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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第7章 熱砂の国
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7-26 地下空洞 『前編』

 風の唸り声が、耳朶を震わす。強い風圧は髪を乱し、瞼を叩く。目を開ける事もできず、ひたすらに流れに身を任せるしかなかった。


 引き戻される触手に囚われたラシードを助けるべく、レイは触手に龍刀を差し込み、単身敵の元へと運ばれていた。どうやら、触手の持ち主であるモンスターは地下に身を隠しているようで、下へ下へと深く潜っていく。


 上下左右出鱈目に振り回され、三半規管が悲鳴を上げ、内臓が遠心力で偏ってしまいそうだ。セーフティーバーがないジェットコースターがようやく終わりを迎えた。


 僅かながらにヒカリゴケが照らす空間がゴールだったらしく、触手の動きが弱まり、急停止した。急な停止によって突き刺さった龍刀が抜け落ち、レイは落下してしまう。薄闇の中、ラシードを捕らえた触手を仰ぎ見ながら、真下に向かって落ちるレイは、何の工夫もなく背中から地面にぶつかった。普通なら背骨どころか、折れた骨が内臓と肉を突き破ってもおかしくはない高さだ。


 だが、ニコラス作の防具による《耐久》の加護は落下時の衝撃を肩代わりするべく、防壁を展開。そのお蔭でレイは事なきを得たが、代わりに防壁は砕け散った。しばらくは使えないだろう。心の中でニコラスに礼を言いつつ、立ち上がった。


「随分と地下まで来てしまったようだけど……寒いな、ここは」


 薄闇が覆う天井を見上げ、その高さと深さを厄介だと嘆いた。空を飛べない身としてはこの地下からの脱出は困難である。


 そして吸い込んだ空気に体を震わした。凍えるほどではないが、やはり夏の時期にしては随分と冷たい空気だ。つい先程まで身を焦がすような太陽の元に居たのが嘘のようだ。


 立ち上がる際に地面についた手には、冷たい水が付着している。どうやら、この地下空洞には微量ながら地下水が流れ込んでいる様だ。レイは辺りを見回しながら、龍刀を引き抜く。


 大部分が暗闇に支配されている空間に、紅蓮の松明が煌々と灯る。それでも、辺り一帯を照らすには不十分なほど、この地下空間は広い。


「さて、ラシードは一体、どこに居るんだ」


 レイは囚われたラシードや自分をここまで引きずり込んだ触手を探す。すると、それに答えるかのように前方からずるりと音がした。それは何か巨大な物が身を捩らせたかのように重く、不吉な音だ。


 途端、生臭い匂いを鼻が拾った。潮と腐臭が入り混じった、吐き気を催す匂い。その匂いの発生源もまた、前方からだ。


 レイは龍刀を軽く振るい、纏っていた炎をあちらこちらに向けて飛ばした。炎は壁や地面にへばりつくと、周囲を紅蓮に染め上げる。これで戦闘出来る程度の光源は確保した。


 そして、レイは正面の存在と対峙することになる。


 ―――巨大な山がそこにはあった。


 全長がどれ程なのか、推測するのも馬鹿らしいほど巨大。キュクロプスが縦に長いのなら、これは横に長い。もしかすると、単純なサイズだけなら赤龍すら超えるかもしれない。


 紅蓮の炎に照らされた赤紫色の外皮は粘り気のある体液を吐き出し、八本の触手はどれもが巨大。それぞれが意思を持っているかのようにうねる。触手の根元には山の本体とも呼ぶべき胴体が鎮座し、幾つもの瞳が忙しなく動いている。ぎょろり、とモンスター特有の黄ばんだ瞳がレイを射抜き、飛び出た口が吐息を漏らす。


「ブオオオオオオオオ!」


 吐息だけで洞窟に突風が吹き荒れた。同時に、レイの体が本能的な恐怖から竦んだ。


 これはモンスターであって、モンスターじゃない。


 存在としては古代種の龍である赤龍や、精霊たちに近い存在だと知覚した。なまじ、それらと対峙したことがあるだけに、レイの感覚は間違っていなかった。


 レイの前に居たのはリィグルオクト。


 ギルドですら未確認のモンスターである。


 仮に等級を定めるとしたら、それは間違いなく、超弩級モンスターである。


『やはりな。あれは其方一人の手には余る相手だぞ』


 龍刀の中からコウエンが冷静に戦力分析をした。彼女はレイよりも、レイの実力を熟知している。能力値アビリティや所持している戦技や技能スキル、魔法や戦闘経験から思考などを総合して、戦闘力を定義できる。


