7-13 密約
容赦ない日光に照らされた天幕は、風通しが悪く、蒸し風呂のような暑さだったが、話を聞き終えた者達は怒りに燃えていて関係なかった。ラシードは元より、あのダリーシャスですら、肩を震わせ、拳を固く握っている。背中からは怒気が溢れていて、レイが迂闊に声を掛けられない状況だった。何処からか取り出したパイプに火をつけたジャマルは、怒りに震える従兄を眺めつつ、話を終らせようとする。
「とまあ、そんな訳で伯父上による首都制圧が始まった。唐突な戦闘に、どこもかしこも混乱して、浮足立ったので、俺はどうにか隙を突いて脱出できたが、あれは偶然と奇跡が絡み合った結果だろうな。他に抜け出せた奴はおるまい。それに、俺にしても、この通りだ」
ジャマルは添え木をされた足を指差す。どうやら、折れた足は首都を脱出する際に負った傷だったらしい。ジャマルの吐き出した紫煙が天幕の中で渦を巻いて上昇した。
「この怪我のせいで、首都を脱出しても追撃部隊を撒くに撒けず。結局、こんな砂漠のオアシスで立ち往生する羽目になったという訳だ」
外の物々しい雰囲気は、どうやら追撃部隊を警戒しての守りのようだ。異様な雰囲気に当てられて気が付かなかったが、天幕を囲うように陣地が形成されていた。
これで話は終わりだと告げたジャマルに対して、ダリーシャスは信じられないと、血を吐くように呟く。
「……父上が、国家背任だと……そんな、馬鹿げた話が、あるわけないだろう」
「そうです、あり得ません! あの方が国を裏切るなんて事、するはずがありません!!」
ダリーシャスの言葉にラシードが同意する中、ジャマルは冷や水を浴びせるように、
「しかし、親書の件はどうするのだ? あれを無視する事はできまい」
「決まっている。伯父上か誰かの偽書に違いない!」
吐き捨てるように断言したダリーシャスをジャマルはせせら笑った。
「おいおい。いくらなんでも、伯父上がそんな危険な事をすると思うのか? 仮にも、帝国の皇帝の名が記された親書。それを偽造したという意味、お前にも分かるだろう」
思わず黙り込むダリーシャスに対して、静かにレイはその通りだと同意する。今回の場合、問題なのは親書の中身よりも、親書に帝国皇帝の名前が記されている点にある。
仮に、これが偽書なら、この偽書を作った奴は自らの陰謀の為に、皇帝の名前を悪用したことになる。ダリーシャスら、オードヴァーン家の人間が、親書が偽書かどうかを確かめるためには帝国に極秘裏に確認を求めるしかないが、これが偽書なら、デゼルト国の誰かが勝手に皇帝の名前を使った事が帝国に伝わってしまう。
そうなれば、事は外交問題になる。デゼルト国と帝国の間に険悪な感情が生まれるかもしれない。最悪の場合、帝国との戦争もあり得る。だけど、これがまだ偽書なら外交問題で回避できる可能性があるのだ。
「そもそも、一番の問題は偽書だった場合じゃない。親書が本物だった場合だろ」
ジャマルの指摘は事の重大さを浮き彫りにさせた。彼の言う通りなのだ。
この親書が本当に本物なら、帝国が南方大陸に進出する計画を練っており、それが実行されようとしていることに他ならない。
帝国は他大陸進出の機会を伺っており、デゼルト国は南方大陸進出の橋頭保に選ばれ、オードヴァーン家と密約を交わした事になる。親書では軍の派遣時期などは明確にされていないが、海の向こうでは着々と出兵の準備が進められ、いつ、デゼルト国の湾岸に帝国の艦隊が出現してもおかしくはない。
そうなれば、南方大陸は帝国の軍隊によって赤く染め上げられることになる。
いわば、現在のデゼルト国は火薬庫なのだ。南方大陸全土を燃やしかねない量の火薬を抱え込み、厄介な事に導火線に火が付いてしまった。
「いくらワシャフ伯父上が神前投票で負けそうだからと言って、帝国を巻き込んだ大博打に打って出るような馬鹿げた真似はせんだろう。それに親書をひったくったファラハ伯父の様子だが、明らかに顔色を変えていた。あれは恐らく、オードヴァーン家の家紋を真正と認めたのではないか」
