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影操師 ―散らない桜―  作者: 伯灼ろこ
第三章 シャドウ・コンダクター
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 3節 散ラ……ナイ桜?

「紫遠……なんで、こんなこと」

「何が?」

「何がって……皆が……あのバケモノたちに喰われてんだぞ……? 桜木から出てきた、その食人型ってやつに!」

「うん。知ってるけど?」

 紫遠は悪びれずに、そう言った。開いた口が塞がらないとはこのこと。私は口を開けたまま、首を振った。

「――……。紫遠は、あのバケモノたちから戸無瀬の皆を守るんじゃないの……?」

 よくわからないけれど、紫遠には力がある。とてつもない力が。力があるなら、こんな状況でもあるしさぁ、使うべきだよね? 死神に対して、そう命じていたはずだし!

「バケモノを皆殺しにするってさ……確か、いいや、絶対にそう言ってた」

 紫遠はキョトンと、しかし背筋がゾクリと凍りつくような表情で私を見下ろす。

「そんなこと言ったっけ?」

 紫遠が氷閹に命じると、氷閹は紫遠の足元へするすると消えてゆく。やがて足元には何の変哲もない黒い影が戻り、突如として氷の中に閉じ込められた戸無瀬の姿を見た人々からの悲鳴が残った。

――寒いよ。とてつもなく。

「じゃあ、帰ろうか。姉さん」

 何が寒いのだろう。真夏に現れた氷か、それとも弟の全身を巡る凍てつく血液か。

……試してみようか。紫遠は今、手負いだ。私は多少の罪悪感を感じながらも、暴れてみた。理由は、自宅になど帰れないからだ。

「無駄だよ」

 結論から言うと、紫遠からは逃れられなかった。左腕の肉が落ちていようとも、私が渾身の力を振り絞ろうにも、私を抱きかかえる紫遠の腕――その指一本すら動かすことが叶わず、私の試みは徒労に終わった。

 強い。強すぎる。こんなの、人間の力じゃない。

「私のこと騙した? 騙しただろ」

 紫遠の胸に抱かれながら、私は恨めしく唸る。

「そう言わなくちゃ、君は素直に桜木から出てくれそうになかったから。でも、戸無瀬をなんとかしようとしているのも嘘じゃないよ。まぁあくまで他人任せなんだけど」

「……相模くんか? ただのお前と同い年の男の子に何が出来るってんだ?」

「そうだなぁ……僕と七叉の大きな違いは、組織に属しているか否かだね」

 紫遠が何を言っているのか、さっぱりわからなかった。昔から知ってる家族のはずなのに、目の前にいるこの少年が、私には今日初めて出会う異国の少年に見えて仕方がなかった。

「このまま皆、食べられて終わりなのか……桜木が招いた悲劇は戸無瀬へと引き継がれ、その末路は……。ちくしょう。なんで、桜は散らねぇんだよ……!」

 悲しい。悔しい。腹立たしい。あらゆる感情を込めて呟いた独り言は、紫遠によって現実に目覚める。

「姉さんさ……ずっと聞こうと思ってたんだけど、この前から何言ってんの?」

「はあ? だから、桜が」

 紫遠は言う。


「桜が散らない? いいや。そもそも咲いてすら、いないだろ」


 ??

 何言ってんの、と聞きたいのはこっちだ。私は馬鹿にされているのかと多少の苛立ちを感じながら、遠く離れてしまった戸無瀬の正門――そのすぐ向こうを強く指差した。

「戸無瀬高等学校最大の謎だろ! 『散らない桜』は――…………え?」

 樹齢何百年と言われている桜の大木。昔は第一桜木高等学校の名の由来となり、今は戸無瀬高等学校のシンボルとしてその存在感を放っている。最大の神秘、そして謎は、桜が“散らない”こと。常に満開の状態で四季を駆け抜ける。神の奇跡を沸騰とさせる姿が戸無瀬に“生け贄制度”なる忌まわしき風習を植え付けた根源。その馬鹿げた風習と真っ向から対抗すべく、正気を保った者達が桜の謎に挑み、敗北してきた。

 ……私はしばらく、そんな夢に捕らわれていたのだろうか。桜が散らない、という夢に。

 紫遠が言う通り、桜の木に桜は――

 咲いていなかった。

「…………」

 むしろ今の季節に青々と茂るはずの葉さえ無く、寒々しく淋しい枝が剥き出しの状態となり、生命を宿らせることすら拒否した――『死の木』と成り果て、静かに佇んでいた。

「僕らが入学した当初から、桜は咲いてなかったよ。その木以外の桜は満開で綺麗だったけど」

「…………」

「姉さん?」

 私は重い頭を押しつけるように、紫遠の胸の中で意識を手放した。


 目覚めたのは紫遠が自宅の扉を開いた瞬間だ。戸無瀬高等学校から我が梨椎家のある月夜見市郊外まで電車と徒歩を合わせて1時間。私は1時間、気を失っていたことになる。

「……紫遠、教えてよ」

 時刻は、陽が沈みたての薄夜。私は身体に気怠さを感じつつ、居間のソファにて横になる。

「私は見たんだ。いや、私だけじゃない。桜が七不思議に加わったその時から、何十人、何千人もの人が……桜は散らないと認識していた。でも紫遠に言われた直後に見た桜は、最初から咲いてなんかいなかったかの如く寒々しくて……散った花びらも、どこにもなくて」

