閑話:絶望の未来 『前編』
これより先の物語は、本来の道筋に繋がらない浮島のような存在。もしかしたら、そこに辿りつく航路もあったかもしれないが、すでに船は別の未来へと辿りついた。
故に、この未来を垣間見たのは一人の少女のみ。
金色黒色の瞳を持つ、呪われし血を継ぐ少女、シアラ。
これより先に綴られる物は、彼女が視た未来である。
シアトラ村の地下に広がる異常な迷宮。地獄に近い深層部のとある広間で一人の少年が倒れていた。黒髪の一部が白髪化した少年の名はレイ。
平時なら、艶やかな黒色の瞳が、今ではくすんだ鉄錆色をしている。それは―――絶望した者の瞳だ。
未来を見失い、希望を捨て、胸に抱いた唯一の意思、理不尽に抗うという意思も折れていた敗北者だった。
彼は色を失った唇で呟く。
「《奴隷契約書・オープン》」
詠唱と共に、右手の甲から古びた羊皮紙が飛び出す。宙をひらひらと舞う羊皮紙は滑るようにレイの手の中に納まった。
そこに記されているのは三人の少女の名前だ。エリザベート、レティシア、シアラ。互いの命を差し出し合う対等契約を結んだ少女たちの名がそこに記されている。
輝きを失った瞳でぼんやりと羊皮紙を眺めた。契約に使われた魔法言語を力なく眺め、そして、これしかないと思い、彼は呟く。
―――彼女たちを道連れにしてはならない。諦めてしまった自分に道連れはいてはならない。
「……《奴隷契約書・デストラクション》」
詠唱を止める者は居なかった。呟きに反応して手にした羊皮紙が意思を持ったかのようにひとりでに震え出す。その震えは収まるどころか加速していき、ついには自らの体が破けていくが止まらなかった。
出鱈目に作られた地図のように、切れ目が縦横無尽に走り回り、振動に合わせて紙が千切れていく。
ボロボロと。
まるで涙を流すように。
あっという間に、レイの手の中には崩れた奴隷契約書が残る。
同時に、心臓とは違う、おそらく魂で繋がっていた糸のような繋がりが消えたのをレイは知覚した。
これで彼女たちは自分の呪いから解放される。
レイは安堵しながら役目を果たした奴隷契約書を見つめた。
すると、遠くで誰かの倒れる音がした。いや、誰かでは無い。レイはその人物を知っていた。彼を守る為にたった一人で怪物のような存在と戦っていた女傑、ナリンザだ。
つい先程まで聞こえて来た剣戟は止み、辺りは静かになった。それがどういう意味なのか、レイは痛いほど理解していた。
(すいません、ナリンザさん。……助ける事も、何もできないで)
欺瞞といえた。罪悪感を軽くするために謝罪する自分が、その無力さに吐き気に近い感情を抱く。だけど、それを上回る虚無感がレイの心を暗闇へと引きずり込ませる。
心の内で懺悔の言葉を呟くと、レイの耳はペタペタと乾いた音を拾う。少年にとっては文字通り死が近づく足音だった。顔を上げると、天井から降り注ぐ青い光を浴びた、白い少年が立っていた。
病的なまでに白く、白髪で顔を隠す少年は体を横に傾けて、不思議がる。
「おやおや。こんな湿っぽい場所で人とであうなんて。それも立て続けに二人なんて。珍しい事もあるもんだな」
どこか、感心したような口ぶりで言う。
「……なあ、お前と戦っていた人は……どうなった?」
レイは答えが分かり切った質問を投げかけた。
投げかけてしまった。
もしかしたら、この少年は何かの気まぐれで、ナリンザを見逃したんじゃないだろうか。あるいは、逃げおおせたのではないのか。
そんな淡い、雪の結晶のような希望に縋る。
「ん? 死んだよ」
―――少年は当たり前のように、レイの希望を打ち砕く。絶望がレイの割れた心に注がれていく。
「もしかしなくても、お友達か何かだった? ……ああ、そう言う事か。あの女、実力差を理解しながらボクに挑んできたのは、君を逃がすためだったのか。そりゃ、悪い事したな」
「悪い……こと?」
「うん。君のために命を捨てる覚悟で挑んできたんだ。嬲らず、手を抜かず、全力で相手してあげるべきだった」
それは、少年なりの賛辞だったのかもしれない。だけど、レイにはナリンザを侮蔑しているかのように聞こえた。
右手がゆっくりと持ち上げると、手に握りしめた奴隷契約書が滑り落ちる。床に触れるなり、羊皮紙は役目を終えたと証明するように砂となって散る。空っぽの手で壁を掴みながら立ち上がったレイは、腰に差していたファルシオンを抜き放った。
まるで―――戦うつもりのように。