 同時に、見た事の無いモンスターの戦闘力も分析できる。それは赤龍として生きた記憶を引き継いでいる事もあるが、存在自体がどちらかといえば人では無くモンスターに近い彼女だからこそ、それらを魂で感じ取る事が出来る。


 それゆえ、コウエンの見立ては正確だ。


『妾としては撤退を推奨するのだが。いや、そもそもあの小僧を助けに飛び込むこと自体、制止するべき事柄じゃがな。ともかく、どうするつもりじゃ』


「そんなのわかってるだろ。ラシードが捕まっているんだ。助け出すさ」


 淀みの無い答えである。元より、ラシードが連れていかれると気づいた時点で、レイは彼を見捨てるという選択を放棄している。触手から敵の本体が巨大なのは推測できていたし、こうして対峙して、相手が超級すら上回る存在だというのは理解していた。


 それでもその答えは変わらず、コウエンもレイの答えを予期していたかのように笑った。


『呵々! なら、勝つしかあるまいな!』


「まあね。っと、その前に」


 レイは何かを思い出したかのように右手を固く握る。掌の甲にある契約を意識して告げた。


「リザ、レティ、シアラに命じる。《追ってくるな。ダリーシャスたちを守れ》。……届いたかな」


 地上に残してきてしまったリザ達に命令を送るが、命令には届く距離というものがある。触手に運ばれた時間は短かったが、速度は高速。そもそも、ここが地表から何メートル地下なのかすらレイには分からない。


 それでも、こうして命令を送っておかないと、リザ達が助けに降りてくる可能性がある。レイはその可能性を削った。


 そしてついでとばかりに赤色の指輪に宿る魔法を発動させようとしたが、残念ながら不発に終わった。やはり、地下でも魔法は使えない。《全力全開》が使えれば、多少なりとも戦いようがあるのにとレイは愚痴る。


 ともかく戦いの準備を終えたレイはラシードを拘束している触手を探す。視線が薄暗い空洞を彷徨い、八本の足の中で、一際高く持ち上げている触手の先端にラシードらしきものが囚われているのを見つけた。


「ラシード君! 生きてるか!?」


 問いかけに、はっきりとした声は聞こえなかったが、少年の掠れたうめき声が反響した。どうやら生きてはいる様だ。


『助けに来ておいて死なすという、みっともない結末だけは避けられたな』


「ああ、そうだね、っと!!」


 レイの言葉がトンボ切れになったのは、リィグルオクトの攻撃が始まったからだ。一本一本が船のマスト並みの長さと太さをほこる触手が縦横無尽に振るわれていく。


 幸いというべきか、不幸にというべきか。


 地下空洞はリィグルオクトが触手を振り回すのに十分すぎる広さがあった。超弩級モンスターの通常攻撃だけで空洞が落盤するという結末だけは避けられそうだった。


 それでも触手の一撃は地面のおうとつを均してしまうほどの威力がある。横滑りで振るわれた触手に対してレイは回避を取った。龍刀から炎を吐き出し、体を一瞬だけ持ち上げ、触手の上へと退避する。僅か数センチ下を通り過ぎる触手。だけど、それで脅威が去った訳ではない。


 真上から別の触手が何本も振り下ろされる。一本一本がキュクロプスの一撃並みであっという間に地下空洞内は舞い上がった粉塵で覆われてしまった。


 ところが不思議な光景が広がっていた。触手の一本が千切れ飛んだのだ。リィグルオクトの攻撃に耐えきれなくなって、触手が千切れ飛んだ、という訳ではない。


 粉塵が晴れると、そこには龍刀を振り抜いた姿勢で構えているレイの姿があった。うっすらと、刀身にはモンスターの体液が付着していたが、その体液は砂となって散った。


 戦技《崩剣》。


 レイは振り下ろされる触手を躱しざまに、回復不能の傷を与えていた。流石に一撃で切断にまでは至らなかったが、崩れていく傷口はさしもの超回復力でも癒せなかった。その上、乱打したせいで余計に崩壊のスピードが上がり、八本の内の一本が千切れ飛ぶ結果になった。


