5-39 一太刀
「おや? 君はそこの人の連れか何かかな?」
白い悪魔が気軽な口調でふらりと姿を見せたレイに話しかけたのを、腕を無くし、足を折られたナリンザは痛みに喘ぎながらも耳が拾った。
圧倒的な実力の差だった。
例え、自分が万全な状態で挑んだところで、結果は変わらなかっただろう。それほど白い少年は強く、残忍だった。
人の皮を被る悪魔は嗜虐の限りを尽くし、自分を甚振るだろうと、倒れて動けないナリンザは、遠くない未来を予想していた。その予想は大まかに間違っていないはず。そもそも、対峙した瞬間に、その未来を感じていたのだ。
弱肉強食が世の理の世界。勝てぬ相手に挑んだ、弱かった自分が招いた結果だと諦めてもいた。
せめてレイだけは逃がそうと思い、勝てぬ相手に挑んだ。自分が手ひどくやられている姿を見れば、レイが逃げてくれると信じていた。そのための特攻であり、悲鳴であった。
例え、姿形が分からなくなっても悲鳴は届く。
しかし、ナリンザはレイを見誤る。誰かの窮地を見捨てられない人間が、ナリンザのこの状況を知れば、決して逃げる事は出来ない。
惨劇の舞台へとレイは上がった。
足音が近づき、倒れ伏すナリンザに対して何者かが覆いかぶさる。青い鉱石が逆光となり顔は見えないが、姿形はレイのはずだ。しかし、ナリンザは確信が持てなかった。
本当に目の前にいるのはあの少年なのか。
放つ雰囲気がまるで違った。つい先程までは、死に戻りという異端の力を持っていながらも平々凡々などこにでもいそうな冒険者だったはずが、自分の治療をする人物は冷たい刃のような危険な気配を放っていた。
青い鉱石によって照らし出されているのは間違いなくレイだった。
「に、逃げてください。いまなら、あそこの通路が通れます」
回復薬によって激痛が和らぐと、残った腕で通路を指差す。だが、レイはナリンザの言葉に従わなかった。ナリンザのポーチから回復薬を何本か拝借すると、彼女の傍から離れると、白い少年と向き合う。
レイの双眸は鋭く、白い少年を睨んでいた。白い少年は自分に叩きつけられる闘気を心地よさそうに浴びていた。
「嬉しいな。こんなに楽しめそうなのは何百年ぶりだろう」
指を鳴らすと、白い少年の背後に闇が壁を作る。それが矢の射出台になるのはレイが一番知っていた。コウエンを構え、ただ一言、告げた。
「お前を殺す」
それは途方もない宣言だ。数えるのも馬鹿らしくなるほど死を積み重ねてなお、ただの一太刀も浴びせる事の出来ない相手に向けて殺すと宣言したのだ。
白い少年は長髪で失笑を隠す。いくら闘気が鋭くても、言葉が勇ましくても、白い少年に取ってレイは生きのいい玩具。せいぜい最後まで楽しめればそれで十分だった。
レイは細い息を吐くと、一気に大地を蹴る。両者の距離は十メートル。普通に走ればものの数秒でゼロになる距離だというのに、レイにとってみれば大河を渡るのと等しかった。
「大変勇ましい言葉だ。せめてその大言に見合った足掻きを期待しているよ」
白い少年が軽く呟くと指がレイに向かって伸ばされ、小刻みに揺れた。合わせるように背後の壁に波紋が浮かび、中から黒い矢が射出される。
高速で飛翔する黒い矢は、ナリンザの動体視力をもってしても黒い線のようにしか見えない。まして、レイのレベルでは線すら見えないはずだ。
ところが、彼は身を投げ出すように三度。コウエンを振るった。
的確に、無駄なく黒い矢の先端に向かってコウエンを振るい、撃ち落した。走る足は止まらない。
「やるねぇ。それじゃ、消耗戦だ。何本目で君は膝を屈するかな」
嘲るような声色で少年は絶望的な未来を口にした。それが偽りでないのを証明するかのように、黒い矢が立て続けに何本も射出される。初撃に比べれば、いくらか遅い攻撃速度。レイの反射でも対応できるぎりぎりの速さだった。
それは偶然では無い。
