5-45 葬式
晴れた青空に太陽が燦々と輝いていた。
数日振りの太陽をレイは浴びていた。まだくすぶった様に熱を発している火傷部分には包帯を巻いているが、それでも目が覚めたばかりのミイラ男のような姿からは脱していた。
ひとえに、レティやアマツマラから来た冒険者たちの中に居たヒーラーの手厚い治療のお蔭だった。包帯が取れた部分は、肌が赤く腫れていたが、それもあと数日経てば赤さも引くとヒーラーは診断していた。
しかし、両足の方はそうもいかない。いまもズボンの下に隠れている両足の火傷は熱した油に浸かっているかのように熱を放ち、レイは立つ事もままならない。広場に来るのもリザの手を借り、椅子を用意してもらっている。ダリーシャスの前で一人で立っていられたのは、奇跡だった。
両足の火傷は全身の火傷の中で一番酷く、回復魔法で治せる範疇を超えているとの事だ。短期的には完治出来ないが、塗り薬などを長期に渡って使い続ければ火傷の痕を小さくできるかもしれない。もしくは、まったく効果を受け付けず、醜く爛れた状態のままかもしれないと警告された。
流石はコウエンの炎だとレイは感心すらしていた。
フィーニスの背後を取る為に炎の海に身を投げた時、頭を中心に回復薬などを掛けていた。そのせいで下半身、特に足首のあたりに回復薬は行き渡っていなかった。下手をすれば炭化していたかもしれない。その可能性を考えると、火傷の痕が残る程度で済んで良かったといえた。
生ぬるい風が頬を撫でると、整えた前髪が僅かに乱れた。レイの髪型は、何時ものような無造作に垂らした姿では無く、香油を使ってオールバックに整えてあった。エルドラドに来てからまだ切っていない事もあり、いささか伸びてきていた。乱れた前髪を整える際に、レイの視界に白い物が過った。
それは白髪だ。
レイの黒かった髪は、いまでは前面の二割ほどが白く染まっていた。《トライ&エラー・グレートディバイド》の代償だ。併せて、能力値にも影響が出ていた。
まだリザ達には《トライ&エラー・グレートディバイド》の事は説明していなかった。シアラの告白が済んだ後、レイの体は休息を求めて眠ってしまった。起きてからは四人とも、レイの介護や別の用事で忙しく、ゆっくりと話す時間はなかった。
もっとも、レイの白髪化が進んでいるのを見て、何かが起きているのかだけは気づいていた。
頭の包帯を取った時の何とも言えない表情をレイは鮮明に覚えていた。自分たちの見ていない所で何かが起きてしまった事への取り戻せない対価を思って、彼女らは悲しんでいた。
今も、隣に立つエトネは何度も視線をレイの頭髪に向けていた。やはり気になるのだろう。しかし、レイが視線を合わせようとするとそっぽを向いてしまう。
困ったなと顔を掻くレイの爪先は、目の下の傷に引っかかった。
左目の下。
僅か二センチもない、横に走る傷は回復魔法を受け付けなかった。レティもヒーラーも首を傾げるが、彼女らの診察では深い傷でも、呪いでも無いため放置しても大丈夫だと言われた。だけど、傷口から潜りこみ神経を犯してまわった異物は、いまも自分の肌の下で息を潜めているようにレイは感じていた。
(でも、二人とも問題ないって言ってるから、大丈夫……かな)
『魔王』フィーニスが口にしていた聖印という言葉も気になったが、シアラに尋ねても彼女は知らないとの事だった。今の所、危険な兆候も無いため、放置するしかなかった。
その時、がやがやと騒がしかった村民たちが水を打ったかのように静まり始める。人だかりから少し離れた場所で椅子に腰かけていたレイは顔を上げて、意識を切り替えた。
この日の村の広場は、いつもとは違う雰囲気に包まれていた。
集まった村人たちは皆、黒か黒に近い衣服に身を包み、悲しみを吐露するかのように俯いている。彼らの視線の先には小さな櫓が四つ置かれていた。そのうちの一つには布で巻かれた者が置かれ、残りの三つには木彫りの人形が置かれていた。その周りには白い色の花が添えられている。
布で巻かれているのはナリンザの遺体。
三つの人形は遺体すら見つからなかった者達の代わりだ。
いまから行われるのは葬式だった。
シアトラ村の自警団三人と……ナリンザの葬式が行われようとしている。
レイを始めとした《ミクリヤ》のメンバー。それとアマツマラから送られた冒険者や兵士たちは村人たちから少し離れた場所にて葬式に参加している。
