6-13 嫌悪
レイの中で意識や思考が流れるように切り替わる。心臓が高鳴り、戦闘に合わせて体が準備を始める。脳内からアドレナリンが放出され、感覚が研ぎ済まれていく。
その変質にリザ達も直ぐに気が付いた。併せるように彼女たちも視線を鋭くさせ辺りをそれとなく警戒しだした。
「どこに居るんだ、エトネ」
ワザと目的語を排した問いに、エトネは素直に答える。
「うしろのほう。けんきゅうしてるひとにまじって、こっちをみてる。やしきをでるときにいたひととおなじにおい」
振り返りたい気持ちにかられるレイだが、そこはぐっと堪えた。下手に後ろを振り向いて尾行者を探そうとすれば、相手が逃げてしまう恐れがある。
エトネの言う尾行者はおそらくデゼルト国からの刺客。何時になったら姿を見せるのかとやきもきしていた相手が、ようやく自分たちの懐近くに飛び込んできたのだ。これをピンチと取るか、チャンスにするかで今後の旅が大きく変わっていく。逃がすわけには行かない。
周囲に気取られないように、身を寄せ合うレイ達。周りからは義手の構造を覗きこもうとするようにしか見えない。しかし、実際は作戦会議だった。
「刺客が来たとして、どうするの? 追いかけて捕まえる? それとも、ワザと泳がせるの?」
シアラが服の上から杖を掴んで尋ねた。エトネの感覚の鋭さは全員が周知の事。間違いではないかと確認する余地はない。
「泳がせておく必要はないだろ。むしろ、聞いておきたいことがある」
「……一国の王族が使う刺客が素直に口を割るとは思えませんが、何を尋ねるのでしょうか」
「色々あるけど、一番はあれだ。どうして、此処に来たか、だ」
それは全員に共通した疑問だった。
この場に、彼らの一番のターゲットであろうダリーシャスは居ない。彼は朝から政所で人の背丈と同じぐらいに積み上がった書類と格闘している。嫌がる彼には申し訳ないが、そこはオウリョウに置いて一番安全な場所だ。放置していても問題はない。
「それぐらい刺客も知っているはず。それなのに僕らの方を尾行するって事は、別の狙いがあるのかもしれない。それが何なのか、知るべきだと思う」
レイの意見に反対は無かった。そうなると、次に問題なのはどう動くかだ。
義手のカバーを手に取ったレティが、金属の反射を利用して鏡のように背後を見ようとする。
「うーん。どれがそうなのか、ここからじゃ分からないや」
「エトネ。匂いはまだするか」
鼻をひくつかせたエトネは肯定するように頷いた。敵の判別はエトネにしかできない。
「僕とエトネの二人で敵を追う。レティとシアラは僕らの補助と敵の逃走経路を魔法で潰してくれ。リザは二人の護衛だ。エトネが気が付いていないだけで、他にも刺客が潜んでいるかもしれないからね」
「お二人で行かれるのですか」
「真っ当に戦えるのが僕ら二人しかいないんだ。仕方ないだろ」
レイの言葉にリザが押し黙る。レイのコウエンや、レティやシアラの杖を除く他の装備品は修理に出しており、手元には無い。一応、リザは屋敷に飾ってあった剣を腰に差しているのだが、借り物のため万全とは言い難い。
その点、エトネの武器は拳のため、裸拳でも戦うことが出来る。なにより、彼女無くして敵は追えない。自分が居残り組に回されたリザは少しだけ不満そうな顔をするもすぐに気持ちを切り替えた。
背後から死角になるようにレティとシアラが杖を抜き、エトネも軽く拳を握った。すでに臨戦態勢だ。
「五秒後に、僕らが飛び出す。怪しい動きをしている奴の足止めをよろしく」
魔法使い二人が頷くと、レイはカウントダウンを始めた。
「5、4、3、2」
1、と続けるはずだった。しかし、それを遮ってエトネが叫んだのだ。
「ダメ、にげちゃう!」
―――瞬間、弾かれたようにレイ達は動き出した。
五人が振り向くのと同時に、十五メートル先で悲鳴と怒鳴り声が巻き起こる。視線の先で、白衣を着込んだ男が周りの人間を突き飛ばしながら出口を目指していた。流石に王族御用達の刺客。不穏な気配を悟とるや否や即座に逃走を選ぶとは。判断の速さにレイは内心舌を巻いていた。
