7-34 離れの食堂
レイ達が宛がわれた部屋は接収された屋敷の離れだった。敷地内の隅にあり、独立した建物を丸ごと一つ貸し与えられた。建物の中には世話をするための執事やメイドなどが居る。
建物の周囲は護衛という名目で配置された兵士たちが巡回しているが、彼らの意識は離れの方を向いている。ありていに言えば、あれは見張りだろう。ダリーシャスが勝手な行動をしないように監視していた。
ラシードたちとは強引に引き離されてしまった。元々、ナキ家はオードヴァーン家の当主に仕えている。ファラハが死んだ以上、いまオードヴァーン家を差配しているのはアフサルであり、彼の言葉が絶対となっていた。ラシードたちと強引に引き離され、離れにはダリーシャスと《ミクリヤ》のメンバーが押し込まれた。
「特別な待遇で旅の疲れを癒してくださいって話だけど、どう考えても、これって軟禁よね」
「言い過ぎよ、シアラ」
全員が思ってはいたが口に出さないでいた事実をシアラはあっさりと言う。リザも眉をしかめるが、否定はしなかった。
離れの二階にある談話室にて装備を外し、思い思いに椅子に腰かけたりしている中、シアラが金色黒色の瞳を向けた。
「この対応からすると、アフサル王子との面会は、上手くいかなかったって事でいいのかしら」
アフサルとの面会時、別室に押し込まれていたシアラ達には、アフサルが告げた衝撃的な内容の数々を知らない。少女らは主とダリーシャスを交互に見つめ、何があったのかと知りたそうな顔を向ける。
ダリーシャスは離れに到着してから、一言も声を発していなかった。粗野ながらも気品さもある顔を歪め、苦痛に耐えている病人のように顔色を悪くしていた。知り得た情報の数々に思考が追いついていないのだろう。執務室で話を聞いていたレイとて理解が追いついているとは言い難い。
そこで自分の中で整理するためにも、リザ達に何が分かったのかを語り出した。
「まず、オードヴァーンと帝国の間で交わされた親書だけど、あれはやはり本物だった」
「それは……最悪と言えますね」
親書が本物という事は、帝国の南方大陸出兵が真実だという事になる。大陸に帝国の軍勢が押し寄せ、戦乱へと発展するかもしれない。その火種を作ったのがオードヴァーン家という事になるのだ。
そもそも、ワシャフの反乱が起きた発端も親書の存在だ。国が乱れるきっかけを作ったオードヴァーン家の罪は重い。
「アフサル王子曰く、元々、二人の父親であるファラハ・オードヴァーンが魔人種に関する情報を手に入れたのが発端らしいんだ」
どういう意味かと聞き返すシアラにレイは説明を続けた。
南方大陸が魔人種の次なる目標とされるという情報を手に入れたファラハはこれを利用した。帝国と接触し、自分たちに優位な条件での軍事締結を取り決め、魔人種に備える事で神前投票におけるアピールに使おうとしたのだ。
ところが、交渉は彼の予想外の方向へと進んでいく。魔人種に対する防衛の軍事締結だった交渉が、帝国から別の申し出があったのだ。それは帝国の外征における軍事締結。具体的には進軍する際の軍事基地用の土地の割譲や、他国への進軍の際に同盟を結ぶこと。平たく言えば、帝国の南方大陸侵略の手伝いをしろという内容だった。見返りは獲得した土地の分配。
議事堂で衆目に晒された親書は他の王族や十四氏族に対して秘密裏に進めて来た交渉の一端であった。
「それじゃ、あの帝国兵たちは南方大陸を攻めるために送られてきたの?」
「いや、それがそういう訳じゃないみたいだ。帝国に渡ったアフサル王子はワシャフの反乱の発生を受けて、先の親書とは別の軍事締結を結んで帝国兵を借り受けたんだ」
通商条約の締結という隠れ蓑を使い、帝国に渡っていたアフサル。彼は親書の内容を詰める話し合いのために帝国を訪れていたが、その最中にクーデターの報せを請けとった。
そこで彼は帝国兵を連れて帰る事で、討伐軍の戦力としようとしたのだ。旗揚げした時、自分には帝国の後ろ盾があるのだと周囲に知らしめるため。
