閑話:冒険王 転生前 『後編』
青い長髪を紐で括り、肩から前へと流し、古代ローマで流行したトーガのような衣服を纏った人物が、悠然と安城を見下ろしていた。整った造形はまるでギリシャの彫像のように完璧だ。おそらく、男、なのだろう。確信を持てないのは、性別を超越した色香が立ち昇るからだ。
だけど、一番惹きつけられるのは、その人物から放たれている静謐ながらも、重々しい気配だ。冒険写真家として世界を回る時、彼は彼の意に沿わない形ではあるが、裏社会の重鎮などとも顔を合わせることがあった。
その際に味わったのは、暴力と非常識が常識としてまかり通る世界に身をやつしてきた人間ならではの空気だ。
いま、眼前に居る人物から放たれている空気や気配は、その時と似つつも、比べる事も出来ないほど深く、重い。それこそ、空気に当てられているだけでショック死しかねない。
(いや、死んだのだから、いまさらショック死も無いか)
状況を忘れ、内心でおかしな事を思うと、眼前の人物が品良く笑った。
「ああ、それは確かに変な話だな。君は既に死んでいる。死んでいるのに死んでしまったら、魂が消えてしまう。そんな事になれば、折角招いた私の立場という物が無くなってしまう。困った話だ」
「……まさか。心を読んだ……のですか。どうやって!?」
「どう……と言われても困るな。こうして向かい合って目を見れば、君の思考ぐらい簡単に流れてくるんだ。むしろ、どうやれば心を読まないでいられるのか、私にはさっぱり分からないよ」
嘘を言っている風には見えない。おそらく、事実なのだろう。
心を読め、人間に非ざる美を持ち、そしてここを神の観測所と口にしていた。
バラバラだったピースが組み合わさり、一つの絵に纏まった。それは安城が求めてやまなかった絵でもある。
途端、体の内側からマグマのような熱い奔流が押し寄せる。それは長年抱き続けていた異世界への情熱だ。溜めこんでいた情熱が腹の底から湧き上がり、止める事も叶わなかった。気が付けば、安城は歓喜の雄叫びを上げていた。七十年近い、自らの願望がいままさに叶うという瞬間なのだ。叫ばずにはいられなかった。
どれだけ叫んだのか、それは自分でも分かっていなかった。
一分や二分では無い。十分、あるいは一時間、もしかすると一日中。時間という概念があるかどうかも定かではない場所で、喉が張り裂けんばかりに叫び続けていた。眼前の人物は驚きつつも、唇の端を緩め安城の雄叫びを遮ろうとはしなかった。
ようやく雄叫びを終えた安城に向かって、拍手すらした。
「凄まじい雄叫びだ。その獣じみた声で世界が滅びそうだ。君を長年追い続けてきたけど、やっぱり面白い。抱いた欲望に忠実でありながら、目先の欲に流されることなく、己を律し、鍛え上げて来た。それはある種の気高い行為だ」
「私の事を見てらしたのですか」
「もちろんさ。実を言えば、私は君の信奉者でね。さて、改めて自己紹介をしよう、安城琢磨。私は『神々の遊技場』、エルドラドを管理する13神が一柱、風を司る神、名をアネモイ」
両腕を横に伸ばして、今にも安城を抱き締めかねないほどの熱烈な視線を向けたアネモイ。だが、安城は喜びに打ち震えていた。
『神々の遊技場』、エルドラド、13神、風の神。
なんと胸をときめかせてくれる言葉の数々。安城は思わず、自らの胸に手を当てていた。すると、何とも形容しがたい触感に視線を下へと向けた。
視界に飛び込んできた物に驚いた。青白い胸板と薄く割れた腹、そして男性のシンボルまでが一列に並んでいる。どういう訳か、安城は裸だった。反射的に股間を手で隠した。
「どうして裸なのでしょうか。それに、この体は」
「気が付いてなかったのかい? 君はさっきから全裸の状態で雄叫びを上げていたんだ。てっきり、そういった性癖があるのかと思っていたが」
「違います! ……そうでは無く、いえ、それ以前に俺の体はどうしてこんなに若々しくなっているんですか」
「魂の姿は心に引きずられることがある。今の君は、魂が積み重ねて来た時間を意思と情熱で打ち破り、最盛期の姿をしているのさ。だから、気が付いているかい。一人称が俺になっているよ」