「んー。驚いたな。てっきり、君は戦う意思を無くしているのかと思ったけど。……やるのかい」
「まあね。……生きる意志を無くしたとしても、黙って死を待つような資格は僕に無い。……せめて、お前に挑んで……死ぬ」
ファルシオンを左手に握るレイは、右手をコウエンへと伸ばした。抜き放たれた白刃は青い光を受けて一層、輝きを増す。白髪の下で、少年の目が興味深そうに光る。
「それじゃ、挑ませてもらう。……《ミクリヤ》所属、レイ」
不格好な、破れかぶれの二刀流。その構えを見て、白い少年は笑わない。レイの覚悟を……命を捨てる覚悟を受けて、真剣に返す。
「フィーニス・マールム。人はボクを『魔王』と呼ぶ」
少年―――フィーニスは足元を蠢く影から、一振りの剣を生み出した。光を放つコウエンと対称的に、光を飲み込む黒い刃はどこか日本刀に似通っている。影の刃を握るフィーニスから暴力的な殺気が巻き起こった。
そして、両者は動きだし、刹那の間に決着は着いた。
生き残ったのは一人だけ。
時は少しばかり巻き戻る。
シアトラ村の備蓄庫前で数人の少女が言い争いをしていた。どの少女も平時なら美しいといえる容姿をしているのだが、度重なる戦闘と探索に顔は汚れ、なにより乱れた感情を面に出していた。
「リザ! それじゃ、アンタは主様たちを見捨てる気なの!?」
紫がかった黒髪の少女は金髪の少女をきつく、詰るように詰め寄った。金色黒色の瞳が怒りの炎を上げ、晴れた空を思わせる瞳を真っ向から睨みつけた。
だが、睨まれた方の少女は微動だにせず、冷静な口調で返した。
「落ち着いてください、シアラ。現状、私たちだけで主様たちを探しに行くのは難しいと私は言っているんです。それぐらい、貴女だって分かっているでしょう」
リザは淡々と告げようとする。だが、きつく握られた拳からは血が雫となって地を汚す。
「ボスの間から続く階段を昇り、可能な限り探索をしつつ上に戻ってきましたが、ご主人様とナリンザ様の姿はどこにもなかった。ダンジョントラップの性質と併せて考えれば、二人が転移した先は間違いなく中層か、あるいは更に下です」
様々な種類が存在するダンジョントラップ。その中で転移魔法陣はメジャーと言えば、メジャーな部類に入る。そのため、転移先のパターンも解明されている。
大まかに分けて二つだ。
一つは同じ階層の別の広間に転移させる場合。これは横に広い迷宮でよくあるパターン。
もう一つは、下の階層に向けて転移させる場合。一つ目のパターンよりもこちらの方が圧倒的に多い。
逆に、上に飛ばす転移魔法陣はほとんど見つかっていない。それを考慮すれば、レイ達が下の階層に飛ばされたのは明白だった。
上層部のボスを倒したといえど、中層部が突破できるかどうかは別物である。一つの階層に存在する広間の数は格段に増え、モンスターの強さも上がり、ダンジョントラップは更に過激になっていく。レイとナリンザの抜きの彼女らだけで探索は難しい。下手をすれば彼女ら自身が大怪我を負ったり、あるいは分断してしまい二次災害となってしまう。
「ですから、ここは明日に来るという他の冒険者を待ち、協力を仰ぐ方が確実で安全です」
「それぐらい分かってるわよ! でも、急がないと手遅れになるわよ!?」
周囲には子供と自警団の青年たちが帰って来た事で喜んでいた村人たちが様子を伺っているのだが、外野を気にも留めずシアラは食ってかかる。
彼女は自分の右目。金色の瞳を指差し、叫ぶ。
「ワタシが視た未来が現実になってしまう。悠長に待っていられる時間なんて無い。明日? 今すぐにでも行くべきなのよ! どうしてわかってくれないの!!」
いつもの冷静な、少し斜に構えた少女とは思えない程の取り乱しように、レティやエトネも傍にいたが言葉を出せないで見守るしかできない。
しかし、シアラの言葉通りに迷宮に戻る訳にもいかないのは幼い二人にも理解できた。
本来なら主人不在の場合、指揮はシアラが取る事になっている。その理屈に従えば、彼女の言う通りに迷宮に潜るべきだ。しかしそれも平静で、なおかつ冷静な判断が下せる場合だ。ここまで取り乱したシアラの言う事に従うべきかどうか、リザは判断に迷っていた。
―――その時だった。
エトネを除いた三人に異変が起きたのは。
「―――ッ!? あ、熱い!」
レティが右手の甲を抑えて蹲った。続いて、リザとシアラも同じようにして蹲った。右手の内側から、肉を食い破って何かが出てきそうな痛みを味わっていた。