立ち姿や武器の構え方、振り方からレイの実力を把握した白い少年は、レイがどうにか防げる程度の速度で矢を射出する。いわば、試練であり、余興だった。暇つぶしと言い換えても間違いでは無い。
初めの方はレイも反応して攻撃を防ぎきれるかもしれない。だけど、際限なく、休みなく繰り出される波状攻撃は容赦なく体力と集中力を奪っていく。一手、また一手と判断を間違えていき、小さなミスが積み重なっていけば相手の致命的なミスを誘う。
アリ地獄に飲まれていくような姿を白い少年は見たかったのだ。
だが、レイは無機質な、何の感情も見せないまま、無心にコウエンを振るう。彼我の距離は七メートル。撃ち落した矢の数はすでに七十八となっていた。
(驚いたな。まだ持つとは。読みが外れたかな)
白い少年は胸中で呟いた。レイの息も上がってはいるが、まだ迎撃に余裕があるのは明白。そこで白い少年は攻撃速度を一段階引き上げた。
ギアを上げたのだ。
その上、矢の射出する間隔も狭めていく。
白い少年の悪意を象徴するかのように黒い矢は四方八方から連続して、絶え間なくレイを襲いかかる。吹き付ける暴風雨のような、津波のような攻撃を前にしてレイは歩みを止めず、全て叩き落していた。
すり足で距離を縮めていき、遂にはレイと少年の間は五メートルまで縮まっていた。放った攻撃の数は百五十を超えていた。
白い少年の本気はまだまだ先だ。速度も、扱う数も、ケタ違いに先がある。だが、それでも余興の範疇を超えていたのは事実だった。
長髪の下に隠された顔は不満げに歪む。レイ一人を相手に手こずっているという現状が不満だった。
そこで、彼は一計を案じる。同時に射出された黒い矢の影に、レイを素通りする矢を仕込む。レイを素通りし、ナリンザを狙うと見せかけ、慌てたレイの背後から襲い掛かるのだ。
仮に、レイがその攻撃に気づかなかったとしても、背後からの奇襲は避けようがないはず。
白い少年の指が楽団を指揮する指揮者の棒のように振るわれ、黒い矢に悪意と殺意が籠められる。
レイは正面から襲い掛かる矢を立て続けに破壊する。だけど、死角に入り、脇を通り過ぎた矢には気が付かなかった。空いたスペースに向けて一歩足を踏み出した。そこが罠だと知らずに。
少年の指が揺れた。それだけで、レイの左隣をすり抜けた矢が折れ曲がり戻る。レイの無防備な背中に向けて迫り―――がき、と。弾かれてしまった。
「……なに?」
白い少年の当惑した声が上がった。レイは後ろから迫る攻撃を見向きもしないで、ただ一動作。龍刀コウエンの鞘を押したのだ。赤龍の鱗が混じる堅固な鞘は高速で飛来する矢に砕けるどころか、歪みもしなかった。代わりに矢が砕けてしまう。
レイは自分の背後に迫っていた脅威を振り返ることなく前へと進む。
ここでようやく、白い少年は得体の知れない悪寒を感じ取った。いまのレイの動きは反射や反応では説明できない。確実に、死角から迫る攻撃に無防備な背中を晒していた。なのに、鞘を押し込んだだけで、攻撃を防いでみせたのはあり得なかった。
白い少年は悪寒を振り払うように、攻撃を切り替えた。矢の射出は変わらず、しかし目くらましとして畳みかける。本命は足元に蠢く影だ。影は真っ直ぐレイの元へ向かう。意識を矢に集中させて、影で仕留めようとする。
影はレイの足元近くまで進むと巨大な刺となり、レイを斜め下から突き刺す―――はずだった。
レイは矢を振り下ろしの一撃で砕いたのと同時に、コウエンを地面に向けて突き刺した。そこにはちょうど、影が刺へと変化するところだった。変化の寸前にコウエンに貫かれて、影は霧散する。
間違いなかった。
この敵はこちらの行動を読んでいる。白い少年はその結論に至ると凶悪な笑みを長髪の下で浮かべていた。すでに彼の中に余興や暇つぶしと言った嘲りは無くなり、レイの事を敵と認識していた。
(ああ、実に良い! こんなに手応えのある奴は、三百年ぶりじゃないか!)