言われてから、自然と俺と口にしていたことに気が付く。大学を卒業するころには私と口にし、老境に到ってからは儂と呼んでいたのに。『俺』と口にする事を抵抗なく受け入れていた。
「此方としても、草臥れた老人を送り込むより、意気軒高な若人を送り出す方が美しい。もっとも、見せかけだけの若作りさ。なんだったら、一、二の、三」
アネモイが白く、雪の結晶を固めたような指先を鳴らすと、安城の体は病魔に侵された老人へと変化した。いや、変化というよりも戻ったというべきか。
「そら。魂の姿を元に戻した。どうだい、若い方が気分的には良いんじゃないのか?」
その通りだと頷くと、安城の体は再び若かりし頃に戻る。
「もっとも、君は転生するから、その姿形とはここでお別れしなくちゃいけない。魂の見た目なんて、神の意志一つで自由自在に変えられるんだから、あまり固執する必要は無いだろ」
「……本当に、異世界に行けるんですね」
「ああ、行けるとも」
あっさりと。道を尋ねられたから教えたような気軽さでアネモイは頷いた。それをどれだけ心待ちにしていたのか、それは安城本人しか分からない。
今度は叫ばず、しかし、嬉しさに身もだえしていた。アネモイはそれを面白そうに眺めつつ、だけど、と続けた。
「だけど、君には申し訳ないが頼まれごとがある。それを引き受けてくれなければ、私達が管理するエルドラドには行けないのだ」
「と、申しますと。アネモイ様」
顔を上げると、男なのか、女なのか分からない中性的な容姿が悲しそうに、そして何より悔しそうに歪んだ。
「君がこれから向かう世界は滅ぶことが確定している世界。君には、その世界を救ってほしいんだ」
「……つまり、俺を含めた『招かれた者』は世界を滅ぼしてしまう魂を持った七人、『七帝』を排除するか、それ以外の方法で世界を救済するのが目的、という事なのですね」
「実に理解が早くて助かる。昔から二十一世紀の日本人はこの手に関する理解力が高すぎる傾向にあるな。頭が柔軟なのか、固定観念に縛られていないというべきか、頭がお花畑なのか。おっと、失言だったかな」
「いえ。……ですが理解が及ばない点もあります」
長い話になると前置きしたアネモイの好意で出現した椅子に二人は腰かけ、対面していた。
安城は驚きと興奮で体を震わしていた。異世界エルドラド。そこは星の数ほどある異世界の中でも、他の世界の人間を転生、転移できる場所として神々から注目されていた。他の世界を管理する神々は、己が世界のお気に入りをエルドラドに送り込み、彼らがどんな冒険をするのか、偉業を成し遂げるのか、悪辣に手を染めるのか眺め楽しんでいるという。
そんな『神々の遊技場』が終わりを迎えてしまったのは、13神の怠慢も原因ではあったが、『七帝』と呼ばれる規格外の魂のせいであった。
13神は時を戻す事で世界の破綻を先延ばしにし、その間に世界救済へと乗り出したのだ。安城が呼ばれたのはそういった経緯なのだが、一つ腑に落ちない疑問があった。
「どうして俺なんでしょうか? 俺は確かに異世界で役立つようにと様々な分野に手を出し、知識を貪欲に学び、体を鍛えるためにと武道を習い、世界を肌で感じてきました。ですが、どれも凡人の領域です。俺には才能が無かった」
これは決して自分を卑下した訳ではない。純然たる、自己評価に過ぎなかった。そしてそれは正しい。安城琢磨は凡人だ。
経済、法律、医学など様々な分野の知識を得たが、結局は机上の知識。専門的に学んできたわけではないし、そこに実体験が肉となって身に着いたわけではない。剣道も才能があったとは言い難く、県でベスト8に入れた時は、対戦相手が団体戦で怪我をしたから不戦勝で勝ち上がったからだ。世界を見て回ったとはいえ、例えばエベレストのような過酷な環境に挑戦したわけでもない。
彼は凡人が凡人として出来得る限りの努力と経験をしてきたに過ぎない。
自分が世界を救える可能性など、砂漠の砂粒、大海原の一滴、密林の土塊程度しかなと安城は冷静に判断した。
