長々と戦うのではなく、一気呵成に畳みかけるのはどうかと提案しているのです」
ミストラルの言葉にも一理ある。ここで最悪なのは、『招かれた者』と『聖騎士』の両方を失う事だ。それを回避するためにも強硬策に打って出るべきではないかと彼女は言うのだ。
その可能性を思案するマクスウェル。だが、そんな彼の行動を悠長だと嘲笑うように運命は加速する。
「駄目よ、おちび、エトネ! 戻って来なさい!」
エトネは焦っていた。
幼い彼女には状況が上手く理解できない。聖印だの、魔人だのと言われてもピンと来ないでいた。
ただ、幼い彼女なりに今の状況が、レイの状態が最悪に近いのだけは分かっていた。
「もどかしいですね。こうやって、待つだけの身というのは」
「我慢なさい、リザ。今は耐える時よ」
今にも飛び出しそうなリザをシアラとレティがそれぞれ手を握ったり、服の裾を掴んでいた。《ミクリヤ》のメンバーはその時に備えて、包囲網から少し離れた一角で待っていた。《神聖騎士団》における囮兼盾役の冒険者が、大柄な体を使って四人を隠すように仁王立ちする。
「そうだよ、お姉ちゃん。ご主人さまの体を覆う、あの変な闇が剥がれたら、その時はあたしたちの出番。ご主人さまの元に跳んで、目覚めて貰うように呼びかけよう」
妹の言葉に姉は頷くも、顔の険しさは戻らなかった。
レイと戦奴隷を結ぶ少女らは、戦線に加わる事は許されなかった。彼女らが武器を向け、振るえば奴隷契約の条項に抵触し、罰が与えられる。リザは既に二度、その条項に触れた。次は、即座に心臓が停止するほどの痛みが襲ったとしても、何ら不思議ではないのだ。
リザ達は囮として自らを守る事もできないため、こうして出番を待って、ただ時間が過ぎるのを耐えるしかなった。
眼前では《神聖騎士団》の面々が、主を助けるために血風に飛び込んでいるというのに、仲間である自分たちがこんな所で、という焦燥感に内臓を炙られていた。
一方で、観客席の方から聞こえてくるローランとゲオルギウスの戦いは激しさを増していた。視線を向けたとしても、あまりの高速戦闘に目は追いきれず、影すら掴めない戦いだ。伝わってくる情報源は全て音のみ。風に流れてくる剣戟の激しさは、此方の比では無い。
それが何時まで続くのか分からないが、直に終わりを迎えるはず。これでローランが勝てば良いのだが、《神聖騎士団》の顔色はすこぶる悪い。そもそもローランが単騎でゲオルギウスと渡り合えているというのも、少女達には驚きなのだ。そこにどんな秘密があるのかまでは分からないが、それが制限か、代償付きの秘密だというのは薄々感づいていた。
ゲオルギウスが勝利し、此方に参戦すれば戦況は一気に片が付いてしまう。そうなる前にレイを救出したいという思いだけが少女たち中で膨らむ。
どうにか理性が押しとどめていたが、本音を口にすれば今すぐにでも駆けだしたいのが、全員の共通した感情だった。
―――だから、エトネは躊躇わずに走り出してしまった。
「《我が足は、世界を跨ぐ》!」
皆の意識がレイへと集中する中、エトネは《狭間ノ省略》を発動した。少女の体が掻き消え、あっという間に戦場へと、レイと《神聖騎士団》の面々が作る戦場へと着地した。
遅れて、傍に居たはずのエトネが飛び込んだことに気が付いたシアラが、悲鳴まじりの声を上げた。
「駄目よ、おちび、エトネ! 戻って来なさい!」
その声に、全員がレイから視線を逸らした。マクスウェルが戦場に突如として現れた灰と緑が混じる頭髪を目にして、叫んだ。
「攻撃を中断しろ! エトネ殿が巻き込まれてしまう!」
叫びつつ、少年はエトネを引きずり戻そうと走り出した。魔法使いだが長杖を振るえば、レイの一撃ぐらいなら防げる。エトネを連れ戻すのに包囲網を崩す訳にはいかなかった。
言葉に出さずとも、《神聖騎士団》の面々はマクスウェルの意思を理解した。彼らは、参謀役の考えを忠実に守ろうとして、各々立ち位置を離れるような真似はせず、何時でも攻撃を再開できるようにと備えていた。
時間にしてみれば、刹那の間。それこそ瞬きをする程度の時間だ。
それをレイは、レイの体を動かすフィーニスの憎悪は見逃さなかった。
マクスウェルの視界の端で、レイの鎧が蠢いた。体のラインに沿うように張り付いていた闇が膨らみ、一気に弾けたのだ。
「いかん! 全員、避けろ!!」
叫びが届いたのかどうか、それはマクスウェルにも分からなかった。
彼の声を潰す勢いで、鎧から触手が展開したのだ。
三百六十度。全ての方向に向けて、ある意味平等に放たれた触手は石舞台を一掃するように回転する。地面から引き抜かれた草に生えた根の如き触手が振り回され、薙ぎ払われる。
《神聖騎士団》の面々も弾き飛ばされ、あるいは回避に追われた。リザ達も盾を持った大男と共に攻撃範囲から逃れた。
触手の暴威は、数秒続き、唐突に終わった。
中心に居たレイの姿は数秒前とは違い、闇の兜も、筋肉のような鎧も無くなった。どうやら触手による範囲攻撃の際に、闇を一気に消費してしまい、鎧を維持できなくなったようだ。
感情が抜け落ちた能面は、左目だけが金色で、右目は黒曜石のような色をしていた。マクスウェルの推測通り、魔人化が終わっていない様子だ。
すると、聖印から闇があふれ出し、再びレイの体を拘束するかのように皮膚を覆い始めた。
「ねえ、そこのお間抜け」
そんなレイに向けて幼い少女の声が放たれた。金色の瞳がそちらを向くと、触手で一掃されたはずの石舞台上に、自分以外の存在を認めた。
灰と緑が入り混じった頭髪に、徒手格闘を想定した身軽な出で立ち。幼くとも整った容姿は明るい活発さに彩られ、嵌めた指輪が輝いていた。
「この子を泣かせたり、危険な目に合わせたりしたらどうなるか、忘れてないわよね」
全身から立ち上る威圧感に、レイの体は気圧されたかのように一歩後ろへと下がる。それに対してエトネは―――いや、エトネの体に憑依したハヅミは歩を進めた。
同時に、彼女の指先が躍ると、どこからともなく水が収束して、彼女を守るようにも、レイを威嚇するようにも浮かぶ。
「貴方には少しばかり、きついお仕置きが必要なようね」
そう言ってハヅミは、青く縁どられた萌黄色の瞳に怒りを浮かべていた。
読んでくださって、ありがとうございます。




