4-15 月下の光景
「第二回、作戦会議ー!」
パチパチパチ、と疎らな拍手がレティに向かって投げられる。夕食が終わり、片付けが終わった洞窟にて明日以降の方針を決める話し合いが始まった。
例の如く、広げられた地図を囲うようにレイたちは車座に座る。森の東側、つまりアマツマラ側からの入り口を中心に大雑把に描かれた地図には大木と湖の存在は無かった。この地図を書いてくれた雑貨屋が書き忘れたのか、あるいは地図の描かれていない北側なのかもしれない。
代わりに、クライノートの湖を水源とした川が二本、うねった蛇のように描かれている。東寄りの川でレイたちはレッドゴブリンと戦い、西に向かって逃走した。そして西の方の川を渡ってはいない。ここから推察するに、レイたちがいる場所は一本目の川から二本目の川の間のどこかということになる。
問題は北の方にあるという村との位置関係だった。現在位置が不明だとまだ北の方角に村があるのか、あるいは東西の方にあるのか。通り過ぎて南側にあるのか判断がつかない。正確な現在位置が分からない以上、村に固執するのは避けるべきではないかとリザが言うと、おそるおそる手が昇った。
エトネだった。
「この村……たぶん、知ってる」
「本当!?」
隣に座るレティが食いついた。レティはエトネの事を気に入ったのか、心配しているのか積極的に交流しようとしていた。もっとも家族しか知らない環境で暮らしていたエトネには年の近いレティといえど、まだ苦手らしく、中々距離感が掴めないでいた。
今も、レティから少し距離をとってから口を開いた。
「とおくから見ただけ。ここからなら近いよ」
「村の様子はどうでしたか? 人の……あるいはモンスターの気配はしましたか?」
エトネは首を横に振った。
「よくわかんない。おかあさんの言いつけで、人のいる所はよらない事にしたから、とおくから見てるだけ。近づくなんて、ムリ」
そうですか、とリザは嘆息した。彼女が何かしらの情報を持っていれば事は単純に進んだが上手くは行かない。
「……それじゃあ。明日の目的は当初通り村に行くことでいいのね?」
シアラが纏めるかのようにレイに問いかける。
「うん。村に行く目的は二つ。村人の安否とエルフの隠れ里に関する情報だ。森の住人なら幾らか情報を持っているはずだろ」
「そうかもしれないけど……仮に、村が空振りに終わったらどうするのよ。食料は四人で三日分。すでに半日分以上は消費した。森からの脱出に多く見積もって一日かかるとすれば明後日の午前中にはアマツマラに戻らないと、食料が無い状態で森で過ごす事になるわよ」
シアラの金色黒色の瞳がエトネを見た。
「あの子を放り出して帰るの? それともまさか―――」
彼女の言葉は最後まで続かなかった。レイは彼女が何を言いたいのか分かっていたが、それを選ぶかどうか迷っていた。だから彼女の言葉を遮って告げた。
「―――一度、アマツマラに戻る」
「ご主人さま!?」
レティの非難めいた声がレイに突き刺さる。エメラルドグリーンの瞳がこれでもかと開かれ、眉尻が上がっている。視線がエトネを見捨てるのかと責めたてる。
レイは弁解するように言った。
「誤解だ! 僕らにはエルフの知り合いがいるだろ。あの人に助けを求めるんだよ」
その言葉に、リザとレティは瞬時に誰の事を指しているのか分かった。シアラも遅れて、納得した風に頷いた。
驚いたのはエトネだった。彼女はレイの袖を引っ張ってせがむ様に尋ねる。
「あのあの。……エルフの知り合いがいるのですか?」
「うん。『紅蓮の旅団』っていう冒険者のクランに所属しているロータスさんだ。彼女はエルフだよ」
エトネの顔に喜びの色が差す。
母親と同族、エルフの存在をレイたちが知っている事で隠れ里の存在が現実味を増す。少女は瞳を潤ませて、他にもいたんだと呟いた。
「明後日。僕らはアマツマラまで戻ってロータスさんの助けを得られるように交渉する。問題は、エトネ。君は……その街に来る事はできるか?」
ぎくり、と。エトネは体を強張らせて、勢いよく首を横に振った。
村に行けないと言った子供が街に来れるはずが無い。そんな勇気は無かった。
「だったら、その時に残った食料を全て君に渡す。僕らは直ぐに森を抜けて、ロータスさんの協力を得て戻ってくるまで此処に居てくれるか?」
エトネは首肯するように首を縦に振った。
「明日になったら森を抜ける……という選択肢は選ばないのでしょうか?」