「この星の数だけ異世界があるなら、それこそ世界を救った英雄なんて、星の数だけ居るのではないでしょうか。そんな英雄経験者を差し置いて、俺が選ばれた理由が分かりません」
言い切ると、アネモイは足を組み替えた。トーガの切れ目から伸びる細く、陶磁のような白い肌は性別を感じさせない、美術品のような美しさだ。それこそ、足だけを切り取った肖像画が国宝として美術館に展示されてもおかしくは無かった。
「ふむ。意外と冷静なんだね。七十年という月日、恋い焦がれた瞬間を迎えたというのに。君の理性は鋼鉄で出来ているのかい? 絶世の美女が香水だけを纏ってベッドに誘っているというのに、君はこれをハニートラップではないかと疑っているんだ」
「申し訳ありません。神に対して疑念を抱くというのが、特定の宗教を持たない身でも不敬だとは理解しています。ですが、七十年。この日の為だけに生きてきただけに、心残りは無くしたいのです。十三回しかない世界救済のチャンスを、俺が潰しても良かったのかと思いたくないのです」
「構わないさ。……確かに、世界救済という目的で君を呼ぶのは合理的とは言えないね。はっきり言って、君以上に適性のある人物は、ごまんと居る。世界を救った英雄、偉業を為した天才、民衆を震撼させた悪漢。だけど、そんなありきたりな人間は、私の興味を引かなかったのさ」
興味ですかと安城はオウム返しに尋ねた。
「私は風を司る神。風は、いつも同じ方向にしか吹かない訳じゃない。くるくる、風見鶏を振り回し、時には強く、時には弱く、時には激しく、時には穏やかに。千差万別、気分に任せて吹く。……世界救済に対しても、積極的に取り組もうと思った次の瞬間には、飽きたと言って放り投げる、正に風のような気ままな性格をしている」
「それは……実に奔放な方なのですね、アネモイ様は」
「気まぐれ屋と言ってくれて構わない。そんな私が世界救済に真剣になるかと考える事態が、最近起きてね。一週目のエルドラドでは起きなかった、それこそ歴史的な大事件だ。このままではどうにもならない、そうなる前に介入するべきだと。それで、様々な世界を覗き見た時、君を見つけた」
「私を……ですか。しかし、やはりわかりません。どうして俺を見出したのですか」
重ねて尋ねると、アネモイは席を立った。一瞬、不快にさせてしまったかと焦る安城だったが、アネモイは大げさな挙動であたかも役者のように振る舞った。
むしろ、これだけの美形だ。舞台役者のような振る舞いが実に似合っていた。
「君を見つけたのは偶々だ。さして才能がある訳でも無く、適性があるとは言えないのに自らを追い込んでいく姿は殉教者のようだった。どうしてそんな事をするのかと過去をひも解いていくうちに、私は驚いた。まさか、異世界転生を本気で来世で行えると考えているとは」
一拍溜めたあと、アネモイは安城の反応を確かめるかのようにじっと見つめた。青い髪と同じ青い瞳は、安城の心を見透かしているかのようだ。
「その時は、何という夢想家だと笑った。本気で死ぬ瞬間まで自らを鍛え、力をつけ、異世界へと渡ろうなんて考えるとはと笑ってしまった。そのことは詫びねばならない。なぜなら、君は、本当に死ぬ瞬間までそれを疑わなかった。歩みを止める事はしなかった。鋼鉄の遺志は金剛石以上の硬質さを纏い、輝きもそれ以上だ。私はそれに惹かれたのだ」
古代中国の言葉に、鉄硯磨穿というのがある。意味は、強い意思を持ち続けて、達成することを諦めない。
それを地で行くかのような安城の一生に、眩しさを感じていたとアネモイは語った。
「単なる腕っぷしの強さなんて、他者との関係で強弱が決まってしまう。だが、意思の強さは違う。自分が折れたと認めない限り、決して折れる事は無い。君は、それが飛びぬけていると私は思っているのさ。それこそが、世界救済に必要なのだと私は確信している」
「……過分な言葉、恐縮です」
安城は溢れそうになる涙を誤魔化す為に顔を伏せた。
これまで、異世界に渡るという夢を誰かに話した事は無かった。言えば、確実に馬鹿にされ、呆れられ、踏みにじられると思っていた。
