閑話・戦奴隷たちの修業 リザ編 『中編・下』
武器を逆手に持つメリットは少ない。
確かに、刃が外を向いていると、相手への威嚇となり、攻撃の軌道が外から内へとなる事で、防御を兼ね備えた攻撃がしやすい。
しかし、人の腕の構造上、外に向いている刃に力を乗せて振るのは難しい。一度、腕を畳んで振るか、あるいは下に向けて突き刺すぐらいしか無い。
それなのになぜ、逆手で武器を持つ戦士が一定数存在するのか。
一つは至近距離での取り回しだ。それこそ、拳が届く様な近接距離において、順手よりも逆手の方が戦いやすい。
もう一つは、相手の攻撃を受け流しやすい点である。例えば、下へと流れ落ちる水の流れを、板を用いて変えるとする。水と板の角度を調整すれば、水は簡単に向きを変える。その際、板の上と下、どちらを摘まめば濡れないのか。答えは言うまでもない。
武器と受け流しの技術を水と板で例えるのは少々間違っているかもしれないが、振り下ろしの一撃を順手で受け止めるのと、逆手で受け止めるのでは結果は変わる。順手なら攻撃の最後は鍔で止まり、逆手なら攻撃は刃先を滑って止まらない。
こと、防御の構えとしては、逆手は優れていると言える。
ただし。
それは武器がダガーやナイフといった短刀ならばである。
オヴィスのようにロングソードのような長物を逆手で握るメリットをリザは理解できなかった。どのような戦い方になるのか想像できず、動けないでいた。ゆえに、初手はオヴィスに取られてしまう。
姿勢を低くしたオヴィスは何の躊躇いなくリザとの距離を削り、それこそリザの懐に飛び込んだ。
エルフの涼やかな顔立ちがリザの視界に迫って来る。
そして。
「しっ!」
裂帛の気合と共に、オヴィスは拳を振るった。柄を逆手に握った右手で、リザの顔面を狙う。
当然リザは避けようとするも、刹那の間、体を固くした。
当たり前の話だが、ロングソードを握ったまま拳を振るという事は刃が外側を向いていることに他ならない。まるで、翼を広げるかのように、刃の潰れた刀身が迫る。
(左は駄目。でも右も!)
右の拳と同様、左の拳にも外向きに刃は伸びている。今から剣を振っても、相手の拳の方が早く入ってしまう。
受け止めるという選択肢は無かった。相手は二刀流。片方をくいとめても、もう片方が残っている。
後方へ逃げるという選択肢も難しい。拳は避けられる物の、これだけ接近されれば後ろに下がった所でロングソードの間合い。危険なのは変わりない。
前進も、後退も、左右も塞がれたリザは決断する。
ぐにゃり、と。まるで天から伸びている糸が切れたマリオネットのように、だらりと脱力し、低い態勢のオヴィスよりもさらに低くしゃがむ。
そして、足に精神力を回すと一気に爆発させた。
訓練所の固い床にひびが入り、リザの体はオヴィスの股下を抜ける。
しかし、オヴィスはそれを読んでいたかのように次の行動へ移る。
伸びきった腕をそのままに、自らの体を独楽の様に回した。翼のように広げた刃が背後へと唸りを持って振るわれ―――がきん、と。訓練所の床をかする。
「いない? ……上か!」
オヴィスが視線を上げると、空中で身を翻したリザと視線がぶつかる。リザはオヴィスの股下を潜り抜けた瞬間、今度は宙に向けて跳んでいた。その判断は正しく、彼女はオヴィスの背面切りを躱した。
そしてそのままの態勢で、ロングソードを振るう。空中でひねりを加えた一撃だ。
天から落ちる落雷のような一撃をオヴィスは左手のロングソードで受け止め、流した。ガリガリ、と潰れた刃を削る音が響いた。
「な、ぐはっ!」