「でも、それって帝国の内政干渉を受ける事になるじゃない。いまは良くても、後々周りから言われるわよ。それこそ帝国の南方大陸侵略の一端だって。アフサル王子が勝ったとしても、十四氏族や民衆が黙っていないわよ」
「その通り。そこでアフサル王子は、帝国の姫と婚姻することで、縁戚関係を強引に結んだんだ」
縁戚関係を結ぶことで、帝国の娘婿の国への介入という名目を作った。あまりにも強引な手法だが、筋は通る。
「港町の傍にある帝国軍は今の所、デゼルト国の混乱を治めるために派遣された部隊、ってことになるね」
「……帝国軍は首都を奪還し、ワシャフの反乱を鎮圧すれば帰国するのでしょうか」
「それは……分からない。街の人達はそう思っているだろうけど、僕はそうは思えない」
帝国にしてみれば、これはチャンスなのだ。
海を渡り軍隊を送りこむ過程で重要なのは兵站である。
軍隊は胃袋に例えられることがある。人間の集団である以上、食事は必要不可欠。一万の兵士を維持するために必要な食料がどれぐらいになるか、レイには想像もできない。しかし、デゼルト国が、アフサルがそこを補うとしたら、軍隊を送りこむ手間が一つ消える。
折角送り込んだ一万の軍勢を、そのまま帰国させるとはどうしても思えなかった。
どちらにしても、デゼルト国に戦争の影が近づいていた。アフサルとワシャフはそれぞれ兵を集めている。いずれ、両陣営がぶつかるのは明白だ。
この流れは、もう止められない。
「自分を王にする為にしていた裏工作が、ファラハ・オードヴァーンの首を絞めたって訳ね。それにしても不思議な話ね。どうしてそんな裏工作の証拠が、よりにもよって敵陣営の首領に渡ったのかしら」
シアラが秀麗な顔を傾けて言う。リザも確かに奇妙ですねと同意した。
「ファラハ様にしろ、アフサル様にしてもこの交渉が途中で判明すれば自分たちの身を危うくするのは分かっていたはずです。それなのに、まるで狙いすましたかのように親書が敵の手に渡るのは、いささかおかしいかと。レイ様。なにか、お聞きになっていませんか」
「アフサル王子は分からないと言っていた。ワシャフは裏の仕事に精通した人材を確保している。彼らの仕業じゃないかって。……でも、ダリーシャスが」
「ダリーシャス様がどうかしたのですか、レイ様?」
談話室の片隅。椅子に深く腰掛け、深刻な表情をしているダリーシャスの方をレイは伺った。執務室を退出した際、彼は言った。
―――兄上は嘘を吐いている。
「ダリーシャスはアフサル王子が嘘を吐いていると睨んでいるんだ」
「嘘……ですか。それは一体、どのような嘘なのでしょうか」
「それをダリーシャスに聞いたんだけど、答えてくれないんだよ。ずっとあんな感じで黙り込んでいるんだ」
すると、彫像のように身じろぎもしていなかったダリーシャスがポツリと呟いた。
「……兄上が嘘を吐いたのは、おそらく二カ所だ」
「やっと喋る気になったね。それで、二カ所とはどこなんだ」
「父上が帝国側から出された条件。侵略戦争に加担するという条件を呑んだという事。そしてもう一つが、親書の流出を知らないと言った時だ」
「それってつまり、ダリーシャス様の父親は交渉を把握しておらず―――」
「―――親書の流出に関わっている、という事でしょうか」
シアラとリザが尋ねると、ダリーシャスはそういう事になるなと認めた。
しかし、そうなると話がおかしい。
前者、つまりファラハ・オードヴァーンが交渉をすべて把握できなかったというのは、あり得る話だった。交渉を実際に行っていたのはアフサルであり、彼が父親に独断で帝国と交渉内容を変えていたとしたら、議事堂でのファラハの動揺に説明がつく。
彼は本当にその親書の内容を知らなかったのだ。帝国とは魔人種に対する軍事締結を結ぶつもりの所に、侵略戦争の軍事締結に関する親書が出て来れば混乱するのも仕方ない。
問題は後者、親書の流出だ。
「ねえ、ご主人さま。これって変じゃない。アフサル王子が親書をワシャフ側に渡したとしても、それって何か得になることがあるのかな」
