5-21 シアトラの迷宮Ⅳ
左手の法則という言葉がある。有名なのは、フレミングの、と頭に付くが今回とは全くの無関係である。よく、迷路の入り口から左手を壁に触れたまま、歩けば迷うことなく出口に辿りつくと言う。実際の所、左手だろうが、右手だろうが、平坦な迷路のスタートとゴールが迷路の外側にあれば必ずゴールに辿りつくので間違った理論では無い。
だけど、今のレイ達のようにスタート地点が迷路の中にある場合は、スタートに戻ってきてしまう事もある。レイとダリーシャスは三十分掛けて元の場所に戻ってきてしまった。
縦横無尽に入り組んだ通路はどこでどこに繋がっているのか全く不明だ。その上、ラミアが緩慢な動きではあるが巡回しているため、探索は遅々として進まなかった。
レイは進んだ順路を羊皮紙に書き込み、迷路を浮かび上がらせていた。
「これは参ったな。元の場所に戻るとは。……一応聞くが、幼子らが隠れている抜け道で迎えが来るまで待つという案は無いのか?」
ダリーシャスが思いついたように尋ねる。レイは視線を上げて、それは止めておくべきだと言う。
「多分、リザたちは子供らを上に送り届けてから、僕らを探しに来ます。だから、いつ助けに来れるか分かりません」
ダリーシャスはワザとらしく驚いてみせた。
「ほう! 主を置いて奴隷達が外に行くというのか。随分と悲しい間柄ではないか」
レイはダリーシャスの言葉に全く動揺することなく、
「それが一番合理的な考え方です。子供らを連れて下に降りる危険性を犯すよりも安全な方を取りますよ。……ナリンザさんはどうなのですか? 一人でアンタを探しに来るんですか」
「いや。それはしないだろうな。あれはああ見えて、中々懐の深い女だ。其方の仲間だけで上に行かせはしない」
ダリーシャスの表情にも微塵の揺らぎが無かった。そうするのが当たり前で、そうしているのだろうと言う信頼がナリンザに向けられている。
二人は揃って迷路を進む。曲がりくねり、分岐する道を警戒しつつ進む。
時折、鱗が擦れるような音がするたびに、足を止め、岩陰に隠れ息を潜める。レイ達が居た場所をラミアが緩慢な足取りで通り過ぎるのを待ってから再び移動を開始する。
ラミアらはまだレイたちの侵入に気づいていない様子だ。獲物を探す動きでは無く、自分たちの縄張りに異常が無いか見回っている最中なのだろう。おざなりな調査を掻い潜るのは簡単だった。
握りしめた羊皮紙が黒く塗りつぶされるたびに、手製の地図は完成へと近づく。
その分、レイは嫌な悪寒を背筋に感じていくのだった。
「どうかしたのか、レイ。なにやら難しい顔をしているぞ」
ダリーシャスの指摘通り、レイは手にした地図を睨みながら、眉間の間に皺を寄せていた。元々、隠密行動中という事もあり、口数は少なかったが、それでも無言が長く続くと、様子がおかしいのは明白だった。
レイは嫌な予感を振り払うように頭を振ると、地図をダリーシャスに差し出した。
「この空白地帯はまだ探索していません。次はここを重点的に調べましょう」
レイの提案にダリーシャスは頷く。
レイが示した空白地帯は地図の下の方の箇所である。二人の探索は抜け道の周辺を埋めていき、そこから外側へと広がっていくやり方だった。そのため、地図の上側は既に埋めてあり、漏らしている箇所は無かった。
険しい表情は変わらず、レイはダリーシャスと共に空白地帯を埋めていく。
壁に手を当て、迷わないように目印を刻み、歩を進める。
そして、一際開けた広間の入り口に辿りついた。
「頭を下げて!」
レイが鋭く指示すると、ダリーシャスはその場に倒れる。胸を打ち、息苦しさを感じるものの、咽るような真似は根性で堪えた。
ダリーシャスと同じように腹這いになったレイは匍匐の状態で入り口ににじり寄ると、伏せた姿勢のまま前方を睨み、うめき声を上げた。眼前に広がる光景に顔を青ざめさせていた。
レイ達が辿りついたのは、三階層にて辿りついたのと似た、円形の広間だ。天井に埋まった青い鉱石が発光し、部屋自体が青く輝いている。その輝きの下、紫がかったラミアたちが屯していた。数は十体近く居る。
眠っている者もいれば、取っ組み合いの喧嘩をする者もいれば、石柱らしき岩の塊を砕き、鬼女の顔で噛み砕いている者もいる。どれもこれも暇を持て余している様だ。その中で、一際大きなラミアが居た。他のラミアよりも頭一つ抜けて大きなラミアは広間の中央で体を横たわらせ、ラミア同士の喧嘩を観戦している。あれが、ラミアたちのボスかと、レイは見当づけた。
レイと同じ要領で入り口ににじり寄ったダリーシャスもまた呻くように呟いた。
「なんとまあ、中級モンスターがこれほどの数が居るとは。……厄介だな」
レイとエトネ、そしてダリーシャスの実力では同時に戦えてラミア二体までが限界だ。それが十体も入れば、どれだけ苦戦するかは想像もしたくなかった。ところが、レイはダリーシャスの言葉を否定するように首を振った。
「そいつはこの際どうでもいい問題ですよ、ダリーシャス」
この数のモンスターをどうでもいいと評したレイにダリーシャスは驚いた。どういうことだと視線で問いかけるダリーシャスに向かってレイは告げた。
「この広間の奥に、階段があるのは見えますか」
