9節 オ腹ガスイタノ。
「……国松陽菜子」
彼は私の名前を復唱し、手にしていたノートに記した。それは何? 私の名前なんて記録してさ、記事でも書くつもりなの? うーん、大した記事にはならないと思うけどなぁ。人間を食べるなんて、言うなれば通常の行為よ? 誰だって食べ物がなくなれば、近くにいる肉にかぶりつくって! ああ、所詮は平成生まれの戦争地獄を知らないクソガキ共には、人肉の美味しさは伝わらないんだろうなぁ一度ハマったら、病み付きになること間違い無しなんだけど!
「お前は他のやつらとは違うんだな」
彼が言う。お見逸れしました! よくわかったわね。そう、私は従者たちとは違うの。だってこの国の王たる器だもの!
「時間ある? 俺の調べものに付き合ってほしい」
時間は無いわよ。貴男の脳味噌の味を感じたくて、こんなにもウズウズしているんだもん。でも、我慢すれば我慢するほどご褒美を手にした時の喜びが大きいことを私は知ってる。よし。わたくし国松陽菜子、ここは我慢します!
「調べもの? 記事を書いてるんじゃないの?」
「記事? ……まぁ、記事のようなものかもしれない」
彼は慣れた手つきでボールペンをクルリと回すと、制服の胸ポケットにさす。
「おいで」
ええ、どこまでもついて行くわよ!
「どこへ?」
「うん。どこぞの愚かな教師のお陰で解放された、第一桜木高等学校の校舎へ」
彼はスタスタと歩き出す。どこから私の従者たちが現れるかわからないデンジャラスな場所を、彼は躊躇することなく。
んっ? ちょっと! 名前! 名前教えてよぉぉー。
私は周囲に潜む従者たちに「私の獲物に手を出すんじゃないわよ」と睨みつけていた。
「私の母校へ行きたいの? 物好きなのねぇ、貴男」
かくして私は名前のわからない男と2人、校舎という名の巨大地下室へ行くこととなった。
「そうでもないと思う。ただ、この狂った学校の狂った制度の……その理由を知りたいだけ」
狂ってる、かぁ。それ、昔に何度も言われて罵られたことがあるわ。人が狂気に走る理由なんて、きっかけは些細なことだと思うけどね。私の場合は……そうね。
――お腹がすいていたから。
上の校舎の保健室。床にぱっかりと開かれた地下への扉を見て、彼は少し目を輝かせた。
「これはすごい。素晴らしい」
桜木へ降りてからも、彼はその言葉を連呼していた。
「よく考えついたものだ。相当な被害を払っただろうが、力の無い人間が国松たちを閉じ込める為の当時としては最善の策……」
彼がノートに走らせるペンの速度が上がる。男のクセに女子トイレを覗いたりして、何をしたいっていうの。
「なにが素晴らしい、よ。私たち、桜木の大人たちに生き埋めにされたも同然なのよ?」
それは桜が満開に咲く、春の季節の出来事。学校の地下室――旧防空壕後をねぐらとしていた私たちは、外から聞こえる大きな機械の音と、何かがのし掛かる音が気になって1階の廊下へ這い出てみたの。そこには私たちを忌み嫌っていた生徒たち、およそ100人が列をなして待ち構えていたの。ついに私たちを狩ることにしたのか、でもそんなの不可能よと鼻で笑った時、生徒のうちの1人がこう言ったわ。
――私を食べなさい。
と。我が耳を疑ったわよ! ええ、そりゃもう。耳クソをかっぽじってもう一度聞いてみても、間違いはなかった。
「でも後から考えてみれば、それは私たちを足止めしておく餌だったのよね。第一桜木高等学校は、私たちを校舎ごと閉じ込める為に生徒を100人、犠牲にしたの」
「犠牲になった生徒は、国松の知る生徒だったか?」
「どういうこと?」
「つまり、戸無瀬の生け贄のように操られていなかったか、ということだ」
「いいえ。生徒たちは正気だった。ある者は餌に自ら志願をし、ある者は無理強いで。とにかく、私たちを閉じ込める為に桜木側が一丸になったってことなのよね」
「なるほど。催眠が始まったのは戸無瀬になってからか……」
彼は一つ一つ謎を潰してゆく。
「じゃあ、その記憶をもう少しだけ遡らせてみようか」
なんだか催眠術を受けているみたい。私は被験者で、彼はそうね……まるで、大日本帝国の軍医あたり? 催眠専門の!