レティの言葉にレイは頷く。
まさにその通りなのだ。
アフサルが親書を敵陣営に流すメリットが一つもないのだ。
ファラハが行った帝国との接触は、デゼルト国においてグレーゾーンの行いである。王と十四氏族の族長による合議制を取るデゼルト国において、王でない王族が勝手に他国との軍事締結を持ちかけるのは言語道断である。
現在、王が政治を行えないため、王の代わりに王族達が十四氏族と会議を行っている。その会議に、魔人種の暗躍があるという情報を明かさずに帝国と接触するのは、国の掟を無視したことになる。王家としての責務を放棄したと責められても仕方が無い。
実際、ワシャフの反乱を引き起こしたのだ。
ファラハにしても、アフサルにしても、この交渉は秘密裏にするべき内容のはず。
そんな親書が政敵の陣営に渡れば、自陣がダメージを受けるのは目に見えていた。親書の存在を闇に葬ろうとしたのならまだ納得できる。
「俺もその点だけが腑に落ちないのだ。兄上が敵陣営に親書を流したのは、俺の技能が真実だと告げている。問題は、そんな事をして兄上はどんな見返りを得たというのかだ」
レイもリザもダリーシャスの言葉をもっともだと頷いた。わざわざ自分の陣営を苦しめる爆弾を相手に渡す人間なんていない。アフサルが親書を渡したとしても、そこにどんな理由があるのか。
ところが、白い肌に手を当て考え込んでいたシアラは違った結論に達していた。
「……そんな事ないわよ。アフサル王子にも利点はあった。だから親書を渡したのよ」
何処か夢見がちな声にレイは口を尖らせて反論する。
「だから、それがおかしいんだよ。神前投票前に、親書を公開されれば父親に投票するはずだった王族が離れるかもしれない。父親が王に成れなければ、自分だって王に成れない。いや、それどころか死んでしまう可能性もあるんだ」
レイの言葉に、シアラはその通りとばかりに首を縦に振った。
「そうよ。アフサル王子は父親であるファラハ・オードヴァーンを王にする必要があったはず。ワシャフ側を王にして、そちらに鞍替えしても王には成れないわ」
神前投票には大きく二つの決まりがある。一つは立候補できるのは現在の王の血を引く男子のみ。そして投票権を持つのは王家の男のみ。
アフサルが父親を見限って親書を手に持ち、ワシャフ側に着いたとしても、ワシャフの子でない彼には王位継承は出来ないのだ。
やはり、アフサルが親書を敵陣営に流してもメリットは無い。そう考えるレイに対して、シアラはとんでもない事を言いだした。
「アフサル王子の目的が父親を王にするため、って限定するから分からないのよ」
唐突な発言に、レイのみならずダリーシャスも呆気にとられた。
「……それって、どういう意味なんだ」
「だからね。アフサル王子が親書を敵陣営に流したのは、この状況を作るため。そもそもの目的が違うのよ」
「「……なっ!?」」
瞬間、シアラの言葉に衝撃が走った。頭の先から爪先まで貫く電流が流れ、頭を殴られた時のような眩暈を覚えた。
目的が違う。
シンプルだけど、核心を突く言葉はダリーシャスにも似たような衝撃を与えたのか、いつの間にか彼もシアラの話に耳を傾けていた。
「今の状況だけ切り取って整理すると、ファラハ・オードヴァーンが死に、ワシャフ・プラティスは首都を武力で制圧して、十四氏族の族長たちを拘束している。民衆のワシャフに対する感情は決して良いものじゃないわよね」
飲食店での女将とダリ―シャスの会話を思い出した。彼女は十四氏族の族長を拘束するワシャフに悪感情を抱き、それを打倒するアフサルの討伐軍と海を渡ってやってきた帝国軍を歓迎していた。
たった一例だけど、彼女の口ぶりからするとこの街の民衆は大体似たような感情を抱いているのかもしれない。
平たく言えば、悪のワシャフ。善のアフサル。
特にアフサルは父親を謀殺されているのだ。民衆は分かりやすい悲劇、分かりやすい悪を倒そうとする善を応援したがる生物だ。
