7-32 双子の兄と妹
「そんな、まさか」「嘘でしょ」「えっ、えっ」「ナリンザおねいちゃん?」
日の光を背負って扉の前に立つ人影が、在りし日の彼女の姿に見えたのは、レイだけでは無かった。リザは目を丸くし、シアラは逆に目を眇めた。レティは混乱のあまり言葉にならず、エトネはポツリと彼女の名前を呟いた。
それだけ似ていたのだ。
防御よりも機動性を重視した防具に、刃が前後に付いた特殊な槍を手に下げ、灰色の髪を無造作に垂らし、琥珀色の瞳で店内を見回す男の姿は、あまりにも似ていた。それゆえ、彼女を知る者はその姿を重ねてしまう。
ナリンザ・ナキの姿を。
驚きのあまり、レイが言葉を失うのも無理は無かった。ナリンザが男性の姿になったらこうなるだろうなという予想図が、まさにそこに立っていたのだ。
店内を驚きの波が押し寄せた。テーブルに着いていたラシードが振り返ると、彼は凛とした表情を崩した。ただし、レイ達の驚きとは毛色が違う。彼の表情には喜色が混じっている。
「兄上! お久しぶりです!」
途端、テーブルのあちこちから声が上がった。上げたのはラシードの部下たちだ。彼らも喜びの入りまじった表情で、闖入者に声を掛けた。
琥珀色の瞳がラシードを捉えると、若干だが視線の鋭さが和らいだ。だけど、固まった顔の筋肉は緩まず、男は背中を向けて座るダリーシャスに対して跪いた。
「お久しぶりです。ダリーシャス様。ご無事で何よりのこと。ナキ家長男として、家臣を代表しお祝い申し上げます」
恭しい口上にダリーシャスは振り返ることなく応じた。
「相も変わらず、固い男だな、其方は。見よ、何事かと店の者が驚き固まっておるではないか」
「いえ。これが従者としてのあるべき姿。妹は少々砕け過ぎかと」
ぴしり、と。音を立てて空気が硬直する。妹とは誰か。この男が誰なのか。既にレイは気が付いていた。それだけに彼が言う妹という単語に胸がナイフを突き立てられるような錯覚を味わう。
「妹の死。部下からの報告により聞き及んでおります。従者でありながら、主を置いて先に死んだ無礼、平のご容赦を」
「よい。あれは俺によく尽くしてくれた。その献身に報いるべきなのは俺の方だ」
「勿体なきお言葉。御霊に昇った妹が聞けば、さぞ涙を流したでしょう。いずれ、折を見て新たな従者をダリーシャス様にお付けしますが、いまはまず、アフサル様との面会を。主もそれを望まれています」
「まったく。食事ぐらい先に済ませてくれても構わんだろ」
嘆息するダリーシャスに対して男はちらりと琥珀色の瞳を店内に向けた。飲食店として最低限の清潔さは保っているが、お世辞にも綺麗とは言い難く、設備も老朽化が進んでいる。ものぐさなのか、壁に立てかけているメニューは変色し、皿の上に乗る料理も一般大衆の好む物だ。
「お言葉ですが、王族たる者、格という物がございます。食事ならばこのような場所では無く、我らの本拠にて。正式な席をご用意できます」
のうのうと。店に対して厳しい事を告げた男。突然の来訪者に驚き、状況が分からない女将や、厨房に居た主人もあまりの言いように呆気に取られてしまう。
ダリーシャスは正直に述べ過ぎだと注意をした。
「其方は、まったくもって、固すぎる。皮膚を剥げば、鋼鉄が仕込まれているのではないかと疑ってしまうぞ。……主人、馳走になった。それと騒がしてすまんな」
「い、いえ。大したお構いもできずに。失礼をいたしました」
いまにも平伏しそうな主人。ダリーシャスはラシードに食事の代金を出させると、男の前に立った。地に顔を伏したままの男は石像のように動かず、命令を待っている。
「クリシュ・ナキ。兄上に会いたい。すぐに案内をしろ」
「畏まりました」
クリシュと呼ばれた男は顔を上げると、床に着けていた膝を持ち上げる。すらりとした体躯は流れるように店の外へと向かった。その後をダリーシャスが続き、レイ達も追いかけた。
日の下へと出ると、店の周りは一変していた。ぐるりと、入り口を塞ぐかのように兵士たちが集結していたのだ。彼らは背を向け、不審者が近づかないようにと外側を警戒している。あまりの物々しさに、兵士を囲う様な野次馬が形成されているほどだ。
「俺を迎えに来るだけで、この騒ぎか。大げさな話だ」
「申し訳ありません。ですが、これも主の命。ご容赦ください」
「市井の者に迷惑がかかる。早く撤収させよ」