獰猛な笑みを浮かべた白い少年は指先を指揮棒のように大きな動作で振るう。それに合わせて、黒い壁は幾つもの波紋を浮かべ、あり得ざる数と速度を持って矢を放つ。
一つ一つがレイの体のどこを触れても、その瞬間に吹き飛ばす威力を有している。なのに、レイはその一つ一つを余すことなく叩き落していた。
その数、実に三百十八。残りの距離は四メートルまで近づいていた。
あり得ない話だ。
レベル五十台のレイが掠めただけで即死する一撃を余すことなく叩きつぶすのはあり得ない。それは《トライ&エラー》の蓄積でどうにかできる領域では無い。反応できないはずの波状攻撃なのだ。
銃弾に反応できない人間が銃弾に貫かれるように。
反応できない攻撃に人は何かすることはできない。
だから、この状況は本来なら、少し前のレイなら絶対に出来ない芸当だった。
―――つまり、種も仕掛けもあるのだ。
話は単純だ。
レイにできるのはたった一つ。
死を受け止め、次に生かすしかないのだ。
だから、彼は今も死を重ねる。
三百十八もの死を余すことなく受け入れ、三百十八回死んでいた。
そして。太腿を掠めた一撃で、下半身が吹き飛んだレイは三百十九回目の死を受け入れた。
★
正面から雨が降りつける。まるで散弾のような雨は黒く、体に当たる度に肉を抉る。時には雹が混じっているのか、黒い塊が手足を貫いて離さない。目を開けていられないほど激しい雨。血も雨に流されていき、レイの足元に溜まっていく。
しかし、レイは倒れない。降りしきる暴風雨の前に両の足で立ち、一歩も下がらない。
この雨を乗り切れば次の戦いが待っているのを知っている。
こんな所で負けてられないのだ。
★
そして時間が巻き戻る。
―――同時に、世界が速度を失った。
全てが遅い世界。レイは自分の太腿に迫る黒い矢に向けてコウエンの刃を下に向けて振る。先頭が砕けると、連鎖して棒全体がガラス細工のように砕け散る。
しかし、白い少年の波状攻撃は収まらない。レイに的を絞らせまいと、何度も左右に折れ曲がる矢が迫っていた。その数は十。
世界が速度を取り戻すのと同時に、レイは全身をハチの巣のように穴を開けて絶命した。これで三百二十回目の死だった。
★
そして時間が巻き戻る。
―――同時に、世界が速度を失った。
全てが遅い世界。レイは自分の全身に穴を開けようとする十本の黒い棒に対して、僅かにステップを踏み、後ろへと下がった。
一秒前のレイが居た場所に向けて、十本の矢は収束しようとする。そこに向けて、縦一文字にコウエンを振り上げた。
連続して砕け散る黒い矢たち。空いたスペースに向けてレイは身を投げるように進む。これで残りは三メートルだった。
これは本来の《トライ&エラー》では無い。
《トライ&エラー》が死亡時に戻せるのは『その日の午前0時、もしくは保有者が意識を覚醒した時刻』だ。この状況下でレイが死ねば戻るのはグラントスライムに投げ飛ばされた後になるはず。なのに、レイは死亡した直前へと舞い戻っていた。
それこそが―――《トライ&エラー・グレートディバイド》の効果に他ならなかった。
ステータス画面のポップアップを見たレイは、特殊技能の欄を開いた。いままでは《トライ&エラー》しか書かれていなその欄には、派生技能として《トライ&エラー・グレートディバイド》が記されていた。
書かれていた新しい技能の効果にレイは言葉を失った。そして、その代償に。
『このスキルは、《トライ&エラー》との併用はできない。こちらを選んだ状態で、スキル保有者が死亡した場合のみ発動。保有者が死亡した瞬間より五秒前に時間を巻き戻し、なおかつ感覚を引き上げて周りの光景をスローモーションに知覚できる』
つまり、《トライ&エラー》に《生死ノ境》が融合した姿といえよう。証拠のように、ステータス画面から《生死ノ境》は消失していた。
一つの力を得るために、一つの力を失った。
一見すると無敵に近い能力に思うかもしれない。即死の攻撃を受けた瞬間に時が戻り、その攻撃を時が遅い状況下でゆっくりと対処できるのだ。
だけど裏を返せばこれほどリスクの高い技能は無い。例えば、腕をきり飛ばされて、その時点で即死せず、五秒以上時間が経ってから殺されたら?