だけど、逃がすつもりは無い。これまで闇に隠れていた敵が、やっとその尻尾を見せたのだ。例えこれが罠だとしても、飛び込むべきだ。
指示を出す前に、レティが魔法を発動した。
「《超短文・低級・盾!》。足場だよ!」
レティが生み出した光り輝く盾が空中で飛び石のように浮かんでいた。レイとエトネは飛び乗ると、盾を足場として研究者たちの頭の上を飛び超える。
「《器を満たせ》、《バレット》!」
突然の騒動に混乱する研究員たちの隙間を狙って魔法の弾が放たれる。数は十。シアラの正確な魔法操作によって全ての弾が逃げる白衣の男へと向けられた。
だが、あと数秒で背中を貫いたはずの弾丸が掻き消されてしまった。白衣の袖を切り裂いて男が取り出した武器によって魔法は叩き落された。
棒状の武器の側面に取っ手が付いており、トの字型の武器をレイは知っていた。
あれはトンファーだ。
心の琴線をざらついた物が振れる。手に着いた血の生暖かさがまざまざと蘇る。
「おにいちゃん、にげちゃう!」
いつの間にか速度を落としていたレイはエトネの叱咤で我に返った。彼女の言う通り、敵はすでに入り口を抜けていた。このままでは距離が広がってしまう。レイは重い足を動かして、後を追った。
レイより先に入口へ辿りついていたエトネはそのまま研究所の敷地を抜け出して人ごみに紛れようとする敵の位置を瞬時に把握した。彼女は敵を逃がすまいと、切り札を出した。
「《願い奉る》、《この身に祝福を》、《出でよ、『カテギダ』》!」
精霊を呼び出し、その身に宿す事の出来るエトネの切り札、『憑依』。彼女の呼びかけに応じた風の低級精霊『カテギダ』が幼い少女の四肢に風を与えた。
それは人ごみに隠れようとした男にも分かる異変だった。男はトンファーを振りかざし、懐に飛び込もうとするエトネを逆に捉えようとする。しかし――遅い。
「えいっ!」
「うごぉおお!?」
気合一閃。
エトネの全速力からの体当たりを浴びた男は哀れにも吹き飛ばされてしまう。周りの人に迷惑を掛けないようにと、エトネが角度をつけて打ち上げたことで研究所正面に並ぶ四階建ての二階部分の壁に激突した。
「おいおい、殺すなよ! 聞きたいことがあるんだから!」
遅れて到着したレイの言葉にエトネは冷汗を流して、自分が吹き飛ばし相手を見上げた。だが、そこに男の姿は無かった。壁に叩きつけられた男はなんと、這うように壁をよじ登り屋上を目指していた。
このままでは逃げられてしまうと判断したエトネは追いついたレイを掴むと警告を発する。
「したをかまないでね」
「えっと、凄く嫌な予感がするんだけどぉぉぉ!!」
レイの予感は正しい。
敵に逃げられると判断したエトネはレイを掴むと、彼女の力をフルに使って少年を振り回した。いわば、ハンマー投げの要領だ。遠心力を使い、物を遠くに投げる。彼女はそれをハンマーではなく人間で行う事にした。悲鳴を上げながら、男を目がけてレイは飛ばされてしまう。
精霊を身に宿しているからこそできる荒業。それもやはり幼い体には酷だったのか狙いが外れてしまう。
レイの体は屋上の縁に手を掛けた男の下。三階部分に叩きつけられた。
「―――っううう。痛っいな。リザの無茶苦茶が移ってないか、あの子に」
エトネの力技の是非は後にして、三階までショートカットしたレイは庇や窓枠を掴み屋上を目指す。男の姿は既に壁際に無い。屋上へと到達したのだろう。
(もし、僕の推測通りなら、こいつらが使っていた武器はトンファーの他にもあるはず)
敵の分析と並行して記憶を引きずり出そうとするが、その記憶にノイズが走る。
あれは夜雨の戦闘。
屋根の上で追いついた敵は自分に向けて、黒いナイフを投擲してきた。
あの夜を再現したかのように、屋上に辿りついたのを出迎えたのは投擲されたナイフだった。数は三本。屋上の中程で振り返りざまに投げたのだろう。
しかし、あの時と今では明確に違う点がある。
時間だ。
闇夜の中で、月の反射すら起こらないように黒く染められたナイフだが、昼間の日差しの中では黒い点としてくっきりと浮かび上がる。レイはコウエンを抜くまでも無く、簡単に避けた。