 腰のサイドポーチから精神力を回復させるポーションを呑むと、レイは敵に対する評価を下した。


「攻撃自体はそこまで速くないな。避けるぐらいなら、どうにかなるかな」


 超大型モンスターは共通して、攻撃が大雑把という弱点がある。それは自らの攻撃が掠るだけでも大ダメージを与えられるという事を知っているからと、細かい攻撃手段を持っていない事に起因する。また、大概の超大型モンスターは表皮や特性などで防御の面が非常に発達している場合がある。


 自らは深手を負わず、相手を一方的に屠るという強者ならではの傲慢さゆえ、攻撃が大雑把になってしまう。事実、リィグルオクトの皮膚は粘液によっておおわれ、大抵の武器を弾くという性質を持っていた。


 だけど、レイの持つ武器は『鍛冶王』テオドールが赤龍の骨と伝説級の金属に己の持つ業を注ぎ込んだ至高の一である。


 物理的な防御は役に立たず、その刃を防ぐには魔法や加護のような別の守りが必要となる。


『戯け者。たかだか足の一つを潰したぐらいで粋がるでない』


「なんだよ。確かに八分の一だけど、アイツの回復力でも、あの足は元には戻らないんだぞ」


 《崩剣》の傷は再生不可能の傷だ。足の一本を半ばまで失った事はレイに手応えを与えていた。


 ところが。


 リィグルオクトは何を思ったのか、自らの千切れた足の断面を口に放り込んだのだ。ぐちゃり、ぐちゃりと肉を裂く音が響き、レイは敵の行動が読めずに呆気にとられた。


 そして、スポンと音を立てて足は口から吐き出された。レイが傷を与えた部位が更に抉れ、歯形が付いている。どうやらリィグルオクトは自らの傷口を喰ったようだ。だけど、驚きはそれで終わらなかった。


 自らに喰われた傷口の断面が泡立つと、そこから一気に新しい触手の先端が生えたのだ。太さも、長さも。空洞の片隅で転がるのとうり二つの真新しい触手を見てレイは呻く。


「……嘘だろ。治せない傷口を抉って、捨てたのかよ」


 毒矢などが刺さった部位をナイフで抉り、毒を広がせないという応急処置はある。レイの与えた傷は時間と共に崩壊を広げていくため、傷口の周りを切り捨てるという判断は間違ってはいない。だからと言って、えぐり取った傷口だけでなく、触手自体が元の姿を取り戻したというのは予想外だ。


『どうやらあれは、超再生なんて生易しい代物ではないの。さしずめ、瞬間復元とでも呼ぶべきか』


「いやいやいやいや! いくらなんでも、あの再生能力は異常過ぎないか!?」


『否。むしろ、あの再生能力があるからこそ、あの巨体を維持できるのかもしれんぞ』


「はぁ? それってどういう意味だよ」


『鈍い奴め。この砂漠で、あれだけの巨体を維持するには並大抵の食事では足りんだろ。なれば、ほれ。ここに喰えそうなのは、自分の太い足ぐらいじゃ』


 この巨大なタコのようなモンスターが、暗闇で自らの足を頬張っている姿を想像して、レイは思わず眉をひそめてしまう。


「待て、待て。確かにタコは自分の足を喰うって言うけど、あれはストレスからの自傷行為的なやつであって、栄養補給としての食事じゃないだろ」


『それはタコの話ではないか。あれはれっきとしたモンスターであって、別物じゃぞ』


 コウエンの言葉にレイはああと、納得してしまう。


 真偽はともかくとしても、一つ厄介な事が判明した。リィグルオクト相手では並大抵の攻撃は全て無効化されてしまうのだ。まさか、《崩剣》の一撃すら回復されてしまうとは予想だにしていなかった。