ダリーシャスの命令を受けたクリシュは兵を解散させる。集まった兵の半分は通常任務へと戻ったが、残った半分はダリーシャスの護衛として野次馬の整理を行った。そうでもしなければ、道が塞がってしまっている。
「……ところで、ダリーシャス様。こちらの方々が報告にあった」
クリシュの剃刀めいた瞳がレイ達へと容赦なく向けられる。ナリンザに似た顔に無遠慮な視線を向けられると、それだけで心がざわついてしまう。
「うむ。俺の護衛を務めている《ミクリヤ》の者達だ。旅の間、真に世話になったゆえ、無下に扱うな。彼がリーダーのレイだ」
「左様でございますか。クリシュ・ナキと申します。王子の帰還道中、護衛の任を勤め上げて頂き、誠にありがとうございます」
淡々と、どこまでも感情を排した男の言葉に、レイは曖昧に頷くしかなかった。
「報酬の事などは後程時間を作りますので、一先ずは本拠地の方へ」
男はどこまでも杓子定規に一方的に告げると、ダリーシャスを本拠地へと導く。周りを兵士に囲まれ、護衛というよりも見張られているかのような居心地の悪さを感じる。
街行く人々の視線は至って平穏。物々しい兵士たちを見ても悪感情を抱くことは無く、むしろ兵士たちを頼もしそうにしている。
飲食店の女将の言う通り、この街はアフサルを支持しているようだ。背後からリザがラシードと話す声が聞こえた。
「ラシード君。もしかして、貴方の兄上はナリンザ様とは」
「ええ。双子の兄妹となります。クリシュ兄上が兄、ナリンザ姉上が妹となります」
エルドラドにも双子は存在する。『紅蓮の旅団』にも双子の冒険者が居たのをレイは覚えていた。彼らの場合、どちらも男性だったが。
改めて先頭を歩くクリシュへと視線を向けた。顔は前方を向いているため、歩き姿しか見えないが、その姿すらナリンザと似通っている。ラシードがナリンザの弟だと紹介された時、確かに顔立ちが似ているなと思ったが、クリシュはそれ以上に瓜二つだ。
それだけに、琥珀色の瞳が全くの他人を見つめるような視線を向けられるたびに、レイ達は何とも言えない複雑な感情にさいなまれる。特に、シアトラ村の迷宮で、地獄すら生ぬるい深層を共に探索したレイにしてみれば、クリシュの視線は刃に等しい殺傷力を有していた。
クリシュに複雑な感情を抱くレイ達の一方で、先頭を歩く当事者もレイ達を意識していた。
「……随分と若い方々ですね」
「確かにな。リーダーのレイが最年長ではあるが、あれでまだ十五ぐらいだ」
「それで二つ名持ちとは。どこか、有名なクランに属していたのでしょうか」
「いや。特にそれといった話は聞かんな」
受け答えをするダリーシャスは意外だなと感想を抱いた。クリシュはどちらかといえば感情の起伏が薄い男と記憶していた。兄であるアフサルの影に徹する、寡黙な武人。そんな男が、冒険者とはいえ他者に興味を抱いているのだ。
問題は、それが純粋な好奇心なのか、あるいは何かしらの理由があるのか。もっともそれは相手の心が読めない自分にとっては探るだけ徒労に終わる行為だ。それよりも他に聞くべき事は幾らでもある。
「俺達が来たことによく気が付いたな。さては、街に間諜を放っているな」
「御明察です。市井の者に紛れた情報提供者が複数おり、貴方様が飲食店に入ったとの知らせを受けました」
「……街に入った所を見られたわけではないのか」
「ええ。……それが、何か」
何でもないとダリーシャスは誤魔化した。
クリシュの言葉を信じるなら、クリシュたちは共に街に入ったローランたちの事をまだ知らないという事だ。帝国との関係がどのような状況なのか不明だが、法王庁の存在をアフサルは歓迎しないだろう。逆に言えば、アフサルや帝国に対する抑えにローランはなるかもしれない。ローランたちの事を伏せたままにしておくべきだと、ダリーシャスは判断した。
「それで、ワシャフ伯父に対する軍はどのような状況なのだ。義勇兵を集めていると聞くが、上手く行っているのか」
「正直に申し上げれば、芳しくありません」
内容が軍事に関わるためか、それとも自陣の旗色が悪い事を受けてなのか、クリシュの声色が低くなった。
「現在、明確にワシャフ討伐軍への合流を示したのは十四氏族でオードヴァーン家のみ。プラティス家とその血縁が濃い六氏族はともかくとしても、残りの氏族たちは様子を伺い、使節を派遣するに留まっています」
「やはり、各氏族の族長を押さえられているのが大きいか」
