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影操師 ―散らない桜―  作者: 伯灼ろこ
第三章 シャドウ・コンダクター
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 8節 懐カシク、優シイ思イ出。

 *


「昨日のように、今でも鮮やかに覚えているわ」

 懐かしく、温かい思い出だ。貧しくて苦しい毎日だったけど、私には希望があった。それは弱い光だけど、それでも私を強く強く導いてくれたのよ。

「第二次世界大戦って……確かそんな名称で呼ばれているのよね。私にとっては、そんな大それた戦じゃなくて、ただ毎日をどう生きていくか……の知恵の出し合い合戦だった」

 ねぇ、貴男にはわかるかしら。所詮は平成生まれの、衣食住に恵まれた温室育ちのガキ風情に。……口、悪かった? あらら、それはごめんなさい。感情が高ぶったのね。

「自己紹介が遅れたわ。私は、国松陽菜子。見た目は可憐な美少女! でも中身は……うふふ。残念、中身も私は少女なのよ。だって、あの頃から私の身体も心も、時が止まったままなんですもの」

 さて、次は貴男の番よ。名前を教えて下さる? んん? どうして黙っているの? 口があるんだから、動かしたらどうなの。

「……つまんない。どうしてなの?」

 私は蹴飛ばした。物言わぬ首を。

「どうして死んでんの? 私、お前に死んでいいなんて許可出した? 勝手に死んでんじゃねーよ!」

 物言わぬ首は教室の壁にぶつかって跳ね返り、私の元へ戻ってくる。

「ったく。使ぇねぇ人間だなァ。生け贄の方が断然優秀だったわ」

 戻ってくる首を蹴る。蹴っても蹴っても、跳ね返っては私の元へ戻る。

「ああ? 喧嘩売ってんのかよ。そんなに潰してほしいのか!」

 私は首を踏みつけた。何度も何度も。首は原型をとどめなくなった。これでもう二度と私の元へは戻って来れないだろう。

「……くっせぇ脳味噌しやがって。もう腐ってやがる。人体の中で、一番美味しい部位のはずなのに」

「陽菜子……」

 教室の扉が開く。私が通っていた学校の教室じゃないけれど、今日からここは私の城になるの。城の主人、つまり王はこのワタシ。国松陽菜子くにまつひなこ様! 王には従順なる家臣が必要よ。その1人がコイツねッ。

「あら、清花。ねぇ聞いてよぉ。こいつの脳味噌、腐んの早すぎぃ」

 潮田清花、多分17歳。正真正銘の現役高校生。去年くらいに桜木の校舎に落ちてきた私の食物だったはずなんだけど、私の家臣たちの手から逃れ逃れ逃れ逃れ逃れ逃れ逃れまくり、私のお眼鏡にかなって第一の従者に昇格した実力者。なよなよしてて如何にもひ弱そうだけど、根性はある子ね。

「陽菜子……そ、そいつは多分、生け贄の人間とは違う種類……だと思うよ」

「? 人間に種類ってあった? 私が桜木に閉じ込められていた60年近くの間に種類が出来たの?」

「わからない……けど多分、大昔から人間は3種類に分類されてきた……はず」

「ふーん? 随分勉強してきたようね? その3種類を説明して頂戴」

「うん……いいよ。1つは、私たち。2つ目は、すぐに腐る人間。3つ目は……陽菜子も遭遇したんじゃないかな……?」

「?」

「ほら、陽菜子の肋骨は、け、蹴られて折れたままでしょう?」

「! ……ああ……あのクソ女」

 未だ、胸に鈍痛が残る。一体なんだったんだ、あの脚力は。最初は友達を助けに来た女の子の、泣かせる友情話で終わると思っていたのに、いきなり豹変しやがった。そういえば隣りにクソ女に似た男がいやがったな。ああ、あの男が桜木へ降りて来た時、何か嫌な予感がしたんだよ。畜生、私の勘は当たってた。