 ソファに横になる私と目線の高さを揃える為、紫遠はソファの前で両膝をついた。そして熱くなった私の頬を撫でる。紫遠の手は、ひんやりとしていて心地いい。ずっと撫でていてもらいたい。

「混乱しているね。まぁ仕方のないことさ。姉さんは、第1の催眠にかけられていたんだから」

「……第、1?」

「戸無瀬が生徒と家族を操る為に施した術は、面接時に出したお茶だけじゃない。その時にはすでに、愁と僕と……あと七叉を除く全ての人が第1の催眠にかけられていたんだよ。内容は、姉さんの言動から推理するとおそらく――『散ることなく、永久に咲き誇る桜』」

「…………」

「催眠なんていつかけられた? って感じだよね。うん、まさしく認識されないうちに戸無瀬側の迅速且つテクニカルな技が披露されたわけだ。それが何なのかというと、真冬の入学試験にて行われたテスト。解答用紙には当然のごとく名前を書くでしょ。実はあの解答用紙、普通だと気付かないレベルの2枚重ねになっていてね。しかも、名前の部分だけ複写仕様。解答用紙の下にあったもう1枚の紙には、確認はしなかったけど多分、こう書いてあったんじゃないかな」

――桜は散りますか? ハイorイイエ。

「“イイエ”のところにはすでにマルが付けてあり、そこに自分の名をサインすることにより催眠の効力が生じた。……と、まぁこういう催眠術の掛け方があることを愁から聞いていてさ。おそらく保護者側にも似たような形式で書類にサインさせたんじゃないかな。だから僕は催眠に掛けられない為、1枚目と2枚目を少しずらして名前を書いた。姉さんにも注意を呼び掛けたかったけど、あいにく試験会場が別々だったから」

 私は目を瞑り、深い溜め息を吐いた。

「……どうして戸無瀬は、第1の催眠を?」

「それは簡単なことだよ。この生け贄制度を納得させる大義名分――散らない桜に命を捧げる為、という理由が欲しいから」

「でもその大義名分は、戸無瀬に操られてないと意味を成さない……」

「その為の第2の催眠だね。例の、面接時のお茶」

 面接は、子供と両親の3人と面接官3人で行われた。私の場合は両親がいないので、親代わりの愁と私の2人。出されたお茶を執拗に勧められたが、面接室へ入る前に受けた紫遠からの忠告――「口に含むモノ、または何かを“書く”ことを勧められる又は強要された場合、そのフリだけをして」という言葉を思い出し、意味がわからないまま飲むフリだけをした。まさか愁も飲むフリをしていただけなんてことは、その時は気付かなかった。

「あの時は……助かったよ」

「でもすでに第1の催眠――散らない桜に関する催眠を掛けられていた姉さんは、生け贄制度をどうにかする為に奔走してしまった」

 これは耶南やオカルト研究部の先輩たちにも言えることだ。でも、もし第1、2の催眠にも掛かっていないという状態だったなら? 私は、耶南は、オカルト研究部の先輩たちは、紫遠のように遥か高みから戸無瀬を見下ろすことが出来ていただろうか。否、真実を知っているからこそ、やはり、生け贄制度をどうにかしようと奔走していたはずだ。だから。

「紫遠は冷たい……」

「はいはい」

「冷酷。非情。人でなし」

「好きに言っておくれ」

 言われ慣れているのか、紫遠はさほどダメージを受けた様子なく立ち上がる。私は膨れ、クッションを掴んで自分の顔に押しつけた。

「……私に掛かっていた第1の催眠は、なんで解けたんだよ」

「僕が真実を告げたから」

「…………」

「催眠はね、催眠に掛かっていない正常な人間から真実を告げられると、解けるんだ。でも、僅かでも催眠に掛かっているものが真実を訴えても、誰の催眠も解けやしない」

「……やっぱ、冷たい」

 同時に、戸無瀬による催眠術の綿密さに寒気がした。第1、2の催眠に掛けられていない常人からすると、たとえ生徒やその家族から「桜の生け贄が云々」と訴えられたところで、咲いてもいない桜をどうのこうの言うやつの方こそ頭がおかしいと捉え、まともに対応しない。

 まったく、誰なんだよ。こんな完璧すぎる計画を立てた野郎は!

 紫遠はテーブルの上にあるリモコンを操作してテレビを点ける。テレビから聞こえてくる音は、複数の人間の慌てふためく声。しきりに「氷が」「氷が」と発している声が聞こえ、私はクッションを放り投げて飛び起きると、食い入るようにニュース報道を見た。

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