閑話・戦奴隷たちの修業 レティ編
「もー! 聞いてください。お姉ちゃんたら、昨晩……というか、真夜中すぎてやっと帰って来たと思ったらボロボロ。ばったりと倒れるように寝て人を心配させたら、朝にはけろっと完全に回復して、やる気満々で飛び出したんですよ!」
「元気なお姉さんじゃないか」
「元気すぎるのも考えものです。いくら揺すっても起きないから、体を拭いたり、治療とかしたのに、まーたボロ雑巾のように帰って来るのかと思うと。心配する側の気持ちも考えて欲しいですよ」
「……それでも、律儀に世話をしているじゃないか」
「はい? 何か言いましたか?」
「いや、別に」
エルフの隠れ里、二日目。
里の治療所に姿を見せたレティは挨拶もそこそこに、アリテュスを相手に姉の愚痴を零していた。アリテュスはその愚痴に対して律儀に返答する。
アリテュスを知る者はその姿に目を剥いた。アリテュスは里一番のヒーラーとして有名なのだが、人付き合いが苦手な事もあり、エルフたちの中でも浮いた存在だった。口数が多い訳でも無く、積極的に話しかける訳でも無い。いつも、学術書と献体と向き合う根暗なエルフ。それが彼女に対する周りのイメージだった。
それが一日、いや、正確にはわずか半日にも満たない時間でレティはアリテュスとの距離感を詰めていた。その証拠に調合室に入る前に手洗いや白衣に着替える際も、背の低いレティの補助をアリテュスは買って出ている。
「それに、お姉ちゃんってばエトネも連れていっちゃたんですよ」
「エトネって……ああ、ハーフの子ね」
「そりゃ、エトネを独りぼっちにさせる訳に行かないのも分かるけど……だからって脳筋たちの集まりに放り込まなくても」
「でも、その子、文字が読めないんでしょ。だったら、もう一人の子のように学舎に連れていけないし、それに……この場所に連れてくるわけにもいかないからね」
手袋とマスク、そして髪を覆う手拭いを巻いて白衣を着込んだ二人は調合室へと踏み込んだ。さして広くない小部屋。人が十人にも入れば足の踏み場もないような狭い室内。
そもそも、この部屋の主は人では無い。棚に並べられた無数のガラス瓶。その中には木の根を乾燥させた物や、虫から採取されたエキスを詰め込んだ液体、貝殻を細かく砕いて薬液に漬け込んだ物などが鎮座している。
この棚に並べられた生薬こそ、この室内の主だ。
生薬と書くが、生のままで使う事は無い。薬効成分の高い部位だけを切り取り、長期保存が出来るように乾かし、用途に合わせて成分を変化させ、人体に吸収しやすくする。
そのために、室内の至る所に、加工のための機材や設備が置かれている。
危険な薬品も扱う関係上、幼子の立ち入りは許可されていない。
エトネとそれほど年の変わらないレティが立ち入りを許されているのは、彼女がこの部屋の重要性と危険性を理解しているからだ。
「それに、あっちの部屋に入ったら、卒倒するかもしれないし」
「あはは。……確かにそうかもしれませんね」
レティはアリテュスが指し示す方へと視線を向けて乾いた笑みを浮かべていた。診察室とは別の部屋への出入り口。そこは調合室とは違い、ヒーラーにとっての教材が置かれている部屋だ。
そもそも、回復魔法とは何か。
学の無い者は単に「傷を癒す魔法」と答える。
その捉え方は間違っていないが、しかし、正確では無い。
回復魔法とは「対象に備わっている回復力を促進し、傷が自然に癒えるまでの時間を短縮させる」のと「損傷した肉体を復元させる」の二つの意味が存在する。
例えば、レイがゲオルギウスとの戦いで負った右手首の傷。魔人の純粋な握力によって手首は握りつぶされた。肉は弾け、血管は千切れ、神経は剥きだしになり、骨も折れた重傷だった。
果たしてその状態の傷が、時間経過によって自然に修復できるかどうか。
答えは否だ。どれだけ長い時間が経っても、それだけの重傷は自然治癒されない。むしろ、切断しなければ、本人が死ぬかもしれない程の重症である。
そんなレイを救ったのが回復魔法の持つ、「損傷した肉体を復元させる」力だ。
折れた骨を接ぎ直し、むき出しになった神経をしまい、千切れた血管を繋ぎ、弾けた肉を復元し、新しい皮膚で覆って見せた。そんな奇跡のような事が出来るのが回復魔法である。
とはいえ、回復魔法も万能では無い。人の持つ治癒力には限界があるし、短期間に何度も治療すれば耐性がついてしまい効果が減衰していく。なにより、肉体を復元させるには重要な点がある。
それは回復魔法を使う術者の、人体に関する理解度である。
魔法とは頭の中で思い描いたイメージを現実にする力。回復量を促進する程度は、回復魔法を使える者なら、それこそ猿にでも出来る。だが、人体の復元となると正確な医療知識が必要不可欠となる。
具体的には解剖学と病理学を中心とした学問が必要だ。
それら高度な医学知識を学ぶために、人類は人体実験と動物実験を繰り返してきた。
調合室の隣にある部屋の中には、切り分けられた人の内臓のホルマリン漬け、血管や神経の巡り方の標本、人骨を模った模型などが置かれている。
これ等はみな、エルフたちが行っている盗賊たちの死体を用いた勉学の証である。
初日に案内された時、陰鬱な空気の漂う魔境じみた部屋だったが、レティは慣れた様に受け流した。と言うのも、レティ自身、そういった空間で学んできたからだ。