悪にされたワシャフ側にしてみれば冗談ではないと怒り狂うだろう。何しろ彼は、デゼルト国を、南方大陸を帝国の脅威から守る為に立ち上がった憂国の士である。それがいつの間にか悪役に仕立て上げられたのだ。
「確かにな。国の民にしてみれば、王族とは上のまた上の存在。実際、この地を治めている十四氏族の者達の方が、顔が見える分、敬っているという自覚があるのだろう。……だとすると、ワシャフ伯父を悪役にするのが目的だったのか」
ワシャフと言う、国を乱す悪を討つという構図を作る事で自らを英雄になろうとする。ダリ―シャスの出したその結論にシアラは首を横に振った。
「多分だけど、それだけじゃないわ。神前投票で負けが濃厚となったワシャフたちに親書を渡せば、暴走するのは分かり切っていた。……自分の父親や弟がどうなるのか、理解しながら親書を渡したのよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! それじゃ、アフサル王子の果たしたかった目的は」
「ええ、そうよ。父殺し。それがアフサル王子の本当の目的だったのよ」
きっぱりと、断言するように告げたシアラ。いつの間にか、窓の外では鉛色の雲が空を覆い尽くし、支えきれなくなった雨を零し始めていた。
窓に撃ちつける雨音が静かな室内に響く。
父殺し。
短い単語に込められた不気味な重圧に、誰もが押し黙ってしまう。一番の衝撃を受けたのは、言うまでもなくダリーシャスだろう。
彼もまた、その覚悟を抱いていた。アクアウルプスにて王になると決意し、そのためには父親すら裏切ると口にした青年は、実の兄が同じ覚悟を抱き、実行していたことに衝撃と混乱を味わう。
「……馬鹿な。……ありえん」
ダリーシャスは否定の言葉を口にするも、理性はシアラの推理を肯定していた。
自分の持つ《王者ノ勘》はアフサルが親書の流出に関わっていることを告げていた。それがこの状況を引き起こすためだというのなら、その目的は二つに絞られる。一つはワシャフにクーデターを起こさせるため。そしてもう一つが、父親であるファラハを死なすためだ。
「まさか……本当にそうなのか」
アフサル・オードヴァーンが親書を流出させたのは、父親を殺すため。
シアラに言われ、その可能性を頭の中で検証すればするほど、驚くほどにしっくりくるのだ。自分の手で父親を殺せば、その行為がどれだけ善であっても、周りは悪と見做すだろう。そうなれば、民衆や十四氏族の支持を得られない。回避するには、自分以外の存在に父親を殺してもらうしかない。
ワシャフ伯父に父親を殺させる。そのために親書を流出させた。想像するだけでも吐き気を催す、邪悪な企みだ。
だけど、そうなるとどうしても理解できないことがある。自分が父殺しを決意したのは、次の神前投票までに自分がアフサルに殺される恐れがあったからだ。それを躱せたとしても、王になれる確率は限りなく低い。
だからこその父殺しという博打を行うという決意をした。
だけど兄であるアフサルはそんな事をしなくても、王になる可能性は十分にあったはずなのだ。父親であるファラハを王にすれば、それだけで次の玉座は近くなる。
仮に、アフサルが王になるつもりがないのなら、討伐軍なんて物を旗揚げする必要はない。むしろ、親書を流した功績で助命嘆願をすれば、ワシャフの庇護下で生きていけたかもしれない。
つまり、アフサルは自らを王にするためには父を殺さないといけないと考え、実行したことになってしまう。
「どういう事なのだ。これではまるで、俺と同じように兄上は追い詰められていたことになってしまうぞ」
予想すらしていなかった可能性にダリーシャスのみならず、レイ達も少なからず動揺していた。そんな中で、雨を眺めていたエトネが扉へと駆けだした。深刻な話を邪魔しないようにしていた少女の行動に皆が驚いた。
エトネが扉を開けると、そこには驚きから目を丸くしたメイドが立っていた。
「ごはん? ごはん、できたの?」