ただし、その中にダリーシャスとレティの姿は無かった。
ダリーシャスの姿は村人たちの中にあった。村人たちの集団の前列は遺族が陣取っていた。人目もはばからず泣いているのは女性たちが死者の母親なのか、それとも妻なのかは分からない。その遺族たちの一番端にダリーシャスは居る。背筋を伸ばし、ナリンザの遺体の方を見つめていた。
ダリーシャスの格好はいつものシャツを肌蹴させたようなラフな格好では無く、かといって村人達のように地味な服でも無かった。
ガウンやローブのように上下で一繋ぎになっている白の衣の上から、黒色の薄手のジャケットを羽織っている。縁に金の刺繍が施してあり、華美では無いが、王族の威光を弱めない上品な意匠だ。頭には王族にしか許されていない柄の帽子を被っている。
どれもナリンザが運んでいた荷物の中にしまっていた衣服だった。一人で着付けをして、レイ達の前に現れたダリーシャスは王族として恥じない姿だった。
村長もダリーシャスの身分が王子とは知らないが、その姿からやんごとなき身分の者だと気づき、媚を売るような態度に出ていた。
いまだって、村人たちの前で葬式を進めている最中も、ダリーシャスの方をチラチラと盗み見ては顔色を窺っている。
すると、村人たちの視線が櫓から、別の場所に向いた。レイもつられて視線を滑らすと、そこには老人と年若い村娘たちがしずしずと歩いてきた。その最後尾にレティは居た。
葬式の手伝いとして駆り出されたのだ。借りたお揃いの法衣に身を包み、手には松明が掲げられている。
先頭を歩く老人は白を基調とした法衣に身を包む。胸には十字を重ね合わせた紋様が刻まれている。レイが何の証だろうと首をかしげていると、横に控えていたリザが短く説明した。
「あれは法王庁所属の神官です」
法王庁と聞いて、レイに思い当たるのは『聖騎士』と呼ばれた男だった。赤みがかった金髪に見てくれだけじゃない、幾多の戦闘を潜り抜けただろうフルプレートの鎧を身に纏う偉丈夫名をローランと言った。
ネーデの街で少しばかり言葉を交わした男だ。オルドによって発見された深層の調査に訪れ、そこで遭遇したゲオルギウスと戦い、仲間の命を失ってもゲオルギウスを追い詰めた戦士。
何処か今の自分と似ているなとレイは思う。
共に深層で魔人と遭遇し仲間を失ってしまう。その後、地上に帰って来た彼は戦いの傷跡を隠すように包帯を巻き、復讐を誓っていた。
幾つか似通った部分はあるが、根本的に違う点がある。彼らはゲオルギウスを追い詰めたが、自分はフィーニスを追い詰める事なんて出来やしなかった。それは余りにも大きな違いだとため息すら吐いてしまう。
「遠方の地から、エルドラドを見守って下さる13神にお願い奉る。今日、我らの同胞が御霊に昇ります。どうか、我らが兄弟に安息を与えてください」
村の神官がひび割れた声で追悼の言葉を口にする。何処かからすすり泣く様な声を背景に神官の言葉は続く。レイは耳で言葉を聞きながらも頭では別の事を考えていた。
それはネーデの街で会った人物を思い出していた。
『紅蓮の旅団』に所属しているファルナ、オルド、ロータス、カーティス。そういえば、ホラスとも言葉は交わしていないが、すれ違っていた。
防具屋のドワーフ族ワルグに、武器屋の巨人族フリオ。
結局名前を知る機会の無かったオルゴン亭の女将に、労働奴隷のリラ。
ギルドで出会った、ギルド長のハクシにジェロニモ。それに『聖騎士』のローラン。
そして、そして……そして。
自らの記憶と向き合うレイの耳は神官の追悼の言葉を素通りしてしまう。葬式に集中しなくてはいけないのに、それどころじゃなかった。
言いしれない胸騒ぎに吐き気すら込み上げていた。人目が無ければ、狂ったように喚き散らしていただろう。まるで火山から吐き出される黒煙のように、レイの心は言いしれない不安に押しつぶされそうになっていた。
レイは無意識のうちに、自分の腰に差してある武器へと手を伸ばそうとしていた。しかし、そこには何もなかった。衰弱した体に武器は重いだろうと外してきてしまったのだ。
しかし、レイは諦めなかった。
(聞こえているか、コウエン。君が僕の心の内に居ると言うなら、刀が無くとも声は届くはずだ)
確信はない。だけど、これしかなかった。足元が崩れていく恐怖から逃れようと、祈るように声を送る。
(……話がある。答えてくれ。姿を見せてくれ!)