エルドラドにおいて、己の身元を証明する手段として家紋入りの指輪を印鑑のように使う。ジャマルの言葉が正しければ、親書にはオードヴァーン家側の誰かが関わっているという事になってしまう。
その事実に思い至ったダリーシャスは呆然と、言葉を失った。
「……少なくとも、ワシャフ伯父上は親書を本物として扱う事に決めたのだろう。帝国がデゼルト国の土地を軍用地として使い、南方大陸に戦乱を齎そうとする。それを防ぐという名目で兵を議事堂に運び入れ、そして自らの覚悟を示す為に弟を討った」
現在の状況を客観的に纏めるとすると、デゼルト国が海の向こうにある帝国によって、南方大陸動乱の火だねとされかけている。そんな証拠を入手したワシャフ・プラティスは首謀者と目され、なおかつ政敵であるファラハ・オードヴァーンとその一族、更には与する者達を武力でもって処断。嫌疑の目を他の王族、そして十四氏族にも向け、炙り出すという名目で彼らを監禁。帝国に対抗するために権力を一本化するべく王を名乗る。
余りにも荒っぽいやり方ではあるが、筋道は立っているのだ。強力な敵国から自国を守る為に立ち上がった憂国の士。それがいまのワシャフの立ち位置である。そんな男にとって問題は、帝国が本当に派兵をするのかどうかという、証拠が足りない事だ。真偽不明の親書だけでは、十四氏族たちを納得させるのは不可能だ。
「逃亡生活をしていても、オードヴァーン家の領地がプラティス家の私兵に襲撃され、占領されたことは聞いているぞ。相違ないな?」
ジャマルの質問にラシードはダリーシャスの顔を伺ってから頷いた。
「おそらく伯父上は自らの行動の正当性を固めるために、更なる証拠を手に入れようとした。ところが、何時までたっても帝国侵略に関する発表をしない所を見ると、その証拠の入手に失敗したのだろうな」
「伯父上は十四氏族を納得させるだけの証拠を持たず、かといって首都を解放することもできずにいるという訳か」
「親書だけだと、証拠能力としては低いの?」
レイの問いかけにダリーシャスが頷く。
「重要なのは、帝国とオードヴァーン家が密約を交わしていたという確固たる証拠だ。仮に、屋敷や領地からそれを匂わせる証拠が出て来れば、誰もが納得せざるを得ない。だけど、この沈黙からすると」
「出て来ないのだろうな。……とすると、今度は親書の信用性が疑われていくのだが……まあ、それの証明は伯父上の仕事だ。俺には関係ない話だ」
パイプに溜まった灰を棄てた男に対して、ダリーシャスは探るような視線を向けた。腹の底が読めない、暗闇の洞窟を外から覗いているような気分だとダリーシャスは思う。光が射し込まない、闇に潜むこの男の本心はいつだって分からない。
いまも、議事堂で何があったのかをこうもスラスラと話をするのは、どういった理由からなのか。少なくとも、ワシャフと組むつもりは無さそうだが、かといって、オードヴァーン家に味方するような気配もない。
平静を装う男の顔をまじまじと、針の穴が開くほど見つめても、何の変化もなかった。
「……さて。話すべき事は、全て話したと思うが、まだ俺に何か用なのか?」
話を振られ、窮するダリーシャスにラシードが囁く。
「王子。ジャマル王子に此方につくようにと仰ってください。安全を保障すると」
現在のオードヴァーン家は非常に危うい立ち位置に居る。何しろ、当主が国家背任の嫌疑をかけられたのだ。だとすると、一人でも多くの味方をつければ、それだけ有利になる。特にジャマルの持つコネクションは非常時にこそ役立つ。単なる戦力としても、外にいる首輪付きの冒険者たちが味方になるのだ。
しかし、ダリーシャスは気が進まないでいた。
なにしろ、ジャマル・グセイノフは猛毒である。いくら味方に窮しているとはいえ、進んで毒を飲もうとする者はいるまい。
「……一応、尋ねておく。此度の変事において、我が兄アフサルが旗を上げた。逆賊ワシャフを討つべく、御助力願いたい」
「はっはっは。俺の返事は分かり切っているだろう。……断る!」
雷に打たれたかのような反応をするラシードに対して、ダリーシャスは大したショックも受けずに、ため息だけを返した。
「当たり前だろう。なにしろ、親書が真実なら国を売った売国奴は貴様の父だ。そうやすやすと、貴様らオードヴァーン家と組むわけにはいくまい」