もっとも、それは相手も承知の事だ。逃走を続ける男はレイの足止めのためだけにナイフを後方に向けて投げたのだ。それで仕留めるつもりも、ましてや戦いを挑むつもりも無い。その証拠に男はナイフを投げた後振り返りもせずに、屋根から屋根へと移動を続け、距離を離していく。
「させるか。《留めよ、我が身に憎悪の視線を》!」
レイはすかさず、男に向けて《心ノ誘導》を発動させた。男の足が不自然に止まり、体は後ろを向いてしまう。すかさず、レイは相手との距離を詰めていく。
逃走が無理だと判断した男はすぐさま闘争へと切り替えた。白衣を脱ぎ捨て下に着込んでいた防刃性の装束を露わにすると、トンファーを構えてレイに向けて吶喊する。二本の牙がレイを狙う。
ここに来て、レイは躊躇した。
脳裏に浮かぶのはあの瞬間の出来事だ。
屋上で死に絶えた敵の瞳。光を無くしていく、その姿を。
自分が殺した人間と、いま相対する男と重なってしまう。
躊躇するレイと躊躇しない男の交錯は男の勝利で終わる。防具も何もつけてないレイの胸にトンファーの先端がくい込む。腕の振りによって加速した衝撃で、レイの肺は酸素を吐き出し硬直する。
「ぐはぁ! はぁはぁ、つう!!」
思わず息を大きく吸い込んだ瞬間を狙われてしまう。二撃目が無防備な後頭部を狙い、レイは済んでの所で躱す。くの字に折れ曲がった態勢からそのまま前に向かって体を投げ出したのだ。
回転する勢いを使い立ち上がると、ここに来てようやくコウエンを抜いた。
だが、コウエンを構えるレイの姿に力は無かった。
かつて、ウージアでしてしまった初めての殺人。バスタードソードが肉を切り裂いた感触は未だに手に残っている。
ウージアを後にしてから、アマツマラ、クライノートの森、シアトラ村と旅をしてきたレイは少なくない数対人戦闘をこなしていたが、そのどれもが自分よりも強い存在との手合わせだ。彼と明確に敵対し殺し合いを挑み、なおかつレイよりも弱かったのは闇市で出会ったゴロツキ達のみ。
集団で挑んできたゴロツキ達をレイは殺さないで無力化した。それは殺人に対する忌避感からの結果と言えなくもないが、少なくとも戦闘中は忌避感を感じる事も無く相手を無力化できた。
だけど、この相手だけは違う。
トンファーを構えて相対する男の姿が、ウージアで殺した男と重なって見えた時点で、レイの体は殺人行為への抵抗が鎖となって縛っていた。
コウエンを振るうも、そこにいつもの気迫は無く、男はむしろ調子づいた。
「聞いていた話とは随分と違うな。餓鬼、腰が引けているぞ」
明らかに嘲る男は、トンファーを繰り出しながら、足技も混ぜていく。まるで踊るかのような戦い方にレイは苦戦する。いや、戦い方では無く、己の中にあるトラウマに縛られてしまう。
雨に打たれて横たわる死体と―――ナリンザの姿がどうしても脳裏から離れなかった。
ガキン、と。
一際高い音がレイの耳を貫いた。同時に、自分の手が空なのに気づいた。男はコウエンの柄頭をトンファーの先で突いて、レイの手から押し出したのだ。
空を舞うコウエンの影が屋上に生まれる中、レイは素手の状態で男の振るうトンファーを止めなくてはならない。さもなければ、頭を挟み込むように左右から振るわれる牙に潰されてしまう。
「ここで、死ね!」
殺意を籠めた言葉を耳にしてなお、レイの体は鈍い。自分のこめかみを左右から潰そうとするトンファーが迫―――らなかった。
寸での所でレイを助けたのはエトネだった。
彼女は地道に一階からよじ登り屋上まで昇ると、レイの危機から即座に動く。
「《我が足は、世界を跨ぐ》!」
移動系技能を発動したエトネは、レイを殺そうとした男の背中に回り込み、無防備な背中を掴み、そのまま屋上と屋上の隙間まで移動して―――手を離した。
「―――ぁぁああああ!?」
哀れにも落下していく男の悲鳴が建物の切れ間から響き、途中で途切れてしまう。驚くのも無理ないはずだ。突然、横からの衝撃で引っ張られたと思ったら、次の瞬間には足場のない所まで連れてかれて落とされたのだから。
危うい所を助けられたレイだったが、その胸中は苦々しい感情で満たされていた。
(何をやっているんだよ、僕は!?)