それがこうも言ってもらえる機会があったのかと心に去来する感情があった。
「もし君が、自分自身を信じられないと言うのなら、君がこれまで積み上げて来た事を信じたまえ。君は為せるだけの事を積み上げてきた。神である私が保証しよう」
アネモイは穏やかな笑みを浮かべつつ、懐から青い鍵を取り出した。すると、それに反応するかのように何もなかった空間に扉が出現した。
鍵を扉の何もない部分に差し込むと、抵抗もなく飲み込み、扉が光り輝いた。
「さあ、安城琢磨。君にはこの扉をくぐり、エルドラドに渡る資格がある。だけど、拒否するのなら今しかない。なぜなら、この扉を潜った先は、崩壊に向かう世界。モンスターが跋扈する地獄のような場所だ。もしかしたら、君は何も為せないまま、無意味に死ぬかもしれない。骸を晒すかもしれない。それを恐ろしいと思うのなら、ここで引き返し、元の世界の輪廻に取りこまれるのも悪くは無い。選びたまえ!」
安城は涙を拭うと立ち上がった。そしてしたり顔で笑うアネモイに告げた。
「心を読んでいるのなら、俺がどう思っているのか。すぐに分かるはずでしょう」
「ああ、そうだね。愚問だったな……さあ、いきたまえ、安城琢磨。君が求めて止まなかった異世界が、すぐそこにあるぞ!!」
その言葉に安城は背中を押されたかのように走り出した。扉が開かれ、先程と同じ無限に続くかのような闇が顔を覗かせているというのに、彼は恐れることなく飛び込んだ。
落ちる、墜ちる、堕ちる。
光は無く、一面を闇に覆われているというのに、彼の心は恐れを抱いてなかった。
何時しか、魂の感覚が消え去り―――彼の意識はそこで一度途切れたのだった。
―――情報が爆発した。
意識が途切れたのは一瞬。しかし、気が付くと周りの環境が一変していた。同時に流れ込んでくる周囲の環境情報に体と心が追いつけなかった。
全体的に感覚がぼやけている。見る物、聞く物、感じる物が幾層にも重なる厚いベール越しに感じるかのようだ。
ただ、視界に映る小さな指が、自分が赤ん坊だという事だけは理解させてくれる。
(どうやら、転生は上手く行ったようだけど、ここはどこなのだろうか。何か、手掛かりになりそうな物は)
転生前、アネモイからエルドラドの文化水準がどの程度なのかは聞いていた。とはいえそれは一般的な、平均値に過ぎない。自分が置かれている環境から、この家の経済水準、そして置かれている立場など幾つもの情報が手に入る。
赤ん坊の体は自分の思う通りには動かない。首は重すぎる頭を支えきれず、小さな胴体は起き上がる事すら許してはくれない。寝たきりという意味では死ぬ間際とさして変わらなかった。
すると、天から二本の腕が差し出された。あまりの体格の違いに一瞬、体が硬直していると、巨人のような腕が体を引き上げる。
「おやおや。この子は随分と泣かない子だね。まあ、手間がかからなくて助かるよ」
巨人のような腕は誤解だった。赤ん坊から見れば、普通の人間はみな巨人のように大きく感じる。どうやら、抱きかかえてくれたのは母親なのかもしれない。
だけど、と思う。
随分と年老いた声だ。失礼だが、赤ん坊を産むような年代の女性の声とは思えなかった。
ふと、視線が何か奇妙な物を捉え、安城は愕然としてしまった。
それは粗末な一室に並べられた、木枠で出来た箱。そこには申し訳程度のシーツが収められ、つい先程まで自分が寝転んでいた跡が残っていた。
その箱が、縦横に五列ずつ並べられている。
その中には、自分とさして変わらない赤ん坊が、生きていることを証明するかのように泣き喚いた。安城はなぜだかこの木箱を、棺桶のようだと感じてしまった。
(神よ。異世界の神、アネモイ様。貴方は、俺を、どこに転生させたのですか!?)
後に、冒険王と呼ばれることになるエイリーク・レマノフ。
彼の波乱に満ちた生涯は、一冊の本として世に出回る事になる。
その本のはじめ、彼は自らの少年期を隠すことなく詳らかにしていた。
―――自分は奴隷の子供だった、と。
読んで下さってありがとうございます。




