閑話・戦奴隷たちの修業 シアラ編 『後編』
暗黒期までの魔人種の立ち位置は芳しい物では無かった。
獣人種のように奴隷狩りに遭っていたわけではないが、その強さを見込まれ傭兵稼業を種族全体で行っていた。
魔人種たちは常に寒波が吹き荒れる、北方大陸の厳しい山に暮らしていた。灰色雲が蓋をして、春も碌に日が差さない凍てついた大地。辛うじて開墾できるすそ野を使って麦などを育てるが、国民全員の口には入らない。一度でも不作の年が出れば、国の存亡に関わる程厳しい環境。目立った資源も無い為、彼らが生き残る手段は外にしかない。
長命の種族の為、人口統制も兼ねて、一定の年齢に達した者は故郷に残った家族を食べさせるためにと国外へと出稼ぎに出る。しかし、これといった伝手も無く、生まれ持った資質が戦闘に向いていたこともあり、外に出た者達の殆どが戦士や傭兵、冒険者となり、危険を背負って金を稼ぐようになる。次第に魔人種という種族は強者の代名詞として世界中に知られるようになった。
なにしろ、強靭な肉体。旧式魔法に対する高い適正。鍛えれば鍛えるほど際限なく伸びて行く能力値。どれもが他の種族を凌駕していたのだ。それだけに危険なモンスターの駆除や、無関係な戦争への参加など、命を削るような難しい仕事が多く回ってきた。厄介な事に、そのどれもが、リスクに見合っただけの報酬が手に入るため、彼らは進んで請け負う。
広まった名声を凌駕する勢いで、彼らは金のためなら何でもする一族だと蔑視の対象となっていく。
それでも彼らは十分だった。
故郷に残った同胞たちが満足に暮らしていけるだけの金が手に入るのなら、どんな風に呼ばれようとも不満は無かった。
そんな時だった。
人龍戦役が始まった。
人間と龍の互いの生存を賭けた大決戦。
当然、魔人種たちもその戦役に参加する事となる。世界各地に散らばっていた魔人種たちを一つの軍としてまとめ上げたのは後に『魔王』と呼ばれるようになる男だった。彼はその世代において初めて魔人と成り果てた存在。肉体は年を取らなくなり、代わりに強大な力を振るえるようになった。力を産業としていた魔人種にとってみれば、ある種の現人神として扱われていた。世界各地に散らばっていた魔人種は、男の元に集結し、世界のために戦ったのだ。その中にはゲオルギウスやクリストフォロスも居た。
龍という災禍を前にして、人間たちは一致団結し、見事勝利を掴み取った。
残念ながら龍を全て駆逐することはできず、『龍王』を含めた幾らかの龍たちを逃してしまったが、龍が組織立って行動するだけの力をそぎ落とすことに成功した。それは勝利と言い換えてもいいほど、十分な結果だった。
―――ある問題を除いて。
逃亡した『龍王』たちは北方大陸へと逃げ込んだのだ。大地から離れ、人間から離れる為、天を貫く山を目指した。龍たちは安寧の地を求めるあまり、道中の街を、国を滅ぼして、一目散に北上した。
その途中に、魔人種の国があった。
国に残っていたのは魔人種の中でも年老いた者や、まだ戦える年齢に達していないか、そもそも戦いに向いていない女子供ばかりだった。凱旋した『魔王』たちが見たのは凍り付いた大地すら溶かす煉獄が国を燃やしている光景だった。
その悲惨な地獄が起きた原因を『魔王』は人間の連合軍のせいだと糾弾した。
ワザと『龍王』を北に追い詰め、国を焼かせたと。
それが真実なのかどうかを証明する手段は誰にも無かった。ただ、事実として、連合軍が最後の詰めでしくじって、手負いの『龍王』を北に逃したのは事実だった。
結果として、魔人種たちは連合軍より離脱し、そのまま人魔戦役へとなだれ込んだ。
「魔人種とそれ以外の人間が対立し、人龍戦役の戦禍が癒えてない内に始まった魔人戦役。その中盤。エルフを含めた人間の連合軍は敗北していた。『魔王』が率いる六将軍、そして、寡兵なれど一騎当千の強者ばかりの魔人種に追い詰められていた」
サファは苦々しい口調で、過去を振り返った。
当時のエルフ族も、人龍戦役の際に世界の危機に対して、連合軍に種族事参加していた。その中にはサファも居り、『魔王』とは肩を並べて戦った事もある。
「『魔王』が行った世界規模の環境改造。高濃度の汚染された魔力で大地を汚し、魔人種以外は生存する事すらできなくなるという魔界の作成。連合軍の抵抗もむなしく、魔王は殆ど勝利を掴んでいた」
緊迫した静寂が包み込む学舎の中。シアラは整った顔立ちを強張らせていた。期せずして、サファと二人きりになった上、自分の正体すら露見されてしまったのだ。命の危機に立たされていた。