必中の自信があった攻撃を防がれたリザは空中で無防備な姿を晒した。その隙をオヴィスは見逃さない。空いている右拳をリザに叩き込んだ。その衝撃で、少女の体は吹き飛んだ。
床に落ちたリザは、その衝撃に顔を歪めつつも、すぐに立ち上がった。剣を構え、オヴィスを見据えた。
だが。
そこにはオヴィスは居なかった。リザが割ったタイルの欠片が残っている。
「そんな? ……いつの間に」
先程とは逆のパターンとなる。視界から消え失せたオヴィスを探そうと視線を走らせるリザだったが、ぞくり、と。背筋が泡立つ。
リザはその場にしゃがみ込んだ。すると、先程までリザの頭があった所をオヴィスのロングソードが通り抜けた。同時に、背後から飛びかかったオヴィスもリザを跨ぐ形で飛び越えた。
反射的な行動だった。そのまま立っていたらどうなっていたかと考えると、リザの背中を冷たい汗が流れた。
リザを飛び越えたオヴィスは床に着地すると、その場で向きを変えて、再びリザの方に向かって走る。策も無しの吶喊だ。リザはその場を動かず、タイミングを見計らってロングソードを振り下ろした。
ガキン、と。今まで一番大きな音が訓練場に響いた。リザのロングソードはオヴィスの刃に受け流され、その刃はそのままリザの腕を掠めた。全身で叩きつけるような斬撃はリザの刃では止まらない。オヴィスはそのままリザの脇をすり抜けた。
刃引きされていなければ、二の腕を切り落とされていたかもしれない。思考の隅に浮かんだ不吉な考えを振り払って、リザはオヴィスを追いかけるべく、振り返り―――斜めから振り下ろされる一撃に足を止めた。
再び鋼と鋼が衝突する。
一合、三合、五合とぶつかり合いは増していく。押しているのはオヴィスだった。
オヴィスの戦闘スタイルはまるで獣のようだった。リザに向けて吶喊すると、全身で叩きつけるような斬撃をすれ違いざまに放つ。当然、リザは防ごうとするも、逆手で武器を持たれているため、鍔迫り合いは起きず、防ぐことはできない。攻撃されるたびに、腕を切られる。
更にオヴィスは通り過ぎるだけでなく、リザの背後に回るとそのまま体を捻り返す刃のように追撃を放つ。リザはその攻撃にも対応しなくてはいけなかった。
あっという間に、少女の腕は赤く腫れていた。
ロングソードを握る手に力が失われ、呼吸は荒くなっていく。オヴィスは足を止めないまま、リザの周りを旋回しつつ、様子を伺っていた。
伏した顔から何の感情も読み取れなかった。
(まさか、戦意喪失したのではないだろうな。……だとしたら、期待外れも良い所だ。ここらで終わりとしてやろう)
もちろん、オヴィスの終わらせ方は武器を仕舞う事では無い。彼はタイミングを見計らって、リザへと吶喊した。
だが。
「なっ!?」
オヴィスは驚嘆の声を上げる。戦意を無くしたかのように棒立ちとなっていたリザが突如動き出したのだ。オヴィスに向けて駆けだすと、ロングソードを振りかざす。
その無策ぶりに一度は驚いたオヴィスも、そして離れた場所で見学しているエルフたちも落胆した。これまでに何度も見た光景だった。逆手に握るオヴィスなら簡単にその攻撃を受け流せる。そして無防備になったリザに向けて、刃が迫る。
同じことの繰り返しだと彼らは思いこみ―――今度こそ、本当の意味で驚愕した。
ガチン、と。これまでになかった奇妙な音と共に、オヴィスの刃が止まった。
「な、な、何を考えているんだ、貴様!?」
オヴィスが恐怖の混じった怒声を上げた。対するリザは無言のままだった。両者の間には刃引きされたロングソードがあり、リザの剣がオヴィスの剣を受け止めていた。
―――柄で。
鍔と柄が交差する直角の部分にオヴィスのロングソードは捉えられていた。僅か数ミリ下にはリザの細長い指がある。