自分が殺した男の姿とナリンザの死。どちらも《トライ&エラー》で取り戻せない、人の死がレイの体を鎖として縛っていた。
(殺さなきゃ、こっちが殺されるだけなんだぞ。僕だけじゃない、リザやレティ、シアラやエトネ。ダリーシャスも殺されるかもしれないんだ。だから、守る為に殺す。そうするべきなんだ。なのに……どうして!?)
動かない体がもどかしく、動けない自分が悔しかった。そんなレイを遠くからエトネが呼ぶ。
咄嗟に目元を拭ったレイはエトネが覗きこむ、建物の切れ間へと近寄った。
「……エトネ、助かったよ。それで、今の奴はどこに落ちた?」
「あそこでぴくぴくしてる」
エトネの言う通り、切れ間の最下層。地面に積まれた木箱か山の中に男の姿はあった。生きてはいる様だが、全身血まみれだ。落下した際に壁に体がぶつかったのだろう。その証拠に、壁のでっぱりやパイプに男の血や肉片がこびりついていた。
「ちょっといってくる」
「あ、ちょ、こら!」
軽やかに言うエトネは壁のおうとつを利用してするすると下へ降りていく。軽業師のような要領でエトネが地面に降り立つのを見て、無事に降りられたことに胸をなで下ろした。
彼女の行動は一見無謀かもしれないが、間違ってはいない。降りるのに時間が掛かれば逃げられてしまう恐れがある。それに、屋上から下へ降りる手段は他になさそうだとレイは周りを見渡して結論付ける。かといって、エトネのようなやり方で下に無事に辿りつけるとは思えない。
しかたなく、レイは壁に沿って配置されたパイプに捕まってずるずると降りていく。
数分掛けてようやく地上へと降り立ったレイは落下の衝撃で壊れた木箱の上で動けない男の前に立つ。エトネが逃げ出さないように、男の向こう側で仁王立ちする。
「おい、話はできるか?」
浅い呼吸を繰り返す男は意識も朦朧なのか、レイに返事をしない。だけど、男の指がゆっくりと動く。懐にしまってある何かを取り出すと、それを口に運ぼうとした。レイはその手を掴んだ。
男の顔色が変わり、手から薬が零れた。その薬の正体をレイは知っていた。
自決用の薬だ。
「やっぱりそうなのか。お前、アイツらの仲間だな」
全てが一致する。
かつて戦った老人の顔が浮かび上がってきた。暗闇の倉庫の中、レイに向けて怒りをぶつけていた老人、名は知らないが、何と呼ばれていたかだけは覚えていた。
「答えろ! 頭領の命令で僕らをつけていたのか。それとも別の目的があるのか!?」
男の胸倉を掴むレイ。男は薄く笑うだけで、何も答えようとしない。さらにきつく問い質そうとするレイだが、その瞬間エトネが動いた。
「おにいちゃん、あぶない!」
悲鳴が混じった叫び声と共に、エトネはレイを突き飛ばした。そのまま、レイともつれるように地面へと二人は倒れた。
―――数秒前にレイの頭があった場所を矢が通り抜けた。
「―――ち、くしょ、う」
自分の額を射抜かれた男は、断末魔めいたものを残してこと切れた。
矢による狙撃だ。
エトネは顔を上げるなり狙撃手を探して立ち上がる。倒れたままのレイを庇うように立ち、敵が居るであろう方角を睨んだ。軽く空いた手は矢が放たれた瞬間、掴み取ろうと身構えていた。
しかし、彼女の気合とは裏腹に敵の第二射は無かった。ようやく緊張を解いたエトネは振り返る。
「てきはひいたみたいだよ。それで、どうしようか……おにいちゃん、おにいちゃん?」
今後の方針を尋ねたエトネだったが、レイの様子がおかしい事に気が付いた。壁を掴み立ち上がったレイの顔は青ざめ、強張っていた。
「だいじょうぶ。かおいろわるいよ」
「……ああ、大丈夫だ。問題ないから」
息を整えたレイだが、腹の底に抱えている冷たい物の正体に見当がついていた。
これは嫌悪だ。
レイは久しぶりに死への嫌悪を思い出していた。いや、忘れていたわけではない。自分の心の中心にありながら、そこから目を背けていたに過ぎなかった。
殺すという行為の意味を。命を奪う感触を。取り戻せない、巻き戻せない死を。
――――自分が殺した男の顔を思い出した。
読んで下さって、ありがとうございます。




