4節 行カナクチャ。
紫遠はテーブルの上にあるリモコンを操作してテレビを点ける。テレビから聞こえてくる音は、複数の人間の慌てふためく声。しきりに「氷が」「氷が」と発している声が聞こえ、私はクッションを放り投げて飛び起きると、食い入るようにニュース報道を見た。
「これ、戸無瀬の上空だ……夜だからわかりにくいけど、ヘリコプターから、撮ってる……」
突如として戸無瀬を覆い尽くした氷の壁は、メディアの絶好なるカモとなっていた。おまけに、氷越しに見える惨状はもう、戸無瀬の如何なる圧力をもってしても隠し通せるものではない。
パトカーや救急車の他、自衛隊までが出動して生徒の救出を試みているが、氷が邪魔をして中へ通さない。
「紫遠。大事になってるよ」
「当然だよ。まぁ明日にはこの事象を覚えている人はいなくなるから大丈夫」
「……私は、いつまでここにいないといけないの?」
「あの事態が収束するまで」
「つまり、戸無瀬の皆がバケモノに食い尽くされるまで?」
「そうは言ってないよ。七叉が来てくれれば、まぁ……何人かは生存出来るんじゃない? 望みは薄いけど」
「紫遠は戸無瀬の皆がどうなろうが、知ったこっちゃないんだな」
「最初からそう言ってるよね」
「じゃあ、どうして七叉ならどうにかしてくれるんだ?」
「組織の人間だから」
「七叉は紫遠より強いの?」
「さぁ。戦ったことがないからわからないな。やり合う気も無いし」
「紫遠には……戸無瀬の皆を救う力は、あるの?」
「あるよ」
ダメだ。紫遠は、力があるのに使おうとしない。すでにわかってはいたことだけど。この場合、バケモノを月夜見市へ放つことを止めてくれただけでも感謝すべきなのだろうか。……したくない!
「……部屋で休む」
「どうぞ」
私は居間の扉に手をかけた。
「ただし」
呼び止めるられ、私は目だけで紫遠に振り向く。
「助けに行こうだなんて愚かなことを考えないことだね。この家は、僕の意識の範囲内にあるのだから」
「……わかってるよ」
私の考えは、先手を打って排除されていた。ああ、ちくしょう。何も手立てが無いのか。
私は自室の机に座り、考える。滅多に使うことのなかった机だが、高校に進学してからは嫌というほど使った。
――さて、どうしようか。
このまま本当にジッとなんてしていられない。私は、戸無瀬の馬鹿げた風習を止める為に自ら生け贄にまでなった。止める為にはまず、信仰の対象となっている桜の散らない謎を解き明かすべきだと考えた。それがただの催眠の一種だと証されてしまい、そこから導き出される謎は、
「戸無瀬は……本当は一体、何に対して生け贄を捧げていたのか」
戸無瀬は桜に対する生け贄を大義名分に掲げていた。しかし実際に生け贄の場所へ訪れてみると、生け贄を食していたのは、バケモノと成り果てた第一桜木高等学校の生徒。桜の根元へ行ってみても、桜が散らない理由は見つけられなかった。それは当然だ。桜は最初から咲いてなどいないんだから。
「疑問が増えたな。まず、戸無瀬側は桜木の存在を把握しており、且つ隠していた。バケモノの存在も知っていた。ならば、生け贄が捧げられていた相手は桜ではなく、あのバケモノたちであると考えるのが妥当……」
バケモノたちは人間を喰らう。当時の桜木の関係者はバケモノを全て封印した。しかし封印程度では破られる危険性があった。だから、毎月少しづつ生け贄を与えて満足させていた。
「……あんな大勢のバケモノたちが、1ヶ月たったの3人の生け贄で満足出来んのか……?」
もしかしたら、私たちが知らない間にもっと多くの人間が犠牲になっていたかもしれない。耶南のように、「臨時の生け贄」と称して。いや、やはりそれでも足りない。そう、戸無瀬の生徒数だけじゃ到底、足りない……。
「…………」
問題は、桜木の生徒たちが何故、人を喰らうバケモノになったか。それを調べる為には戸無瀬へ行かなくてはならない。
そして、助けられる命を、助ける為にも。
「…………」
どうする。私の力じゃ紫遠に対抗出来ないだろう。
助けに行きたいと懇願してみるか。……相手にされないだろう。