例え刃引きされた刃といえど、オヴィスが叩きつけるように振るえば、指の骨は愚か、最悪切断されるかもしれない。そんな可能性を前にしてもリザは淡々としていた。
そして、動きを止めたオヴィスの顎に向けて足刀をしたから叩き込む。
「ぐぅっ!」
オヴィスは視覚外からの攻撃を避けきれず、後ろへと吹き飛んだ。背中から落ちた彼は直ぐに立ち上がり、迫りくるリザに向けてロングソードを振るう。
これまでのように加速してからの叩きつけるような一撃ではない。リザはあっさりと斬撃を掻い潜ると、ロングソードを振るう。オヴィスは片方の手に握る剣で応戦する。
攻守が入れ替わる事になった。
リザは持ち前の速度を用い、オヴィスの周りを縦横無尽に駆けまわる。逆手で剣を振るうオヴィスは、その速度に追いつけず、防戦一方だった。
さながら蝶のように舞うリザに対し、虫取り網を振るうオヴィス。眼前を通り過ぎるリザにオヴィスは届かない刃を振るう。しかし、すでに距離を取ったリザは遠い。
元来、これこそがリザの戦い方である。
筋力の弱いリザは一撃の重みで戦うのではなく、相手の死角に回り込み、手数で攻める。本当ならここに戦技や新式魔法や技能を絡める事で戦闘の流れを自分に引き寄せるのだが、これは稽古。純粋に剣術だけでオヴィスに挑む。
「ちょこ、まか、と!」
オヴィスは背後に回ったリザに向けて刃を振るう。しかし、リザはそれを先読みし、しゃがむことで回避した。必然的に無防備になったオヴィスと向き合う。
「これで、終わりです!」
リザは叫ぶと同時に、ロングソードをオヴィスに向けて突く。最短の道を最速で剣は進む。ここに来て、逆手に握ったロングソードが裏目に出た。障害の無い空間を刃は突き進む。
しかし。
「……な!?」
「終わりって、誰が決めた!!」
驚愕するリザと、吼えるオヴィス。両者の間でリザの剣は動きを止めていた。刃先はあと少しでオヴィスの首筋に届くはずだった。
防いだのはオヴィスの双剣。その柄尻だった。左右の双剣が門のようにリザの剣を挟み、止めた。
リザがいくら力を籠めても剣はビクともしない。すかさず、オヴィスはリザに向けて蹴りを叩きこんだ。少女の体はまるでボールのように簡単に後ろへと飛んだ。
そして、空中でくるりと回転して、地面に着地すると、そのまま一歩、二歩と後ろへ下がった。吹き飛ばされたダメージなんて無いかのように軽やかな動きだった。オヴィスは驚きもせず、不機嫌そうに鼻を鳴らした。蹴りを入れた時の手応えで、リザがワザと後ろに飛んだのだと理解していたからだ。
両者の間に三メートルほどの空間が生まれた。互いに、駆け出し、全力を振るえる距離。リザもオヴィスも無言のまま、重心を前に傾けた。
これが最後の激突となる。戦っている両者だけでなく見守っている観客にもそれは伝わっていた。ごくり、と。誰かの喉が鳴った。
そして、二人は駆けだした。
瞬く間に両者の距離は零となり、全身全霊で振るう剣が互いを喰い合うようにぶつかる。
刹那の間、両者の刃はぶつかり、音を立てて砕けた。無理も無い。これまでに何度も激しい打ち合いを繰り返していたため、両者のロングソードは限界に近かった。
リザの剣も、オヴィスの剣もどちらも半ばから砕け散る。行き場を無くした刃が宙を舞う。
(勝った!!)
内心で勝利を確信したのはオヴィスだった。なぜなら彼の右手にはまだ無事なロングソードが一振り残っているのだ。後はそれを振るいきればオヴィスの勝利だった。
一方でリザは全く違う事を考えて、いや、思い出していた。
―――あれは揺れる船上での決闘。
―――彼は何をした?
