7-28 地下からの帰還
リィグルオクトとの戦いは、ほぼ相手の自滅という形で終わった。
どうにか生き残れたレイとラシードの前に次の問題が立ちふさがった。
「あのさ、僕らが連れてこられた穴がどれか、分かるかな」
ラシードは申し訳そうな表情で首を横に振った。
「だよね。これだけあると、どれがみんなと合流できるのか。見当もつかないや」
二人の眼前。
地下空洞の天井には二十以上の穴が闇を覗かせていた。どの穴からも風が通る音がするという事は、どれもが地上に繋がっている可能性があるという事だ。
適当に選んで、地上に残したリザ達の所に出られるなら問題は無い。しかし、適当に選んで地上に出たら、まったく別の場所に辿り着いてしまったという結果は笑えない。折角、超弩級モンスターの討伐という望外の結果を手に入れたのだ。こんな形で失いたくない。
「そもそも、あの巨体がどうしてこんな地下に居たんだよ」
「他に出入り口になりそうな穴があるわけでもなさそうですよね」
リィグルオクトが死んだことで、落ち着いて地下空洞を観察する余裕が出来た。リィグルオクトの巨体が存分に戦えるだけの広さがある巨大空洞の割に、横に抜けられる穴や道は存在しておらず、地上と繋がっているのはやはりこのトンネルのような穴しかない。
おそらく、この穴は雨風が削った、自然にできた穴では無いのだろう。コウエンの炎が闇を払うと、穴の縁が巨大な圧力で均された跡がある。ラシードが捕まった時の状況と、保存食扱いされたモンスターの死骸などを合わせて考えると、リィグルオクトが地上に居るモンスターなどを捕まえるために使っていた穴だと推測できる。
だとすれば、この穴の先が悪魔の巣の何処に繋がっていても、不思議ではない。当面の危険は去ったとはいえ、地上での戦いがどうなっているのか。リザ達が無事なのかどうか気になる点は幾つもある。何より、自分たちを心配したリザ達が、思い切った事をする可能性もある。
一刻も早く合流したい。
レイは鎖を自由に使いたいため、ラシードを背中に回らせると、二十ある穴を観察した。どれも似たような作りとなっており、明確な違いはない。また、中で蛇行しているのか、地上の光が見えるという奇跡もない。
背負われるラシードが、手掛かりはないと落胆していると、
「見つけた。ここから、僕らは連れてこられたんだ」
と、言う。確信めいた口調にラシードは明確な違いがあるのかと尋ねた。
「こいつを見てみなよ」
レイは背中にいるラシードに対して、手に付着した液体を掲げた。うっすらと糸を引き、悪臭を漂わせているそれは、リィグルオクトの体液だった。粘着性の液体が穴の縁でてらてらと光、それが一本の道のように上へと続いている。
「乾いていない体液があるって事は、この穴が使われたのはごく最近だ」
「だとしたら、僕たちを運んだのはここの可能性が高い、という事ですね」
その通りだとレイは頷いた。一応、他の穴の入り口を確認したが、体液で濡れているのは一つしかなかった。確率は高い。
レイは調査を終えると、体液で濡れている穴へと戻ってきた。触手にしがみ付く形で空洞を運ばれていた時は気にならなかったが、穴の表面は滑らかでおうとつが少ない。触手が何度も往復した過程で削れたのだろうか。問題は、この穴をしがみ付いて昇るのは難しいという事だ。
ましてや、ラシードでは地上に辿り着く前に体力が限界を迎えてしまう。
「ラシード君。腕はまだ、持ちそうかな」
全体像すら掴めない穴を前にして、ラシードはレイの言いたい事を理解した。自分一人ではこの穴を這いあがるのは無理だとも理解している。
「大丈夫です。……お手数をおかけします」
「なーに。気にしなくてもいいよ。それじゃ、一気に行くよ」
