6-10 認識の喪失
オウリョウの西に上流階級が屋敷を構える高級住宅地がある。
人で賑わう商業地区や、小槌が鳴る工業地区とも違うここは、昼間は夫の留守を預かるマダムたちが庭でお茶会を楽しみ、夜になると何処からともなく馬車が集まり貴族同士の交流が行われている。
そんな邸宅が並ぶ中、一際大きな屋敷がある。
巨人ですら侵入を阻みそうな背の高い鉄柵が館と庭園を囲み、門には重装鎧を纏った兵士が昼も夜も無く警護に就いている。
その門の上にたなびく旗は、シュウ王国の国旗と、ヴィーランド王家の紋章。
ここはオウリョウの支配者、スヴェン・ヴィーランドの邸宅である。
噴水から定期的に水が上がり、花畑に蝶が舞い、獅子の置物が来客をもてなす。王族の屋敷だけに、他国からの来賓も訪れる事もある。庭に置かれた彫像の中には各国からの来客たちを持て成す像が置かれていた。
館の中も広く、豪華な調度品がバランスよく配置されている。埃一つ存在せず、常にメイドたちによって清潔に保たれている。
特徴だらけの屋敷なのだが、一つだけ、誰もが首を傾げる所がある。
それは屋敷で働くメイドの平均年齢だ。
普通、貴族のそれも王族の屋敷で働くスタッフとなれば、身元がハッキリとしており、一定以上の高い技能が要求される。その上、職務中に知り得た情報を誰にも明かさない口の堅さも必要だ。なにしろ他国との密談も行われる場所だけに、偶然聞いてしまった話の中身が国を揺るがす情報かもしれないのだ。
そんな王族の屋敷でありながら、働くメイドたちの中に、明らかに年若い少女達が居るのだ。
一人二人なら、何かしらの伝手で潜りこんだメイドなのだろうと納得するのだが、それが十人近くなると首をかしげたくなる。もっとも、その幼いメイドたちの働きは他のメイドに後れを取るような事も無いので、特に問題がある訳でも無い。
屋敷を訪れた者はもれなくこのことに首を傾げ、後からスヴェンの趣味を知り、納得することになる。
そんな屋敷の一角にレイ達はいた。
天涯付きのベッドが置かれ、部屋を飾るのは高級そうな絵画や調度品の山。案内をしたメイドの話によれば、これら一つで庭付きの屋敷が奉公人を含めて買えるとの事。
デゼルト国の王子であるダリーシャスはともかく、戦奴隷であるリザ達に与えられた部屋も似たような高級品で部屋を飾られている。レイ達は賓客扱いだった。
そんな豪奢な部屋の中央でレイは正座をさせられていた。
時刻は真夜中近く。すでに食事は済ませていた。
エルドラドに来てから初めての高級料理だった。料理人が素材から厳選し、研鑽した腕を存分に振るい、魂を込めた皿の数々にレイ達は圧倒された。まさに至福の時間といえた。エトネなど初めて食べた味に混乱し、涙を流してしまうほどだ。
唯一、そういった料理を日頃から食べ慣れていたダリーシャスだけは完璧なテーブルマナーで食事を終えた。普段の食事のときは犬か何かのようにかきこむ姿とは大違いだ。
そして食事が終わると屋敷の主人であるスヴェンに礼を言い、各自部屋に戻った。レイとダリーシャスはそれぞれ一人部屋を。そしてリザ達は二組に分かれて二人部屋を与えられた。
部屋に備え付けの風呂に入り、寝間着として使っている衣服に着替えたレイの部屋に四人が集まったのが数分前。
扉を開けた時の神妙そうな顔に戸惑っていると強引に部屋に押し入った彼女たち……というかリザが開口一番に、
「ご主人様。正座」
と、言うとレイは条件反射として部屋の中央で正座していた。抗議することも抵抗することもできなかった。それを許さない圧力が彼女から放たれていたのだ。
いや、リザだけでない、レティやシアラからも戦闘時に出すような圧が出ている。平時と変わらないのはエトネだけで、彼女は天涯付きのベッドに興奮して飛び込んでいた。
レイは静かに怒る美少女たちに囲まれて、冷汗を流していた。
「……あ、あのー。何か用かな?」
無言に耐えきれなくなり、ついにレイが話しかけるものの、リザ達は何も言わない。押し黙ったまま、レイを見下ろしていた。
視線には責める色が含まれており、レイの体に突き刺さった。
「あのさ。……明日は魔法工学の研究所に行くから、朝が早いんだ。もう、寝ない?」
意を決したレイが再度話しかけると、遂に少女たちが動いた。リザがレイの前から離れると、机の上に置かれた羊皮紙の束や、ガルドの詰まった袋の中に混じったある物を掴んだ。
燭台の火に照らされ、銀色のプレートが光る。
ようやく、レイは彼女たちが何に怒っているのか分かった。
彼女たちの怒りは正当だ。
レイの隠し事に腹を立てているのだ。
「主様。聞きたいことがあるの。……もう、分かってるでしょ、ワタシたちが何を知りたがっているのか」
「ああ、うん。……僕の能力値が下がってる事……だよね」
三人は同時に頷いた。