「それを崩したのは他でもない。同胞にして、命を預けていたと言っていい六将軍だった……それが第三席カタリナ。魔王の心臓を奪い、特殊技能を奪い、魔王を弱体化させた魔人種最大の裏切者。……てっきり、娘の貴様は処刑されたと思ったがな」
シアラは細く息を吐くと、出来る限りの平静を装う。せめて最期まで足掻こうと虚勢を張る。
「……それで?」
「それで? それでとは?」
「アンタの察した通り、ワタシは六将軍第三席カタリナの娘。三百年間、ゲオルギウスの掛けた魔法によって時の流れが違う氷の中で閉じ込められていたの。……そんなワタシに何の用なのかしら?」
薄い胸を張り、シアラは腕組みをして威嚇するように顎を上げた。サファは萌黄色の瞳をすぼめると、無言になった。
両者の間に張りつめた空気が流れる。シアラは体をピクリとも動かせず、冷たい汗が背中を伝うのを感じていた。
どれだけ時が経ったのか。シアラにしてみると一時間に感じられたが、視界の隅に置いてある時計は五分も過ぎていなかった。
沈黙を破ったのはサファだ。
「何も。……何もする気は無いぞ」
「……はぁ? ……何それ?」
思わず、シアラは砕けた口調で聞き返した。サファは気を悪くするどころか、むしろそのような口の利き方をされたのが久しぶりで、むず痒さを覚えていた。
「貴様がエルフに悪意を持って何かをしようとしているなら、即刻首を刎ねていたが、この三日そのようなそぶりはついぞ見せなかった。なら、俺も貴様に何かする道理はない」
「でも、ワタシは魔人種で、六将軍の……それもカタリナの娘なのよ!?」
シアラはそう口に出すと、胸の奥でずきりと刃に貫かれたような痛みを感じていた。生まれてから、殆ど顔を合わせて来なかった母。非戦を訴える父を捨て、戦争に参加した母。六将軍としてエルフのみならず、人族やドワーフや巨人、ハーフリング、それに獣人種にもありとあらゆる災禍を齎して憎悪された母。そして、同胞からさえも蛇蝎の如く怨まれる母。
名前を口に出しただけで、心が痛む。おぼろげにしか記憶されていない顔を思い出そうとすると、心が痛む。
世界から憎まれた女。それがシアラの母親だった。
「アンタが人魔戦役に参加して、あの女の事を知っているなら、それだけでワタシを殺す理由になるでしょ!」
いつの間にか、シアラの双眸から涙が雫となって落ちる。父の死後、母が裏切った事で同胞から受けた仕打ちをシアラは今でも覚えていた。勝利が間近に迫っていた魔人種は魔王の弱体化により瞬く間に動揺し、彼方此方の戦線で押し返されたのだ。
個々人の戦力は高くとも、数で劣っていた魔人種は短期決戦に全てを掛けていた。電撃戦や奇襲に強襲。持ちうる戦力を湯水のようにつぎ込んだのも全ては魔界成立のためだった。それが中途半端な形で成功してしまった事で、混乱した魔人種たちは数で勝る連合軍に押し返されていったのだ。
非戦を掲げる父の同志に助けられていなければ、シアラは死んでいた事だろう。
その恩人たちも母への憎悪を滾らせたゲオルギウスによって殺されてしまったが。
シアラは目の前にいるサファがかつて自分に憎悪をぶつけてきた者達と被って見えていた。
しかし。
「……貴様。随分とまあ、心がひん曲がって成長したな」
サファは心底呆れたかのような口調で言う。唐突に言われて、シアラの涙が途切れた。
「アレクサンドの足にしがみ付いていた時は、純粋無垢という言葉を体現したかのように可愛らしかったのに、全くもったいない」
「い、いつの話をしてんのよ!」
「人龍戦役が終わった祝賀会の時だ。お前はあの時……幾つだった?」
「……41、2歳よ」
人族で換算すれば8歳程度。今のエトネぐらいの年齢だ。
「それが今ではこんなに可愛げが無くなるとは。貴様に何があったかは想像の域を出ないが、それでもそれなりに悲惨だったとは思う。だが、今の貴様をアレクサンドが見たら嘆くぞ」
「うっさいわね! アンタに可愛げがどうのと言われたくないわよ」
アレクサンドはシアラの父の名前だ。人族でありながら高位の魔法使いだった父は人龍戦役の際に連合軍に参加し、サファや『魔王』、それに母とも肩を並べて龍と戦っていた。
幼いころのシアラは戦争が終わるのを家で待つ日々だった。それがある日、戦争が終わり祝賀会に呼ばれたと父が家から連れ出して、連合軍の城へと連れていった。
今でもシアラの脳裏には、あの日の事が色濃く、鮮やかに刻まれていた。
荘厳な音楽が流れ、煌びやかな装飾のなされた大広間。歴戦の勇士たちが集まり、長かった戦争の苦しみや悲しみを吹き飛ばそうと笑い合い、酒を飲み交わしていた。人間種や獣人種の王や貴族たちがこぞって、父に対して感謝の言葉を述べたり、同じ戦場に立った戦士たちが、父がいかに勇敢だったのかシアラに語りかけていた。