「それも考えたけど、一度村の様子が知っておきたい。近くの村がモンスターに占拠されていたら、この場所も危ないかもしれない。それに、アマツマラに戻れば、帰ってこれるのは明後日以降になる。明日隠れ里が見つかればそれで問題は片付くだろ」
ある意味楽観的な物の見方だが、リザは同意した。
これで当面の方針は決まった。朝が来ればまず村に行き情報収集を行う。場所はエトネが知っている。次はそこでの成果次第だが、エルフの隠れ里を探す。明日の内に見つからなかったら、明後日には一度森を抜けてアマツマラに帰還し、エルフのロータスの協力を得る事にする。
「ふわぁー」
広げた地図を閉まったレティはそこで大きな欠伸を浮かべた。時計など無い洞窟では時間の概念が曖昧だが、そろそろ横になる時間。すると、シアラが髪を手で梳いて呟いた。
「寝る前に、体を拭きましょうよ。べた付いて気持ち悪いわよ」
二度の戦闘に加え、休みなく森を進んでいたため、全員が汗をかいていた。さんせーい、とレティがバックパックから桶と布を取り出すと、お湯の残りを注いだ。湯気が洞窟内に立ち込める。
途端。エトネが表情を硬くして汗を浮かべた。するり、と。壁面に沿って逃げようとする。誰の目にも映らない様に気配を消した、見事な隠形である。
だが。
「ほらほら、おちび。どこに行こうとしてんのよ」
シアラの金色黒色の瞳は誤魔化せない。少女の腰を掴むと引き寄せた。拘束から逃れようと暴れるエトネの首筋に鼻を寄せると、眉を顰めた。
「ちょっと! アンタ、いつから体を洗ってないのよ!!」
エトネはバツの悪そうな顔を浮かべて、ぼそりと囁くように告白した。
「とおか」
「十日!?」
洞窟内にシアラの金切り声が反響する。レイは反響する音に意識を失いかけた。下手をしなくても兵器の如き威力を有していた。
「べつに。体をふかなくても死なない」
「死なないかもしれないけど、不衛生ってのは、それだけで悪いものを引きつけるのよ。病気とかの温床になるし、何より心がくすんでくるの!」
シアラは妹をあやす姉のように言い含めると、エトネの四肢を後ろから押さえつけた。幼い少女の力では拘束を引き剥がせない。
「レティ。今のうちにやっておしまい」
「りょーかい」
まるで、漫画の悪役と手下の様なやり取りだった。
「え? ちょ、ちょっとまって!」
身の危険を感じて嫌がるエトネに向けて、嫌らしい笑みを浮かべたレティが近づくのをレイはぼんやりと眺めていた。悪乗りしているな、と思い嘆息していると背筋に氷柱を押し込められた如き悪寒を感じた。
殺気の方へと振り返ると、リザがにこやかな笑みを浮かべてレイの方を向いていた。しかし、レイは彼女から見えない刃が突きつけられているのを感じていた。
「……ご主人様。いつまでこちらに居るつもりなのでしょうか?」
「あ、はい。見張りに行ってきます!」
ばね仕掛けのように立ち上がると、レイは一目散に洞窟の外へと飛び出した。
「うーん。うーん。おかあさん。エトネは……エトネは……よごれてしまいました」
「大げさな子ね。それにどちらかといえば、綺麗にしたんでしょ」
洞窟にひかれたござの上に寝転んだエトネは悲しげに訴えている。彼女は結局、レティの手によって耳の裏から足の裏まで隈なく拭かれ、全身を清められた。
遭遇した時の薄汚れた姿は消え、エルフゆかりの透き通るような肌に狼人族特有の鋭い瞳も相まって野性的な美しさが前面に出ている。闇ギルドの奴隷商人が山を焼き払ってでも手に入れたいと言った気持がリザにも分かった。
今は、うつ伏せになった状態のまま、レティの手によってシラミを駆除してもらっている。
リザ達も鎧を脱ぎ、服も脱いで体を湯で清め終わった。替えの服はあるのだが、もったいないので先程着ていた服をそのまま寝間着として使う。リザとシアラは互いの髪を櫛で梳かしている最中だった。
「それにしても、驚きました。エトネ。貴女は精霊魔法を使えるのですね?」
「え? そうなの?」
リザが先程のレイとの戦いを振り返り、エトネに問いかけた。実はリザは、レイとエトネの戦いの終盤だけはある程度目撃していた。木の上から飛び降りて制圧するタイミングを計っている時に、エトネが精霊を呼び出したのを見ていた。
シアラが感心したように口を開いた。
「半分とは言え、流石エルフね。その年で精霊を呼び出すなんて。……それにしては、よく精霊を相手に勝ったわね、リザ」
金色の絹糸のような髪を梳かしているシアラが不思議そうに尋ねると、リザはいえ、と前置きした。
「いえ。呼び出したことは呼び出したのですが、精霊の姿は見ていません」