「お姉ちゃんから更新されたプレートの事を聞いた時、正直驚いたよ。全部の数値を覚えている訳じゃないけど、少なくともMAGの数値が1じゃなかったのは確か。なのに、ご主人さまはその事に驚きもしないで、淡々と受け入れていたね」
「ご主人様が私達のステータスも含めて確認する術があるのは知っています。すでに能力値が減少していることを知っていたのは理解できましたが、分からないのはその理由です」
「主様の話によれば、能力値が下がる原因はワタシたちの死。少なくとも一回。ワタシがシアトラの迷宮で死んでいるのは確かよ。でもね、それだけで1になるとはどうしても思えなかった。……地下で、何があったの」
リザ達の説明に、遅まきながらその事実に気づいたエトネがベッドから降りてレイの傍に来た。正座する彼を下から見上げて、心配そうに瞳を潤ませる。
彼女は何も言わない。
だけど、その瞳は誰よりも切実に訴えかける。
「その眼には敵わないな。……分かった。……地下の迷宮で何があったのか、全部話すよ」
観念したレイはシアトラの迷宮。その深層部で起きた戦いの全て、つまり意図的に隠していた《トライ&エラー・グレートディバイド》について明かした。
死亡時の五秒前に戻す力。
《トライ&エラー》が《生死ノ境》を取り込んだこの力は撒き戻した直後に、レイに勝機を与える。周りの時間が遅くなり、レイだけはその中を普通に動ける。死に至る攻撃を避け、叩きつぶす猶予を与えられるのだ。
一見すると便利に思える力。
それだけに力の行使に必要な代償は計り知れなかった。
イタミの蓄積。髪の白色化に伴う能力値の減少。そして、
「縁深き者を認識できなくなる……ですか」
リザが信じられないとばかりに呟いた。レティは表情を青ざめ、シアラは口元を抑える。エトネだけはいまいち理解できないのか首を捻っていた。レイは彼女に分かるように言葉を砕いて説明する。
「つまり、僕がこの世界に来てから知り合い仲良くなった人の事を、僕は思い出せなくなるんだ。……名前も顔も声も匂いも、どんなことを話し、どんなことをしたのか、すべて消えた。その上、僕はその人を認識できなくなったんだ。文字としても言葉としても……きっと顔を見ても見る事はできないんだろうね」
「えっと。……おにいちゃんのなかで、そのひとはしんだってこと?」
「うーん。死んだってよりも、認識できないだけで……ああ、でも、認識できないのなら死んだのも同然か」
レイの言葉にエトネは事の重大さをおぼろげながらに理解できた。彼女の中には母との記憶がある。優しかった母、時々怒って怖かった母、父を無くして悲しんだ母。それらの記憶は彼女にとって大切な宝物だ。
それを失う。
自分に母が居たことも、母と暮らした時間も、母を失った悲しみも全て無くすのだ。
「そんなの……しんじゃうよりもつらいことだよ」
エトネの母はすでに死んでいる。だけど、レイが失った人物はもしかしたらこの世界にまだ生きているのかもしれない。その人とレイがどのような関係だったのかエトネには分からない。もしかしたら、好きな人なのかもしれないし、命の恩人だったのかもしれない。その繋がりを失ったのだ。
ぽろぽろと涙を流すエトネをシアラが黙って引き寄せた。灰色と緑色が入り混じる頭髪を優しく撫でながら、レイに尋ねる。
「その《グレートディバイド》の代償は一回使うごとに払うの。一回につき、一人なの」
「一回につき一人は間違っていないけど、ちょっと違うかな。どうも認識の喪失が発動するのは、僕が《トライ&エラー》を《トライ&エラー・グレートディバイド》に切り替えて発動させた時のみなんだ」
「つまり、特殊技能が《グレートディバイド》のままなら、何度使っても認識の喪失は発動しない、という事なんですか」
リザの纏めにレイは多分ねと返した。本当にレイの推測通りなのか試す訳にもいかないため、確信は無かった。
「……僕が君たちにこのことを話せなかったのは……この親しくなった人物に君たちが当てはまると思ったんだ」
四人はじっと、レイの言葉に耳を傾ける。
「エルドラドに来てから、いろんな人と出会った。ファルナやオルドを始めとした共に旅して戦った人たち。ゲオルギウスやフィーニスのように敵対した奴ら。それ以外にも人間やエルフ、ドワーフに獣人種。その中でも君たちとは……絆があると思う。対等契約の鎖とか、依頼で結ばれた繋がりとかじゃなくて、もっと別の、貴重で安らげる温かい繋がりがあると思っている」
そこでレイは言葉を区切る。これから告げる内容は余りにも一方的で、悲惨な内容だ。それを言う必要が何処にあるのか自分でも分からない。
だけど、言わなくてはいけない。
「僕は……その繋がりを無くすことになったとしても、《トライ&エラー・グレートディバイド》を使う」
