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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第7章 熱砂の国
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閑話:冒険王 奴隷時代Ⅵ

 安城琢磨が恐るべき魔法使いを前に臆することなく走れたのは、彼が恐怖を抱かない勇敢な人間でも、自暴自棄になった反射的な行動でも、ましてや必勝の策があって選択でも無い。


 歯を剥きだしに笑うその相貌は、死を前にして恐怖と快感が入り混じった、実に形容しがたい心理状況を表していた。


 金属で身を包んだ人の体を、ああも容易く粉砕できる魔法が、自分に矛先を向けているというのに、安城は笑みと呼ぶには凄惨すぎる物を浮かべていた。


 ああ、これだ。


 これが生きているという実感だ。


 


 


 心臓が脈打つ音は遠雷のように激しく、流れる血潮が溶岩のように熱くなり、漏れる呼気に歓喜の色が混じり、脳内で興奮物質が増産されていく。一本道の橋を、安城は舞台の花道のように駆ける。


 そんな安城を目の当たりにした魔法使いが攻撃を躊躇うほどの不気味さがあった。


 杖を振る手が止まり、氷が見えない糸で静止されたかのようになると、ファルコが二重顎を震わせ叫んだ。


「おい、貴様。何を呆けておるのだ。奴隷がすぐそこまで来ておる、さっさと殺さんか!」


 上役の命令に魔法使いは意識を取り戻した。相変わらず不気味な奴隷が迫るのを目の当たりにし、殺すべく魔法の照準を合わせた。


 詠唱は既に完成し、あとは放つだけ。


 杖を指揮棒のように高く振るうと、人の命をあっけなく奪う暴力の塊が放たれた。圧倒的な質量の氷柱が三本、互いを削り合いながら安城へと迫る。氷柱同士の間が狭まったせいで、もはや氷の壁のように行く手を遮った。


「避けて、にーにー!!」


 後方でネズは叫ぶも、遅いとも理解していた。見通しの良すぎる橋の上。隠れる場所もなく、下は闇しか見えない深い谷底である。


 避ける手段なんて無い。


 音を立てながら迫ってくる氷の塊を前に、安城も同じことを考えていた。隠れる事も、避ける事も出来ない。


 だとしたら、答えは一つしかない。


「押し通らせてもらう! 《折れぬ心よ、我が身に祝福を》!」


 瞼を瞑れば浮かび上がる、古ぼけた本。自らのステータスを記したその本にあった、特殊ユニーク技能スキルの欄。


 短い説明文と共に記されていた、発動の言葉を口にした。


 途端、安城の体を淡い輝きが包みだした。それは夏の夜に浮かぶ蛍のように、淡く幻想的な輝きだった。しかし、次第にその輝きが強まっていく。


「な、何が起きているんだ。あの奴隷は、何をしているのだ!?」


 透明な氷越しでも、安城の体が輝きだしているのはファルコにも見えた。狼狽する貴族に対して、実戦経験がある魔法使いなどはこの現象の正体に辿り着いた。


「あの奴隷、戦闘に関する技能スキルを持っているのか! そんな奴が、なんでこんな採掘場の奴隷をやっているんだ!?」


 予想外な出来事に狼狽しつつも、魔法使いは次の魔法を発動させるべく詠唱に入る。


 強まる輝きを前にして、最悪の可能性が頭を過ったのだ。


「うおおおおお!!」


 安城の咆哮と共に輝きは最高潮に達した瞬間、一カ所に集中する。安城が振りかざした右拳。その一点に輝きは集まった。握った拳は闇夜すら打ち払う太陽の如き輝きを放っていた。