「え、ええ。その通りでございます。お食事の方が出来ましたので、皆さまを食堂の方へご案内いたします」
鋭い嗅覚で台所から漂う香りをかぎ取り、発達した聴覚でメイドの足音を拾ったエトネはすぐさま食事と連想させたのだ。
難しい話に飽きていたエトネがニコニコと笑い、短い尻尾を振り回した。それを見るだけで、談話室の張りつめていた空気が弛緩していく。
「とりあえず、食事にしよう。ややこしい事ばかり考えていたから、頭が栄養を欲しがっているよ」
レイの言葉に、ダリーシャスは苦笑しつつも頷いた。そして一同は食堂へと移動した。
意外な事に、食事の席はダリーシャスと同席だった。てっきり、護衛である自分たちは王族のダリーシャスと、別の場所で食事を取るだろうとレイは思っていた。
「護衛の方も同席させるようにと伺っております」
執事の言葉に、ラシードが何か言ったのかとレイは納得した。
席に座ると、給仕をするメイドたちが慣れた手さばきで皿を運んでくる。コース料理らしく、まずは前菜からだった。子供が居るからか、食前酒は無い。
運ばれたのは数種類の葉野菜と皿が透けるほど薄い肉。エトネは目の端に涙を浮かべ、
「ねえ、ねえ。おにいちゃん。ごはんはこれだけなのかな。みんなおなかすかないの」
と、心配そうに尋ねて来た。コース料理の仕組みを聞くとエトネは安心したように前菜を食べた。
続いて運ばれたのは、ポタージュ系のスープだった。色は柔らかそうな紫だが、見た目からでは正体が分からない。レイはスプーンを手にし、口に運んだ。
舌の上でまろやかな甘みが踊り、喉を伝い、胃の腑に落ちた瞬間。
―――それは猛毒となった。
体の中で煮えたぎるマグマが暴れるような感覚を味わう。鉄が高温の油で溶けていくような音が内部から聞こえた。
ごふり、と。レイはくぐもった咳をした。同時に吐き出されのは真っ赤な血だ。テーブルの上に置かれた紫の皿が、今では毒々しい塊のようにしか見えなかった。
異変を起こしたのはレイだけでは無かった。
「レイ様!? どうなされ、ごっふ、ごっは!」
「お姉ちゃん!? それに、エトネも!!」
「しまった、毒か!! レティ、回復を!」
「嘘でしょ! エトネの鼻でも分からない毒なんて」
毒のスープに手を着けていなかった三人が驚き慌てふためく声が聞こえたが、レイの意識は急速に失われていく。
喉が焼け爛れ、全身が痺れ、体を支えきれない。急きこむたびに血を吐き続け、白いテーブルクロスに赤い徒花を作り、心臓が出鱈目な鼓動を刻む。
あっという間に、死への奈落へとレイは落ちてしまった。どこかで、誰かの嘲笑う声が聞こえたような気がした。
★
「―――っ!」
レイは目を覚ますと、顔に浮かぶ脂汗を手で拭った。同時に訪れるイタミの奔流に身を委ねながら、近くに居るリザを盗み見た。穏やかな寝息を立てている少女にイタミの兆候は無さそうだ。どうやら、自分の方が一足早く死ねたようだ。
妙な事に胸をなで下ろしつつ、死んだ状況を思い出した。
あれは間違いなく、毒殺である。エトネの鼻や味覚ですら感じ取れないほどの微量でありながら、ヒーラーであるレティが回復する暇を与えずに即死へと追い込ませた致死性の高さ。そしてなにより、四方を万全な警備がしかれている敷地での毒殺。
考えられる犯人像はたった一人しかいなかった。
「ダリーシャス。あんたの兄貴は真っ黒すぎるだろ」
こうしてレイは、南方大陸に来てから初めて《トライ&エラー》を発動させてしまう。それも毒殺という形だったのは予想外だった。
ともかく、この死で一つだけ重要な事が分かった。何故、アフサルはダリーシャスに対して技能の有無に関係なく、少し考えれば矛盾が浮き彫りになる雑な説明をしたのか。それは彼の中でダリーシャスを殺そうと決めたからに他ならない。
死ぬ運命にある者に、どんな事を吹き込んでも、死人に口なし。死ねば、全てが闇に消えていく。
これではっきりした。アフサル・オードヴァーンは敵だ。
読んで下さって、ありがとうございます。