「だとしたら、ワシャフ伯父上上につくのか?」
ダリーシャスの言葉に、ジャマルは苦笑いで返した。
「意地悪は止せ。……いまさら、伯父上に頭を下げた所で、待っているのは断頭台の刃だ。何しろ、伯父上は国を守るためとはいえ、王族に血を流させた。それは古い掟に縛られた十四氏族の骨董共には許し難い行為だろう。どれだけ、伯父上が事の正当性を主張しても、全員が納得するとは思えん。だとすれば、取れる手は一つしかない」
二人の視線が絡み合い、異口同音に告げる。
「「十四氏族族長の処刑と、新王朝の設立」」
互いに同じ結論に達していたのか、驚く様子はない。というよりも、ワシャフ・プラティスに残された道はこれぐらいしかないのだ。振り上げた拳に正当性があったとしても、それを周りが認めなければ無法者の誹りは免れない。掟を背き、このような乱暴な手段を取ったワシャフを許すわけがない。
だとすれば、ワシャフは決断するしかない。古き掟に縛られた王朝を滅ぼし、新たな王朝を生み出し、新たなる掟を持って結束するしかない。当然、そこにジャマルやダリーシャスの席は無い。
「まあ、今は様子を見させてもらうとするさ。これでも人を見る目はあるのでな」
「だったら、兄上に付けばよかろう。兄上なら、其方とて無碍に扱わないと思うが」
立ち上がったダリーシャスに向けて、ジャマルは手を気だるげに振るう。
「はっはっは。それこそ、まさかだ。アフサルは、確かにご立派な御仁だ。才に溢れ、機に敏なる者。だけどな、あれはヒトとして、どうしようもなく腐っているぞ。……もし、俺が協力をするなら、そうだな。……ダリーシャス。其方にするさ」
「……嬉しくはないな。伯父上がダメで、兄上が気に入らない。だから余った俺にするという消去法で選ばれてもね」
「いやいや。これでも俺はお前を高く買っているのだぞ。特に、こうして久方ぶりに再会した、いまのお前は見違えるようだ。……何があったのか知らんが、なるほど随分と貴重な経験を積んだようだな。お前が、本気なら、俺は幾らでも協力を惜しまないぞ」
「……覚えておきます。それでは、ジャマル。其方に13神のご加護があらんことを」
「うむ。お前にも、加護があらんことを」
互いに別れの言葉を告げながら、ダリーシャスらは天幕を出た。いつの間にか、日が真上を通り過ぎていた。ぎらつく太陽を睨みながら、ダリーシャスは足早に来た道を戻り始めた。
「一刻も早く、兄上と合流するぞ。親書の件。帝国の件。確かめなければならんことが山のようにあるぞ」
「ダリーシャス。確認だけど、アンタは帝国との密約については聞いていたのか?」
レイの問いかけにダリーシャスは首を横に振った。
「知らん。影も形も聞いた事の無い話だ。ラシード、其方は何か聞いていたか」
「いえ。僕もそんな話は誰からも聞いておりません」
だとしたら、考えられるのは三つの可能性だ。一つは、ワシャフが仕組んだ、政敵を蹴落とすための罠。もう一つは、帝国によるデゼルト国への外交戦術だ。
南方大陸への進出を狙っていた帝国が、デゼルト国の後継者問題を嗅ぎつけ、そこを揺るがそうとした作戦という可能性はなくは無い。事実、デゼルト国は首都でクーデターが起きてしまい、討伐軍が編制された。この一連の自体が帝国の仕組んだ作戦なら、まさに狙い通りに事が進んでいる。
だけど、その二つならダリーシャスは納得できた。敵はワシャフであり、帝国であると結論付けられる。しかし、この一連の自体を裏で操っているのが、オードヴァーン家の誰かだったら。自分の頭に思い浮かぶ人物が引き起こしていたとしたら。
その目的が分からない。
あの男はそんな事をしなくても、いずれ王になりえたというのに。
「……時間が惜しい。急いで兄上と合流しなくては」
橙色の瞳に焦りが浮かんでいる。もし親書が本物で、帝国とオードヴァーン家の間に密約が結ばれていたとしたら、ワシャフ・プラティスに義があり、なにより帝国が軍を率いて進軍してきてしまう。
デゼルト国の動乱がそのまま、南方大陸全体の戦乱へと変わろうとしていた。