レティ達が過ごした修道院は孤児や、行き場のない女性などを保護している関係上、常に貧窮していた。国や貴族たちの援助だけで糊口をしのげない修道院は独自の方法で糧を稼いでいた。
その修道院では救護院を兼ねていた。農作業中に怪我をした農民や、酔っ払い同士の喧嘩の負傷、重病に侵された貴族の子弟、果ては近隣で起きた戦場にも訪れ、治療を行っていた。
レティも大人のシスターに交じって、怪我人の治療に従事したり、勉強の為に内臓などが人に近いゴブリンの解剖などにも立ち会っていた。それゆえ、アマツマラでのスタンピードの時、ベテラン冒険者のカーミラが驚くほどの活躍を見せたのだ。
だからか、彼女にとって隣の部屋は魔境では無く知識の宝庫だったが、エトネにしてみればおどろおどろしいオカルトめいた部屋に過ぎない。
「それじゃ、始めようか。今日はそうだね……戦闘に役立つ強壮薬の類を作ってみようか」
「よろしくお願いします、先生!」
元気いっぱいの返事にアリテュスのみならず、周りのエルフも目元を綻ばせた。
アリテュスはレシピを口ずさみながら、棚から生薬の詰まった瓶を掴み取る。
薬師の役割は生薬を用途ごとに用意し、それを決まった組み合わせで調合し、薬を生み出す事だ。
レティにも少なからず心得はあったが、エルフ族の培った知識の前では取るに足らない知識量だと痛感した。隣室の解剖室を覗いた時も、手書きの学術書を読み、そこに蓄積された知識に圧倒された。
エルフの優れた点は、民族としての滅亡を逃れた点にある。
国を失くし、流浪の民になったとはいえ、千年以上もの間、滅亡することなく存続していた事によって、蓄積され続けてきた知識や経験、技術の類は外の世界と比べても圧倒的である。
それらを貪欲に学び取ろうとするレティの姿勢をアリテュスは好ましく思っていた。調合の合間に矢継ぎ早に繰り出される質問に答えていた。
「それじゃ、ノワイエの実の外皮を外して、中の実だけを潰すんですね」
「そうよ。お次は―――」
「乾燥させたイリスの花びらですか? これって強壮薬に使うんですか?」
「乾燥させて、磨り潰すと効能が変化して、主に心臓の働きを上昇させるわ。あ、でも、注意点としてはバヴォとは混ぜない事。相性が悪くて混ざると毒になっちゃうのよ」
「そうなんですか!? 知らなかったなー」
レティは自作のメモ帳に教わった事をすぐさま書き込んでいく。アリテュスは知識の出し惜しみをしない。人柄的にレティの事を好ましく思っていることもあるが、自分たちが長年培ってきた知識や経験を人に教えるという行為はある種の麻薬のような多幸感を味合わせる。
その後も調合は続く。粉末状になった生薬にでんぷんを混ぜて練り込む。その際にアリテュスは毒々しい緑色の粉末を生地に練り込んだ。
エルフの白い指が生地を練り込むと、あっという間に色が毒々しい緑色へと変化した。
「ここで問題。私はどうしてこんな色にしたのでしょうか?」
生地を揉む手を休まずにアリテュスは問題を出した。レティは即座に答えを返した。
「戦闘中に薬を色で判別するためです!」
「正解」
「昨日習った事だから、覚えてます」
レティは薄い胸を張って、得意げに笑った。戦闘中、どの薬を何処に入れていたのかと迷うことなく、目的の薬を見つけるために色分けは常識的なやり方である。また、色で分けておけば、自分が動けない状況でも仲間にどの薬を飲めばいいのか簡潔に伝わる。
「それじゃ、私は昨日、他に何を言ったか覚えてるかな?」
「えっと……『ヒーラーは常に自分の為の回復手段を備えておくこと』……ですよね?」
アリテュスは薄く笑みを浮かべて首を縦に振った。
これはヒーラーにしてみると常識に過ぎない。回復魔法が人のイメージによって効果が増減するなら、使用者が健常じゃなければ最大限の効果は発揮しにくい。例えば、ヒーラーが重傷を負っている場合、自分に回復魔法を掛けようとしても成功率は二割をきる。ヒーラーを無くしたパーティーの末路は大抵ろくでもない。
それを回避するために、どのヒーラーも、そしてどのパーティーもとっておきの方法を常に持っている。例えば正規のヒーラー以外に回復魔法を使える者を他に用意しておくとか、ヒーラーのための上級ポーションを用意しておくなど。
《ミクリヤ》はその辺りを疎かにしていた。レティがもしもの時に備えて薬草を集めていたが、薬草は薬草のままだとちょっとした治療にしか効果を発揮できない。
「ヒーラーは、パーティーにおける屋台骨。これが折れたり、頼りなかったら、そのパーティーは全滅しちゃうからね」
「……はい。分かっています」
レティは固い表情で言う。戦闘において、盾の魔法しか使えない自分がレイ達の為に出来る事と言えば回復だけだ。だからこそ、ここに居る間に少しでもエルフの培ってきた知識や技術、経験を身に着けて、仲間の力になりたいと少女は強く願っていた。
アリテュスはレティの目の色が変わったのを見て、ますます喜んだ。短い期間ではあるが、弟子として預かった以上、彼女は手を抜くつもりは無く、その弟子がやる気を見せているのだ。燃えない師匠は居ない。
「あとは乾燥させればいいから、これは放置ね。次は……ポーションを作ってみようか」
「はい! アリテュス先生!!」
エルフと人の師弟は燃えていた。
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