「右手の甲……まさか!?」
嫌な予感を抱いたリザは手甲を外して、手の甲を外気に晒して息をのむ。そこに刻まれていた戦奴隷の紋が溶けるように消えていくのだ。
「お姉ちゃん、これって!?」
同じ現象が起きているレティも驚きの声を上げた。当然、シアラの手にも同じことが起きていた。彼女の顔色は雪の様に白く、震えていた。
「そんな。まさか、そんな。もうなの」
意味のなさない言葉を繰り返し呟くシアラ。リザはシアラの肩を揺さぶって正気に戻そうとする。
「どういう事なんですか! どうしてご主人様は奴隷契約を破棄しているんですか!?」
奴隷紋の消失は一つの意味を指す。
契約の破棄だ。
それをするには奴隷契約書を持つレイの意思が必要だ。
つまり、この契約の破棄はレイの意思ということになる。
レティは不安を隠せない瞳で地面を見た。その下にいるである主、いや元主を思って。
すると、その地面から影が噴き出した。
いや、影というにはひどく流動的な、それこそ意思を持って蠢いているようでもあった。間髪入れず、エトネがレティの手を取ってその場を離れた。
「おねいちゃんたち。なにかへんだよ! みんなもさがって!!」
リザとシアラに警告を発したエトネは遠巻きで見守っていた群衆に身ぶり手ぶりで下がるように警告する。彼女に流れる二種族の血が叫んでいた。
この影は危険だ、と。
備蓄庫の前は蠢く影に占領された。その中心部から影が噴水の様に持ち上がると、人影がするりと出て来た。
それは真っ白な少年だった。長い白髪で顔を隠しておきながら、少年と分かったのは身を隠すものを何一つ着てないからだ。
固唾を飲んで異変を見守っていた群衆から、どよめきが起こる。得体の知れない影から出てきたのが年若そうな少年で肩透かしを食らったのだ。
だけど、リザに引っ張られて影から退避したシアラだけは、その少年が何者か理解していた。
「お……お爺様」
「お爺様? それは一体、どういう。知り合いなのですか?」
シアラの口から零れた単語に、リザは反応するが、彼女は答える事は出来ない。唇は恐怖で引きつり、金色黒色の瞳は悲哀に揺れていた。
お爺様と呼ばれた少年、フィーニスは顔を隠す白髪をかきあげると、そこから現れた金色の瞳でシアラを見つけた。
「ああ。やっぱり居たのか。我が血を継ぐ者、シアラよ。息災そうで何よりだ」
緊迫した場にそぐわない優しげな声色でフィーニスは語りかける。
「地下で面白い物を見つけてね。ほら、これさ」
フィーニスは影に手を突っ込むと、何かを探し出すかのように取り出した。それは一振りのダガーだった。鍔が特殊な形状の、それ以外は特に目立つ所の無いダガー。
しかし群衆に理解できなくてもリザ達には理解できた。それがバジリスクの魔短刀で、レイの武器だと。
フィーニスは刃に鼻を近づけると匂いを嗅いでみせた。
「不思議だった。このダガーからはゲオルの匂いや、君の匂いがした。どちらも、ボクの前から姿を消して長いのに、どうして彼らの匂いがするのか分からない。……持ち主に尋ねる事はもう、出来ないから、あて勘でここに来てみたんだ」
その言葉に、シアラのみならずリザ達も凍り付いた。
ある意味、先にこの後の光景を知っているシアラだけが唇を動かせた。
「それじゃ……それじゃ、主様は。そのダガーの持ち主はどうしたの」
シアラの質問にフィーニスはあからさまにバツが悪そうな顔を浮かべる。話し過ぎたかと己の迂闊さを悔いていた。
「主様を、レイをどうしたの!!」
再度の質問に、フィーニスは観念したように告げた。
「……殺したよ」
端的な、それでいてどこまでも無慈悲な宣告にリザは視界が遠のきそうになる。それに構わず、フィーニスは指を振るう。すると、地面を這う影が盛り上がり、その中にしまい込んでいた何かを地面に転がした。
それは人の体だった。
男女の、息絶えた屍が出現した。
一人はナリンザ。もう一人は……レイだ。
「いや、いや、いやぁああああ!!」
空気を切り裂く様な悲鳴を上げたのが、シアラだったのか、レティだったのか、それともエトネだったのか。あるいは自分だったのか。
それすらリザは理解できなかった。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の投稿は金曜日頃を予定しております。
時刻はいつも通り深夜です。……というか、予約時間を間違えました。