レイの言葉にラシードは首に回した腕に力を籠めた。少年の準備が出来たのを受けて、レイは手首に巻き付く鎖を、次々に刺していく。紅蓮の鎖が穴の闇を退け、二人は穴の中を泳ぐかのように自在に動き回る。
地下から地上を目指して。
幸いというべきか、穴は別の横穴と繋がっているという事はなかった。一本道の穴を進んでいくと、レイ達は地上の明かりを目にした。地下の薄暗さに慣れていた所に日の光は眩しく、思わず目をつぶった。
すると、地上の方から誰何の声が投げかけられた。
「その炎……レイ様! レイ様ですよね。ラシード君も一緒ですか!?」
声の持ち主はリザだった。彼女は触手が出て来た穴を覗きこみ、緋の炎を見つけ声を掛けた。
「ああ、そうだよ! ラシード君も無事だ! そっちはどうだ!?」
言いつつも、レイは余り不安を感じていなかった。何しろ地上にはS級冒険者のローラン率いる《神聖騎士団》の面々が居るのだ。地下に連れていかれる寸前、彼らは超級モンスターの連合と戦っていたが、彼らが負ける姿は想像できなかった。
ところがレイの安心は呆気なく裏切られた。
「その……レティとエトネが倒れてしまいました」
気落ちした様子のリザの声が穴に反響する。レイは、告げられた当初、言葉の意味を理解できず、呆けてしまう。
二人が、倒れた。
脳裏に浮かぶのはアクアウルプスでの悲劇。《アニマ・フォール》に感染し、怪物へと変貌しつつあった二人の姿だった。またしても二人に不幸な出来事が襲い掛かったのかとレイは焦燥にかられる。
二つの単語が不吉な形で結びつくと、レイの体は無意識のうちに動いた。鎖を一気に伸ばすと、地上への脱出を果たした。驚きのあまりラシードが上ずった声を出すが、構っている暇はない。
「ど、どういう事なんだ。レティは、エトネに何があったんだ!」
「落ち着いてください。言葉が足りませんでした。二人とも倒れましたが、問題はありません」
「問題はないって、それじゃ、何で倒れるんだよ」
ラシードを背負ったままリザに詰め寄るレイ。焦りを隠そうともしない主にリザは慌てて言葉を足した。どういう意味かと訝しがるレイにシアラが尋ねた。
「主様。地下で何があったの」
「そんな事を聞いている場合かよ。二人に何が起きたんだ」
煩わしいとばかりに返すレイに対して、シアラはしたり顔を浮かべた。
「まあ、どうせあのお化け触手の持ち主と一戦交えたんでしょ。で、勝ったと」
まるで見てきたかのように言うと、シアラはレイの顔を手で押した。無理やり向かされた方角では、毛布を使って作られた日陰で寝転ぶレティとシアラの姿があった。傍にミストラルが付いており、レイへ大丈夫だと手を振る。
「あの二人はレベルアップ酔いを起こしたのよ。主様が倒したモンスターの経験値が一気に入ったのが原因よ」
レベルアップ酔いとはモンスターを倒した際に得る経験値によって、レベルが一気に引きあがる事で起きる。自分の能力値が急上昇し、体の感覚に脳や精神が追いつかなくなる現象だ。かつて、スタンピードの際にレイも体験した。感覚が拡張し、世界がより鮮明になった事で頭がパンクし、体が安全の為にと意識を強制的に落とした。
「モンスターとの戦闘とか、毒を浴びたとかじゃないから心配しないでいいわよ。……って言い方もおかしいわね」
「前にレイ様が倒れた時と違い、あの子らのレベルアップ酔いは酷くありません。一時間もすれば、目が覚めるとミストラル様が診断されました」
「そうか。……うん、そうなのか。……そうみたいだ」