要領を得ない表現にレティとシアラが首を傾げた。リザは二人に目撃した戦いの流れを伝えた。
「それって《憑依》じゃない!」
興奮した様子でシアラはエトネの方を向いた。しかし、聞き覚えの無い単語に、リザも含めた全員が首を傾げる。中には当の本人も含まれていた。
「なんで、使っている本人がぽかんとしてるのよ。読んで字のごとく、精霊をその身に宿す技能! 呼び出した精霊の種類によって能力値を上げたり、場合によっては精霊の魔法すら自分で行使できるようになるという力。ずっと昔に使い手は死に絶えたって聞いたのに」
全員の視線を一心に浴びたエトネは顔を伏せる。
「よくしらない。でも、おかあさんは大事につかいなさいって」
「ご主人様と同じ特殊技能なのでしょうか?」
小声でリザが呟くと、そういえばとレティが入口の方を向いた。
「ご主人さま! もう、終わったよ!!」
外で見張りをしているはずのレイに向けて声を掛けた。しかし、一向にレイが戻ってくる気配は無かった。
リザとシアラは緊張した面持ちで武器を手に取ると、出入り口に向けて進んだ。リザがシアラを手で制す。
「私が出て、状況を確認します。貴女は任意のタイミングで飛び出してください」
「分かった。気をつけてよ」
枝で組まれた格子をずらし、隙間からリザは外に出た。青い月と星々が夜空を彩る空の下。レイは大木から離れた場所で剣を振っていた。
戦闘をしているわけでは無い。
ファルシオンを両手で握り、何もない空間を斬ろうとする。視線は下を向いていることから彼が想定している相手が小柄だとリザは分かった。
振るわれる剣の軌道。足さばきに体捌き。攻撃から攻撃へと移るつなぎ目。全てがリザから見て、未熟な動きだった。お世辞抜きにしても、素人に毛が生えた程度だった。
今頃になって、彼女は船上での決闘を思い出す。おそらくレイはあの戦いを何度も繰り返すことで自分に追いつこうとしたのだと。それを卑怯と罵る気にはならない。むしろ、死ぬことすら厭わずに、無茶な要求を突きつけた自分と向き合ってくれたことに感謝すら抱いていた。
そして、湖畔で剣を振るう姿にリザの青い瞳は釘付けになった。決して、人を魅了するような剣技では無い。拙く、不格好なのに、どうしようもなく心が惹かれる。
「ちょっと? どうかしたの?」
洞窟の中からシアラの声がして、リザはまじまじとレイの特訓を見ていた事に気づかされた。彼女は振り返ると、洞窟内に向けて告げた。
「ご主人様は大丈夫。お湯はやかんに戻しておいて」
シアラは納得しかねるように首を振り、それでもリザの言葉に従って戻った。
何故か。
リザは、あの光景を誰かに見せたくないと思ってしまった。
レイは一振り一振り。自分なりの意味を込めて、ファルシオンを振るう。想定した敵はエトネだ。小柄ながら素早い拳士の幻影を追いかける。
記憶を頼り生み出した幻影に一度とて剣は当たらない。想像の中でも勝つことは出来ないのかと苦笑すら生まれそうになる。
「ぜぇー、はー。ぜぇー、はー」
いつの間にか全身で息をするほど消耗していた。ファルシオンを杖のようにして凭れかからないと、倒れてしまいそうだった。どれ程の時間一人で剣を振るっていたのか分からない。
「お疲れ様です」
「うぉっっと!! リザ!?」
突然、傍に現れたリザにレイは驚きのあまり飛び上がった。彼女は申し訳なさそうな顔を浮かべて、手に持った布を渡す。
「驚かして申し訳ありません。これで汗を拭いてください」
差し出された布を見て、初めて自分の全身から溢れるように流れる汗に気が付いた。それは同時に剣を振っていた時間に比例していた。手の皮は破け、グリップに血がこびりついていた。
汗を吸った服は重く、レイは人目を気にせずに上半身を晒す。リザも慣れた物なのか特段気にした素振りを見せずにいた。
「うわぁ。絞ったら汗が落ちてくるよ」
もう一度着る気にはならない。布で汗を拭うと、春らしからぬ冷たい空気が火照った肌を冷ます。
「特訓……ですか。精が出ますね」
「見様見真似だよ。何しろまともな剣術なんて教わった事が無いからね。とにかく、振り回すぐらいしか思いつかない」
レイの戦い方は、基本的に適当である。アマツマラに辿りくまでの間、何度かオイジンやファルナを相手にした模擬戦をした程度の修業しかしておらず、基本のきの字も知らない。
ファルナはそれで問題ないと言っていた。
「流石に、冒険者になる前に武器の振り方を誰からも教わったことの無い奴は居ないだろうけど、大抵の奴は冒険者になってから自分の戦い方を見つけて強くなるんだ」