レイ達が去った天幕。パイプを味わっていたジャマルは一人悦に浸っていた。彼が反芻しているのは、黒髪に白髪が混じるという不思議な出で立ちをした少年、レイの事だ。
ジャマル・グセイノフは人間蒐集家を自称している。
彼にとって人間とは、実に多様な面を持つ、それこそ宝石に勝る輝きを内包している可能性を秘めたモノである。特に、命を賭けて戦う冒険者は、激戦を潜り抜けるほど輝きを強くさせて行く傾向にあると経験則で知っていた。
レイを一目見た時、首だけでも手元に残したいと思い、あのような事を言った。まだレイが名を売りだした『緋星』のレイだと知る前から、自分の心は奪われていた。
―――いわば、恋だ。
「黒曜石のような艶のある黒髪。そこに混じる、誰にも踏み荒らされない、手つかずの雪のような白。何者にも屈する事の無い強い意思を宿した瞳。目元の傷は、どんな戦いで負った傷なのか。ああ、実に、実に、実に、いい!」
ジャマルは老若男女区別なく、愛せる性質である。それゆえ、これはと気に入った相手なら何が何でも手に入れようとする強欲さも併せ持つ。彼の頭は、いかにしてダリーシャスからレイを奪おうとするかで一杯となっていた。
そんな思考が何処か遠くへと飛んでいる最中、天幕の入り口が開き、長身の従者が中に入ってきた。
「ダリーシャス様らは真っ直ぐにお戻りになりました。如何致しますか?」
「尾行をつけろ」
命令の意図を測り兼ねた従者が首を捻った。察しの悪い部下に対してジャマルは苛立ちまじりに立ち上がった。
添え木と包帯で固定された、折れているはずの足を使ってクッションの山を下りると、従者に解くように命じた。足元にしゃがみ込んだ従者に命令の意図を説明しだした。
「ダリーシャスらの移動手段、人数、向かう方角。諸々の情報を入手したら、俺達を追いかけて来た部隊に密告しろ。奴らの現在位置は把握しているのだろう」
「抜かりなく。北に二シロメーチルの地点に司令部があり、そこを中心に斥候が動いています」
「よし。いいか? ワシャフ陣営にとって、ジャマル・グセイノフとダリーシャス・オードヴァーン。この二人ならどちらがより重要な獲物となり得る」
ここに来て、鈍い従者にもジャマルの意図が伝わった。追跡部隊の指揮官にとってジャマルとダリーシャスなら当然、ダリーシャスを優先するはずだ。
「追跡部隊がダリーシャスに喰い付けば、北に展開している斥候の網にも穴が開く。その隙を狙って、突破するぞ」
あっさりと。
ジャマルは従弟であるダリーシャスを囮として差し出すと決めた。そこには罪悪感は欠片も存在しておらず、それこそ朝の献立を決めるかのように、淡々と機械的な判断だ。
「御慧眼、流石でございます。急に包帯と添え木を用意しろと申された時は、どういう事かと思いました」
「ふふん。ダリーシャスの奴。まったく疑わなかったぞ。まだまだ、甘い奴よ。アフサルだったら、身動きの取れない俺を見たら、それこそ俺の居場所をワシャフに伝えて囮にするだろうな」
だからこそ、アフサル・オードヴァーンは油断ならない人物なのだ。
包帯と添え木を回収した従者が指示を飛ばしに天幕を後にする。一人になったジャマルは惜しい事をしたかと呟いた。
追撃部隊の規模からすると、ダリーシャスが捕まる公算は高い。そうなれば、護衛であるレイも捕まるはずだ。いや、捕まるどころか、殺される方の確率は高い。あの綺麗な少年が失われるというのは、いささか以上に勿体ないが、仕方ないと割り切る。
確かにジャマル・グセイノフは趣味人であるが、それは自分の安全が確保された上での趣味である。自分が生きてこそ愛でる事が出来る。
「勿体ないが、自分の方が大切、大切」
その信念は揺るがない。議事堂が制圧され、首都の門が閉まる時、ジャマルは実の父と兄弟を見捨てて、一人首都を後にしたのだ。その後、父や兄弟がどうなったかは知らないが、ジャマルにとってはどうでもいい事である。
彼にとって、一番に愛でる対象は自分なのだ。
故に、ジャマル・グセイノフは数多くいるデゼルト国王族の中でも、最悪に性質が悪いと呼ばれていた。
読んで下さって、ありがとうございます。