―――瞬間。世界が切り替わる。
三度目の来訪にレイは驚かない。精神世界だからか、巻いてある包帯は消え、両方の足で立っていた。
無限大に続く滅んだ地平線を眺めていると、背後から声を掛けられた。
「良いのか。死者を御霊へと見送る大事な儀式の最中に、ここに来てしまって」
からかいが混じる声の持ち主は、溶かした銅の如き肌を持つ幼女、コウエンだった。彼女はぷかぷかと宙に浮かんでいる。
「ここじゃ、時間の流れが違うんだろ。聞きたいことを聞けたら、すぐに戻る」
「そうか。ならば申せ」
だが、レイの口は堅く閉じてしまう。尋ねる内容は決まっていた。それがどれ程愚かな質問なのかはレイ自身理解している。だけど、それを尋ねる事が、どうしようもないほど恐ろしかった。自分の基盤すら崩しかねない質問だ。臆病にもなる。
それを察したのか、コウエンはため息を吐きつつ、先に口を開いた。八重歯がキラリと光る。
「そういえば。祝着の言葉。まだであったな。生還おめでとう、御厨玲」
その表情は言葉と裏腹に、レイを嘲笑う。
「仲間の命を費やした生還は初めてだったな。どのような気持ちだ。無かったことに出来ない命の重さは。それも自分で奪った命では無い。しかし、其方が奪ったともいえる命だ。格別であろう」
レイは答えることが出来なかった。まだ、胸の内にはナリンザを失った痛みがぽっかりと穴をあけていた。今まで、知り合いの死は無い訳では無かった。ファルナの死。リザの死。レティの死。シアラの死。
どの時も、レイは彼女達の死を正面から受け止める前に死に戻りをしていた。だけど、今回初めて仲間の死を受け止める事になった。取り返しのつかない遠い所へと消えた命。どうやっても生き返らない命。
当たり前の事なのに、改めて失った重さを突きつけられる。
「その上。其方は他にも失った物があるしな」
「……やっぱり、知っているのか」
コウエンは楽しそうに笑みを浮かべた。そして、手を振ると、いつの間にか古びた本を取り出した。それはレイのステータスを記した本だった。彼女はその中から目的のページを開くと、読み上げる。
「白髪化の進行に能力値の減少。イタミの累積。そして……ここだろう。其方が我に聞きたいという事は」
「ああ……その通りだ。答えてくれ、コウエン。僕は……誰を忘れた!?」
《トライ&エラー・グレートディバイド》が要求した三つ目の代償。
それは記憶だった。
エルドラドで出会った人物の中から一人。《トライ&エラー》から《トライ&エラー・グレートディバイド》に切り替えた際に記憶から消失させる。それが誰なのかはレイに決める事は出来ない。レイは誰を忘れたのかすら、分からない。少なくとも、リザ達の顔と名前は一致する。だけど、それ以外の、ここに居ない誰かの顔と名前を一人、忘れてしまった。
例えるなら集合写真の中から人が一人、忽然と消えたのだ。それが誰で、何処に空白があるのかすら理解できない。そもそも誰かが居なくなっている事すら理解できない。元となる集合写真という名の記憶が無いのだ。これでは比較できない。
体を休めている間、記憶を何度も遡っていたが、誰を忘れたのか全く手掛かりが無かった。しかし、法王庁の紋章を見て、ローランの事を思い出すと、連鎖的にネーデの記憶が蘇って来た。レイは記憶を遡っている間、一度もネーデの事を思い出そうとしていなかったことに、その時になって初めて気が付いたのだ。
まるで、ネーデの街での記憶が封印されているかのように思考が誘導されていた。
しかしここまでだ。ここから先はレイでは思い出せない。
だけど、コウエンは違う。
彼女はレイの記憶を事前に読み取っている。今の記憶と前の記憶を比べられる唯一の存在だった。ナリンザの葬式だとは承知の上で、レイは彼女から誰を忘れてしまったのか聞こうとしていた。
しかし、レイの希望は叶わない。
「ううむ。教えてやっても良いが、果たして今の其方が理解できるかどうかは保証しかねるぞ」
「どういう意味だよ、知っていることを早く答えろ!」