愁に緊急事態だと連絡を取るか。……愁も紫遠と同じく、戸無瀬の方針を見て見ぬフリをしてきたくらいだから、やはり相手にされないだろう。
いいや、まず、戸無瀬の周りには警察や自衛隊までが集結して決死の救出を試みているんだ。私ただ一人が駆けつけたところで、クソの役にも立つはずがない。
「私は……無力だ……」
うなだれた時、制服のポケットに入っていた携帯電話が震えた。……画面を見て驚く。
「あっ……朝霧蒼夜先輩……!」
これは絶対にSOSの電話だ。朝霧先輩が危ない! でも、まだ生きてくれていた。
慌てすぎて危うくボタンを押し間違えそうになるが、なんとか指を通話ボタンへと導く。
「だ、大丈夫ですか?!」
悲鳴のような甲高い声を出していた。悲鳴をあげるのは本来、向こう側の役目のはずなのに。
『……まぁ、一応。そっちは?』
予想に反し、朝霧先輩の声は落ち着いていた。それどころが私の心配をする余裕があるようだ。
「私は……家にいるんです……」
『は? 第一桜木高等学校にいるんじゃないの? 俺は今、そこにいるんだけど』
ああ、そうか。朝霧先輩はむしろ、生け贄になった私を助けに来てくれていたらしい。
「すいません……弟が、助けてくれたんです。それより朝霧先輩、バケモノに気をつけてください!」
『うん。気をつけたいんだけど、氷が邪魔で外へ出られないんだよ』
「ご、ごめんなさい……私が悪いんです……」
『?』
「朝霧先輩、他の人達は……どうなってますか。食べられちゃいましたか……?」
『わからない』
「そう……ですか」
『しかし桜木の校舎がまさかこんなところにあるとは思わなかった。色々判明したことがあるから、丁度良いし話す』
「え?」
『ああ、勘違いしないでな。俺は別に助けてほしくて電話をしたわけじゃない。第一、梨椎にそんなこと頼んでも仕方がないし』
「…………」
まぁ聞いてほしい、と朝霧先輩は言う。
『あのバケモノたちの正体は、第一桜木高等学校の生徒。しかも、何かに感染しているみたいだ』
「感染……」
『普通に考えてみて。こんなに多くの人間が、ある日突然、全員がバケモノ化すると思うか? これは、何かの細菌兵器か……あるいはそれに類するものによる影響ゆえだ。効果は、人体の変貌と人肉へと異常な興味。ああ、それと理性と言葉を失うことも加えておこう』
「……いえ、朝霧先輩。バケモノの中には、人間のままの姿、更に言葉を保っているやつがいました」
『本当? それは新たな発見だ。でも俺はそいつに遭遇してないなぁ……』
「遭遇しなくて良かったですよ。もしかしたら、被害者のフリをして朝霧先輩に近づき、食べられていたかも……」
『いや、遭遇したい。会話が成立するなら、桜木の血塗られた歴史について聞けるだろうし』
「先輩!」
朝霧先輩を止めないといけない。私は知ってるんだ。人間の姿と言葉を保つ2人の少女を――。
『あと桜木六不思議だけど、驚いた。これは事実だ。さっき2階の女子トイレから』
「先輩! そこから動かないでください! い、いや、バケモノが来たら死に物狂いで逃げてくださいよ! 今、助けに行きますから!!」
もう無理だ。我慢の限界だ。今、無事でいてくれている人がいるのに助けられないなんて馬鹿げている。
「紫遠! 役立たずの七叉はまだ来ないの?!」
居間にて優雅に紅茶をすすり、分厚い本に目を通す弟に私は怒鳴りつけた。私と目を合わせた弟は、あっけらかんと言う。
「遅くなるって」
「……ハァ?!」
「さっき連絡があった。どうやら任務にてこずってるみたい。まぁこっちはそんな急ぎの用でもないからさ、慌てなくていいよって言っておいたよ」
「……任務? 急ぎの用じゃない? おい、お前それ本気で言ってんの?」
「もちろん」
「私以外の命は、ゴミクズ同然って?」
「姉さん、口が悪……」
怒りが爆発する、まさにその直前だ。呆れたように視線をぐるりと真上へ向けた紫遠の視界に、それは写り込んでいた。
「……ごきげんよう、シスコン野郎」
その距離、およそ10センチ。紫遠の視界を占領した仮面の男は、大きな手袋に包まれた右手を振り上げ、紫遠の顔面へ向けて勢いよく叩き降ろした。