「あいつらが3種類目の人間か」

「お、おそらく。陽菜子を、こ、殺せちゃう存在よ……」

 私は笑った。笑ってやった。

「私を殺す? 今までそんなやつ現れなかったわよ? つまりこれからも現れない。その3種類目のやつらは、私が美味しく食べてあげる」

「…………」

「でも、こいつみたいにすぐに腐ったらどうしよう」

 私は靴の裏にひっついた肉片を、窓枠にこすりつけて剥がした。

「わ、私も全てを理解しているわけじゃない……。おそらく生け贄にされた人間のうち、陽菜子が食べた人間だけ、私たちと同じ種類なんだと思う……」

 理解をしているようで、していない。つまり清花もわからないってことね。まぁいいわ。こうやって外の世界に出ることが出来たんだもの。一番甘美な味わいのする脳味噌を、のんびりと探しましょう。

「挨拶に行かなくていいの?」

 清花がそう言う。

「誰に?」

「貴女を、わ、我が娘のように可愛がってくれている人よ……」

「うーん。挨拶っていうか」

 私は笑った。ニヤリと笑った。

「どっちかと言うと、その人の脳味噌を食べたい」

「陽菜子……」

「いい? 清花。私はもう自由なの。暗い学校からは解放されたの。これからは誰の助けも借りずに、自分の力で生きねばならないの。だから」

 お父さん代わりの人なんて、もう要らない。

「さあ清花。私の為に食物を探すのよ。望むならあんたも食べたらいい。私はお父さんに会う」

 第一の従者は、いつだって私の指示に従う。今だって、外に出たんだから逃げればいいものを、私に付き従っている。人間って、昔から変わらず忠義に厚いのね。

 感心したのも束の間。<上の学校>の敷地から出ようとした時、私は見えない壁にぶつかって鼻の骨を折った。

「痛い! くっそォ……なんだってのよ……」

 咄嗟に鼻を押さえる。鼻が異常に冷たくなっていることに気付く。よく見ると、私がぶつかったのは見えない壁ではなく、極めて透明な氷の壁であった。

「は……」

 長く生きてはきたけれど、こんな事象は初めて目にする。上の学校の敷地内全てを氷の壁が覆いつくし、僅かなヒビも見つけられない。

「そうか」

 清花のやつ、逃げないんじゃなくてもしかしたら……逃げられないだけなんじゃ? うーん。私ってばどうやら疑り深くなっているようね。人間を信じられないっていう性格は、なかなか直るものじゃないわ。ごめんなさいね、清花。貴女が私を裏切るわけがないわ。だって、裏切ったところで貴女に生きる術なんて……無いものね?

「さて」

 壁とはいえ、所詮は氷。時間が経てば溶けるはずよ。それに考え方を変えてみたら、これはとても好都合。食物もこの学校からは逃れられないってことになるものね。

 私は気を取り直して、“お父さん”を探すことにした。

 正門のすぐ近くに生えている巨大な枯れ木の傍らで、宮本クンが女子生徒の顔面にかぶりついている。宮本クンは昔からその食べ方が大好き。鼻は鶏の膝軟骨のようで、眼球はゆで卵、唇はホルモンの味に似ていると言っていたけど……随分と安っぽい味だわと私はいつも見下しているの。

 やっぱり脳の味噌よ。脳味噌は人間によって味が違うのをご存知? 美味しい脳味噌をつくる為には、強くて逞しい精神が必要なの。そう、あのクソ女のせいで食べ損なってしまったけど、あの男の子の脳味噌は絶品だったろうなぁ……。私を目の前にして、怯えながらも生きる為に必死に逃げ回った。だから捕まえた時のあの絶望感に溢れた表情はたまらなかったわ!

 ああ、だからこそ思い出しただけでイライラする。食べたかった。あの男の子の新鮮な脳味噌! でも、クソ女の脳味噌もきっと美味しいに違いないわ。脳味噌の美味しさは、精神力に比例するの。

 果たしてお父さんは、美味しいのかしら……。

 そして出会った“彼”は、お父さん探しをどうでもよくしてしまうほど甘美な香りを纏っていた。

「俺を食べるの?」

 剥き出しにした牙を思わず引っ込めた。私を目の前にした彼の落ち着きぶりと涼やかな目が、私に牙を引っ込めさせたのだ。

「あ、ごめんなさい。私ったら思わず……気を悪くしないで」

 戦意を喪失したわけじゃない。

「貴男の名前、教えてくださる? 私は国松陽菜子よ」

 なにがなんでも食べてやりたい――そう思ったの。

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