いまにもつかみ掛らん勢いで、コウエンに迫るレイ。だが、コウエンは全く動じず、むしろ憐れみの視線を送る。そして、彼女の小ぶりな唇が動いた。
「■■■じゃ。其方の記憶から消えた者の名は」
ところがレイには雑音しか聞こえなかった。彼女の唇が動いたのは見えたが、何と言ったのか聞こえなかった。
「……聞こえない。コウエン、いまなんて言ったんだ?」
問いかけに、コウエンは肩を竦めた。
「やはりそうか。……喪失とは、記憶を失うだけに留まらぬ。其方の認識すら阻害してしまのだろう。名を聞いても、理解できないとは手の込んだ呪いだ」
コウエンは言うなり、人差し指に炎を宿らせ、空中にさらさらと何かを描く。炎は軌跡を残して、宙に何かを描いたが、レイにはそれが黒い塊に塗りつぶされて何も見えなかった。
「いまここに、その者の名を記したが……その顔では読めなかったようじゃの。……これは直接顔を突き合わせても、その者を見る事すら叶わないかもしれん」
「そんな……それじゃ、思い出すことはできないのかよ!?」
「諦めよ。それが其方の選んだ選択だ」
レイの絶望は深かった。これでレイは二人を失った事になる。ナリンザと名前も分からない誰か。取り戻せない喪失だった。
厄介な事に、《トライ&エラー・グレートディバイド》はこれから先も使う可能性の高い力である。何しろ、即死するぐらい力の差がある相手に有効な力だ。怪物揃いの『七帝』や六将軍相手では、出し惜しみは出来ない。
しかし、使えば代償として誰かがレイの記憶から、認識から消えてしまう。ファルナが、オルドが、ロータスが、ニコラスが、ホラスが、マクベが、オイジンが、カーティスが、カーミラが消えるかもしれない。
―――それどころか、リザやレティ、シアラやエトネも消えるかもしれないのだ。レイの記憶から、認識から。
「そんなの、そんなの、あんまりだろ!?」
手に入れた力と、その代償は釣り合いが取れていなかった。それでもレイに配られた手札は限りがあり、それを使って勝利するしかなかった。誰を失うのか分からない恐怖に膝を屈すると、コウエンが大地に降り立ち、レイに向けて言葉を投げかけた。
「誰かを救うために力を使えば、下手をすればその誰かすら記憶から失う。戦う理由を、救う対象を失っても、其方は戦い続けるのかどうか。楽しみですらある。……其方には地獄が良く似合っている。この滅びた風景と同じようにな」
それは酷く優しげな声だった。
いつの間にかレイの意識は広場へと戻ってきた。視線を左右に振っても、乾いた大地も、澱んだ空はどこにもなかった。あまりのショックに、戻ってきていた事すら気が付かないでいた。
「御霊にて安らかに眠れ、我が同胞らよ。さすれば其方らの次なる目覚めは、きっと穏やかなものとなるだろう」
神官が追悼の言葉を述べ終わったのが合図だったのだろう。レティを含めた四人の娘たちが、掲げていた松明を傾け、櫓に火をつけた。
火はゆっくりと櫓を燃やしていく。次第に上へ上へと昇って行く火はナリンザの遺体や人形を飲み込んで、一個の炎へと変わっていく。
知らず知らずのうちに、レイの目から涙が雫となって落ちていく。拭う端から零れていく。
横ではリザとシアラが静かに嗚咽を漏らし、エトネが大粒の涙をぽろぽろと流しながらレイの袖口に顔を埋めていた。櫓の炎に照らされたレティの横顔は溢れる涙を堪え取り乱そうとしない立派な姿だった。
ダリーシャスは背筋を伸ばしたまま、燃えるナリンザの遺体をじいと見つめていた。涙を流さず、別れを告げるかのような眼差しだった。
燃え上がる櫓から発せられた煙が、澄み切った青い空へと昇って行く。
どこまでも。どこまでも。
ふと、その煙の中にレイはナリンザの姿を見た気がした。
あの艶やかな琥珀色の瞳が優しげに微笑んでいた。
そんな風に見えた。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回、5章最終話です。キリがいいので明日も投稿します。