ダリーシャスは目を細め、広間の壁を順に見た。幾つか切れ間はあるが、そのどれもが通路と繋がっている。その中の一つに階段と思しき影が見えた。
「そう言う事か。この広間を突破しなければ、階段には辿りつけないという事か」
唸るように言うダリーシャス。だが、レイはそれも違うと否定した。
「なんだと? 其方は何を言っているのだ。何をそれ程気にしているのだ」
レイは弱り果てた表情のまま、ダリーシャスに回答を告げた。
「問題は、あの階段が下りの階段だっていうことなんだよ」
刹那の間、ダリーシャスはぽかんとした表情を浮かべ、次第に端正といえる顔を激しく歪める。
「待て待て待て! それじゃ、まさか。いや、しかし、そんな事があるのか!?」
動揺するダリーシャスの肩を強く叩き、落ち着かせるレイは、
「それを確かめるためにも、他の未探索の場所を回ります。急いでこの場所を離れますよ」
と、告げるなり、静かに後ろへと下がる。慌ててダリーシャスは続く。この状況で冷静になれるレイに尊敬すら混じった視線を送る。
しかし、レイもまた動揺する自分を抑えられないでいた。
(クソったれ。まさか、上に繋がる階段が無いなんてこと、ありえるのかよ!)
広間から離れたレイ達は音も無く立ち上がると、再び探索に戻る。自らの胸の内に湧き出た不安を掻き消そうと必死だった。
だけど、彼らの不安は的中していた。
広間を離れてから一時間近い時間を費やし、レイ手製の地図は完成した。まるで絡まり過ぎて解けなくなったかのような網目状の迷路に、未探索の場所は無い。ある意味自信作である。
地図の上半分は主に通路のみで構成された迷路だった。幾つにも分かれた道が、どこかしらで再び繋がり、循環するように構成されている。そして下に行くにつれて、道は三つに絞られ、ある場所に到達する。
レイがラミアの広間と名付けた場所だ。三つの通路と繋がっているこの広間の最奥にしか階段は無い。
それも、下に降りる階段だ。どれだけ探しても上に繋がる階段は見つからなかった。
エトネたちの待つ抜け道へと戻る途中、ダリーシャスが問題点を指摘するように纏めた。
「つまり、この場所から上の出口を目指すには一度下に降りてから、上に戻る必要があるのだな」
「その通りです」
ダリーシャスの疲れた声にレイの投げやりな声が重なった。探索すれば探索する程厄介な現実が浮き彫りになり、精神が消耗していた。
「そのためにはあの広間を抜ける必要がある、と。これは中々厄介な場所に転移した物だな」
「全くですよ。その上、厄介なのはもう一つあります」
不思議そうに首を傾げたダリーシャスに、レイは地図を畳みながら説明する。
「リザ達が僕らを探すには、この階層の下まで来てから、一度上に戻る必要があるんです。でも、一度通り過ぎた階層の別ルートを探すには他の場所を確認してからじゃないと二度手間になりかねません。だから、自然と探す時間は長くなり、合流が遅くなります」
「こっちに食料や水が無い状況で、時間がかかるのは不味いな。俺達はまだしも、子供らに水が無いのは体も心も疲弊していく」
レイ達と合流したマリオンたちは、家から持ってきた水や食料を全て使い果たしていた。レイ達も水や食料をレティの担ぐバックパックの中に置いて来てしまった。手荷物を少なくしようとしたのが裏目に出た。
一般的に大人の体格なら水を一滴も飲まずに四、五日は持つと言われている。だけど、それは身動きも取らずにじっと待っている状況ならばだ。
モンスターに動けなくなった所を襲われれば、死ぬしかない。体が戦闘に耐えられるまで残り時間はあと二日程度だろう。
さらに、子供の体格ならその半分、一日で脱水症状に陥るかもしれない。ただでさえ、湿気が酷い迷宮。今も歩いているだけのレイ達の首筋に汗がいくつも流れ落ちる。
「半日。子供らが満足に動けなくなるまでの残り時間はそれぐらいでしょうね。そこを過ぎたら、動けない子供たちを抱えて立ち往生しちゃいます。それまでの間に、せめてこの場所を突破したいんですけど……どうしたもんか」
レイは流れる汗を拭いつつ、この窮地をどう乗り切るのか考えていた。
「あの者らには、後でまた来ると言って、我らだけが下に降り、上へ向かうのはどうだ」
「あの子たちを置き去りにするんですか。……納得はしないでしょうね。いくら抜け道がラミアに見つかっていないからって、ここは迷宮。僕らが居なくなった後の子供たちが精神的に追い詰められてしまいます。それに問題は別の所にあります」
「ラミアの広間をどうやって突破するか、か。むう、俺は範囲攻撃魔法の類は使えん。其方の方は……同じか。だとすれば、火力が足りんな」
レイ達はどうやってこの階層を突破するのかを話し合いながら進んでいた。抜け道の付近は幾度か通った事で慣れた場所だった。巡回するラミアたちの場所も大よそで掴んでもいた。だから油断していたと言っていい。
その油断は何時だって命取りとなる。
―――世界が速度を失う。
レイは瞬時に、何が起きたのか気づいた。
《生死ノ境》が発動したのだ。あと数秒もしない内に、自分は死ぬ。問題は何によって死ぬかだった。レイは時の流れが遅くなった世界で意識を集中させた。前後左右どこにも敵の姿は無い。数秒後に迫る脅威に気づかず、暢気に歩いてくるダリーシャスしか周りに居ない。
(前後左右に居ないなら!!)