クリシュはその通りだと頷いた。デゼルト国の軍の形態は各州にそれぞれ一定数の戦士階級が存在しており、それらを各族長が纏め、有事の際には私兵として動員する事になっている。帝国のように常備軍が存在している訳ではないのだ。
「麾下の兵は、オードヴァーンの領地から撤退した者達と、参集しつつある義勇兵ぐらいかと。数にすれば合計で四千かと」
本来ならオードヴァーン家の私兵だけなら八千は居たはずだ。それが義勇兵と合わせて半分になってしまったかとダリーシャスは嘆いた。
「対するワシャフ陣営は、プラティス家を含めた七氏族からそれぞれ三千ずつ兵を分け与えられ、偵察の話では二万を越すとの事」
敵との差は五倍。
これは戦略では大いに水を開けられている。これを戦術でどうにかするのは至難の業だ。
だが、クリシュは問題ありませんと続けた。
「御覧になられたかと思いますが、いま帝国の兵が一万、当地に逗留しております。それに加えて、竜騎兵も。これだけでも十分な戦力と言えましょう」
クリシュの言葉ももっともである。帝国の兵は練度だけでなく、武器、防具一つとっても末端の兵まで一級品を使っている。外交官として世界中を回るダリーシャスの見た範囲では、帝国兵が最も精強といえた。
しかし、それがさも味方であるような言い方をするクリシュにダリーシャスは鋭い視線を突きつける。
「そこだ、クリシュ。どうして、帝国の兵が一万も故国の土を踏んでいるのだ。それも竜騎兵すら付随して。兄上は何を考えているのだ」
帝国の兵を見た瞬間から、ダリーシャスはある懸念を頭から振り払えなかった。ワシャフが議事堂で突きつけたという親書。あれを帝国皇帝と取り交わしたのが誰なのか。すでに火を見るよりも明らかだ。それでも信じたくないという思いが強かった。
「そればかりは私の口からは申し上げられません。主である、アフサル様の口からお聞きください。ちょうど、到着しました」
足を止めたクリシュが鉄格子に囲まれた広大な屋敷を指差した。ガヴァ―ナにおいて一番の富豪の家を接収し、臨時の本拠地として使っているとクリシュは説明した。
確かに広大な屋敷だとレイは思う。鉄格子に囲われた敷地には屋敷が複数あり、どれもが華美な装飾を施してある。シアラが小さく、趣味が悪いと呟くのが聞こえた。
一際大きな館の扉をくぐり、豪奢な装飾に縁どられた室内を歩いて行く。すれ違う者達の中にはダリーシャスの顔を知っている者も居り、口々に彼の帰還を喜んでいた。
「我ら一同、貴方様の帰還を待ちわびていました。さあ、主はこの部屋に居ります」
扉の前に立つクリシュは視線だけをラシードに向けた。弟に此処に残れと告げていた。そして、その視線はレイたちにも向けられた。
だけど、その視線に待ったと声が掛かる。掛けたのはダリーシャスだ。
「スマンが、クリシュ。レイとラシードには同席してもらいたい。構わんか?」
「……畏まりました。ですが、それ以外の方は別室にてお待ちして頂きます」
通りかかったメイドに部屋を用意するように命じた。レイもまた、リザ達に後で会おうと約束して見送った。
扉の前に立つのは、レイとラシード、ダリーシャスにクリシュの四人だけだ。
クリシュが扉をノックすると、中から誰だと疲れた声が返ってきた。
「失礼いたします。アフサル様、ダリーシャス様らをお連れいたしました」
「ご苦労、クリシュ」
柔らかい声だというのに、扉を潜ろうとするダリーシャスの横顔は戦闘に挑もうとする戦士のそれに近い。ここが正念場だと、自分に気合を入れている様だ。
ダリーシャスを先頭に、レイ達も室内へと入る。
通された部屋は、元の姿が何だったのか。おびただしい数の書類に羊皮紙の束が机の周りを占領し、壁に掛けられたデゼルト国の地図には幾つもの旗や情報が手書きで記されている。換気などしていないのか、篭った匂いが鼻を突いた。
「汚い部屋ですまないな、ダリーシャス。生憎と忙しくて、掃除すら満足に出来ていないのだ」
その部屋の主が席を立ちながらダリーシャスに微笑みかけていた。年は三十になるかならないかぐらい。沈みゆく夕日の如き赤と黄が混じった色の髪を左右に流している、優しげな男にダリーシャスは緊張した面持ちで口を開いた。
「お久しぶりです……兄上」
「ああ、久しぶりだ」
部屋の主ことアフサル・オードヴァーンは嬉しそうに目を細めた。
読んで下さって、ありがとうございます。