 そして、《ブリザードパイル》の鋭い先端に向けて、それを真っ直ぐに突きだした。


 瞬間、巨大な質量同士がぶつかった衝撃波が橋の上に拡散する。


 あり得ないと誰もが叫びそうになる。人の背丈を軽く超える、巨大な質量の塊と互角の衝撃を、あの拳は放ったのだ。


 ―――否。


 それどころか、《ブリザードパイル》は押しとどめられていた。先端が拳に削れ、皹が走る。


 エルドラドを訪れる異世界人、『招かれた者』は生前の功績や、行動、思想、感情などを具現化した技能スキルを一つないし複数所持して転生する。


 安城がこの世界を訪れた時に手に入れた技能スキルの一つである《スピリット・オブ・スティール》は彼の生前をそのまま表していた。


 在るかどうかも分からない異世界へ行くという、あまりにも無垢でいて、鋼鉄のように強靭な精神。


 抱いた若かりし頃の夢を一度たりとも疑わず、諦めなかったがゆえに発現した技能スキルは、エルドラドにおいて物理的な効果をもたらす。


 《スピリット・オブ・スティール》は所有者の抱いた目標や信念、覚悟に対する感情の種類や、その期間によって能力値アビリティを増幅させる。


 くろまるの死からの十年。いや、それ以上前からか。


 それこそ、この地獄のような採掘場から脱出し、自由になると誓った幼い頃からの時間が、そのまま力となって安城に宿っていた。


 詰まる所、安城が一度も諦めなかった自由への渇望が、《ブリザードパイル》に負けるかどうかという話だ。


 そして、その結果は直ぐに明らかになった。


 先端に生まれた、小さな皹は安城の拳に耐えきれなくなったとばかりに一気に広がり、行き場を無くした衝撃が内部まで浸透した。


 破砕音が谷底に向かって反響する。


 人を容易く千切る氷柱が、あっという間に細かな破片となって砕け散ったのだ。


「俺の道をこんな安っぽい氷で防げると思うなよ」


 自らが壊した氷の欠片が降る中を、安城は拳を輝かせたまま突き進む。その姿にファルコはこれ以上ないくらい身を震わした。


「ば、ば、馬鹿な! 魔法を素手で壊すだと!!」


 半ば気が狂ったかのように叫ぶファルコを五月蠅く思いつつ、魔法使いは次なる魔法を完成した。それは炎系の呪文だ。人を飲み込む大きさの球体が安城へと放たれた。


 ところが、安城はその一撃を輝く拳で弾き返した。向かってくる炎球をボクシングのように構えた拳で下から上に。


 弾かれた際に角度を変えた炎球は砦の上層部と激突して、形を保てなくなった。ただの炎が砦に広がり、配置された弓兵が捕まり悲鳴を上げる。


 予想外の結末に兵士たちは狂乱の渦へと叩き込まれた。驚き、混乱するのは管理者側だけでなかった。安城を挟んだ反対側に位置する奴隷たちにも、動揺の波が押し寄せていた。


「おい、おいおい、おいおいおい! ありゃ、何なんだよ。デクノ、あんなのにーにーから話、聞いていたかよ?」


「う、ううん。何も聞いてないよ」


「……何だよそりゃ。俺達にも秘密にしていたのかよ。あんなスゲェの」


 呆然と立ち尽くす兄弟の肩を掴んで揺するネズ。自分たちは生まれてから今日までを共に過ごしていたはずなのに、兄と慕っていた男の秘密を知らなかった事に落胆していた。


 裏切られたとも感じていた。


 ところが、呆然と立ち尽くしていたデクノの発した言葉に、ネズは考えを改めさせられた。


「でも、あんなのがあったら、にーにーは一人でも逃げられたよね」


 その通りである。魔法使いの魔法すら一撃で粉砕できる力があれば、何時でも、どんな状況でも、この地獄から逃げ出す事は出来たはずだ。ただし、それには条件があった。


 核心を突く一言に、ネズは何も言えなかった。デクノは淡々と感じた事を口にした。


「にーにーはそうしなかった。僕らを見捨てれば、何時でも逃げられたのに、ここに残ってくれた。足手まといの僕らと共に一緒に脱出しようとしてくれたんだ」


「……ああ、そうだな。にーにーは俺達を見捨てなかった。くそ、何やってんだよ、俺は。勝手に裏切られたなんて思ってよ。……おら、皆! 動ける奴は、いや、動けない奴も全員だ。いま、戦わなくて、いつ戦うんだよ、お前ら!」


 ネズの檄が橋を震わす。それまで《ブリザードパイル》によって折れかけていた心が、再び立ち上がるだけの活力を与え出していた。あの輝きに続けとばかりに奴隷たちは武器を取る。