 ならばと思い、レイは再び始まった触手の猛攻を回避しながらもう一つの戦技を発動した。


「《砕拳》!」


 左手に宿る戦技は、《崩剣》が線による攻撃なら、点による攻撃といえた。その効果は触れた箇所を起点とした砕く拳である。


 しかし、レイの期待とは裏腹に、リィグルオクトの表皮に戦技が弾かれてしまう。


「な!? 戦技が届かないのかよ」


 レイの戦技は、破壊力は申し分ないのだが、いかんせん弱点がある。それは技の発動時に、相手の耐久を上回らなければならないのだ。その点、《崩剣》は龍刀に纏わせることもあり、ほぼ確実に効果を発動できるのだが、《砕拳》の方は相手の耐久を上回らなければ、単なる拳の一撃で終わってしまう。


 不発に終わったレイは残った精神力を身体強化に回して回避に専念する。


 掠めただけで、一瞬で死亡する触手の嵐を前にして、見事に立ち回りを続けるレイ。ひとえに、これまでの強敵たちとの経験が役立っていた。


 しかしながら、それは回避にだけ専念している分には完璧であるに過ぎず、このまま続ければいつかは息が上がり、足は止まってしまうだろう。事実、尽きそうになる精神力をポーションで補っているが、連続で使用している弊害か、回復量が徐々に下がってきている。遠からず、先に精神力が切れるか、体力が切れるかの勝負だ。


 また、レイには不利な点がある。それは触手の一本に囚われているラシードの事だ。戦いが始まってから、彼の様子に気を配る余裕はなくなっている。モンスターがどうしてラシードを捕まえたのかは不明だが、彼を生かし続ける保証はない。せめて安全な場所に保護したいと、レイは攻撃の間断を縫って、炎を刃の形にして放つ。


 薄闇を切り裂く刃がラシードを縛る触手を裂く。直前でリィグルオクトが狙いに気づいたせいで、切断には至らなかったが、それでも触手の拘束が緩み、ラシードの体が滑り落ちた。


「う、うわぁぁぁああああ!」


 悲鳴で生存を確かめられるのは、本人としては非常に不本意だろうが、そこは許してほしい。生きていることに胸をなで下ろしつつ、落ちてくるラシードを受け止めようとレイは駆けだした。


 ところが、リィグルオクトがまたしても邪魔をしようとする。口をすぼめたかと思うと、突風と共に何かを吐き出したのだ。


 それは泡だ。


 人を丸呑みしても余りある泡が鈴なりとなって吐き出された。それも落下するラシードに向けて。あっという間に泡に飲み込まれたラシードの体は驚くことに落下することなく、上昇して行ったのだ。


 呆気にとられるレイは、泡に包まれたラシードが風に運ばれ、空洞の天井の片隅に張り付くのが見えた。同時に、天井には他にも幾つもの泡が張り付いている。


『あれは、モンスターの屍じゃな。さてはあやつ、ああして食料を保管しておるのか。巨体の割に小まめな奴よ』


 泡があるとしか見えない距離でも、コウエンには泡の中身が見えたようで、感心したかのように呟いていた。


「コウエン。あの泡は中から破れそうかな」


『さてな。少なくとも、他の泡の様子からするとそれなりの耐久をほこっておる。あの小僧がどれだけ勇敢なのかは知らんが、あの高さから落ちて無事でいられるかどうかを試す勇気はあるまい』


「だったら、しばらくはほっといても無事かな」


 むしろ触手に耐えきれずに圧死されてしまうかもしれないという危険性が去ったと喜ぶべきかと悩むレイにコウエンがため息を吐いた。


『愚か者。泡に閉じ込められたという事は、密閉されたのと同義という事に気がつかんか』


 指摘され、レイは嫌な予想に背筋を震わした。泡に閉じ込められて死体となったモンスター。仮に、泡に閉じ込められる前までは生きていたとしたら、どうして死んだのか。


 答えは多くない。閉じ込められる前に負った傷で死んだ。食料がなく餓死した。そして、酸素が無くなって死んだ。


『それ。急がなければ、あの小僧が陸で酸欠に到ってしまうぞ』


「分かってるよ、そんな事は! ああ、もう! だんだん、状況が悪くなってないか!!」


『そんなものは、いつもの事であろう。何をいまさら』


 コウエンの指摘に反論が思いつかなかったレイに向けて、泡が撒き散らされる。


読んで下さって、ありがとうございます。

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