「桜木六不思議は知ってる?」
「ん? んー……幽霊が出るって噂のやつでしょ? それが語られ始めたのは戦後かららしいけど、私は実際には見てないわね。それどころじゃなかったってのもあるけど」
「よし。そこだ」
「え?」
「六不思議が語られる前……つまり戦時中の話をしよう」
「う、うん」
彼は壁に貼り付けてある『火の用心』のポスターを剥がし、その下に隠されていた『大日本帝国万歳』のポスターを私に見せる。
「戸無瀬の図書室にあった地元戦争記録では、第二次世界大戦中、この月の都は空襲が激しかったとある」
月の都とは、ここ月夜見市、両隣りにある月詩市と月世野市を総称した呼び名だ。
彼はポスターを私に見せた後、キョロキョロと視線を彷徨わせ、見つけた目的の部屋へと入ってゆく。そこは、図書室だった。彼は手持ちの懐中電灯で蜘蛛の巣だらけの本棚を漁り、見つけたものを開く。読むスピードが異常に速いらしく、次々と本を読破してゆく。
「……だから全ての学校には防空壕が必ず有り、当時は避難民で溢れていた。第一桜木高等学校も例外ではなく、避難民は防空壕だけではなく校舎全体にまで及んでいた。当然のことながら食糧不足、怪我人が多く運び込まれるも治すことなど出来ず、むしろ病原菌が蔓延して劣悪な環境に。それでも校舎から出られずに人々はここにとどまった。想像をすると、ゾッとするというよりは……悲しいな」
「そうね」
「桜木の避難者名簿の中に、国松の名前があったよ。国松陽里と国松陽菜子。母親と避難していたのか?」
「……ええ……本当はお父さんも一緒に避難する予定だったんだけど、ここまで来る途中で落ちてきた爆弾の影響を受けちゃってね。熱い、熱いとのたうち回った後に月夜川に飛び込んだんだけど、川は沸騰した湯の如く熱くなっていて、そのまま死んだわ」
「川の沸騰……か。うん、爆弾の火と焼死体でひしめき合った川が煮え立つほど熱くなったという話はよく耳にする。月夜川も、すでにその状態にあったんだろうな」
「ええ。川で茹で上がるお父さんの顔は、お父さんって呼んで良いのかわからないくらい、皮がブクブクで焼け爛れていて。それをいつまでも見ていたら、お母さんに手を引っ張られたの」
「国松が5歳の時の話だな」
「ええ。……って、そこまで詳細に記録してあるの? その名簿!」
「避難生活はどうだった?」
「とりあえずお腹が減っていたわ。喋るにも動くにも寝るにも、お腹が減っていたからしんどくて、私は死んだように動かないのが日常だった。終戦1週間前、餓死直前ってやつかしら」
「そんな状況で、初めて食べた人間の肉の味はどうだった?」
「あら直球。ていうか、話が飛びすぎよ。貴男、私の何を知ってるっていうの?」
「何も知らない。ただ人肉に異常に執着していることはわかる」
「ははっ、だって、私は餓死直前だったのよ? なのに米粒一つすら食べるものは無い。そんな切羽詰まった状況下で人間の肉が傍にあったら、貴男どうする? 食べるでしょ!」
「……自分は悪くない。あくまで、そう言い張るつもり?」
「当たり前でしょ。死ぬか生きるかの究極の選択肢よ? せっかく誕生した命に対し、生きることを諦め、死ぬことを強要される筋合いは無い!」
私は間違ってないわ。だって生きる為に必要なことだったんだもの。それが罪だって言うのなら、今、この世界で生きているやつ全員が罪人だわ!
彼は言う。
「そういう生き方も、致し方ないか」
「へっ……?」
意外。彼は私を責めるんじゃなく、受け入れた。しばらく呆気にとられていた私だけど、こみ上げてくる感情は喜びのものだった。
ああ! こいつを食べてあげたい!
私と一緒になり、私が感じた恐怖と絶望、憎しみを共に感じてもらいたい。ええ、私たちならそれが出来る。出来そうな気がする。今まで暗い地下で、自我を失った馬鹿たちと暮らしてはきたけれど、自由になった今は違う。私を理解し、慈しむ心を持ってくれた貴男と2人、生きていけるのよ!
「俺が聞きたいのは、国松が最初に食べた人間についてなんだけど」
私の考えなどいざ知らず、彼は質問を続ける。私は「うふふ」と笑った。彼になら言える。教えてあげられる。私は自分の唇を人差し指でなぞり、言った。
「お母さん」
彼は表情を変えず、頷きながらノートにペンを走らせる。うふふ、さすがね。