旅の間にレイに投げかけた言葉だ。だけど、レイにはその基本が無い。基盤が無い所に何を積み上げても意味は無い。
エトネにほとんど当たらなかった事を踏まえて、強くなるには武器を振るしかないと思い、夜の森で一人で振っていた。しかし、文字通り振っていたに過ぎない。これで強くなれるのかどうか、甚だ疑問だった。
「そうだ! リザが僕に剣を教えてくれればいいんだ」
名案を思いついたとばかりにレイは言うが、リザは慌てて止めに入った。
「無理です! 私のような未熟者が誰かに剣を教えるなど……ご容赦ください」
「そうか……なら、手合わせぐらいは」
「それも申し訳ありません」
すまなそうにリザは手の甲に刻まれている奴隷紋を掲げた。
「仮契約の時ならいざ知らず、本契約を交わした時点で、ご主人様に剣を向ける事は出来ません。それはたとえ模擬戦でもです。それに私は一度、ご主人様に剣を向け、罰を受けています。二度目以降は罰が酷くなり、場合によっては即死に至るように段階的に痛みが増します」
「……そうか。無理なのか。良い案だと思ったのに……その場合だと《トライ&エラー》は発動するのかな?」
湧き出た疑問を呟くも答えられるものは居ない。試そうと思って試せる内容では無い。
すると、リザが不思議そうに首を傾げた。
「そのおっしゃり方からすると、発動しない場合を御存じなのでしょうか?」
《トライ&エラー》が発動しなかった場合の結末はただ一つ。戻れない死だ。それを知っているのは今生きているレイの現状と矛盾しているようにリザは感じた。
レイは笑って否定した。
「発動する、しないじゃ無くて、発動できなくなる場合があるんだ」
「それは、初耳です。どのような時に起こるのでしょうか?」
「それは自殺したばあ……しまった」
口を滑らせたレイは両手で自分の口を押えたが時すでに遅い。リザの青い瞳がすう、と細くなる。彼女の唇から、ご主人様、と凍てつく声が響く。
「それはもしや。自殺したことがある……という事で宜しいでしょうか?」
「それはその……はい」
リザから発せられるプレッシャーに負けてレイはファルナの迷宮での死亡する未来を変えた過去を伝えた。友人が死んだ未来があったと聞いてリザは表情を青ざめる。
「もちろん、ファルナは自分が死んだことを知らない。知る必要も無い事だから絶対に言わないでね」
「分かっています。それにしても『使用不可』ですか……解き明かさないといけない謎がまだあるようですね」
「本当にそうだよ。……そういえば、他の皆は? もう寝たの?」
「はい。見張りは私とシアラ、それにご主人様の三人が交代で行おうと思います。今は私が。次はシアラが。最後はご主人様にお願いしたいのですが」
レイは分かったと返すと、ぶるりと体を震わした。流石に体が冷えてきたようだった。リザと共に洞窟に戻る事にした。
彼は胸中で一つの問題と向き合っていた。
強くなる事。ただ一点、それだけが彼の最大の問題だった。
この先、どうしようもない困難を前にいつも誰かが手を差し伸べてくれるとは限らない。
レッドゴブリンとの戦いがそのいい例だった。レイたち以外誰も居ない状況は当然のように起こる。乗り切るには全員の結束も大事だが、個人としての成長も大事だった。
(僕が一番未熟な分、僕が強くなることがパーティーに一番影響を与えるはずだ。だからこそ、僕は強くなりたい。どんなのが相手でも皆を守れるぐらいに強くなりたい)
皮の剥けた、血が乾いた掌はまだ何も掴んでいない。それでも強くなるという意思は少年の中で輝いていた。
一夜明け、湖に朝靄が立ち込める。
木の格子を外してレイは外の新鮮な空気を肺に取り込んだ。土の洞窟は寝るのに不向きだと実感した。なにしろ、普通の大地と違って湖が近いせいもあってか土自体が冷たく、毛布越しにも肌に冷気が突き刺す。
後ろを振り向くと、レイ程では無いがリザ達もあまり良質の睡眠をとれなかった様子で、瞼を擦っている。朝食を取り終え、身支度は終わった。エトナのバックパックは荷物になるからといってそのまま洞窟の中に置いていくことになった。
「さて。とりあえず、村に行こうか」
レイが声を掛けると、全員は頷いた。洞窟を這い出して外に出ると、エトネがするりと列を離れて、母親の墓に向かった。
「いってきます。おかあさん」
エトネが墓に手を合わせて、呟くように告げた。
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