レイはその結論に達したと同時に、後ろに向かって跳んだ。背後で歩いていたダリーシャスを背中で押す形になるが、気にする余裕はない。
そして、世界は速度を取りもどした。
「な、何をするのだ!」
ダリーシャスの抗議の声は、同時に響く轟音によって掻き消える。つい先程までレイが居た場所目がけて、巨大な塊が頭から落ちてきたのだ。風圧が口を塞ぐ。舞い上がった土埃が視界を覆う。
「何が起きているのだ!」
「馬鹿な質問はしないでくださいよ。こんな大胆な登場、相場が決まっているでしょ」
誰何の声を上げるダリーシャスにレイは淡々と返す。一方で、自らの精神を高揚させ、思考は冷徹に戦闘へと切り替える。
「キシャアアァ!」
鋼を削るような甲高い叫び声と共に、土埃を破ってラミアが姿を現した。禍々しい双眸はレイとダリーシャスを睨んでいる。
「モンスターが現れるってね!」
レイは叫ぶと、先手を打たんとファルシオンを振りかざした。狙いは人の上半身と、蛇の下半身の境。だけど、それを読んでいたようにラミアの腕がファルシオンの剣を受け止めた。
ガキン、と甲高い音をたて、刃は鱗に阻まれる。レイが力で刃を押し込めるが、鱗は侵入を拒む。すると、今度はこちらの番だと言わんばかりに、ラミアが空いた腕で、レイを殴り飛ばした。
態勢を低くした、下から上に向かって突き上げるようなアッパーはレイの腹に突き刺さる。
「ぐふぅ!」
うめき声と共に、レイの体は天井へと叩きつけられ、背中が岩壁から伸びた突起を砕く。
そのまま重力に従い落ちるレイに向けて、ラミアは尾を振りかざす。丸太のような太い尾をくらえば、ダメージは大きい。だけど、落下中のレイには防ぐ手段は無い。
せめて精神力を纏わせようと身構えたレイ。ところが。
「させるか!」
ダリーシャスがその身で、尾に覆いかぶさったのだ。ラミアは引き剥がそうと、尾を振り回すが、ダリーシャスはしがみ付いて離れなかった。レイはそれを好機と見た。空中で身を翻すと、腰に差したダガーを抜き、雷撃を走らせた。
すれ違いざまに放たれた紫電は狙いを外さず、ラミアの顔に直撃した。
「ギャアアアア!」
絶叫が迷宮に響く。レイが着地を決めるのと、ダリーシャスがラミアの尾から離れたのは同時だった。
「おい、レイ。どうして、ラミアが上から降って来るんだ!?」
チャクラムを握りしめたダリーシャスがレイに尋ねる。
「さあ? 大方、天井に張り付いて僕らを待ち伏せしていたんでしょうけどね」
レイは上を見上げ、自分が砕いた天井を睨む。そこには風などで削れた岩壁の突起がいくつも伸びていた。このモンスターの膂力ならレイ達を天井で待ち伏せする事も可能だろう。
「ジャアアアア!!!」
再び絶叫がラミアから放たれた。耳をつんざく咆哮はレイ達の体を震わせる。息を荒くしたラミアの鬼女めいた顔は雷撃により醜くただれ、より一層、鬼の形相へと近づいていた。
針金のような髪が乱れ、怒りの感情を振りまいている。両腕の筋肉が膨張し、尾が力強く迷宮を叩く。
ラミアの体が一回りは大きくなったかのように見えるのは錯覚では無いはずだ。
「……いかんな。これは不味い」
ダリーシャスが困った風に呟くのをレイの耳は捉えた。どういうことかと、視線を向けると、ダリーシャスは後ろを指差した。
レイにも遅れて理解できた。後方の迷路から、這いずる音がいくつも聞こえてきたのだ。まだ遠いが、いずれこの場所に他のラミアが来てしまう。
「仲間を呼んだのか、仲間が異変に気づいたのか。どっちにしろ、残された時間はあまりないようですね」
「うむ。さっさと、こやつを倒して、抜け道に戻るとしようか」
レイとダリーシャスは軽口を叩きあうと、揃って動き出した。それを迎え撃つかのように、ラミアは両腕を広げた。
読んで下さって、ありがとうございます。