リザ達の表情が一斉に強張った。少女らの心に鋭い刃がくい込む。それを握るのは間違いなく自分だと理解しながらレイは言葉を続ける。
「今回、図らずも『七帝』と戦い、この力を使って生還して痛感した。……僕が『招かれた者』で因果を重ねてしまう以上、アイツらとぶつかるのは避けられない。おそらく、今回重ねた因果の果てに、『七帝』を呼び寄せるかもしれない。避けて通れない敵を前にして……その時僕はこの力を……使う」
脳裏をよぎるのはただ一つ。自分を守って死んだナリンザの姿。
「誰も死なせないために、僕はこれを使う。……例え君たちとの繋がりを失うとしても、君たちを死なせるよりかはずっといい」
これはまごう事なきレイの本心だ。
あの死に絶えた荒野が広がる自らの精神世界で、《グレートディバイド》の求める代償を知ったレイは絶望した。自らの選択を呪い、悔いた。
そして、その上で彼は覚悟を決めたのだ。どうやっても敵わない強敵を前に、誰も失わせないために、繋がりを手放すことを。
だけど、それを告げる勇気だけは無かった。それゆえ、レイはここまで《グレートディバイド》の事を説明できずにいた。
息苦しい沈黙が五人を包み込む。誰も目線を合わせようとせず、あらぬ方向を向いていた。そんな中、意を決して口を開いたのはリザだった。
「それは……嫌です」
絞り出すように放たれたのは、むき出しの感情だ。
「……リザ?」
「そんなの嫌です。ご主人様に私の事を忘れられるのは嫌です。いえ、私の事だけじゃありません。レティやシアラ、エトネの事を忘れて、見えなくなったご主人様を見たくないです」
まるで子供のように首を振り、髪を振り乱しながら彼女は言う。
「そんな力、もう使わないでください。これ以上、自分から地獄を進まないでください。これ以上、自分を犠牲にしないでください。……そんな貴方を見たくないです」
後半になるにつれ、リザの言葉は小さくか細くなった。俯き、肩を震わす姉を見て、レティも口を開いた。
「あたしも同じだよ。……そりゃ、最終的に決めるのはご主人さまだってのは分かる。でもね、お兄ちゃん。あたしね、幸せなんだよ」
レティの言葉にレイは首を傾げた。
「お姉ちゃんが居て、シアラお姉ちゃんも居て、エトネも居る。キュイも、アスタルテも居て、ダリーシャス王子は……まあ、居ても良いかな。皆と一緒に旅をしているいまがね、すごく幸せなんだよ」
彼女は短い腕で大きな円を描く。自分がどれだけ幸せなのかを全身で表していた。
「この幸せをくれたのは、間違いなくお兄ちゃん。そのお兄ちゃんが一人で傷ついていくのは絶対に嫌だ」
「レティおねいちゃんのいうとおりだよ。おにいちゃんがエトネのこと、わかんなくなったらすっごくいやだよ」
レティに同調するようにエトネも自分の意見を言う。最後を飾るのはシアラだった。
「ワタシは……主様に何か言う資格はないわ」
「シアラ!? 貴女、まさか」
「勘違いしないでよ、リザ。ワタシだって本音を言えば絶対に反対よ。払う代償の割に得られる効果の釣り合いは全く取れてない。五秒前に戻れると言っても、そんなのただのその場しのぎに過ぎないじゃない。その場、その場だけをしのいでいても、いつか袋小路に行き詰る。だけどね、主様をそこまで追い詰めたのはほかならぬワタシの祖父なの」
『魔王』の血を継ぐ少女は苦しみを背負いながら言葉を紡ぐ。
「ワタシのかつての家族が、いまの家族を追い詰めた。そんなワタシに主様を止める権利はない。ううん。そもそも、主様を止める権利なんて誰にもない。その力は主様の物で、使うかどうかは主様の意思よ」
それは間違いなく正論だ。
リザは反論したかったが、言葉が出てこない。だけど、シアラはまだ口を閉じなかった。
「だからワタシは、主様に《グレートディバイド》を使わせないようにすると決めたわ」
「……シアラ?」
「主様の行く道に『七帝』が立ちふさがるなら、それを倒す。主様にそんな力を使わせる敵を全部倒してみせるわよ。これはワタシの決めたことだから、主様がとやかく言う権利はないわよ」
「……そうですね。……ええ、そうでした。私達の根本は変わりません。あの日、誓った通りです」
あの日の誓い。
自分たちの無力さがナリンザを死なせたと嘆き悲しんだ、あの夜。
彼らは強くなることを誓った。今度こそ誰も死なせない、と。
「やる事は変わりません。強くなり、敵を倒す。そこにご主人様に力を使わせないという項目が増えただけです」
リザに同意するように三人は頷いた。少女らはレイに《トライ&エラー・グレートディバイド》を使わせないと誓う。
それが途方もない敵と戦う事になると知りつつも、選んだのだ。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は十五日月曜日頃を予定しております。