背負ったラシードを降ろす際、レイはステータス画面を開く。そこには仲間のレベルが記されており、確かにレティとエトネのレベルが一気に跳ね上がっていた。レティが39.エトネが38に到達していた。昨日、上級モンスターの群れやキュクロプスと戦った時も上がっていたが、それとは比較にならない上昇率だ。もっともレベルが上昇したのはレイ達も同じだ。レイは63、リザは59、シアラは50に到達していた。やはり、超弩級モンスターの経験値は五人で分けても膨大といえる。
「君たちの方は大丈夫なのかい」
「ええ。多少、眩暈に近いのを味わったけど、気絶する程じゃなかったわ」
「私は何ともありません。むしろ、レイ様の方は? あれだけの経験値を獲得したという事は、相手も相当のはず。お怪我などはありませんか」
リザとシアラの二人がかりで身体検査が行われ、レイとラシードは大した怪我をしていないと太鼓判を押された。
「それで、ミストラル様が居るって事は、こっちの戦闘は」
「説明する必要がないくらい、圧勝よ」
シアラの言う通り、道を塞いでいたモンスターの集団は骸となって転がっていた。あまりにも死体の数が多いため、《神聖騎士団》とラシードの部下たちがモンスターの死骸を脇に寄せる作業を行っている。
すると、作業を止めたローランとダリーシャスが揃ってレイの方へと近づいてきた。先に口を開いたのはローランだった。
「やあ、レイ君。無事に帰って来てくれて良かったよ。君に恩を返すと言っておきながら死なれたら、僕の立つ瀬がないしね。地下の大冒険など聞きたい話は幾らでもあるけど、こちらの王子様がお冠なのでここまでにさせてもらうよ」
ずい、と。ローランの前に進み出たダリーシャスが無言でレイとラシードを睨んだ。橙色の視線は鋭く、それこそ視線だけで人を貫けそうな眼力だ。思わず、顔を背けてしまう。ラシードもバツが悪そうに顔を俯かせていた。
「……心配、したぞ」
「ダリーシャス様?」
聞き間違いかとラシードは顔を上げた。だが、ダリーシャスは再度同じことを繰り返した。
「心配したぞ。また、俺は失うのかと。ナリンザに引き続き、其方らを失うのかと体の芯が冷たくなってしまった。見よ。いまも手が震えている」
掲げた手は小刻みに震え、男の顔色が何処か青ざめていることに、ラシードは気が付いた。本当に、ダリーシャスは自分たちを心配していたのだ。
その手がレイとラシードの肩を掴んだ。突然の抱擁に驚く二人にダリーシャスは言う。
「……だが。よくぞ、戻った。色々と言いたいことはあったが、其方らの無事な姿を見て、全部忘れてしまったぞ」
「王子。……心配をかけてしまい、申し訳ございません」
「ごめん、ダリーシャス」
二人の謝罪を受けたダリーシャスは自分の顔を見られたくないとばかりに背を向けた。すると、その背に向けてラシードが尋ねる。
「お待ちください! 一つだけ、お聞かせください。……王子にとって、姉上はどのような存在でしたか」
背中越しではあるが、ラシードの息を呑む声が聞こえた。しかし、背を向けたまま、ダリーシャスは空を見上げた。良く晴れた青空に彼は何かを見つけたかのように手を伸ばし、何もつかめないまま答えた。
「唯一無二の従者だ。あれ以上に、俺を理解できた者はこれまでに居らず、この先にも現れないだろう」
その答えはラシードの裡にあったわだかまりを洗い流すのに十分すぎる言葉だった。片膝を地面に付けた少年が恭しくダリーシャスに誓う。
「勿体なきお言葉。御霊に昇った姉に代わり、お礼を申し上げます。……そして、改めて忠誠を捧げます。ダリーシャス・オードヴァーン様。貴方様の大望の手助けをさせてください」
返事は無い。しかし、ラシードにとってはそれで十分だった。少年は先程まで超弩級モンスターに襲われていたとは思えないほど俊敏な動作で立ち上がると、出発のための準備をする部下たちの元へと駆け寄った。