「あははははは! ああ、楽しい、楽しいぞ、これは!!」


「気が狂ったか、奴隷風情が!!」


 聞く者を心胆から寒からしめる哄笑を上げる安城にファルコは悲鳴を上げた。


 何しろ、あてにしていた魔法使いが立て続けに二発も失敗したのだ。実戦経験の無いファルコにとって、魔法は万能の杖だと妄信していただけに、この結果は予想外だった。背後にそびえる砦からは炎球による被害で慌ただしい雰囲気が伝わってくる。


 想像していた結果の中でも最悪な結果がひたひたと近づてくるのを、ファルコは感じ取っていた。このままでは自分の命すら危うい。遠くからは意気消沈していた奴隷たちが、盛り返してくる気配もする。


「ええい、貴様らもあいつを止めんか。何のために給金を払っているのだ、この無駄飯ぐらい共が!!」


 近習の兵たちを叱咤すると、彼らは自らの役割を思い出したかのように武器を構えて前進する。だが、その腰は引けており、安城の振るう輝く拳の前には紙吹雪のように散っていく。


「どけ、どけ、どけ!」


 野獣のような叫びと共に繰り出される一撃は、兵士の体を宙に飛ばす。振り下ろした剣が拳に砕かれるのを見て、兵士たちは喉の奥で悲鳴を上げた。


 とはいえ、十数人の兵たちを一人ずつ相手していれば多少なりとも時間が掛かってしまう。肉の盾を前にして魔法使いは更なる魔法を放とうと詠唱に入る。


「やらせるか!!」


 朗々と紡がれる言の葉に反応して、安城は近くに居た兵士を掴み、放り投げた。狙いは違わず、魔法使いは砲弾のように飛んだ兵士にぶつかり後ろへと吹き飛んだ。


「魔法使いの次は、お前だ、ファルコ……あれ?」


 気が抜けた様に言葉がしりすぼみになったのは、先程まで居たはずの肥満体型の貴族が何処にもいないからだ。


 どうやら、ファルコは近習の兵と魔法使いを置いて砦へと逃げ出したようだ。


「酷い主だな。お前らを置いて、先に逃げ帰ったよ。まあ、指揮官としては正しい行動ではあるよな。敵に向かって単騎駆けしている俺よりかずっと懸命な判断だ」


 潔い逃げっぷりに感心すら抱いてしまう。もっとも、ファルコを逃がすつもりは毛頭なかった。


 安城は周りを取り囲もうとする兵士たちを無視し、一気に直進した。


 《スピリット・オブ・スティール》の効果は、目的を果たすまでの間は持続する。この場合は、この砦を落とすまでは大丈夫―――の筈だ。自信が無いのはこの技能スキルを発動したことが無かったからだ。無敵に見えるこの技能スキルだが、欠点は幾つもある。自分の抱いた目的や目標以外の事柄では発動できず、一度発動すれば溜めていた力が霧散し消えてしまう。


 今回と同様な力を得るには、強い感情と、それに応じた時間が必要である。


 輝きはそのままではあるが、自分の中にため込んだ力が薄くなってきているのを安城は感じていた。せめて砦の攻略、その足掛かりまでは辿り着きたい。


 兵士を蹴散らして、固く閉じられた門の前へと仁王立ちする。頭上からは弓兵たちが消火活動に追われているのが聞こえてくる。門からはファルコが苛立ちを隠さず、罵声まじりに兵を集め反撃を命じている。


 ここが最後の壁だ。


 そう自覚すると、体の中から歓喜があふれ出す。これまでの苦労が壮絶だった分、歓喜も尋常では無かった。それこそ、海底火山が噴火して新しき島を作り出す勢いだ。そんな強すぎる感情に呼応するように拳の輝きが一段と強まった。


 十年以上、一度も挫けることなく、投げ出す事もせず、抱き続けた自由への渇望。それが今まさに達成されるという歓喜が入り混じった拳を直視した者は永遠の闇の中へと落とされる。いまなら、大地すら割れるのではないかと安城は想像した。