戻るのは腕を無くした時点だ。即死するような強敵でなければ無用の長物どころか、自分が不利になるだけの技能だ。
説明欄には、いくつかの注意事項が書かれており、《トライ&エラー》と《トライ&エラー・グレートディバイド》のセーブポイントは共有だと説明されている。つまり、《トライ&エラー・グレートディバイド》で瀕死の状態でセーブしたとして、《トライ&エラー》に切り替えても戻れるポイントは変わらないのだ。
その上、この技能はレイに三つの代償を求めて来た。
一つは髪の白色化に伴う能力値の減少。相対する白い少年にしてみれば奇妙な現象だろう。攻撃を叩き落すたびに、レイの白髪は面積を広げていくのだ。
もう一つはイタミの蓄積。そしてもう一つがあるものの消失だった。
レイは躊躇うことなく、使用する特殊技能を《トライ&エラー・グレートディバイド》にした。どれだけリスクが高かろうが、代償で何を失おうとも、死に向かって飛び込み、屍を積み上げようとも構わない。
因果を重ねた先で、白い少年を倒せればそれでよかった。
さながら、天に座して待つ神に対して、屍を積み上げて塔を築くかのようにレイは死を繰り返す。怪物を倒そうともがく。
ついに両者の距離は僅か一メートル。手を伸ばせば、刃が届く距離だ。
レイは死から戻った瞬間、速度を失った世界で叫ぶ。
「コウエン! 僕ごと燃やし尽くしても構わない。最大火力を出せぇぇえええ!!」
《承知ッ!!》
轟ッ、と。龍刀コウエンの刀身から大火が巻き起こる。それはかつてアマツマラを恐怖に陥れた赤龍のブレスだった。僅か一メートル先から、何の前触れも無く放たれた炎は矢を飲み込み、白い少年へと迫る。
「何て火力! まるで精霊の炎だな!」
白い少年はどこか弾む声で叫ぶと、指をならした。すると、彼の全身を覆うように黒い繭が展開された。レイの一撃を、空間を捻じ曲げて飛ばした繭だ。津波の如き炎は繭を飲み込むも、空間を捻じ曲げて、どこか別の場所へと飛ばされてしまう。
だが、黒い壁の方には転移能力が無いのか、炎を浴びて溶けるように消えた。龍刀から放たれる炎は広間の半分を燃やす。
地面すら溶ける炎の中でも黒い繭だけは変わらずに君臨していた。すると、龍刀から放たれる炎にも終わりが見え、それを見計らったかのように繭が溶けた。
「すさまじい威力だ。危うく、熱気だけで死ぬとこ―――どういうことだ」
白い少年が疑問の言葉を口にした。辺りを見回し、
「何処にもいない、だと」
そう、レイの姿が何処にも居なかったのだ。自分の正面に居たはずの白髪交じりの黒髪の少年は、煙のように消えていた。視線の先には倒れ伏すナリンザの姿のみ。
他は辺り一面炎の海が広がっている。白い少年はもしやと思い、上を見上げた。
だが、そこにも誰の姿も無かった。ただ、天井が赤く光っているだけだ。
―――瞬間、背筋が凍る。
虫の報せ、第六感、戦闘経験。とにかく、白い少年は自分に向けて放たれた濃い殺気を感じ、足元に這わせていた影を急速に伸ばした。
足から腹。腹から右腕が影に包まれる。そして、後ろに向けて裏拳を放った。
ガキン、と。硬質な物がぶつかり合う音が広間に響いた。
「……大したもんだよ」
感嘆の声が白い少年から零れた。これは正直な気持ちを口にした、偽りのない称賛だった。だけど、レイにそれを受け止める余裕はない。
何しろ、全身から蒸気が立ち上り、服は燃え、むき出しとなった肌は火傷が覆っているのだ。重度の火傷では無いが決して軽くも無い。
「まさか、この炎の海の中に身を隠すとはね」
白い少年の言葉は正しかった。レイはコウエンから炎を放ち、辺り一面を炎の海とした瞬間、その中に飛び込んだのだ。耐火ジェル代わりに、ナリンザの所有していた回復薬等を頭から何本も浴びていたが結果は御覧の通り。足元には溶けて形を保てなくなった瓶が落ちている。
白い少年の前でコウエンに喋りかけたのは、繭を出させるためだった。相手の視界を削り、その上で自分が何をしようとするのか、隠すためだ。
「だけど、惜しかったね。そのニホントウがどれだけ素晴らしくても、君の技量じゃ、この鎧は突破できない。それともまだ何か策はあるのかな」
白い少年の問いかけに、レイはニヤリと笑ってみせた。その笑みの意味を白い少年が理解する時間は無い。
なぜなら、轟音と共に、彼らの頭上が爆発したのだ。
「―――っ!? な、何をしたんだ!!」
白い少年がこれまでにないほどの驚きを上げていた。何しろ、縦長の広間、その天井全てに渡って埋まっている鉱石の爆発だ。天井その物が落盤するかのような威力だ。
レイが繭を出させた本当の狙いは、ダガーから打ち上げた紫電が鉱石に当たり、鉱石の変化を悟らせないためだった。
迫りくる爆風と爆炎と落石を前に、白い少年はレイから意識を逸らした。開いている左手を天に掲げると、足元から膨大な量の影を展開する。
それは広間全域を覆う蓋となる。上から降って来る爆風と爆炎と落石は影に飲み込まれ空間を超越して、何処かへと飛ばされていく。
影の蓋が覆う広間。残された光源はコウエンの吐き出した炎だけの状況で、白い少年は自分の右腕に掛かっていた負荷が無くなったのを感じた。
そして戦慄と共に、レイの作戦を悟った。
コウエンの炎も、上からの爆発も、全ては自分の意識をレイから離すための目くらましに過ぎなかった、と。
赤く燃え上がる世界で、レイは体を横に回し、全身を叩きつける勢いで白い少年に向けて刀を振るう。
―――積み上げた屍を蹴り上げ、遂に一太刀浴びせる。
読んで下さって、ありがとうございます。