もう、迷いは無く。どこか清々しさを浮かべていた。レイは少年が自分の中にあった何かと決着をつけたことを喜んでいたら、つかつかと戻ってきたダリーシャスに首根っこを掴まれた。
「えっと、ダリーシャス……さん。なにやら怒っているようでございますが、どうかされたんでしょうか」
先程とは毛色の違う威圧感を味わい、思わず敬語になってしまう。
「レイ。……どうしてラシードが俺の望みを知っているんだ」
放たれるは絶対零度の響き。レイは熱砂の大陸にいながら氷漬けにされたシアラの感覚を味わっていた。
「どういう事か、説明してもらおうじゃないか」
どう宥めれば、はたして怒りを治めてもらえるのか。
これはもしかすると、超弩級モンスターを倒すよりも難しいのではないか。
レイは新たな問題にぶつかる事になった。
かくして、超弩級モンスターとの遭遇という、聞けば誰もが驚き唖然とする出来事から生還したレイとラシード。もっともラシードにしてみれば、ずっと泡の檻に閉じ込められていたので超弩級モンスターと戦った実感はない。
それでも生きて戻って来た事は値千金である。
モンスターの団結や、レティとエトネがレベルアップ酔いで気絶するという予想外の展開もあったが、ついにレイ達は悪魔の巣を抜け、アルビノ砂漠の大部分を占める砂丘へと戻ってきた。
踏みしめる大地は砂岩の固い感触では無く、柔らかく沈み込む感触にレイは懐かしさすら抱く。悪魔の巣に居たのは二日程度だったというのに、随分と濃い経験をしたものだ。
その晩はレイが戦ったリィグルオクトの事と、超級モンスターの連合軍の事で盛り上がった。
やはり、レイの予想通り、《神聖騎士団》は超級モンスターの大軍団を相手にしても危なげなく戦い抜いていた。パーティーメンバーに怪我は疎か、疲労すら皆無だったというから驚きだった。
戦闘終了後、レイ達を助けに行こうとしたローランだったが、レティとエトネが倒れた事で、地下で何かしらの戦闘が終わり、大量に獲得した経験値によるレベルアップ酔いが起きたとミストラルが診断を下した。下手に地下に潜ってすれ違うよりかはしばらく様子見をしようと結論付けたそうだ。
「君が死んだら、僕は死んでも死にきれなかったよ。いや、ほんと。無事に帰って来てくれて助かったよ」
夕食の席でローランがレイにそう耳打ちをした。
結果的にはレイとラシードは生還できたが、リィグルオクトは一歩間違えれば死んでいてもおかしくはない強敵だった。それでもローランが戦えば、圧倒的な勝利で終わったのかもしれない。
こうしてともに旅をしているだけで、『聖騎士』との力の差を実感し、その上を行くゲオルギウスの強さに頭が痛くなりそうだ。
一夜明け、レイ達はアルビノ砂漠を北進する。大幅に迂回したが、エルフの馬車に積んでいた予備の食料と水のお蔭で、点在するオアシスに寄らず、旅の足を止めずに。
というのも、『聖騎士』一行を連れて人目のある場所に向かうのはリスクが高いとダリーシャスは判断したのだ。
白く輝くような金髪に白銀の鎧。極めつけは背丈を超える大剣という分かりやすい特徴の塊であるローランと行動を共にしているだけで、レイ達への注目は高まってしまう。《神聖騎士団》は際立った種族が居る訳ではないが、『聖女』であるミストラルを含め整った容姿の男女が多い。これも目立つ要因となる。
大きく迂回したとはいえ、追跡部隊の存在を忘れる訳にはいかない。一刻も早くアルビノ砂漠を抜けるべきだとダリーシャスは提言し、レイも賛成した。
結果、どこにもよることなく黙々と歩き続けること数日。
遂にアルビノ砂漠の終わりが見えてきたのだ。
だけどそれは同時に、ワシャフ・プラティスが放った追跡部隊の目に留まってしまう事になった。
読んで下さって、ありがとうございます。