 その輝く拳を、この採掘場を管理して兄弟たちを、奪い、奪われるという螺旋に落としてきた象徴とりでに突きたてた。


 これまでと比較にならない衝撃音が砦を襲った。それに比例するかのように砦は震え、舞い散る噴煙。誰もが驚き、腰を抜かしていると突如吹いた風が噴煙を晴らした。そして露わになった光景に、全員が愕然とした。


 冷たい意匠をしていた砦は、今や見るも無残な姿を晒している。橋へと続くはずの門は枠組みすら残さず、砦の中央部分は遥か遠くへと吹き飛び、石造りの建造物は支えを失った内側へと崩れていく。


 建物がこれだけの被害を浴びたのだ。当然、中に居た人々も壮絶な目に遭っていた。隣に居たはずの同僚が腕だけを残して消え、崩れる瓦礫に飲み込まれてか細い悲鳴を上げ、一瞬で様変わりした現実に腰を抜かし、様々な反応だった。


 悲鳴と狂騒が交差し、耳障りな交響曲を奏でた。


 安城は自分が仕出かした破壊の痕に驚くよりもまず、前へと突き進む衝撃波が開いた道へ歓喜の眼差しを向けた。


 巨大な建築物が二つに割れ、その先に無辺へと続く道が見えた。


「ああ、長かった。本当に長かった。でも、ここから俺の物語は始まるんだ。くろまる、それに皆。御霊から、見ていてくれよ。皆の分も、兄弟たちと一緒にこの世界で生き抜いてやるからな」


 素直な胸中を吐露すると、安城の拳を包んでいた光が消え去った。それは《スピリット・オブ・スティール》が役目を果たしたとばかりに終わったのだ。


 自由への渇望。技能スキルを発動するための原動力が、渇きが、飢えが満たされてしまったのだ。故に、能力スキルによって与えられていた力は消えてしまった。


 とはいえ、これだけの破壊を成し遂げた男に誰も挑もうとはしなかった。砦を破壊する直前の、尋常ではない輝きを直視してしまった兵士は何も見えない自分に絶望し、そうでない者達は安城を化け物だと叫び迂回するようにして砦へと逃げ帰った。


「ネズとデクノの奴。ちゃんと、残った奴隷たちを連れて来れたようだな」


 砦を背にして、安城は安堵のため息を吐いた。そして自分が何も持っていない事に気が付いた。手にしていたはずの盾は燃え尽きたのか、あるいは興奮した時に落としたのか。能力スキルが消えてしまったから単なる一般人に戻ってしまった安城は兵士が落としたショートソードを拾った。


 どれだけの兵が戦う意思を持っているのか不明だが、それでもこれだけの被害を受けたのだから、そう多くないはず。後は数に任せて押し切るだけだ。


 そう考えた安城の背中に向けて、一筋の風が吹いた。


 ―――それを風と呼ぶには、あまりにも荒々しく、禍々しかった。


「《ウィンドテイル》!!」


 気絶した振りをしていた魔法使いが、小声で完成させた魔法を振るう。杖の先端から伸びた、風の尻尾が安城の背中を激しく叩く。


 まるで、見えない誰かに突き飛ばされたかのように、安城の体は宙を舞う。広いといっても、左右は深い谷底が広がる橋の上だ。


 当然のように、安城の体が、闇の上へと、押し出される。


 その光景を誰もが映画のコマ送りのように見つめていた。


 ネズたちは信じられないとばかりに表情を歪め、魔法使いは最大の脅威を排除できたと喜びに震え、闇と見つめ合う安城は冷静に体を捻る。


 手に持つショートソードを魔法使いの方へと投げた。それは運よくというべきか、運悪くというべきか、喜びに打ち震えていた魔法使いの額へと突き刺さった。魔法使いは喜びを顔に貼りつけたまま絶命した。


 そして―――安城の体は底なしの闇の中へと溶けるように飲み込まれてしまった。


「に、にーにー!!」


「待つんだ、ネズ!」


「うるせえ! 離せよデクノ! にーにーがにーにーが、落ちちまったんだぞ!!」


 橋の上から飛び込もうとするネズをデクノが引き留めた。半狂乱に喚く彼を他の兄弟たちも引き留める。


「そんなのわかってる! でも、君まで飛び込んでどうするんだ!?」


 ネズは自分の顔に生暖かい液体が掛かるのに気が付いた。顔を上げれば、兄弟一の図体をほこるデクノが泣いている。彼だけでない。ネズを引き留めようとする兄弟も、そしてネズも滂沱の涙を流していた。