刹那の間、脳裏に蘇った光景をリザはなぞる。
半ばから折れたロングソードをリザは即座に投げた。思わぬ反撃を受けたオヴィスは、折れたロングソードでリザのあがきを撃ち落した。
だが、リザの攻撃はまだ終わらない。
彼女は宙を舞うロングソードの刃先を二本とも掴むと、そのうちの一本をオヴィスに向けて放る。
投げナイフのように投擲された刃をオヴィスは防げないでいた。左手のロングソードは先程防ぐのに使ってしまい、今更間に合わない。右手のロングソードはリザに勝利するために残しておく必要がある。
だから彼は勝利の為に立ち止まり、仰け反って回避することを選んだ。
それが悪手だと知らずに。
リザは更に距離を詰める。立ち止まらず、オヴィスの懐に飛び込むと同時に、空いた手で男の首を掴んだ。そしてそのままの勢いで、オヴィスを押し倒した。
仰け反っていたオヴィスに防ぐ余力は無かった。
訓練所の床に後頭部を打ちつけたオヴィスは揺れる視界の中、自分に馬乗りになったリザを見た。彼女の手に、折れたロングソードの刃先が握られ、それが落ちた。
ガツン、と。冷たい音が響く。
リザが振り下ろした刃はオヴィスの側頭部すれすれに突き刺さって止まった。リザはオヴィスの首を掴んだまま馬乗りになり、荒い息を吐いている。オヴィスは右手にロングソードを握っているが、誰が見ても勝敗は明らかだった。
「……まいった、降参だ」
証明するかのようにオヴィスはロングソードを手放した。全身から放たれていた威圧感も引っ込めた。それを受けてリザも全身の緊張を解いた。
馬乗りの態勢から降りたリザに対して、オヴィスは呆れたように口を開いた。
「女……エリザベート。お前、何を考えてんだ?」
「何、とは何のことでしょうか?」
「柄で剣を止めた時の事だ。手元が狂えば、お前の指は落ちてたかもしれないんだぞ」
本気でやると言ったが、たかが稽古。それだけのリスクを背負い込む必要があったとはオヴィスには思えなかった。しかし、リザは当然のような顔をして、告げた。
「ですが、ああしなければ勝てませんでした。だったら、やるしかありませんでした」
静かな、しかし重たい決意に裏打ちされた言葉だった。見学していたエルフたちがリザを取り囲み、勝利を祝っている中でオヴィスはリザをじいと見つめた。
そして苦笑を浮かべると立ち上がり、人垣を掻き分け、リザの前に立った。まだ、何か言うのかと周りのエルフたちは気色ばんだが、予想に反してオヴィスは手を差し伸べた。
「戦士エリザベート。貴君の力と、在り様に敬意を。先程までの非礼を許してほしい。そして、ここで共に汗を流そう」
リザは目を丸くして驚いて見せると、薄く微笑んでオヴィスの手を取った。
「リザで構いません。お言葉、ありがとうございます、オヴィス様。よろしくお願いします」
互いを戦士と認めた二人の握手をエルフたちは目を細めて見つめた。そして、その中の一人が手を上げた。槍を振るう女性のエルフだ。
「じゃあ、次は私とやろ!」
それを皮切りに、エルフたちは次々に名乗りを上げる。彼女とオヴィスの戦いにあてられ、血が滾ったのだ。リザは意味の変わった笑みを浮かべながら、挑戦に応じた。
その日、リザが客人用の小屋へと帰ってきたのは夜も大分更けた時刻だった。
汗にまみれ、青あざを至る所に拵え、小屋に着くなり崩れ落ちるように倒れた姉に駆け寄るレティだったが、すぐに胸をなで下ろした。
横になったリザの寝顔を誰が見ても、満足そうに笑っていたからだ。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回更新を金曜日に延長させていただきます。申し訳ありません。