その中にはサファも居た。
そして、その祝賀会の最後に『魔王』による一方的な宣戦布告が行われたのだ。
その時の父の横顔をシアラは生涯忘れる事は無い。老境の域に達した父は、深い皺に悲壮さを滲ませていた。止める事が出来なかったのを悔いていたようにシアラは感じていた。
「……おい、急に呆けてどうした?」
「―――な、何でも無いわよ」
シアラはサファの呼びかけによって、過去の思い出から帰ってきた。頭を振って、胸に湧き出た悲しみを追い払った。
「ふん。……まあ、いい。……貴様に何かしたところで、今更失った者は帰ってこない。そもそも、親の罪を子に背負わせる方がどうかしている」
「―――え?」
サファはどこか理知的な輝きを瞳に宿らせると、信じられないほど穏やかな声で告げた。
「貴様は貴様だ。親の罪は決してお前の罪では無い」
「っ!!」
シアラはまたしても涙を流した。しかし、今度の涙の意味は全く違った。
ぽろぽろと堰を切ったかのようにとどまる事を知らない滂沱の涙は机を濡らす。手は涙を拭うよりも嗚咽を堪えるのに必死だった。
サファは困ったように頭を掻くと席を立った。
「泣かすつもりは無かったのだがな。……司書には俺から言っておく。泣き止むまで此処に居ろ」
それだけぶっきらぼうに告げると、サファはシアラに背を向けて立ち去ろうとする。
すると。
「あ……ありがとう、ございます」
去りゆく背中に向けてシアラは頭を下げた。嗚咽で震える礼の言葉が何に対する感謝なのか、それは発したシアラ自身よく分かっていなかった。
だが、それだけは伝えたかったのだ。
サファは何の返事をすることなく学舎を出ようとするも、ある人物と出会ってしまい、足を止めた。
出入り口で中の様子を伺っていたブーリンだった。
「里長。のぞき見とは趣味が悪いな」
「サファ殿こそ。虚言を吐くとは趣味が悪いのでは?」
ブーリンの言葉にサファは片眉を上げて反応した。すかさずブーリンは言葉を重ねた。
「最初はあの娘御を斬るつもりでこちらに来たのではなかったのですか?」
サファはブーリンの言葉を否定しないで沈黙した。その沈黙こそがブーリンの言葉を裏付ける証明だった。
そもそも、サファは最初からシアラの正体に気づいていた。金色黒色の瞳に紫がかった黒という髪色。たとえ歳が合わなくても一目見た時から、アレクサンドとカタリナの娘だと見抜いていた。
アレクサンドはともかくとして、カタリナや六将軍、そして魔人種に対してエルフ族の中で人魔戦役を経験した者は皆、並々ならぬ憎悪を抱いている。
もちろんサファもその一人だ。
かつて共に戦った盟友の忘れ形見とだとしても、一族が被った爪跡の方が深く、重い。何しろ隠れ里が一つ、カタリナの手によって滅ぼされたのだ。エルフの『守護者』と呼ばれているサファにとって、忸怩たる思いだったはず。
ブーリンが学舎の中を様子見していたのも、サファからシアラの正体を聞いた時点で、彼が少女を手に掛けるのではないかと危惧していたからだ。
「……そのつもりだったのだがな。……あんな姿を見せつけられれば、殺す気も削がれるというものだ」
「あんな姿? 涙を流す姿の事ですかな?」
ブーリンの問いかけにサファは首を横に振る。彼は無言のまま、この三日間のシアラの姿を思い出していた。
この本に囲まれた学舎の中で、シアラは文字通り寝る時間を削って、魔法言語と向き合っていた。朝も昼も夜も無く、横になって眠ることなく只ひたすらに魔法と魔法陣に関する本を読みこみ、時折、エルフの訓練所に赴いては実践して、知識を血肉にしていく。魂すら削る姿を見ているうちにサファの胸中に変化が起きた。
「一度は世界中から憎まれた少女が、一時とはいえ主を持ち、その者の力になろうと必死になっているのだ。……その魂がどのように導かれるのか、少し、興味が湧いた。それに……」
「……それに?」
言葉を区切ったサファはブーリンの問いかけを無視して、学舎を出た。里長は『守護者』の横柄な態度をいつものこと思い流した。
サファは言葉に出さないまま、胸中で呟いた。
(そんな女が懸命に尽くそうとする、小僧の方にも興味が湧いたしな。……やはり、『招かれた者』なのか。それとも別の理由があるのか。……さっさと出てこい、小僧。貴様の奴隷たちは貴様の力にならんと懸命に努力しているぞ。お前があの者らの主を名乗るなら、その心意気に応えてやらんか)
サファは此処に居ない、レイへと呼びかけた。その呼びかけはまだ届かない。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回更新は木曜日頃を予定しております。