「そんなの、にーにーが望んでいるはず無いだろ。にーにーなら、こんな時、どうするか分かってるだろ!」


「……前へ進む。そんなのわかってる。分かってるけどよ!」


 言葉を紡ごうとしたネズだが、彼らはある事に気が付き言い争いを止めた。それは安城が落ちた谷底からだ。底なしの闇を打ち破るように、眩い輝きが、光の柱のように伸びたのだ。


 空を覆う雲にまで届きそうな輝きは数秒続き、何事も無かったように消えた。闇が再び辺りを支配したが、ネズたちにはその意味が分かった。


「今の輝きは、にーにーか」


「ああ、そうだよ。にーにーだよ。にーにーは無事なんだ。だから、いまは」


「分かってる。悪かったな、取り乱して。皆、にーにーは無事だ! だから、今こそ、自由へ向けて、前へ進むんだ!!」


 ネズの檄に奴隷たちは腹の底から叫んだ。この絶叫が谷底に落ちた安城へ届けとばかりに。そして、自由を求めて立ち上がった獣たちは砦へと駆けこんだ。


 ―――それから一時間も経たない内に、砦は血の海に沈むことになる。


 数日後。砦に食材などを運ぶ商人から異変を知らされた国の偵察部隊が採掘場へ駆けつけると、彼らは兵士で築かれた屍の山を見て絶句する。どの兵士も念入りに、これでもかというほど痛めつけられていた。


 管理者であるファルコ・オンターナ・ゴルディアスの体は一番酷く、四肢が根元から千切れていた。それも、ワザと刃引きされた剣で、肉を押しつぶすように切断されたらしく、損傷の激しい頭部は死を懇願するような表情で止まっていた。


 奴隷たちの姿はどこを探していなかった。








 落ちる、堕ちる、墜ちる。


 濃すぎる闇が四方を取り囲み、ただ落下するだけの感触が五感を通して脳に伝わる。


 この感覚は二度目だ。


 病院のベッドにて死を迎え、転生を夢見ていたあの時と同じである。


 もっとも、あの時と違うのはこの落下には確実に終わりがあるという事だ。地の底が地面なのか、それとも全く別の何かなのか知らないが、ともかくこの高さで落ちれば死は免れまい。


(死ぬ? こんな所で?)


 区切られた空を見上げ、地の底で時間だけを消費していき、鎖に繋がれた獣のような扱いを受け、それで終わるのか。


 安城は明確になっていく死への気配に対して、叫んだ。


「冗談じゃない! こんな、こんな、こんな所で、一人で死ぬために、俺は、この世界に来たわけじゃない! 俺は今度こそ、生の実感を、生きていることを感じたいんだ! ただ、それだけなんだ。こんな螺旋に囚われて、それでお終いなんて、そんなの許せるものかあああああ!!」


 瞬間、安城の全身を駆け巡ったのは燃え滾るマグマの如き憤怒。


 それに呼応するように、技能スキルが応じる。


「《折れぬ心よ、我が身に祝福を》!」


 《スピリット・オブ・スティール》。所有者の目的などに対する感情とそれを抱いた時間に応じて能力値アビリティの増幅をもたらす技能スキル。その神髄は、どんな感情であっても能力値アビリティを増幅させることにある。


 それは喜びや愛情だけでなく、怒りや憎しみでも同様である。


 むしろ、瞬間的な感情の強さで言えば、怒りや憎しみの方が喜びや愛情を超える事もある。


 死ぬことへの怒りが、生への執念と混じり合い、強い力へと変換していく。


 安城の全身が眩いほどの輝きに包まれ―――水しぶきと共に消えた。


 後に残ったのは、色濃い闇だけだった。遥か頭上で起きている惨劇の音すら、谷底に流れる川には届かなかった。


読んで下さって、ありがとうございます。


次回で冒険王の閑話も終了です。

その後は7章終了時のステータスと、簡単な人物設定を投稿します。

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